久遠の玉響

神泉灯

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二十話

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 葬儀に参列した人々の思いなど気にかけずに時は流れ、夜が訪れた。
 村人は戸締りを厳重にし、それぞれ武器を手に家に立てこもった。
 もう道士や朝廷の兵士など当てにしてはいけない。
 自分の身は自分で守らなければ。
 恐怖が頂点に達しつつあり、克服するための怒りと殺意が村に満ち始める。
 その中にあってカイウは自分の行うべきことをいまだ決められないでいた。
 誰もいない酒造場で、酒精の香りに包まれながら、心を落ち着かせ、自分に問いかける。
 いつ、誰が死ぬかわからない状態で、自分は罪を抱えたまま沈黙し続けるのだろうか。
 四十を過ぎた彼に子供は授けられなかった。
 妻はその原因がカイウにあると責め、子供が創れないならもっと儲けを出せと急き立てる。
 老いた両親は不甲斐無いと嘆き、孫の顔を見せてくれないと恨んでいる。
 人生のなにもかもに行き詰まり、ほとんど賭けのように酒造業を拡大しようと、ゴウリュウに金を借りた。
 だが下りの人生は、簡単に立て直すことなどできなかった。
 借金は返済するどころか膨れ上がり、リョゲンに幾許かの金を渡されても、返済には至らず、その日の生活にも困るありさま。
 事業は完全に失敗し、この酒造も終わりかと思い始めた頃、ゴウリュウから借金を帳消しにする仕事を与えられた。
 リョホウを陥れる仕事を手伝うこと。
 以前助けてくれた恩人の孫に無実の罪を着せること。
 カイウは引き受けた。
 借金を帳消しするために、妖魔に襲われる一芝居を打った。
 村人が何人も売られていくのを知って、自分のことしか考えなかった。
 だがその後、ゴウリュウは捕まり、借金は跡を継ぐことになったリョホウがすべて帳消しにしてくれた。
 陥れようとした者に、結局は救われた。
 自分の行いが恥ずかしくなり、彼の良心は苛まされ続けた。
 自らの罪をゴウリュウたちはまだ話していない。
 様子を遠くから覗いてみたが、協力者の秘密を守るというより、自分達の身に起きたことが信じられず、混乱して細かいことは忘れてしまっていたという感じだった。
 うやむやのうちに知られることのなくなった罪が、カイウの心に重く圧し掛かってくる。
 悪人なのはゴウリュウたちだけではない。
 貧しい者の心が正しいとは限らないのだ。
 道士に言うべきかどうか悩んだ。
 自分の罪を、リョホウに告白するべきなのか悩んだ。
 言えば共犯として捕らえられるだろう。
 だが、共犯として投獄されたら、妻と老いた親はどうなるのだろうか。
 黙っていれば自分は拿捕されることはない。
 しかし、沈黙し続ける限り、良心に苛まされ続けるだろう。
 答えが出ないまま、彼は村の外へ向かった。
 妖魔が出没する危険な夜に、村を離れ、夢遊病者のように草原を彷徨い、林の中へ入った。


 メイリンは家に戻っていた。
 宿を営む主人夫婦にはずっといても良いと言われた。主人夫婦は娘の代わりのように思い、また亡くなった娘が、メイリンを守ろうとしていたことを知っていたためだろう。
 しかしメイリンは断った。
 家に戻り、以前と同じように仕事を手伝い、食事を作る。
 言葉は少ないがなにもかも元の状態に戻ったように見えた。
 あるいは、何一つ元に戻っていないのか。
 リョホウは見張りのため村へ向かった。
 メイリンに宿へ行くように伝えたが、彼女は家の地下に隠れて待っていると答えた。
 何度も安全な場所を勧めたのだが、彼女は家を離れようとはしなかった。
 地下室が安全なのかはわからない。
 だが今の宿は兵士がいないため、結局変わらないのかもしれない。
 空き家となったゴウリュウの屋敷にはフェイア道士やコウライがいるが、メイリンはそこへは絶対に行こうとしないだろう。
 牢屋とはいえ、ゴウエンがいる屋敷には。
 リョホウは心配して、なんとか宿へ向かわせようとしていたが、結局折れて、朝が来るまでは、例え自分が来ても開けてはいけないと念を押して、見張りへ向かった。
 しかし、リョホウが出てからしばらくして、メイリンは夫に念の押されたにもかかわらず外へ出かけた。
 村から離れ、草原を軽やかに疾走する。
 それは誰もが思う、運動神経が鈍いという印象からかけ離れた俊足だった。
 やがて林に入り、中央にある小さな池の畔に辿りつくと、一声かける。
「タカモク、現れなさい」
 水面に移る三日月が、かすかに揺らめき、その上にはいつの間にいたのか、黒い外套をかぶった男が立っていた。
 沈むことなく水面に立つ男は、顔を隠す外套を外し、その素顔をメイリンに見せる。
 人の顔ではなかった。
 眼は瞳孔が異様に細く、顔には鋭く尖った嘴。
 黒い体毛に薄い茶色の毛が混じり模様を描いている。
 猛禽類の頭部だった。
 そして、普通なら言葉という複雑な発声が不可能なはずの嘴から、滑らかに声を出す。
「お久しぶりです。姫」
 姫と呼ばれたことに、特に感慨を抱くでもなく、メイリンは問いただす。
「この地に何用です? あなたは村人を食してなにをしようというのです? 私を連れ戻すだけなら、必要のないことのはず」
「誤解をなさらないでくださいませ。一連の食事は私ではございません」
 猛禽類の頭をした男は恭しく否定する。
 そこにはゴウリュウのような慇懃無礼さはなく、心から忠誠を持った者特有の、誠実さが感じられた。
「では、誰だというのです?」
「私にはわかりません。それに、どうでもいいこと。同胞がここでなにをしようとも、今の我らには関係ありません。私に重要なのは姫をお連れすること。姫に重要なのは、お帰りなさること。通路は開いております。速やかにご帰還くださいませ」
「断ります」
「なぜ?」
 メイリンは答えず、要求だけを伝える。
「あなた一人で帰りなさい。私はここに残ります」
「そうは参りません。一人で帰還しようものなら、あなたの父君であらせられる妖魔王に極刑を言い渡されます」
 すべての妖魔の頂点に立ち支配する王。
 その正体は不明ながら、絶対なる力は全ての妖魔が知る。
 それ故、妖魔王は恐怖をもって君臨し、すべての妖魔は妖魔王の恐怖に平伏す。
 その妖魔王の実の娘が、メイリンだった。
 だが妖魔王の娘の存在を人間は知ることはなく、妖魔にさえ秘せられている。
 頂点に立つ者にとって特別な存在は、それだけで危険に晒される。
 妖魔王の娘メイリンの素性はごく一部の、守護を担う者のみに教えられる。
 タカモクのような。
「姫。人間との戯れはこれまでにし、どうかお帰りくださいませ。父君も心配なさっております」
「父には、私は死んだとお伝えください」
 それまで冷静にして冷淡だったタカモクの表情に、明らかに戸惑いが浮かぶ。
「いったいなにを? まさかあの人間と本気で連れ添うおつもりですか?」
 人間との婚姻は、妖魔にとって最大の禁忌だ。
 食料、ひいては家畜でしかない生物と交わるなど、穢れ以外なにものでもない。
 妖魔において三大禁忌と呼ばれる律破りに入る。
 もしメイリンが人間と結婚が遊びではなく、真剣なものだとしたら、妖魔王はたとえ娘であろうとも極刑に処するだろう。
 妖魔王の姫から真意を読み取ろうと、タカモクは魂の奥底を見通すように、その瞳を凝視した。
 メイリンの瞳には、普段の穏やかでどこか臆病な色はどこへ消えうせたのか、凛として強い眼光を宿していた。
 タカモクはやがて諦めたような、あるいは度重なるわがままにうんざりするような嘆息をする。
「今日はこれまでにいたしましょう。話はまた後日」
 タカモクは外套を被り直すと、水面から跳躍する。
 小さな波を立てて、その身は空へと飛翔し、遥か高みにその姿が消えた。
 ただ、ささやくような声だけが届く。
「人間と妖魔は相容れない存在。あなたの想いがどれほどのものであっても、あなたの願う未来は訪れないでしょう」
 三日月と闇に彩られた雲が空に浮かんでいた。


 カイウは震えていた。
 木の陰で身を潜め、自分の目と耳を疑った。
 だが現実に目の前の光景は消えない。
 彼女が姿を消すまで、彼はずっと隠れ続けていた。
 子供のように恐怖に怯えて。
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