久遠の玉響

神泉灯

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十二話

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 コウライはホウロの話を黙って聞いていた。
 正直今すぐゴウエンのところへ行って、ぶちのめしてやりたいのだが、今は我慢する。
「信じられない。あの男、そんなことまで」
 一連の経緯を聞いたユイハは、あまりのことに怒りよりも唖然としている。
「前からメイリンにちょっかい出してたけど、そこまでするなんて」
「あいつならやりかねないさ。今迄やらなかったほうが不思議なくらいだ」
 ホウロはゴウエン本人がいれば唾を吐きかけたくなるような顔で否定した。
 リョホウは説明が終わってもずっと沈黙して、表情もない。
 食堂には夜食の準備をしていたユイハの他に、強姦未遂事件の当事者のリョホウとホウロ。
 そしてフェイアとコウライの五人だけだ。
 兵士はほとんど出払っており、二階の客室に見張りをしていた二人が残っているが、彼らは眠っているか、少なくとも体を休めて、精神を落ち着かせようとしているはずだ。
 ここにいる三人の心を落ち着かせる必要があるな。
 コウライは今後を説明することにした。
「とりあえず、夜が明けたら兵士と一緒にとっ捕まえにいくよ。ついでに五六発ぐらい殴っとく」
「管轄外だ」
 フェイアが端的に指摘した。
 自分たちはあくまでも妖魔退治のために来ている。
 人間の犯罪は、この地域の憲兵や官吏の仕事だ。
「じゃあ、捕まえて引き渡せばいい」
「だめだ。ゴウリュウは官吏と癒着している。それだけでも厄介なのに、手続きや縄張りを荒らすようなことをすれば、確実に罪に問うことができなくなる」
「じゃあ、どうするんだ?」
 三人の怒りを治めるために捕える話を始めたのに、だんだんコウライ本人の頭に血が上ってきた。
「僕が先に官吏に話をつけてくる。それから憲兵に捕まえてもらえばいい。少し時間はかかるだろうけれど」
 フェイアの説明に不服がないわけではなかったが、しかし現状を考えればそれが最善だろう。
 コウライは沈黙しているリョホウに顔を向けた。
「わかりました。お願いします。」
 彼はフェイアに頭を下げた。
 コウライはその様子にどこか不自然な違和感を覚えたが、フェイアは了承の意を示して頷いた。
「それじゃあ、今からでも行って来る。コウライ、皆を頼む。妖魔の件もあるし」
 東の空に仄かな光が見え始めていたが、村の警戒はまだ続いている。兵士や村人に指示を出す必要がある。
「わかった」
 コウライが請け負うと、フェイアは宿の出入り口へ向かおうとした。
 だが、不意に足を止めて、リョホウへ視線を向ける。
「なにか?」
「うん」
 どのような意味での肯定なのか、不明瞭な返事を返すと、フェイアはまっすぐリョホウへ足を進めた。
 そして何気なく手を伸ばすと、リョホウの懐に入っていた刃物を取り出す。
 その動作は滑らかで、あまりに自然だったため、リョホウは目にしていながら反応というものがまったくできなかった。
 フェイアはリョホウの持っていた伐採用の刃物を確認する。
 先は鋭く、兵士が使う武器のように刃渡りが長い。
「これは預かっておくよ」
 少し驚いたリョホウだが、しかし見抜かれていることを悟り、目を伏せた。
 沈黙がすべてを肯定していた。
 刃物を自分の懐に入るフェイアに、驚いているホウロが訊ねた。
「どうしてわかったんですか?」
 リョホウがこんな時に刃物を持っているのは、他ならぬゴウエンへの報復以外考えられなかった。
 刃物を持っていたとしても、今の村の状況なら妖魔を警戒してのことだとも考えられるが、しかしリョホウの様子を見ればそのためではないことは明らかだった。
 フェイアは質問をしたホウロにではなく、リョホウに答えた。
「君がそういう人間だからさ。感情を表に出さないが、その実、激情家だ。黙ってなにもしないわけがない」
 リョホウは答えなかった。
「じゃ、あたしたちは行くよ。あんたたち、そいつから目を離さないでおくれ。あの屋敷に行けば返り討ちにされるのが落ちなんだから」
 コウライがリョホウの見張りを頼む。
 それは例え武器を持っていなくても、報復に向かう可能性を示唆して。
 そしてリョホウは短く嘆息した。
 完全に見抜かれ行動を制限されることを諦めたように。
 フェイアは官吏へ話をつけに、そしてコウライは警戒の指揮へ向かった。


 ユイハは事態をよく理解できないように戸惑っていたが、ホウロはリョホウに向けて妙に嬉しそうに目を輝かせていた。
「……なんだい?」
 リョホウはホウロの視線の意味を理解できずに聞く。
 呆れられるか、あるいは馬鹿なことを考えるなと怒るだろうと予想していたのかもしれない。
 確かにそのように言うべきなのかもしれない。だが、ホウロはそんなことをいうつもりはなかった。
「俺は、その、なんていうか。そう、目から鱗だ」
 これだけでは、どういう意味なのかまったく理解できない。
「俺はさ、おまえのことを見直したよ。いや、悪い意味じゃないんだ。ただ、やる時はやるんだなって」
 考えてみれば当然なのだが、妻を暴行し強姦しようとした男を、それが未遂であっても、気が済むまで殴りつけたいのは当然であり、殺しても飽き足らないと考えたとしても不思議ではない。
 そして実行する者は少なくなく、ホウロはそれを常軌を逸した行動とは決して思わない。
 だがリョホウはなにもしないと思っていた。
 常に温和で、非常事態にも冷静に対処し、問題を理性的に解決する。
 事情を話し憲兵に犯人を捕らえてもらい裁きにかけてもらう。
 それが理にかなった適切な判断だ。
 だがそれは、酷く冷淡な対応であり、異なる見方をするなら臆病でもある。
 自分の妻に危害を加えた男の裁きを他人に委ねるなど。
 しかし違った。
 リョホウはゴウエンを殺すつもりでいた。フェイア道士とコウライ先生が気付いていなければ、そして釘をさしておかなければ、確実に実行していた。
 そのことをホウロは攻めるつもりはない。
 ゴウエンのやったことを考えれば寧ろ当然のことだ。
 当然のことをリョホウが考え実際に行うつもりだったことを、ホウロは感心した。
 広範で深い知識だけではなく、男の心意気を確かに持っていたのが、今迄リョホウのことをいわば見くびっていたことに気付かされ、そして今迄以上に敬意を払う相手だとわかった。
 敬意の眼を向けるホウロから、リョホウは目を逸らし、わずかに苦笑すると、席を立った。
「おい、ちょっと待てよ」
 もしかするとゴウエンの所へ行くのではないかと、ホウロは思わず一緒に立ち上がり、出入り口への進路を阻む位置に、軽く腕を広げて立った。
 外見からではわからないが、リョホウが印象とは大きく異なって激情を持っているなら、たとえ武器を取り上げられたとしても、実行に移すかもしれない。
 リョホウはホウロの早とちりをすぐに理解した。
「違うよ。メイリンを見てくる」
 そして返事を待たずに、メイリンが休んでいる部屋へ足を勧めた。
 それはとても静かで穏やかで、彼のどこに憤怒が潜んでいるのか、見当もつかなかった。
「ねえ、どういうこと?」
 リョホウの刃物の意味をまだ理解できていないユイハはホウロに訊ねたが、彼は答えなかった。
 ただリョホウが消えた扉を見つめるだけ。


 リョホウは眠るメイリンの横の椅子に腰掛け、愛しい人の頬を軽く撫でた。
 滑らかで柔らかく、極上の絹よりも心地よい手触り。
「……あなた」
 夫の手に、手を添えたメイリンは、いつの間にか目蓋を薄く開けていた。
 その美しさは天上界の神仙女のようで、心の奥底まで捕える。
「起したかい」
 リョホウは静かに尋ねると、メイリンは首を振る。
「話を聞いていたわ」
 彼女は上体を起き上がらせ、夫の首に両腕を回す。
「危ないことをしないで。お願い」
 優しい妻は、自分の身に傷がつくことよりも、夫の身に危害が加えられることのほうが辛いのだろう。
 もしリョホウがゴウエンを殺害すれば、憲兵や管理はリョホウを拿捕する。
 血のつながりなどなんの意味のないような間柄だが、それでも二人は従兄弟同士だ。身内殺しは重罪として処罰される。
 自分のために夫がそのようなことになれば、妻の心はどれほど苦しむだろうか。
「わかったよ。メイリン」
 彼は愛しい妻の背に腕を回した。
 だが、リョホウの掌は開かれておらず、固い拳を作っていた。
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