久遠の玉響

神泉灯

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九話

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 フェイアは被害者が最後に目撃された場所、または妖魔らしきものが目撃された場所へ赴き、痕跡を調べたが妖気は検出されなかった。
 被害者の内、数人は妖魔に接触されたと思われる動作、暴れるなどの抵抗した行動を示していた。
 突然意識を失うわけではなく、存在を確認し、抵抗している。
 だが全てにおいて妖気が検出されなかった。
 つまり妖魔はいかなる理由か、妖気の痕跡を徹底的になくすために、人間の状態まま襲っているらしい。
 さらに妖魔らしき存在の目撃証言の場も調べたが、そこでも妖気が検出されない。
 妖気を隠蔽するには人間に化ける必要がある。
 なぜ人間に限定されるのか不明だが、それは確かだ。
 しかし本来の姿である異形になれば妖気は絶対に隠せない。
 それにも関わらず異形の姿が目撃された場所にはなにもなかった。
 目撃証言のすべてが妖魔であるとは限らない。
 ゴウリュウが言っていたように、単なる獣や、風が作り出した樹木や草木の動きの陰影を、見間違えただけということもある。
 しかし、これだけ目撃されているというのに、妖魔の痕跡が一切残っていないのは不自然だ。
 この世ならざる存在である妖魔は、通常では残されないものを残す。
 この世ならざるものであるがゆえに、妖気は長期間にわたって残留する。
 それを知覚できるのは、この世ならざるものに通じている道士だけだが、同時に道士ならば妖魔の痕跡は見逃さない。
「どういうことだい?」
 説明を一通り聞き終えたコウライは訊ねた。
 だが今のところ、なんらかの推理や推測を発展させるだけの物証はない。
「実は妖魔の仕業じゃないとか?」
 ただの野生動物、狼などの類という可能性は十分ある。
 人を獲物としているのは、なにも妖魔だけではない。
 この世の生物でも、自分より弱い生き物は基本的に食料かどうかという基準で判断している。
 だがフェイアは否定した。
「いや、それはない。妖気がまったくないといったが、正確には現場にはという意味だ」
「つまり?」
「この地域。村を中心とした周辺には妖気が幽かに漂っている。妖魔がどこかに潜んでいる証拠だ。これだけでは居場所を特定することはできないけどね」
 妖魔が人間の敵とみなされる最大の理由は、人喰いであるという点に尽きる。
 妖魔は知性ある生物を喰らうことで生きる糧とし、この世ならざる力を維持するのだ。
 だが妖魔の活動の根源である食人の時は、自らの意思に関係なく正体が現れる。
 妖気というこの世ならざる者が発する物は、否応なく発散されてしまい、痕跡は隠しようがない。
 妖魔がいるのは確かだ。
 その妖魔は自分の痕跡を、不必要なほど徹底的に残していない。
 人間に化けたまま獲物に近づくのは理解できる。
 その獲物をその場から離れた場所に移したというのも、安全に時間をかけて食事ができるという理由からだろう。
 問題は、妖魔の姿が見られているのにもかかわらず、妖気が残されていないことだ。
 人間には知られていない、あるいは現在出没している妖魔だけが知る特殊な方法で、妖気を消しているのか。
 それとも偶然が重なり見間違いと失踪が連続して発生しただけなのか。
 だが村とその周辺には、妖気が幽かにだが、確かに漂っているのだ。
 二人は現在知っている情報を思い巡らせた。しかし答えは出ない。
 コウライは唸る。
「どういうことなんだい?」
 フェイアは呟く。
「どういうことだろう?」
 どうやら今回の事件は一筋縄ではいかないらしい。


 夜の警備は派遣された兵士と村の男たちの合同で行われる。
 兵士の人数は少なく、妖魔はどこから出没するのかわからない。
 それに村や周辺の地理に詳しくないこともある。
 村人の助けがどうしても必要だ。
 もっとも妖魔がその姿を隠していたなら、普通の人間でしかない兵士と村人が、どんなに神経を張り詰めようとも、それを見つけることはできないのかもしれないが。
「おい、交代だ」
 夜半を過ぎた頃、見張りの交代が行われ、櫓から降りる。
 夜の見張りは三交代で行われ、三人組みとなるのが基本とされた。
 警備の基本拠点は、村の中心の宿屋に巡回をかねて昼夜問わず詰めることになり、そして南北にある村の出入り口の見張り台の二つ。
 合計三箇所にある。
 三と数字が繰り返されることになったのはただの偶然だ。
 交代した兵士は櫓から村を見渡す。
 もう寝静まっているため、明かりを点けた家はない。
 代わりに村の要所に篝火が灯されているので、視界を照らす明かりは十分。
「寒いな」
 体を震わせて兵士がぼやく。
「春でも、夜は冷えますからね。どうぞ」
 村人の一人カイウが、懐から酒瓶を取り出した。
 酒造を生業として続けているため、酒には事欠かない。
「お、悪いな」
 思わず笑みが浮かんで、ありがたく頂戴する。
 一口飲むと酒精が五臓六腑に染み渡り、体に熱が行き渡る。
「うー。利くなぁ」
「うちの秘伝なんですよ。どうですか、あなたも」
 もう一人の兵士に勧めると、彼は軽く会釈して受け取り、一口だけ含んだだけにとどめた。
 しかしもう一人のほうは、さらに酒を喉へ流し込む。
「おい、飲みすぎるなよ。酔いが回っては警備に支障を来たす」
「わかってる」
 本当にわかっているのか、さらに一口。
 眉根を顰める兵士は、唐突に警戒の声を上げた。
「おい!」
 どこかくつろいで酒を楽しんでいた兵士は、緊迫した声の意味を即座に理解し、反射的に体を強張らせ、置いていた武器を手にした。
「なんだ?」
「柵の向こうでなにかが動いた」
 端的に伝える兵士が示した場所に目を凝らすが、闇夜に遮られなにも見えない。
「気のせいじゃないのか」
 あの闇で動くなにかがいたとしても、それを見つけることができるとは思えなかった。
 だが、その時なにかが動いた。
 その姿は確認できなかったが、確かに存在していた証拠として、篝火に照らされた草葉が風もなく揺れていた。
「おい!」
「わかってる」
 兵士はすぐに梯子を下りて、確認へ向かう。
 そして妖魔ならば、全力で退避し、仲間を呼ぶ合図をする。
 妖魔相手にたった三人で挑むなど愚の骨頂。
 正しく無謀以外何者でもなく、単独でも相手ができるのは、フェイアとコウライのような、専門的に修行をした者だけだ。
 見張り台から降りた兵士は、武器を手に慎重に柵に近付く。
 今のところなにもなく、草原にも妖魔の姿は見当たらない。
「どんな姿をしていた?」
「いや、そこまでは」
 神経を張り詰めて周囲を警戒するが、先程見たなにかはいない。
「あれ? あいつは?」
 一緒にいたカイウの姿がないことに気付いた。
 一緒に来ていると思っていたのだが。
 恐怖で動けなくなったのだろうかと、櫓へ目を向けても、そこにも彼はいなかった。
 周囲のどこにも姿がない。
 闇に静寂が満ちる。 
 二人の兵士は緊張が高まっていく。
「おい、撤退するぞ。フェイア道士を呼んでくるんだ」
「ああ」
 自分達だけでは対応できないと判断し、二人はその場から離れようとした。
「うわあああ! 助けて! 助けてくれぇえええ!」
 だが、その瞬間悲鳴が上がった。
 柵よりもずっと向こうの草原の中に、いつの間にあんな所へ行ったのか、カイウの姿があった。
 だが見えたのは彼だけではない。
 彼のすぐ背後に、異形の姿をした怪物がいた。
 動物の骸骨にも見える頭部には、巨大な顎と大きな角があり、人型の体にはぼろきれをまとい、全身に熊のような真黒な剛毛が生えていた。
 巨大な腕を振るって、短刀のような爪でカイウの足を掴み引きずっていくが、彼は地面に爪を立て、草を掴み、足で妖魔を蹴るなど、必死で抵抗しているため、速度は遅い。
 兵士の一人が即座にカイウの下へ走った。
「おい!」
 思わず制止の声を上げる。
 妖魔相手に自分達だけでは勝てない。
 カイウを助けることもできるかどうか。
「時間を稼ぐ! みんなを! フェイア道士を呼ぶんだ!」
 同僚の勇敢な行動に心を打たれたが、しかしいつまでも彼の勇士を見ている暇はない。
 一秒でも早くフェイア道士呼ばなくては。
 彼は急いで櫓に戻ると、吊るされた鐘を力任せに何度も叩いた。


 緊急事態を知らせる鐘は、夜明けにはまだ先の時刻に、村中の人間の目を覚まさせた。
 妖魔出現の騒ぎは村中を駆け巡り、事態が一旦沈静化しても、村人の恐怖と興奮は冷めず、皆武器を持って、警戒に当たっていた。
 妖魔に襲われたカイウと、救出に向かった兵士は、幸い大事には至らず、かすり傷程度で済んだ。
 リョホウが一応診察したが、見た目どおり軽症だった。
 もっとも精神への影響のほうが大きいのかもしれないが。
 兵士とカイウは、出されたお茶に手をつけていない。
 それほど疲労しているわけではないが、表情が抜け落ちている。
 強い恐怖心が去った後特有の虚脱状態。
「たいしたことはありませんが、少なくとも今晩は動かないほうがいいでしょう。それでは、僕はこれで」
 消毒と包帯を巻いた程度で手当ては終り、リョホウは宿を去った。
「ごくろうさん」
 宿を去るリョホウに軽く挨拶して、コウライは兵士のところへ。
「よくやった。たいしたもんじゃないか」
 戦った兵士を褒めるが、妖魔と一人で戦ったことを称賛されても、兵士に喜びの色はない。
「妖魔を逃がしました」
「そいつはしかたがないさ」
 普通の人間が妖魔に対抗することなど不可能に近い。
 事実、妖魔には逃げられ、フェイアとコウライが駆けつけた時には、その姿はなかった。
 だが犠牲がなかっただけでも、功績として称えるべきだ。
 村人を救うための勇猛さ、妖魔と渡り合った武の技量。
 一介の兵士にしておくのは惜しいほどだ。
 兵士はコウライに声をかけられたことで、用意されたお茶の存在を思い出したかのように、口に運んだ。
 淹れてから時間が経っているので、もうぬるくなっている。
 リョホウが入れた薬膳茶で、精神を安定させる働きがあるそうだが、今の状態では気休め程度の効果しかないだろう。
「みんな、いるかい」
 フェイアが宿屋に戻ってきた。
 兵士と妖魔が戦った場所を調査しに行っていたのだが、終わったらしい。
「ああ、どうだった?」
 コウライは結果を訊いた。
「妖魔はこのあたりにはいないようだ。だけど、今夜はみんな起きているだろうね」
 妖魔が目撃された夜におちおち眠ることなどできない。
 ましてや襲われたのならなおさらだ。
 コウライも見回りに行った時に村人の様子を見たが、かなり興奮している。
「ところでコウライ、話があるんだけど」
 話ならばここですればいいのだが、フェイアは明らかに二人だけになることを望んでいた。
「わかった」
 コウライは首肯して割り当ての部屋へ向かう。
「よくやったね。今晩のところは休んでいなさい」
 フェイアは妖魔と直接戦った兵士にねぎらいの言葉をかけると、コウライに続いて二階へ向かった。
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