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23・王女の涙
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アルディアスから王女の話を聞いて、サリシュタールは反論する。
「そうかしら? ただ強がっているだけだと思うけど」
「なぜそう思う?」
「あの子が泣いたところ、見たことあるわ」
サリシュタールが王室に呼ばれたのは一年前。
ちょうどアルディアスが王女の警護の任を解かれ、そして魔物が活動を再開し始めた頃だった。
旅の途中に立ち寄ったイグラート王国にて、国王から直々に招聘を受け、そして告げられたその言葉に、サリシュタールは少々困惑した。
「王女の家庭教師?」
自分に今まで送られた称賛の言葉は全て武勲だ。
魔物退治による功績であって、学問において世間一般から賞賛を受けたことはない。
一国の王がそんな人物を呼ぶとなれば、魔物退治関係だと考えるのが当然だった。
しかし、自身の経歴とは対極に位置するかのような学問関係の依頼。
勿論、サリシュタールは一般的な学から、高度な学術に至るまで、その頭脳に記憶し習得し網羅している。
並の学者よりも遥かに明晰だろう。
しかし、そのことを知っている人間は少ない。
それを何らかの形で知ったのか、単に魔術師という印象だけで判断したのか、サリシュタールの魔術師としての最高級の能力を買い、国王は娘の、つまり第一王位継承者の教育を行ってほしいとのこと。
魔術師の一族は世俗の権力とは乖離されており、たとえ王の勅命でも受諾する必要はない。
そして魔術師の一族では最強と称される者として、彼女は魔物退治の旅を継続するべきだっただろう。
しかし当時はまだ魔物は本格的に活発化しておらず、ほどなく沈静化すると考えており、また長旅に疲弊していたこともあって、その任を引き受けた。
「わかりました。その任、引き受けましょう」
そしてマリアンヌと初めて拝謁することになる。
正直言うとサリシュタールは当初、周囲から煽てられ持ち上げられ続けた子供など、傲慢で我が侭な娘に違いないという先入観を持っていた。
王女の特権を自分特有のものとして振舞う、恥ずべき人間。
そういった勘違いを正すのも教師の仕事だが、それには多大な時間と忍耐力を要する。
それらを覚悟して、マリアンヌと対面するが、しかし意外にも彼女は普通の娘だった。
「あ、始めまして、サリシュタール様。御噂はかねがね耳にしておりますわ。世界最高にして最強と皆がおっしゃっておりました。あなたのような方が私の教師になってくださるとは、本当に光栄です」
確かに王室関係者や貴族諸侯に見られる、大仰で古めかしい話し方はする。
しかし予想と一致しているのはそれくらいで、駄々を捏ねることもなければ、高圧的な態度を見せることもない。
光の戦士の再来といわれる魔術師を前に緊張する、極めて一般的な反応だった。
予想と違っていたことに、安堵の中に違和感を感じながらも、その後毎日のようにマリアンヌと顔を合わせて、授業を行った。
「まずは、基礎教養を確かめさせていただきます」
マリアンヌは当初こそ緊張気味に、そして興味心身にサリシュタールの教育を受けていたが、やがて慣れてきたのか自然に対応するようになった。
人に慣れるのが早いのは、王女という特殊な立ち場によるものではなく、おそらくマリアンヌ自身の特質なのだろう。
そして一通りの試験の結果、彼女は基本的な知識や教養、礼儀作法を習得しており、社交界に出る程度ならば全く問題ない。
年齢的なことを考えれば、英才教育を受けていることを踏まえても、通常よりも覚えるのが早く、少女がいかに頭脳明晰であるか了然だった。
また、本心では勉強を退屈なものとして嫌がっているのが分かったが、しかしそれを表に出さないくらいの分別も有していた。
総じて、普通の娘だったのだ。
あまりにも静か過ぎて不気味だと思ったくらいだ。
しかし結局それが上辺だけで、しかも斜め上を行っているのを思い知らされる。
警護の任を解かれたアルディアスはその後のマリアンヌがどうなったのか知らないだろうが、彼女はお転婆娘だった。
「マリアンヌ様は?」
一週間後、ふと生徒の行方が分からなくなったので、担当の侍女に聞くと、友人と街で遊んでいるという。
友人がいるという話を聞いていなかったサリシュタールは怪訝に思ったが、ともかく魔術で探知してその場に赴いてみれば、年相応に子供達と一緒に遊んでいた。
城下町で他の子供と遊ぶ。
これは良いことなので、しばらく様子を見てることにした。
マリアンヌたちの遊びは他愛のないもので、それはごく普通の子供となにも変わらず、特に問題はないようなので、サリシュタールは彼女の行動に口出しすることなく、見守ることにしておいた。
マリアンヌは一週間に一度は城の外で友人たちと合っていた。
どのような経緯で貴族でもない一般市民と知り合うことになったのかは知らないが、それに関しては特に気にかけなかった。
おそらくマリアンヌの近辺の者が、王女という特殊な立ち場上、同年代の親しい人間がいないことに憐憫に思い、何らかのきっかけを作ったのだろうと見当はついた。
たいていの場合、マリアンヌは友人達と会う時は、護衛を撒いている。
子供にとっては煩しい大人だ、監視の目から逃れたくなるのが人情だろう。
それに本人は引き離したつもりのようだが、隠密行動専門の護衛者が付近に数人いることにサリシュタールは気づいていた。
稀に、その護衛をしている兵士を連れていた日があったが、彼らを魔物に見立てて勇者ゴッゴ遊びをしていた。
王女役を絶対にやらないのは、それは本人が本物の王女だからだろう。
最初のうちこそは、子供の遊びに大人が口出しするのは良くないと、サリシュタールは遠くから警戒して監視するにとどめておいた。
皆と球戯に興じる。
河や池で泳ぎ回り、カエルや魚を捕る。
野良犬を餌付けする。野良猫を追いかけまわして街中を走り回る。
王女というには少々野性的だが、この程度ならば元気な子供の遊びの範疇だ。
しかし、落とし穴を掘って人が落ちるのを見て喜ぶなどの悪戯をする。
教会の鐘楼に勝手に上がる。
町で一番高い木の上に登るなどの危険な行為に及ぶと、さすがにサリシュタールは止めに入った。
友達との遊びの帰りに、唐突に姿を現したサリシュタールに、マリアンヌはなぜ自分の場所が分かったのか、本当に疑問に思い驚いていた。
「先生、どうしてここが?」
「私は魔術師です。この程度のことで驚かれては困りますね。それよりマリアンヌ様。お遊戯に関して指導があります。ご足労願えますか」
眉目を危険な角度に釣り上げるサリシュタールに、マリアンヌは逆らわずに、しかし頬に一筋汗を垂らしていた。
サリシュタールはなるべくならば、マリアンヌの立場上危険の伴う城の外には出ずに、友人を城に招くようにしてほしかった。
やはり外は危険が多く、そしてマリアンヌ自身、危険に対する認識が甘い傾向にあるようだ。
マリアンヌにそれとなく諭そうと試みたのだが、当然というべきか彼女は渋々承諾したものの、内心では明らかに拒否しており、サリシュタールの隙をついて街へ出ていた。
サリシュタールは内心苦々しく思っていたが、しかし閉じ込めておけば子供の情緒に悪いのは明らかで、結局サリシュタールは王女を見守ることにしていた。
ある日のこと、王女はいささか目に余る行動を取った。
城の備品を持ち出して、それを下町で売りさばき、遊ぶ金銭を確保したのだ。
盗むものはさしたる価値の無いもので、大した被害にならないように注意しているという、子供とは思えない計算高さだが、それは同時に窃盗が判明した時に罪の追及を回避することを考えているということでもある。
つまりは自分の行動が犯罪だと分かっているということだ。
自覚していたにも関わらずにそのような行動をしたことに、サリシュタールは珍しく本気で怒りを感じ、マリアンヌを即座に発見して厳しく叱責するつもりだった。
そしていつもの三人の子供と遊んでいる広場でマリアンヌを発見したサリシュタールは、しかしすぐには姿を出さなかった。
「なんてことしたんだ!おまえは!」
「そんなことして手に入れた玩具で遊んだって楽しくないよ」
「分からないの? あなた、最低なことしたのよ」
マリアンヌは友達に喜んでもらえると思ったのだろうが、逆に叱られてうろたえてしまっていた。
サリシュタールは事態の推移を見守ることにした。マリアンヌはその友人の助言で、盗んだものを返し謝ることで、彼らは絶交することはなかった。
だがサリシュタールはあえて徹底的に叱責することにした。
「あなたは御自分がなにをしたのか分かっているのですか!? あの花瓶は安価とはいえ公共の財産なのですよ! それを勝手に持ち出して売り払うとは、それは窃盗罪というのです!」
サリシュタールの剣幕に、マリアンヌは驚愕し、体は硬直し、次第に泣きはじめ、唇を戦慄かせて謝り続けた。
自分の非を認め、動機を告白し、二度と行わないことを誓った。
サリシュタールはその言葉が真実かどうか念を押して確認し、しかし再度過ちを犯した場合、家庭教師を辞職し、国王と王妃に最後報告する評価は最低にする旨を伝えた。
それ以後、城の備品を盗むことはしなくなったが、危険な遊びや悪戯の類は止める気配は一向になかった。
それはそれで健全な発育が成された証拠ではあるのだが、曲りなりとも次世代の王国を背負う人物。
大事に至らぬよう、そして狡猾な子供に出し抜かれないよう、最善の注視をしなければならなかった。
「私、教師の仕事を引き受けたはずなのに、違う仕事までしてるんだけど」
本来家庭教師に過ぎないサリシュタールまで警護を兼ねなければならないのは、不条理を感じないでもなかったが、やんちゃな妹ができたようで楽しくもあった。
「今日は風邪をひいたのでお休みしたいのですが」
ある日、マリアンヌは仮病を使って授業をずる休みしようと画策した。
「体温、皮膚の色、網膜、体内循環に至るまで、完全な健康体です」
「わかるのですか?」
マリアンヌは虚言がいとも容易くはがされたことよりも、そちらのほうに興味があるようだった。
あるいは、元々だませるとは思っていなかったのかもしれない。
「魔術師ですから」
魔術師だからと言って、ここまでわかるのはサリシュタールぐらいなものだが、そのことについては伏せておいた。
マリアンヌは魔術師の能力に興味を持ったのか、いろいろと質問してきた。
「どのようにしてわかるのですか?
「魔術は誰にでも習得できるのですか?
「私にも教えてくださいませ」
最後には魔術の教えを請うまで興味心身となっていた。
もっとも、サリシュタールは魔術を教えるつもりは全くなかった。
魔術の習得には危険が付きまとう。
魔術そのものも危険だ。
魔術の習得において最も危険な時とされるのは、最初に魔術の能力に覚醒した時だ。
百人のうち、二三人が魔術を制御できずに、自らの命を自らの魔術で殺める結果となる。
重傷などを含めれば一割を超える。
「ですので、魔術を教えることはできません」
王国の重要人物であるマリアンヌに、高い危険を伴うことを教えることはできなかった。
マリアンヌは残念そうにしていたが、しかしそれ以上魔術を求めることはなかった。
今にしておけば、多少なりとも教えておけばよかったかと思う。
王女の家庭教師を始めてから半年後、いつもの授業の時間になってもマリアンヌは姿を現さなかった。
「マリアンヌさまを見ませんでした?」
目についた侍女や衛兵に尋ねても、皆知らない首を振る。
また仮病でも使う気なのだろうかと思い、王女の寝室へ向かったがそこに彼女の姿はなかった。
ならば護衛をつけずに城を抜け出したのだろうかと、隠密警護に連絡をしてみると、王女は庭園にいるとの報告を受けた。
サリシュタールに予知能力と呼べるほどの力はないが、勘は鋭いほうだ。この時、サリシュタールはマリアンヌの行動がいつもとは違うのに気付き、予感めいたものを感じていた。
それは正しかった。
マリアンヌは城の庭園の片隅の椅子で泣いていた。
泣き叫ぶわけでもなく、嗚咽を漏らすでもなく、顔表を崩すことなく、ただ両目から涙を流していた。
純粋な感情の発露は静かなものだ。
その様子に声をかけるのは躊躇われ、そのままにして授業部屋に戻った。
王女担当の侍女に、マリアンヌの周辺で何か変化はなかったことを尋ねると、侍女は単純な返答を返す。
「王女さまのご友人が、学習を終えて研修のために任地に赴いたのです」
マリアンヌと仲の良かった三人は、全員王都から離れてしまったのだ。
当然、マリアンヌと疎遠になる。彼女は一人になったのだ。
やがて授業部屋に来たマリアンヌに、サリシュタールはその日の授業を中止する旨だけを伝えた。
今日は休ませたほうが良いだろうと判断したのだ。
「いいえ、先生。授業をしてくださいませ」
しかしマリアンヌは是非にと授業を要望した。
吹っ切れたのだろうかと期待してその瞳を見据えたが、その目の輝きは、感情を晴らしたには程遠い澱んだ色だった。
その日からマリアンヌは熱心に勉学に励み、礼節を習得し、淑女として、王女としての教養を急速に身に付けていった。
同時に子供じみた悪ふざけや遊びは完全に途絶えた。
友人との別れが良いきっかけとなって成長したのだと、周囲の者は解釈し喜んでいたが、サリシュタールは逆に不安を覚えた。
その様子は王や王妃、その他の周囲の者が望んだ王女の在り方に沿いすぎていて、あれほど確固たる自我を持っていた王女は、その内面が虚無に等しい状態に陥っているように感じた。
マリアンヌが熱心なのは悲しみを忘れたいが為ではない。
大切なことを諦めたから、他者の望むままにしているだけだ。
どれだけ友人が大切な存在だったのか、そして深い悲しみを感じたのか、他人の身の上である自分には分からない。
サリシュタールはあの三人とは結局、話をすることもなかった。
しかし変化の本質に気付いたサリシュタールは、家庭教師の職務の枠を超えてマリアンヌに献身を尽くすようになった。
少女を誰かが支えて上げなければ、きっと彼女はいつか押し潰れてしまう。
その懇情が伝わったのか、やがてマリアンヌはサリシュタールだけには他者とは少しだけ違う表情を見せてくれるようになった。
時間が経てばマリアンヌ王女は心の内を聞かせてくれるかもしれない。
その時、彼女は諦念した子供ではなく、諦めを知らない強靭な心を持った大人になるだろう。
それまで守ってやらなければ。
しかしサリシュタールの決意を嘲笑うかのように、マリアンヌ王女は魔物にさらわれた。
「そうかしら? ただ強がっているだけだと思うけど」
「なぜそう思う?」
「あの子が泣いたところ、見たことあるわ」
サリシュタールが王室に呼ばれたのは一年前。
ちょうどアルディアスが王女の警護の任を解かれ、そして魔物が活動を再開し始めた頃だった。
旅の途中に立ち寄ったイグラート王国にて、国王から直々に招聘を受け、そして告げられたその言葉に、サリシュタールは少々困惑した。
「王女の家庭教師?」
自分に今まで送られた称賛の言葉は全て武勲だ。
魔物退治による功績であって、学問において世間一般から賞賛を受けたことはない。
一国の王がそんな人物を呼ぶとなれば、魔物退治関係だと考えるのが当然だった。
しかし、自身の経歴とは対極に位置するかのような学問関係の依頼。
勿論、サリシュタールは一般的な学から、高度な学術に至るまで、その頭脳に記憶し習得し網羅している。
並の学者よりも遥かに明晰だろう。
しかし、そのことを知っている人間は少ない。
それを何らかの形で知ったのか、単に魔術師という印象だけで判断したのか、サリシュタールの魔術師としての最高級の能力を買い、国王は娘の、つまり第一王位継承者の教育を行ってほしいとのこと。
魔術師の一族は世俗の権力とは乖離されており、たとえ王の勅命でも受諾する必要はない。
そして魔術師の一族では最強と称される者として、彼女は魔物退治の旅を継続するべきだっただろう。
しかし当時はまだ魔物は本格的に活発化しておらず、ほどなく沈静化すると考えており、また長旅に疲弊していたこともあって、その任を引き受けた。
「わかりました。その任、引き受けましょう」
そしてマリアンヌと初めて拝謁することになる。
正直言うとサリシュタールは当初、周囲から煽てられ持ち上げられ続けた子供など、傲慢で我が侭な娘に違いないという先入観を持っていた。
王女の特権を自分特有のものとして振舞う、恥ずべき人間。
そういった勘違いを正すのも教師の仕事だが、それには多大な時間と忍耐力を要する。
それらを覚悟して、マリアンヌと対面するが、しかし意外にも彼女は普通の娘だった。
「あ、始めまして、サリシュタール様。御噂はかねがね耳にしておりますわ。世界最高にして最強と皆がおっしゃっておりました。あなたのような方が私の教師になってくださるとは、本当に光栄です」
確かに王室関係者や貴族諸侯に見られる、大仰で古めかしい話し方はする。
しかし予想と一致しているのはそれくらいで、駄々を捏ねることもなければ、高圧的な態度を見せることもない。
光の戦士の再来といわれる魔術師を前に緊張する、極めて一般的な反応だった。
予想と違っていたことに、安堵の中に違和感を感じながらも、その後毎日のようにマリアンヌと顔を合わせて、授業を行った。
「まずは、基礎教養を確かめさせていただきます」
マリアンヌは当初こそ緊張気味に、そして興味心身にサリシュタールの教育を受けていたが、やがて慣れてきたのか自然に対応するようになった。
人に慣れるのが早いのは、王女という特殊な立ち場によるものではなく、おそらくマリアンヌ自身の特質なのだろう。
そして一通りの試験の結果、彼女は基本的な知識や教養、礼儀作法を習得しており、社交界に出る程度ならば全く問題ない。
年齢的なことを考えれば、英才教育を受けていることを踏まえても、通常よりも覚えるのが早く、少女がいかに頭脳明晰であるか了然だった。
また、本心では勉強を退屈なものとして嫌がっているのが分かったが、しかしそれを表に出さないくらいの分別も有していた。
総じて、普通の娘だったのだ。
あまりにも静か過ぎて不気味だと思ったくらいだ。
しかし結局それが上辺だけで、しかも斜め上を行っているのを思い知らされる。
警護の任を解かれたアルディアスはその後のマリアンヌがどうなったのか知らないだろうが、彼女はお転婆娘だった。
「マリアンヌ様は?」
一週間後、ふと生徒の行方が分からなくなったので、担当の侍女に聞くと、友人と街で遊んでいるという。
友人がいるという話を聞いていなかったサリシュタールは怪訝に思ったが、ともかく魔術で探知してその場に赴いてみれば、年相応に子供達と一緒に遊んでいた。
城下町で他の子供と遊ぶ。
これは良いことなので、しばらく様子を見てることにした。
マリアンヌたちの遊びは他愛のないもので、それはごく普通の子供となにも変わらず、特に問題はないようなので、サリシュタールは彼女の行動に口出しすることなく、見守ることにしておいた。
マリアンヌは一週間に一度は城の外で友人たちと合っていた。
どのような経緯で貴族でもない一般市民と知り合うことになったのかは知らないが、それに関しては特に気にかけなかった。
おそらくマリアンヌの近辺の者が、王女という特殊な立ち場上、同年代の親しい人間がいないことに憐憫に思い、何らかのきっかけを作ったのだろうと見当はついた。
たいていの場合、マリアンヌは友人達と会う時は、護衛を撒いている。
子供にとっては煩しい大人だ、監視の目から逃れたくなるのが人情だろう。
それに本人は引き離したつもりのようだが、隠密行動専門の護衛者が付近に数人いることにサリシュタールは気づいていた。
稀に、その護衛をしている兵士を連れていた日があったが、彼らを魔物に見立てて勇者ゴッゴ遊びをしていた。
王女役を絶対にやらないのは、それは本人が本物の王女だからだろう。
最初のうちこそは、子供の遊びに大人が口出しするのは良くないと、サリシュタールは遠くから警戒して監視するにとどめておいた。
皆と球戯に興じる。
河や池で泳ぎ回り、カエルや魚を捕る。
野良犬を餌付けする。野良猫を追いかけまわして街中を走り回る。
王女というには少々野性的だが、この程度ならば元気な子供の遊びの範疇だ。
しかし、落とし穴を掘って人が落ちるのを見て喜ぶなどの悪戯をする。
教会の鐘楼に勝手に上がる。
町で一番高い木の上に登るなどの危険な行為に及ぶと、さすがにサリシュタールは止めに入った。
友達との遊びの帰りに、唐突に姿を現したサリシュタールに、マリアンヌはなぜ自分の場所が分かったのか、本当に疑問に思い驚いていた。
「先生、どうしてここが?」
「私は魔術師です。この程度のことで驚かれては困りますね。それよりマリアンヌ様。お遊戯に関して指導があります。ご足労願えますか」
眉目を危険な角度に釣り上げるサリシュタールに、マリアンヌは逆らわずに、しかし頬に一筋汗を垂らしていた。
サリシュタールはなるべくならば、マリアンヌの立場上危険の伴う城の外には出ずに、友人を城に招くようにしてほしかった。
やはり外は危険が多く、そしてマリアンヌ自身、危険に対する認識が甘い傾向にあるようだ。
マリアンヌにそれとなく諭そうと試みたのだが、当然というべきか彼女は渋々承諾したものの、内心では明らかに拒否しており、サリシュタールの隙をついて街へ出ていた。
サリシュタールは内心苦々しく思っていたが、しかし閉じ込めておけば子供の情緒に悪いのは明らかで、結局サリシュタールは王女を見守ることにしていた。
ある日のこと、王女はいささか目に余る行動を取った。
城の備品を持ち出して、それを下町で売りさばき、遊ぶ金銭を確保したのだ。
盗むものはさしたる価値の無いもので、大した被害にならないように注意しているという、子供とは思えない計算高さだが、それは同時に窃盗が判明した時に罪の追及を回避することを考えているということでもある。
つまりは自分の行動が犯罪だと分かっているということだ。
自覚していたにも関わらずにそのような行動をしたことに、サリシュタールは珍しく本気で怒りを感じ、マリアンヌを即座に発見して厳しく叱責するつもりだった。
そしていつもの三人の子供と遊んでいる広場でマリアンヌを発見したサリシュタールは、しかしすぐには姿を出さなかった。
「なんてことしたんだ!おまえは!」
「そんなことして手に入れた玩具で遊んだって楽しくないよ」
「分からないの? あなた、最低なことしたのよ」
マリアンヌは友達に喜んでもらえると思ったのだろうが、逆に叱られてうろたえてしまっていた。
サリシュタールは事態の推移を見守ることにした。マリアンヌはその友人の助言で、盗んだものを返し謝ることで、彼らは絶交することはなかった。
だがサリシュタールはあえて徹底的に叱責することにした。
「あなたは御自分がなにをしたのか分かっているのですか!? あの花瓶は安価とはいえ公共の財産なのですよ! それを勝手に持ち出して売り払うとは、それは窃盗罪というのです!」
サリシュタールの剣幕に、マリアンヌは驚愕し、体は硬直し、次第に泣きはじめ、唇を戦慄かせて謝り続けた。
自分の非を認め、動機を告白し、二度と行わないことを誓った。
サリシュタールはその言葉が真実かどうか念を押して確認し、しかし再度過ちを犯した場合、家庭教師を辞職し、国王と王妃に最後報告する評価は最低にする旨を伝えた。
それ以後、城の備品を盗むことはしなくなったが、危険な遊びや悪戯の類は止める気配は一向になかった。
それはそれで健全な発育が成された証拠ではあるのだが、曲りなりとも次世代の王国を背負う人物。
大事に至らぬよう、そして狡猾な子供に出し抜かれないよう、最善の注視をしなければならなかった。
「私、教師の仕事を引き受けたはずなのに、違う仕事までしてるんだけど」
本来家庭教師に過ぎないサリシュタールまで警護を兼ねなければならないのは、不条理を感じないでもなかったが、やんちゃな妹ができたようで楽しくもあった。
「今日は風邪をひいたのでお休みしたいのですが」
ある日、マリアンヌは仮病を使って授業をずる休みしようと画策した。
「体温、皮膚の色、網膜、体内循環に至るまで、完全な健康体です」
「わかるのですか?」
マリアンヌは虚言がいとも容易くはがされたことよりも、そちらのほうに興味があるようだった。
あるいは、元々だませるとは思っていなかったのかもしれない。
「魔術師ですから」
魔術師だからと言って、ここまでわかるのはサリシュタールぐらいなものだが、そのことについては伏せておいた。
マリアンヌは魔術師の能力に興味を持ったのか、いろいろと質問してきた。
「どのようにしてわかるのですか?
「魔術は誰にでも習得できるのですか?
「私にも教えてくださいませ」
最後には魔術の教えを請うまで興味心身となっていた。
もっとも、サリシュタールは魔術を教えるつもりは全くなかった。
魔術の習得には危険が付きまとう。
魔術そのものも危険だ。
魔術の習得において最も危険な時とされるのは、最初に魔術の能力に覚醒した時だ。
百人のうち、二三人が魔術を制御できずに、自らの命を自らの魔術で殺める結果となる。
重傷などを含めれば一割を超える。
「ですので、魔術を教えることはできません」
王国の重要人物であるマリアンヌに、高い危険を伴うことを教えることはできなかった。
マリアンヌは残念そうにしていたが、しかしそれ以上魔術を求めることはなかった。
今にしておけば、多少なりとも教えておけばよかったかと思う。
王女の家庭教師を始めてから半年後、いつもの授業の時間になってもマリアンヌは姿を現さなかった。
「マリアンヌさまを見ませんでした?」
目についた侍女や衛兵に尋ねても、皆知らない首を振る。
また仮病でも使う気なのだろうかと思い、王女の寝室へ向かったがそこに彼女の姿はなかった。
ならば護衛をつけずに城を抜け出したのだろうかと、隠密警護に連絡をしてみると、王女は庭園にいるとの報告を受けた。
サリシュタールに予知能力と呼べるほどの力はないが、勘は鋭いほうだ。この時、サリシュタールはマリアンヌの行動がいつもとは違うのに気付き、予感めいたものを感じていた。
それは正しかった。
マリアンヌは城の庭園の片隅の椅子で泣いていた。
泣き叫ぶわけでもなく、嗚咽を漏らすでもなく、顔表を崩すことなく、ただ両目から涙を流していた。
純粋な感情の発露は静かなものだ。
その様子に声をかけるのは躊躇われ、そのままにして授業部屋に戻った。
王女担当の侍女に、マリアンヌの周辺で何か変化はなかったことを尋ねると、侍女は単純な返答を返す。
「王女さまのご友人が、学習を終えて研修のために任地に赴いたのです」
マリアンヌと仲の良かった三人は、全員王都から離れてしまったのだ。
当然、マリアンヌと疎遠になる。彼女は一人になったのだ。
やがて授業部屋に来たマリアンヌに、サリシュタールはその日の授業を中止する旨だけを伝えた。
今日は休ませたほうが良いだろうと判断したのだ。
「いいえ、先生。授業をしてくださいませ」
しかしマリアンヌは是非にと授業を要望した。
吹っ切れたのだろうかと期待してその瞳を見据えたが、その目の輝きは、感情を晴らしたには程遠い澱んだ色だった。
その日からマリアンヌは熱心に勉学に励み、礼節を習得し、淑女として、王女としての教養を急速に身に付けていった。
同時に子供じみた悪ふざけや遊びは完全に途絶えた。
友人との別れが良いきっかけとなって成長したのだと、周囲の者は解釈し喜んでいたが、サリシュタールは逆に不安を覚えた。
その様子は王や王妃、その他の周囲の者が望んだ王女の在り方に沿いすぎていて、あれほど確固たる自我を持っていた王女は、その内面が虚無に等しい状態に陥っているように感じた。
マリアンヌが熱心なのは悲しみを忘れたいが為ではない。
大切なことを諦めたから、他者の望むままにしているだけだ。
どれだけ友人が大切な存在だったのか、そして深い悲しみを感じたのか、他人の身の上である自分には分からない。
サリシュタールはあの三人とは結局、話をすることもなかった。
しかし変化の本質に気付いたサリシュタールは、家庭教師の職務の枠を超えてマリアンヌに献身を尽くすようになった。
少女を誰かが支えて上げなければ、きっと彼女はいつか押し潰れてしまう。
その懇情が伝わったのか、やがてマリアンヌはサリシュタールだけには他者とは少しだけ違う表情を見せてくれるようになった。
時間が経てばマリアンヌ王女は心の内を聞かせてくれるかもしれない。
その時、彼女は諦念した子供ではなく、諦めを知らない強靭な心を持った大人になるだろう。
それまで守ってやらなければ。
しかしサリシュタールの決意を嘲笑うかのように、マリアンヌ王女は魔物にさらわれた。
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レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。
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