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いざ、望月家へ

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 小夜子が望月家へ向かう日になった。
 本来ならば望月家の者が迎えに来るはずなのだが、仕事の都合で来られないようだ。
 よって小夜子が自ら望月家へ向かうことになった。
 売り払わずに死守した飛鳥井家の祖母の着物に身を包んだ小夜子。
 藤色を基調とし、牡丹の柄の、絹で作られた上手物じょうてものの着物である。帯は母である千代子のものを身に着けている。蒸栗むしぐり色を基調とし、金糸で蝶の刺繍がしてある帯だ。
「お父様、お母様……今までありがとうございました」
 正座で三つ指を付いて礼をする小夜子。
 人狼や鬼や吸血鬼に嫁いだ女性はその後姿を見せることがないので、酷い扱いを受けて殺されてしまうのだと言われている。
 人狼一族である望月家に嫁ぐのが怖くないと言えば嘘になる。しかし、今まで小夜子を慈しみ愛してくれた家族や使用人のことを守りたいという気持ちが勝っていた。
「小夜子……不甲斐ない父で本当にすまない」
「逃げても良いのよ、小夜子……」
 この世の終わりのような表情の両親である。
「お気になさらないでください、お父様。お母様、わたくしが逃げたら飛鳥井家が助かりませんわ」
 ふわりと儚げな笑みの小夜子である。
 そして悲しげな表情をしている弟妹達に目を向ける。
「正一、勇二、ミツ子……後は頼んだわよ」
 三人をまとめて抱き締める小夜子。
「姉上……」
「どうかご無事で……」
「お姉様……」
 ようやく声を出すことが出来た弟妹達。末の妹のミツ子の目からは涙が零れ落ちる。小夜子は自分のハンカチでそっとミツ子の涙を拭い、優しく微笑んだ。



 十七年間世話になった飛鳥井家の純和風の屋敷を後にし、望月家へ向かう小夜子。
 望月家の屋敷は帝都から少し離れた港街にある。

 日桜帝国は長い間鎖国をしていた。しかし五十年程前に開国して以降、帝国は西洋の技術や文化を取り入れて急速に変化していった。鎖国時の乗り物は駕籠かごであったが、開国後は馬車や自動車、路面電車が帝都を走る。更に鉄道が敷かれ、汽車も走るようになり遠方へ行くのが鎖国時よりも遥かに楽になっていた。
 西洋風の建造物が増え、服装も伝統的な着物や袴を着用する者もいるが、西洋から伝わった洋装の者も増えていた。
 日桜帝国の伝統と、西洋文化が入り混じる帝都の街並みを見るのもこれが最後かもしれない。街行く人々は和装の者もいれば洋装の者もいる。それはまるで色とりどりの花が咲いているようで、賑やかである。
 しかし小夜子はこれから自身に起こることを考えたら景色を楽しむ余裕などない。
 小夜子は路面電車に乗り、望月家がある港街へ向かう。
 帝都の景色は流れるように過ぎて行った。

 望月家がある港街に到着した。
 港街は外国との貿易が盛んに行われており、帝都とは違った賑やかさがある。
 帝都以上に西洋風の洗練された建造物が建ち並び、道行く人々は和装の者もいれば洋装の者もいる。そして彼らの服装は帝都にいる者達よりも更に色とりどりで華やかであった。まるで大輪の花束が歩いているようである。
 しかし、その様子を気に留めることなく小夜子は重いが覚悟を決めたような足取りで望月家へと向かっていた。

 栄えている港町が一望出来る小高い丘。そこに建つのは厳かな洋館。ここが望月家の屋敷である。
「ごめんください」
 小夜子は恐怖心を抑え、立派な扉の前で室内の者にも聞こえるように声を出した。
 すると、「今お伺いします」と中から声が聞こえ、扉が開く。
 現れたのは、狼の耳を生やし、臀部付近から尻尾を生やした年配の女性。人狼である。
「もしかして、飛鳥井小夜子様でございますか?」
 女性は期待に満ちた表情である。
「はい。飛鳥井小夜子でございます。この度は望月家のご長男であられる旭様との縁談があり、こちらに参りました」
 震える手をぎゅっと抑え、伯爵位を持つ飛鳥井家の令嬢らしく上品な挨拶をした。
「やはりそうでございましたか。お待ちしておりました」
 女性は朗らかに笑い、屋敷の中に向かって声を掛ける。
「旭様! 皆様! 小夜子様がいらっしゃいましたよ!」
 すると屋敷の中は少しドタバタと慌ただしくなったように感じた。
「もしかしたら少しお待たせしてしまうかもしれませんが、ご案内いたしますね。申し遅れました。私は望月家に仕えているキヨでございます」
 小夜子は少しだけ拍子抜けしていた。目の前のキヨは人狼であるが、恐ろしい雰囲気は全くない。
(人狼は嫁いだ女性を殺してしまうという話だけれど……)
 小夜子は戸惑いながらも、キヨについて行った。
 そして通された部屋にはキヨと同じように、狼の耳と尻尾が生えた人狼達が椅子に座り小夜子を待ち構えていた。
 小夜子は椅子に座るよう促された。
 部屋のテーブルも椅子も、質の良いものが取り揃えられている。外国からの輸入品らしいが、今の小夜子にそれを気にする余裕はなかった。
「飛鳥井小夜子でございます。この度は、我が家への多大なるご支援、感謝申し上げます」
 小夜子は頭を下げた。
 これからどうなるのか分からない不安から、思わず目をギュッと瞑ってしまう。
 しかしそんな小夜子の心とは裏腹に、穏やかな声が降ってくる。
「小夜子さん、頭を上げてくれて構わない。こちらこそ、旭の妻になる選択をしてくれて感謝しているよ」
 望月家当主の清正きよまさは威厳があるが、朗らかでもある。
「小夜子さん、来てくれて嬉しいわ。旭の母のなぎです」
 凪は嬉しそうに目を輝かせていた。
 そして呂色の美しい髪、右目が金色、左目が銀色の特徴的なオッドアイの青年がゆっくりと椅子から立ち上がり、小夜子の元へやって来る。
「望月家長男の旭だ。小夜子さん、今日は迎えに行けなくて申し訳ない。帝都からここまで来るのは疲れただろう。後程キヨに君の部屋まで案内させるから、今日はゆっくり休むと良い」
 優しげな表情の旭。年は小夜子よりも二つ上の十九歳である。
 小夜子はその様子に完全に拍子抜けしてしい、つい聞いてしまう。
「あの……わたくしを殺さないのでございますか?」
 すると旭はきょとんとする。
「殺す? 随分と物騒だな」
 金と銀の目は、不思議そうに小夜子を見つめている。
 すると清正が「なるほど」と納得したのに頷いた。
「小夜子さんは人狼に関する話を聞いて誤解をしてしまったのだね。旭もその話を知らないみたいだし」
 清正はハハっと高らかに笑った。
「え……? 誤解……でございますか?」
 小夜子は混乱している。
「まずは我々人狼のことをお話しするよ」
 清正はゆっくりと小夜子が知らなかったことを話し始めた。
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