幸せを掴む勇気

文字の大きさ
上 下
16 / 20

毅然とした態度、不穏な企み

しおりを挟む
 数日後。
 ユスポフ子爵邸に、マトフェイがやって来た。
「マトフェイ、今日はどうした?」
 アルセニーはどこか穏やかな表情である。
 自身がユスポフ公爵家から追い出され、社交界からも追放される原因となったマトフェイ。そんな彼を相手にしても、今のアルセニーの気持ちは凪のように穏やかであった。

 その理由はタチアナが自身を虐げていた家族(と言っても従妹いとこのスヴェトラーナだけ)に、毅然とした態度で立ち向かったからである。

 一方、マトフェイは焦燥感に溢れながらも、悔しそうに、忌々しげにアルセニーを見るだけで中々話を切り出さない。
「まあとりあえず、紅茶でも飲んだらどうだ? 喉も渇いているだろう?」
 アルセニーはマトフェイに、先程パーヴェルが入れて運んで来た紅茶を勧める。
 マトフェイはアルセニーの言う通りにするのは癪らしいが、喉が渇いていたのは確かなので紅茶を一口飲む。
 するとマトフェイは、驚愕してアクアマリンの目を見開いた。
「この紅茶……!」
「ああ、ロマノフ家御用達の最高級のものだ。来客時くらいは一級品を出そうと思ってな」
 落ち着いており、余裕のある態度のアルセニーだ。
「随分と金銭的な余裕が出来たのですね。それでしたら……僕に貸してくれても良いのでは?」
 恨めしげな表情のマトフェイ。
(やはりそう来たか……)
 アルセニーは軽くため息をつく。そして、真っ直ぐ凛とした態度でこう答える。
「それは出来ない」
 すると、マトフェイはその答えにアクアマリンの目を大きく見開く。予想外の答えだったらしい。
何故なぜですか? 余裕があるのなら、少し困っている僕に貸してくれても」
「ユスポフ公爵領のことは調べておいた。猛吹雪による被害は、ユスポフ公爵家の家宝を売ればまだ何とかなるだろう。この件については、私は手を貸さない」
 毅然とした態度のアルセニーだった。

 皇帝エフゲニーが怪我を負った製糸場の天井崩壊の件は、マトフェイが仕組んだことだと分かってはいる。しかし、その罪を暴くつもりはないアルセニー。ただ、今まで通りマトフェイに従うつもりはなくなったのである。

「……分かりましたよ、兄上。今日のところは一旦帰ります」
 何を言っても無駄だと分かったマトフェイは、忌々しげにアルセニーを睨み、ユスポフ子爵邸を立ち去った。

「これで何とか持ち直してくれたら良いが」
 アルセニーはポツリと呟いた。
 そこへタチアナがやって来る。
「アルーシャ様、ユスポフ公爵閣下がいらしていたようですが、どうかなさったのでございますか?」
 タチアナはきょとんとした様子だ。
「ああ……」
 アルセニーは少し複雑な表情でため息をつき、黙り込む。
「アルーシャ様、無理にお話しして欲しいとは思いませんが、話せば少しは楽になれるかと存じます」
 タチアナは包み込むような柔らかい笑みである。
「ターニャ……」
 アルセニーはその笑みに安心感を覚えた。
「実は……」
 アルセニーはユスポフ公爵領が猛吹雪による大ダメージをうけ、公爵家が借金を抱えたこと、そして皇帝アルセニーが怪我を負いアルセニーが公爵家を追い出されたのはマトフェイが仕組んだことなど、全てをタチアナに話した。
「左様でございましたか。アルーシャ様、大変でございましたね」
 タチアナはそっとアルセニーを抱き締める。
「ああ……確かに、大変だったな」
 アルセニーは懐かしむように微笑み、タチアナを抱き返す。
「だが、マトフェイの罪を暴くつもりはないんだ。今のターニャとの生活が気に入っているし。ただ、援助はしないことにした。少しばかり不安ではあるがな」
 アルセニーはフッと笑う。
「きっと間違っていない選択だと存じますわ」
 タチアナはふふっと柔らかく微笑んだ。





♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔





(何故なぜだ……? 何故この僕がこんなに惨めな思いをしないといけないんだ?)
 マトフェイは馬車の中でキリキリと葉を食いしばっている。
(何故ユスポフ公爵家から追い出された兄上があんな風に堂々としているんだ……!? そもそも、ユスポフ公爵家の長男に生まれたというだけで周囲から期待され、何でも持つことが許されるなんておかしいじゃないか!? だから追い出してやったのに!)
 拳を握り締めるマトフェイ。
(こんなはずではなかった……! いや……兄上が僕よりも成功している方がおかしいんだ……! いつからこうなった……!? どこからおかしくなった……!?)
 マトフェイは必死に考える。
 そしてある結論に至る。
(タチアナ・ミローノヴナ……自殺未遂をしたキセリョフ伯爵家の令嬢……。キセリョフ伯爵家から買い取る形で兄上と無理矢理結婚させた……。そこからだ。兄上が色々と成功し始めたのは)
 マトフェイはニヤリと口角を上げる。
(タチアナ・ミローノヴナさえいなくなれば兄上は……!)

 数日後。
 マトフェイはとある場所に来ていた。
「これはこれは、ユスポフ公爵閣下。本日はどのようなご用件でしょうか?」
 マトフェイにそう問う男は、かなりやつれた様子である。
「ええ、キセリョフ伯爵閣下達に協力して欲しいことがありましてね」
 ニヤリと笑うマトフェイ。
 マトフェイが訪れたのは、キセリョフ伯爵家の帝都の屋敷タウンハウス。先程の言葉はタチアナの叔父ジノーヴィーのものである。
 タチアナが自殺未遂をして以降、白い目で見られ続けているキセリョフ伯爵家。帝都の屋敷タウンハウスも少しばかり埃が目立ち、手入れされていないことが分かる。
「僕の兄と結婚させた……タチアナ・ミローノヴナについて」
「タチアナ・ミローノヴナですって!?」
 マトフェイがそう言うと、スヴェトラーナが忌々しげに声を上げる。
「スヴェトラーナ・ジノーヴィエヴナ嬢、何やらご立腹の様子ですね」
 マトフェイはアクアマリンの目を丸くする。
「この前タチアナ・ミローノヴナに会いましたわ! あの女は私達をこんな目に遭わせておいて、のうのうと幸せそうにしていましたのよ! それに、あの女からこんなことを言われましたのよ!」
 スヴェトラーナはタチアナから言われたことをジノーヴィー達に伝える。
「まあ……! タチアナ・ミローノヴナは何てことを……! それがアドバイスのつもりかしら!?」
 スヴェトラーナの母で、現キセリョフ伯爵夫人オクサナが拳を強く握り締め、わなわなと震える。
「タチアナ・ミローノヴナ……忌々しいあの娘はどこまで我々を貶めれば気が済むんだ……!?」
 ジノーヴィーも怒りで震えていた。
「皆さんはタチアナ・ミローノヴナに恨みがあるようですね。僕は兄上に恨みがあるのですよ。同じ目的の者同士、協力しませんか?」
 マトフェイはニヤリと何かを企む笑みであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑

岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。 もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。 本編終了しました。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

【完結】大好き、と告白するのはこれを最後にします!

高瀬船
恋愛
侯爵家の嫡男、レオン・アルファストと伯爵家のミュラー・ハドソンは建国から続く由緒ある家柄である。 7歳年上のレオンが大好きで、ミュラーは幼い頃から彼にべったり。ことある事に大好き!と伝え、少女へと成長してからも顔を合わせる度に結婚して!ともはや挨拶のように熱烈に求婚していた。 だけど、いつもいつもレオンはありがとう、と言うだけで承諾も拒絶もしない。 成人を控えたある日、ミュラーはこれを最後の告白にしよう、と決心しいつものようにはぐらかされたら大人しく彼を諦めよう、と決めていた。 そして、彼を諦め真剣に結婚相手を探そうと夜会に行った事をレオンに知られたミュラーは初めて彼の重いほどの愛情を知る 【お互い、モブとの絡み発生します、苦手な方はご遠慮下さい】

【完結済】姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです

鳴宮野々花@軍神騎士団長1月15日発売
恋愛
王国の片田舎にある小さな町から、八歳の時に母方の縁戚であるエヴェリー伯爵家に引き取られたミシェル。彼女は伯爵一家に疎まれ、美しい髪を黒く染めて使用人として生活するよう強いられた。以来エヴェリー一家に虐げられて育つ。 十年後。ミシェルは同い年でエヴェリー伯爵家の一人娘であるパドマの婚約者に嵌められ、伯爵家を身一つで追い出されることに。ボロボロの格好で人気のない場所を彷徨っていたミシェルは、空腹のあまりふらつき倒れそうになる。 そこへ馬で通りがかった男性と、危うくぶつかりそうになり────── ※いつもの独自の世界のゆる設定なお話です。何もかもファンタジーです。よろしくお願いします。 ※この作品はカクヨム、小説家になろう、ベリーズカフェにも投稿しています。

【完結】皆様、答え合わせをいたしましょう

楽歩
恋愛
白磁のような肌にきらめく金髪、宝石のようなディープグリーンの瞳のシルヴィ・ウィレムス公爵令嬢。 きらびやかに彩られた学院の大広間で、別の女性をエスコートして現れたセドリック王太子殿下に婚約破棄を宣言された。 傍若無人なふるまい、大聖女だというのに仕事のほとんどを他の聖女に押し付け、王太子が心惹かれる男爵令嬢には嫌がらせをする。令嬢の有責で婚約破棄、国外追放、除籍…まさにその宣告が下されようとした瞬間。 「心当たりはありますが、本当にご理解いただけているか…答え合わせいたしません?」 令嬢との答え合わせに、青ざめ愕然としていく王太子、男爵令嬢、側近達など… 周りに搾取され続け、大事にされなかった令嬢の答え合わせにより、皆の終わりが始まる。

【書籍化・取り下げ予定】あなたたちのことなんて知らない

gacchi
恋愛
母親と旅をしていたニナは精霊の愛し子だということが知られ、精霊教会に捕まってしまった。母親を人質にされ、この国にとどまることを国王に強要される。仕方なく侯爵家の養女ニネットとなったが、精霊の愛し子だとは知らない義母と義妹、そして婚約者の第三王子カミーユには愛人の子だと思われて嫌われていた。だが、ニネットに虐げられたと嘘をついた義妹のおかげで婚約は解消される。それでも精霊の愛し子を利用したい国王はニネットに新しい婚約者候補を用意した。そこで出会ったのは、ニネットの本当の姿が見える公爵令息ルシアンだった。書籍化予定です。取り下げになります。詳しい情報は決まり次第お知らせいたします。

処理中です...