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生きる選択
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母の形見のブローチを奪われたり、大切にしていた母の形見を目の前で燃やされたりするなど、タチアナは両親亡き後叔父一家からひたすら虐げられて生活していた。
些細なことで殴られ、食事を抜かれ、タチアナはもうボロボロであった。
それでも彼女にはまだ希望があった。
婚約者のロジオンの存在だ。
自分が十五歳を迎え成人したら彼を迎え入れて叔父一家を撤退させることが出来るのだ。
タチアナはそれまでの我慢だと自分に言い聞かせた。
しかし、現実は残酷だった。
何とロジオンは見窄らしくなったタチアナからスヴェトラーナに目移りし、彼女達と共にタチアナを虐げ始めたのだ。
「あの、ロージャ様」
「タチアナ・ミローノヴナ、気安く僕をそう呼ぶな。ロジオン・シードロヴィチ様と呼べ」
ロジオンのスギライトの目は冷たく、ゴミを見るような視線だった。
「そんな……」
昔は愛称で呼び合っていたのだが、ロジオンの変わり具合に呆然とするタチアナ。
「それと、明日宮殿で行われる成人の儀だが、俺はラーナをエスコートする。お前のような見窄らしい奴のエスコートなど死んでもごめんだ」
ロジオンは冷たく言い放った。
タチアナはただその場に立ち尽くすしか出来なかった。
全てを奪われたタチアナ。
彼女の中に自殺という選択もよぎったが、まだ神への冒涜行為をする勇気は出なかった。
そして三年が経ったある日。
ロジオンの生家であるゴルチャコフ公爵家の夜会にて。
相変わらずロジオンはタチアナをエスコートせず、スヴェトラーナとばかり仲良くしていた。
この日もタチアナは見窄らしいドレスを嘲笑われながら壁の花になっている。
(ロジオン・シードロヴィチ様……今日はゴルチャコフ公爵家から重大発表があるそうだけれど……。私との婚約はどうなっているのかしら……?)
タチアナはため息をついた。
そして少し疲れたので休憩室へ向かおうと会場を出た。
その時、ロジオンとスヴェトラーナの会話を聞いてしまったのだ。
「ラーナ、今日の夜会では醜く忌々しいタチアナ・ミローノヴナに婚約破棄を突きつけて君との婚約を発表する」
「まあ、ロージャ様! 嬉しいですわ!」
ロジオンの言葉にキャッと喜ぶスヴェトラーナ。
陰で聞いていたタチアナは絶句していた。
(そう……なのね……)
その時、タチアナの中で何かがプツンと切れた。
(お父様、お母様……)
タチアナの脳裏にはミロンとグラフィーラの優しい表情が浮かぶ。
(申し訳ございません。私はお父様とお母様の元へ向かいます)
タチアナは気付けばゴルチャコフ公爵家の帝都の屋敷の人気のない場所で首を吊っていた。
とうの昔に我慢の限界を迎えていたタチアナ。この世に未練などもうなかったのだ。
首が締まり、意識が朦朧としていたタチアナ。ようやく両親の元へ行けると思っていたその時、タチアナは助けられてしまうのであった。
助けられて一命を取り留めたタチアナは死ねなかったことに絶望した。
その後、タチアナの自殺未遂の話は社交界全体に広まり、彼女の醜聞となってしまった。
神への冒涜である自殺未遂をしたことにより、ジノーヴィー達からはこっ酷く叱られ、殴る蹴るなどの暴力も加えられた。
そしてアルセニーへの嫌がらせに丁度良いと思ったマトフェイの元へ売られた。そしてその後タチアナはアルセニーの元へ嫁がされたのである。
そこからタチアナはアルセニーに迷惑がかからないように自ら治安の悪い地域に行って殺されようとしたり、食事を拒んで衰弱死しようとした。
しかし、どれも全て失敗に終わり、絶望していたところだったのだ。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
「君は……ずっと一人で辛い思いをして来たんだな……」
タチアナの過去を聞いたアルセニーは、ポツリと呟いた。
「よく頑張ったな」
タチアナに優しい笑みを向けるアルセニー。
その言葉を聞いたタチアナは、胸の奥から何かが決壊したように溢れ出し、ヘーゼルの目からは更に涙が零れた。
嗚咽を漏らすタチアナ。
アルセニーは真新しいふわふわのタオルをタチアナに渡し、遠慮がちに彼女の背中を優しくさすった。
「私も、君のように死のうと思っていた時があった」
懐かしむようにポツリと呟くアルセニー。
「そうなのですか……?」
ふわふわのタオルに顔を埋め涙を拭いていたタチアナは、意外そうに顔を上げる。
「ああ。恐らく君も聞いたことくらいはあるだろう。二年前、私がまだユスポフ公爵家の当主だった頃、ユスポフ公爵領の視察にいらした皇帝陛下が事故に遭われたことを」
「はい。何となくですが、そのような事故があったことは知っております」
おずおずと頷くタチアナ。
「ユスポフ公領内の製糸場の天井が崩れ落ちて、皇帝陛下はその下敷きになってしまったんだ。そして私はその責任を取らされて、公爵位を名乗ることが許されなくなった。ユスポフ公爵家は弟のマトフェイのものになった。恩赦として、ユスポフ公爵家が保有する子爵位なら名乗ることが許されたが、社交界からは実質の追放だ」
アルセニーは苦笑する。
タチアナは黙って聞いていた。
「ユスポフ公爵家も、婚約者も全てマトフェイのものになった。私は亡くなった父上のように立派に領地を盛り立て、帝国の為になることをしたかったが、それが出来なくなった。当時はそれに絶望して、自殺を考えたこともあった」
自嘲気味なアルセニー。
アルセニーがタチアナのことが気になった理由。
それはタチアナのヘーゼルの目や、絶望した表情が、かつて自死を考えたアルセニー自身と重なったからである。
「では……アルセニー・クジーミチ様は……どのようにして乗り越えたのでございますか?」
おずおずと控え目な様子のタチアナ。
「まだ乗り越えたとは言えない。ただ……」
アルセニーは侍従パーヴェルに目を向ける。
「私がどんな状況になっても、パーヴェルは離れず側にいてくれた。だから、死を選ぶのをやめることが出来た。せめて、パーヴェルに報いたいと思ったから」
フッと微笑むアルセニー。
「アルセニー様……」
パーヴェルは優しく微笑む。
「タチアナ・ミローノヴナ嬢、君の辛さや絶望はよく分かる。……いや、簡単に分かると言ってはいけないか。ただ、君はまだ十八歳だ。そうだな……これから外の色々なことに目を向けて、死ぬ以外の選択肢を考えてみないか? まあ私が言えたことではないが……。私もこの先自分自身どうしたら良いか分からない。だから……」
アルセニーはマラカイトの目を真っ直ぐタチアナに向ける。
「タチアナ・ミローノヴナ嬢、私と一緒にこの先の道を探してみないか? 生きる選択をしてみないか?」
その言葉に、タチアナはヘーゼルの目を大きく見開いた。
(生きる……選択……)
まだどうしたら良いかは分からない。しかし、タチアナの心の中の暗い霧は、少しだけ晴れたような気がした。
「はい」
タチアナはほんのり表情を綻ばせて頷いた。
それはユスポフ子爵邸に来てから初めて見せた笑みである。
「決まりだな、タチアナ・ミローノヴナ嬢」
アルセニーは安心したように微笑んだ。
「あの……タチアナ・ミローノヴナ嬢ではなく……タチアナとお呼びいただけたらと存じます。……タチアナ・ミローノヴナだと……少し寂しく感じます。叔父様達からも……そう呼ばれていて……タチアナ・ミローノヴナ、お前は家族じゃないと……」
タチアナのヘーゼルの目は、ほんのり寂しそうである。
そんなタチアナに、アルセニーはマラカイトの目を優しく細め、口角を上げる。
「分かったよ……タチアナさん。では、私のことも普通にアルセニーと呼んでくれて構わない」
すると、タチアナはホッとしたように表情を綻ばせる。
「ありがとうございます、アルセニー様」
その時、タチアナのお腹がぐぅっと鳴った。
「あ……」
タチアナは思わず頬を真っ赤に染める。
「何も食べていないんだ。お腹がなるのは仕方ないだろう」
クスッと笑うアルセニー。
「では、消化に優しい蕎麦の実のカーシャをお持ちいたします」
パーヴェルは優しく微笑み、タチアナに食事を持って来るのであった。
アルセニーとタチアナ、傷を負った二人はゆっくりと前を向き始めたのである。
些細なことで殴られ、食事を抜かれ、タチアナはもうボロボロであった。
それでも彼女にはまだ希望があった。
婚約者のロジオンの存在だ。
自分が十五歳を迎え成人したら彼を迎え入れて叔父一家を撤退させることが出来るのだ。
タチアナはそれまでの我慢だと自分に言い聞かせた。
しかし、現実は残酷だった。
何とロジオンは見窄らしくなったタチアナからスヴェトラーナに目移りし、彼女達と共にタチアナを虐げ始めたのだ。
「あの、ロージャ様」
「タチアナ・ミローノヴナ、気安く僕をそう呼ぶな。ロジオン・シードロヴィチ様と呼べ」
ロジオンのスギライトの目は冷たく、ゴミを見るような視線だった。
「そんな……」
昔は愛称で呼び合っていたのだが、ロジオンの変わり具合に呆然とするタチアナ。
「それと、明日宮殿で行われる成人の儀だが、俺はラーナをエスコートする。お前のような見窄らしい奴のエスコートなど死んでもごめんだ」
ロジオンは冷たく言い放った。
タチアナはただその場に立ち尽くすしか出来なかった。
全てを奪われたタチアナ。
彼女の中に自殺という選択もよぎったが、まだ神への冒涜行為をする勇気は出なかった。
そして三年が経ったある日。
ロジオンの生家であるゴルチャコフ公爵家の夜会にて。
相変わらずロジオンはタチアナをエスコートせず、スヴェトラーナとばかり仲良くしていた。
この日もタチアナは見窄らしいドレスを嘲笑われながら壁の花になっている。
(ロジオン・シードロヴィチ様……今日はゴルチャコフ公爵家から重大発表があるそうだけれど……。私との婚約はどうなっているのかしら……?)
タチアナはため息をついた。
そして少し疲れたので休憩室へ向かおうと会場を出た。
その時、ロジオンとスヴェトラーナの会話を聞いてしまったのだ。
「ラーナ、今日の夜会では醜く忌々しいタチアナ・ミローノヴナに婚約破棄を突きつけて君との婚約を発表する」
「まあ、ロージャ様! 嬉しいですわ!」
ロジオンの言葉にキャッと喜ぶスヴェトラーナ。
陰で聞いていたタチアナは絶句していた。
(そう……なのね……)
その時、タチアナの中で何かがプツンと切れた。
(お父様、お母様……)
タチアナの脳裏にはミロンとグラフィーラの優しい表情が浮かぶ。
(申し訳ございません。私はお父様とお母様の元へ向かいます)
タチアナは気付けばゴルチャコフ公爵家の帝都の屋敷の人気のない場所で首を吊っていた。
とうの昔に我慢の限界を迎えていたタチアナ。この世に未練などもうなかったのだ。
首が締まり、意識が朦朧としていたタチアナ。ようやく両親の元へ行けると思っていたその時、タチアナは助けられてしまうのであった。
助けられて一命を取り留めたタチアナは死ねなかったことに絶望した。
その後、タチアナの自殺未遂の話は社交界全体に広まり、彼女の醜聞となってしまった。
神への冒涜である自殺未遂をしたことにより、ジノーヴィー達からはこっ酷く叱られ、殴る蹴るなどの暴力も加えられた。
そしてアルセニーへの嫌がらせに丁度良いと思ったマトフェイの元へ売られた。そしてその後タチアナはアルセニーの元へ嫁がされたのである。
そこからタチアナはアルセニーに迷惑がかからないように自ら治安の悪い地域に行って殺されようとしたり、食事を拒んで衰弱死しようとした。
しかし、どれも全て失敗に終わり、絶望していたところだったのだ。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
「君は……ずっと一人で辛い思いをして来たんだな……」
タチアナの過去を聞いたアルセニーは、ポツリと呟いた。
「よく頑張ったな」
タチアナに優しい笑みを向けるアルセニー。
その言葉を聞いたタチアナは、胸の奥から何かが決壊したように溢れ出し、ヘーゼルの目からは更に涙が零れた。
嗚咽を漏らすタチアナ。
アルセニーは真新しいふわふわのタオルをタチアナに渡し、遠慮がちに彼女の背中を優しくさすった。
「私も、君のように死のうと思っていた時があった」
懐かしむようにポツリと呟くアルセニー。
「そうなのですか……?」
ふわふわのタオルに顔を埋め涙を拭いていたタチアナは、意外そうに顔を上げる。
「ああ。恐らく君も聞いたことくらいはあるだろう。二年前、私がまだユスポフ公爵家の当主だった頃、ユスポフ公爵領の視察にいらした皇帝陛下が事故に遭われたことを」
「はい。何となくですが、そのような事故があったことは知っております」
おずおずと頷くタチアナ。
「ユスポフ公領内の製糸場の天井が崩れ落ちて、皇帝陛下はその下敷きになってしまったんだ。そして私はその責任を取らされて、公爵位を名乗ることが許されなくなった。ユスポフ公爵家は弟のマトフェイのものになった。恩赦として、ユスポフ公爵家が保有する子爵位なら名乗ることが許されたが、社交界からは実質の追放だ」
アルセニーは苦笑する。
タチアナは黙って聞いていた。
「ユスポフ公爵家も、婚約者も全てマトフェイのものになった。私は亡くなった父上のように立派に領地を盛り立て、帝国の為になることをしたかったが、それが出来なくなった。当時はそれに絶望して、自殺を考えたこともあった」
自嘲気味なアルセニー。
アルセニーがタチアナのことが気になった理由。
それはタチアナのヘーゼルの目や、絶望した表情が、かつて自死を考えたアルセニー自身と重なったからである。
「では……アルセニー・クジーミチ様は……どのようにして乗り越えたのでございますか?」
おずおずと控え目な様子のタチアナ。
「まだ乗り越えたとは言えない。ただ……」
アルセニーは侍従パーヴェルに目を向ける。
「私がどんな状況になっても、パーヴェルは離れず側にいてくれた。だから、死を選ぶのをやめることが出来た。せめて、パーヴェルに報いたいと思ったから」
フッと微笑むアルセニー。
「アルセニー様……」
パーヴェルは優しく微笑む。
「タチアナ・ミローノヴナ嬢、君の辛さや絶望はよく分かる。……いや、簡単に分かると言ってはいけないか。ただ、君はまだ十八歳だ。そうだな……これから外の色々なことに目を向けて、死ぬ以外の選択肢を考えてみないか? まあ私が言えたことではないが……。私もこの先自分自身どうしたら良いか分からない。だから……」
アルセニーはマラカイトの目を真っ直ぐタチアナに向ける。
「タチアナ・ミローノヴナ嬢、私と一緒にこの先の道を探してみないか? 生きる選択をしてみないか?」
その言葉に、タチアナはヘーゼルの目を大きく見開いた。
(生きる……選択……)
まだどうしたら良いかは分からない。しかし、タチアナの心の中の暗い霧は、少しだけ晴れたような気がした。
「はい」
タチアナはほんのり表情を綻ばせて頷いた。
それはユスポフ子爵邸に来てから初めて見せた笑みである。
「決まりだな、タチアナ・ミローノヴナ嬢」
アルセニーは安心したように微笑んだ。
「あの……タチアナ・ミローノヴナ嬢ではなく……タチアナとお呼びいただけたらと存じます。……タチアナ・ミローノヴナだと……少し寂しく感じます。叔父様達からも……そう呼ばれていて……タチアナ・ミローノヴナ、お前は家族じゃないと……」
タチアナのヘーゼルの目は、ほんのり寂しそうである。
そんなタチアナに、アルセニーはマラカイトの目を優しく細め、口角を上げる。
「分かったよ……タチアナさん。では、私のことも普通にアルセニーと呼んでくれて構わない」
すると、タチアナはホッとしたように表情を綻ばせる。
「ありがとうございます、アルセニー様」
その時、タチアナのお腹がぐぅっと鳴った。
「あ……」
タチアナは思わず頬を真っ赤に染める。
「何も食べていないんだ。お腹がなるのは仕方ないだろう」
クスッと笑うアルセニー。
「では、消化に優しい蕎麦の実のカーシャをお持ちいたします」
パーヴェルは優しく微笑み、タチアナに食事を持って来るのであった。
アルセニーとタチアナ、傷を負った二人はゆっくりと前を向き始めたのである。
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