幸せを掴む勇気

文字の大きさ
上 下
3 / 20

二人の生活

しおりを挟む
 アルセニーとタチアナが結婚した翌日。
「アルセニー様、おはようございます」
 いつも通り、パーヴェルがアルセニーを起こしに来た。
「ああ、おはよう、パーヴェル。……タチアナ・ミローノヴナ嬢はどうしている?」
 アルセニーは起きて早々、タチアナのことを心配している。
「先程お声掛けいたしました。タチアナ・ミローノヴナ様も起床なさったご様子です」
「そうか……」
 パーヴェルからの答えに、アルセニーは少しだけ安心する。
(この家には使用人的存在がパーヴェルしかいない。タチアナ・ミローノヴナ嬢にとっては男のパーヴェルよりも女性の使用人がいた方が助かる面もあるだろう)
 アルセニーはタチアナの為にそう考えた。
 しかし、懸念点もある。
(ただ……私にはそういったコネはない……。ユスポフ公爵家を追い出された時に持たされた資産にも限りがある。給金を出せるかどうか……)
 アルセニーは現状に軽くため息をつき、朝の支度をするのであった。

 朝食時、タチアナはいなかった。
 アルセニーはパーヴェルが用意した食事を黙々と食べている。
「パーヴェル、毎日の食事の準備、感謝している」
「もったいお言葉、恐縮でございます、アルセニー様」
「タチアナ・ミローノヴナ嬢は……食事は自分で準備すると言っていたが……大丈夫なのだろうか?」
 アルセニーのマラカイトの目は心配そうに客室の方を向いていた。
「どうなのでしょう? ただ……タチアナ・ミローノヴナ様のお体は、十八歳女性の平均的なものと比較すると、痩せ過ぎの部類だと存じます。もしかしたら、あまりお食事を取られていないのかもしれません」
 パーヴェルはタチアナの姿を思い出し、そう考えた。
「……パーヴェル、君も彼女のことを見ておいてくれ」
「承知いたしました」

 アルセニーが食事を終えてしばらくすると、タチアナが客室から出て来た。
「おはよう、タチアナ・ミローノヴナ嬢。よく眠れたかい?」
 アルセニーはタチアナになるべく優しく声を掛ける。
 するとタチアナはビクリと肩を震わせ、恐る恐るアルセニーに目を向ける。
 そのヘーゼルの目には、怯えと諦めに染まっているように見えた。
「……おはようございます。アルセニー・クジーミチ様……」
 伏し目がちに挨拶をするタチアナ。
「朝食は取ったのかい?」
 少し心配そうに覗き込むアルセニー。
「はい……」
 俯いたままのタチアナ。
「この屋敷の厨房は少し狭いみたいだから、使い勝手はあまり良くなかっただろう」
 するとタチアナは黙り込む。
「……タチアナ・ミローノヴナ嬢? えっと……その……大丈夫かい?」
 アルセニーは黙り込むタチアナに少しだけ焦る。
「食事は……荷物の中に入っていたものを食べました。ですので、このお屋敷の厨房を汚すことは決していたしません」
 弱々しくか細い声のタチアナ。
「荷物……そうか……」
 アルセニーは若干怪訝そうな表情である。
(昨日見た彼女の荷物は……小さな鞄一つだけだった。あの中に食料が……? それに、持参金もない様子だし……)
 アルセニーはそれを思い出し、少し考え込んでいた。
 するとタチアナはおずおずと控え目に口を開く。
「あの……少し一人で散歩に行きたいのですが……」
「散歩か。別に構わない。昨日も言った通り、君の好きなようにしてくれて構わないさ」
 アルセニーは優しく微笑んだ。
「ありがとうございます。それで……この辺りで治安の悪い地域を教えていただきたいのです」
 生命力を感じられないヘーゼルの目。しかし、その目はどこか真っ直ぐであった。
「ああ、ならばこの辺りの地図を持って来る」
 アルセニーは自室まで戻り、ユスポフ子爵邸周辺の地図をタチアナに渡す。
「地図のこの辺りは昼間でも犯罪発生件数が多い。散歩の際はここは避けた方が良いだろう」
 アルセニーはタチアナに丁寧に教えた。
「……ありがとうございます。それでは……行って参ります」
 弱々しくか細い声のタチアナ。
 アルセニーは散歩へ出掛けるタチアナを見送った。

 小さ過ぎる肩幅、細過ぎて体を支えられるか見ていて不安になる脚。

 アルセニーはタチアナの後ろ姿を見て若干の不安を覚えた。
 その時、パーヴェルがやって来る。
「おや? アルセニー様、こんな所でどうかなさいましたか?」
 パーヴェルは玄関で突っ立っているアルセニーの姿に首を傾げていた。
「ああ、それが……タチアナ・ミローノヴナ嬢が散歩に出掛けたのだが……」
 アルセニーはそこで口を噤む。
「心配なのでございますね」
 パーヴェルは困ったように微笑む。

 長年アルセニーの側にいたパーヴェルは、彼が考えていることを読めるようになっていた。

「その通りだ」
 アルセニーは玄関を見つめながら頷く。
「でしたらこの私、パーヴェルがタチアナ・ミローノヴナ様のご様子も見て参ります。丁度食材を買いに帝都中心部まで行く予定でしたので」
「ありがとう、パーヴェル。いつもすまないな」
 アルセニーはパーヴェルに労いの言葉を掛ける。
「いいえ、私が好きでやっていることてすから」
 パーヴェルはほんのり嬉しそうな表情であった。





♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔





 数時間後。
 パーヴェルがタチアナを連れて帰って来た。
 その際、タチアナは腕に怪我を負っていた。
「二人共、一体何があったのだ!?」
 アルセニーは腕から血を流すタチアナを見て驚愕している。
「アルセニー様、申し訳ございません。タチアナ・ミローノヴナ様を助けることが遅れてしまい。すぐに彼女の治療をいたしますので」
「そうだな、まずは治療だな」
 アルセニーとパーヴェルは急いで治療の準備をした。

「……申し訳ございません」
 傷を負った腕にパーヴェルから包帯を巻かれる中、タチアナは蚊の鳴くような声で俯きながら謝罪した。
 その表情は、絶望を帯びている。
 アルセニーはそんなタチアナから目が離せなかった。
「謝ることはない。君が無事で良かったと思っている」
 アルセニーは優しくタチアナに声を掛ける。
「それで、何があったんだ?」
 アルセニーはタチアナに視線を合わせる。マラカイトの目は、タチアナを案ずるように優しかった。
 タチアナは思わずアルセニーから目を背け黙り込む。
 アルセニーはパーヴェルに目を向ける。
「パーヴェル、何があったか知っているか?」
「それが……タチアナ・ミローノヴナ様は」
「全てわたくしが悪いのです」
 パーヴェルの言葉を遮るタチアナ。か細いが、どこか真の強さを感じられる声だ。
「全て……わたくしのせいですから」
 まるで詳細を聞くなと言うかのようである。
 アルセニーとパーヴェルは困ったように顔を見合わせた。

 結局、何が起こったのかはタチアナからは聞けず、その場でパーヴェルも言うことが出来なかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

黒の王と白の姫

臣桜
恋愛
ミルフィナ王国の王女ブランシュは、幼い頃から婚約していたノワールと結婚するため、アクトゥール王国に輿入れした。 先王が崩御してノワールが国王となったのだが、アクトゥール王国は真っ黒に染まり、食べ物までもが黒い始末。 人々は黒い服を身に纏い、貴族たちは黒い仮面を被っていた。 そんな異様な国のなかで、ブランシュは……。 ※エブリスタ、カクヨム、小説家になろうにも転載しています

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

呪いを受けて醜くなっても、婚約者は変わらず愛してくれました

しろねこ。
恋愛
婚約者が倒れた。 そんな連絡を受け、ティタンは急いで彼女の元へと向かう。 そこで見たのはあれほどまでに美しかった彼女の変わり果てた姿だ。 全身包帯で覆われ、顔も見えない。 所々見える皮膚は赤や黒といった色をしている。 「なぜこのようなことに…」 愛する人のこのような姿にティタンはただただ悲しむばかりだ。 同名キャラで複数の話を書いています。 作品により立場や地位、性格が多少変わっていますので、アナザーワールド的に読んで頂ければありがたいです。 この作品は少し古く、設定がまだ凝り固まって無い頃のものです。 皆ちょっと性格違いますが、これもこれでいいかなと載せてみます。 短めの話なのですが、重めな愛です。 お楽しみいただければと思います。 小説家になろうさん、カクヨムさんでもアップしてます!

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

踏み台令嬢はへこたれない

三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」  公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。  春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。  そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?  これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。 「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」  ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。  なろうでも投稿しています。

誰にも言えないあなたへ

天海月
恋愛
子爵令嬢のクリスティーナは心に決めた思い人がいたが、彼が平民だという理由で結ばれることを諦め、彼女の事を見初めたという騎士で伯爵のマリオンと婚姻を結ぶ。 マリオンは家格も高いうえに、優しく美しい男であったが、常に他人と一線を引き、妻であるクリスティーナにさえ、どこか壁があるようだった。 年齢が離れている彼にとって自分は子供にしか見えないのかもしれない、と落ち込む彼女だったが・・・マリオンには誰にも言えない秘密があって・・・。

夫達の裏切りに復讐心で一杯だった私は、死の間際に本当の願いを見つけ幸せになれました。

Nao*
恋愛
家庭を顧みず、外泊も増えた夫ダリス。 それを寂しく思う私だったが、庭師のサムとその息子のシャルに癒される日々を送って居た。 そして私達は、三人であるバラの苗を庭に植える。 しかしその後…夫と親友のエリザによって、私は酷い裏切りを受ける事に─。 命の危機が迫る中、私の心は二人への復讐心で一杯になるが…駆けつけたシャルとサムを前に、本当の願いを見つけて─? (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります)

処理中です...