幸せを掴む勇気

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これからのこと

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 アルセニーは呆然としながら残されたタチアナを見る。

 キセリョフ伯爵家の令嬢であるタチアナ・ミローノヴナ・キセリョヴァ。いや、たった今アルセニーの妻となりユスポフ子爵夫人となったタチアナ・ミローノヴナ・ユスポヴァ。
 彼女は口を噤んで俯いている。
「えっと……タチアナ・ミローノヴナ嬢」
 恐る恐るタチアナの名を呼ぶアルセニー。

 アシルス帝国では、初対面の相手やあまり親しくない相手には父称も含めて呼ぶのがマナーである。

 するとタチアナはビクリと肩を震わせ、怯えたような表情になる。
「その……この結婚は……君にとって不本意だと思う。弟が勝手なことをして申し訳ない」
 若干しどろもどろになっているアルセニー。そのまま言葉を続ける。
「私も正直戸惑っている。だから……これは白い結婚にしよう。三年間それを貫けば、離婚出来る。もし君に好きな相手が出来たとしても再婚可能だ。……それで構わないか?」
 アルセニーはなるべく優しい声色でタチアナを見る。
「……承知いたしました。……申し訳ございません」
 初めて聞いたタチアナの声は、か細く弱々しかった。そのヘーゼルの目からは生気が感じられず、何もかもを諦めたようである。
「……君が謝る必要はないさ」
 アルセニーは困ったように、優しく微笑む。
 二人の間に沈黙が流れる。
 重苦しい空気が空間を支配していた。
「あの……アルセニー・クジーミチ様……」
 タチアナのか細い声が沈黙を破る。
「……何だい?」
 アルセニーは若干緊張気味だ。
「……自殺未遂のこと、お聞きにならないのでございますね」
 タチアナは俯き、硬い表情だ。
 アルセニーはその表情からタチアナの怯えのようなものを感じた。
「……君が聞いて欲しくなさそうだから」
 アルセニーは優しくマラカイトの目を細めた。
 タチアナはほんの少しだけ、驚いたようにヘーゼルの目を見開いた。そして口を噤み俯く。
「タチアナ・ミローノヴナ嬢、とりあえず君はこれから自由にしてくれて構わない。小さな屋敷だが、客室くらいはある」
 アルセニーの言葉に、タチアナは俯いて黙ったままである。
「……とりあえず、私の侍従でこの屋敷のことを色々とやってくれているパーヴェルにも君のことを話しておくよ。……いいかな?」
 俯いたままのタチアナに、アルセニーは少し心配そうである。
「……はい」
 タチアナは弱々しくか細い声で頷いた。
 アルセニーはタチアナの返事が聞けたことに少し安堵し、パーヴェルを呼んだ。

「アルセニー様、こちらのご令嬢はどちら様でございましょう?」
 タチアナの存在に少し戸惑うパーヴェル。
「彼女はキセリョフ伯爵家のタチアナ・ミローノヴナ嬢だ。実はマトフェイが……」
 アルセニーはマトフェイにより、タチアナと結婚させられたことをパーヴェルに話す。
 その際、タチアナが自殺未遂をしたことがある件は彼女の名誉の為に伏せていた。
「何と……!」
 パーヴェルはアルセニーとタチアナを交互に見て驚愕した。
「パーヴェル、悪いがこれから彼女の分の食事も頼んで良いか?」
 すると、タチアナがか細い声を絞り出す。
わたくしの食事は……必要ありません。……キセリョフ伯爵家でも、自分で用意していたので……。どうか、わたくしの分の食事は作らないでください……」
 タチアナのヘーゼルの目は、弱々しく力がない。しかし、何かを決意したようなものを感じ、アルセニーはそのヘーゼルの目が気になって仕方がなかった。
「しかし、それでは君が大変だろう」
「構いません。どうか、お願いします」
 弱々しく生糸よりもか細い声で懇願するタチアナ。
 アルセニーとパーヴェルは少し困ったように顔を見合わせた。
「タチアナ・ミローノヴナ様、承知いたしました。ですが、何か困ったことがあればこの私、パーヴェルにお申し付けくださいませ」
 パーヴェルは少し心配そうに微笑んだ。
「……わたくしのような者のせいでお手数おかけして申し訳ございません、パーヴェル様……」
 俯いたままのタチアナ。
「謝る必要はございません。私のことはどうぞ様など付けず、気軽にパーヴェルとお呼びください。お部屋まで案内いたします」
 パーヴェルは優しく微笑み、タチアナを客室へ案内した。





♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔





 その日の夜。
 アルセニーは自室でぼんやりと考えていた。
(タチアナ・ミローノヴナ嬢……彼女は……どうしてあんな目をしているんだ……? 自殺未遂をしたことがあるらしいが……彼女に何があったんだろうか……? それに、自分の食事は必要ないだなんて……)
 少しだけタチアナのことが気になっている様子である。
(それに、これからのことも考えないといけない。タチアナ・ミローノヴナ嬢とは白い結婚とは言えと三年間はこの家で顔を合わせるわけだし……)
 アルセニーは軽くため息をつく。
「これからどうするかな……?」
 ポツリと呟いたその言葉は、夜の闇に吸い込まれて消えていった。
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