上 下
1 / 4

第1話

しおりを挟む

 銀の波しぶきをあげる海面は、どこまでも青く澄み渡っている。
 空は水色で、雲一つない。

「――今日も海はきれいだわ」

 平穏な海原を見つめ、満足して頷くと、私は尾びれを動かして、再び海中の中に身体を沈めた。

 瞬間、冷たい水が一気に身体を包み込む。

 身体をぐっと海の底に沈めていくと、鰯の群れとすれ違った。

 銀色にきらきらと輝く彼らの中に、たわむれに身体を躍らせる。
 鰯たちは、驚いたようにひゅっと散り散りに逃げ出したが、私から離れたところで、再び群れになった。

「ふふっ、可愛い」

 そして、私はさらに下へ、下へと潜っていく。

 人間だった頃なら――こんな急な潜り方をしていたら、すぐに肺が破れてしまっただろう。


 でも、今の私は大丈夫!
 なんていったって――今の私は人魚なのだ!


 ――私の名前は、クロエ・ルー。


 私は青銀の髪と、水色の瞳を持つ「波の民」だ。
 私達は下半身が魚の尾びれのように変化しており、また、首筋にエラを持っていて、このようにして海中で自在な活動ができる種族だ。
 なお、私たちとは違って、二本の足を持って大地に住む人間たちは「大地の民」と呼ばれている。

「大地の民」は、私たちのことをよく「人魚」と呼ぶ。

「波の民」は自分たちが人魚と呼ばれることをあまり好まない。でも、私としては気に入っている。自分のこの姿を最初に見た時には「人魚姫だ!?」と思ったし、分かりやすいものね。

 そう。私は、普通の「波の民」とはちょっと違う。

 私は、いわゆる前世の記憶があるのだ。

 私は前世では、石黒えみ(イシグロエミ)という、アラサーの会社員だった。

 独身で、彼氏はいない。そんな私が趣味としていたのは、スキューバダイビングだった。
 きっかけは、大学生の頃。所属していたサークルの友人たちと、卒業旅行として沖縄に行った先でスキューバダイビングをしたのだ。

 私はその光景に感動した。

 きらめく波、色とりどりの珊瑚、ひらひらと踊るように泳ぐ魚たち。

 初めて見る世界が、そこにはあった。

 こんなに美しいところが、この地球上にはあったのかと、感動で涙さえ滲んだ。
 そのことがきっかけで、私は就職してからも、休みの時にはスキューバダイビングに行くようになった。

けれど、ある日……

 スキューバダイビングに行くために、車を運転していた時、私の車は対向車との正面衝突事故を起こしたのだ。

 いきなり、相手の車が車線をはみ出して、こちらに躍り出てきたのである。慌ててハンドルを切って避けようとしたが、間に合わなかった。

 相手の車が目の前に迫り、とてつもない衝撃によって私の身体は叩きつけられた。

 そして――次に目を覚ました時には、私はこの世界で「人魚」として生をうけていたのである。

「最初は人魚になってパニックになりもしたけれど……でも、毎日スキューバダイビングしてるみたいなものだから、私にとっては最高な生活ね!」

 くるくると海中の中で踊る。

 そう。人間だった時は、海の中でこんな動きはできなかった。
 重いボンベを背負わなければいけなかったし、ダイビング用のウェットスーツは脱ぎ着が大変だった。それに、装備を揃えたり、レンタルをするのにもお金がかかった。

 けれど――でも、今は違う!

 重たい装備もいらないし、海の中で自由自在に動ける!

「人間だった時『人間もエラ呼吸ができたら楽なのになぁ~』なんて思っていたけれど……まさか叶っちゃうなんてね! うふふ、きっと神様が私の最期を憐れんで、人魚に転生させてくれたに違いないわ!」

 ご機嫌で海の底にもぐり、底に落ちている貝殻をひろおうと指をのばす。

 その時、ふと、貝殻の横に落ちているものが目に留まった。

「あら? これは……ネックレスかしら」

 ひょいと拾いあげてみる。

 ネックレスはダイヤモンドが数十個と散りばめられたもので、ずしりと重い。
 だが、暗い海の底にあってなお、まるで星のようにきらきらと輝いている。

 ダイヤモンドをつなぐ金具に、まだ錆は見られない。
 きっと、落ちてすぐのものなのだろう。

「とっても高そう。これを落としちゃった人は、困ってるでしょうね……」

「おーい、お嬢!」

 ダイヤモンドのネックレスを手に取り、どうしようと悩んでいた時、向こうから声が聞こえた。

 振り返ってみれば、そこにいたのは伊勢エビのマイケルだった。
 私とは姿は異なるけれど、彼もまた「波の民」である。
 
 マイケルは前腕をヨッとあげると、海流にのって私に近づいてきた。

「マイケル、どうかしたの?」

「おいらはただの散歩中だよ。お嬢を遠目で見かけたから、何してんのかと思ってよ」

 マイケルは私が卵から孵ったばかりの頃からの親友だ。
 伊勢エビの中でも体格はかなり大きく、2キロ以上はあると思う。

 なお、私達「波の民」同士が海中で会話をする時は、声での会話は行っていない。
声帯も持っているが、海中での会話は「海の民」だけが持つ超音波を介して行われるのだ。
 現在のマイケルとの会話も、この超音波によって行われている。

「このネックレスを拾ったの。どこから流れてきたのかしら?」

 マイケルにダイヤモンドのネックレスをかかげてみせる。
 彼は、器用に前腕を動かして、自分の口元に手をやり「ううむ」と唸った。

「こりゃかなりの一級品だな。お嬢がつけてればいいんじゃねェの?」

「だめよ、そんなの泥棒だわ。それに、どっちみち海の中じゃすぐに錆びてしまうし」

「お嬢は相変わらず真面目だなー」

 マイケルはそう言って、からからと言った笑い声を超音波にのせてきた。
 その声音の調子からして、先ほどのネコババ発言は彼なりのジョークだったのだろう。

「にしても、そいつはかなりの値打ちもんだと思うぜ。大地の民でも、そんなのを手にできる奴は貴族だと思うぞ」

「そう言われてみればそうね」

 こんなに何十個もダイヤモンドがついたネックレスなんて、前世でも、美術館でしか見たことのないような品物だ。

 貴族以上の地位の人間でなければ、手にすることはできないだろう。

「そういや、東の方で船が出てたぜ。もしかしたら、そこの船の積み荷じゃねぇか?」

「本当? じゃあ、試しに様子を見に行ってみようかしら」

私がそう言うと、マイケルが慌てたように前腕を振った。

「お嬢が行くのか? 今から? やめといたほうがいいぜ! カイゼン皇国の連中は海の民と協定を結んでるが、他所の国は違う。奴ら、俺らをヒトとは認めてねェんだ。よその国の人買商人にでも捕まったら、俺らなんざ愛玩動物扱いで売り飛ばされちまうぞ!」

 マイケルの言葉に、私は苦笑いを浮かべた。

「大丈夫よ。カイゼン皇国の商船かどうか見て、違うようなら、何もしないで帰るわ」

 そう。私達「波の民」を人間として認めているのは、私達が住む黒海に港をもつ、カイゼン皇国だけなのだ。

 カイゼン皇国以外の国の人々は、私達を人間として認めていない。

 私達のような水中生活をしている人間を「人魚」と呼ぶのも、もともとは、カイゼン皇国を訪れた他所の国の人間が作った言葉だったらしい。
 だから、私以外の「海の民」はその呼び方をきらっているのだ。

「こんなきれいなネックレス、海の底に沈めておくのはもったいないもの。カイゼン皇国の商船だったら、渡せばきっと元の持ち主に返してくれるわ」

「マジかよぉ。ったく、お嬢は相変わらず変わってるよなァ。大地の民にすすんで関わり合いになろうなんて思うのは、この海でお嬢一人だけだぜ!」

 やれやれ、という感じで前腕をすくめる素振りをするマイケル。

「なに言ってるの。私が変わり者だから、あなたと友達になれたんじゃない」

「そりゃ、そうだけどよぉ」

 私は人魚たちの間で「変わり者」として知られているけれど、それはマイケルだってそうだ。

 そして、変わり者同士の私たちには、お互い以外の友人が存在しない。
 私達が友人になれたのは、私がマイケルと同じ変わり者だったからだ。

 それを指摘すると、マイケルは困ったように触角をぴるぴると震わせた。

「はぁ、しょうがねェなぁ。じゃあ、おいらも一緒についてってやるよ」

「本当? ありがとう、マイケル!」

「ただし、船を確認して、もしもカイゼン皇国の船じゃなかったらさっさと逃げるんだぞ!」

「はーい」

 私は彼ににっこりを笑顔を向けると、彼にそっと手を差し伸べた。
 そして、彼の身体を胸元へ抱き上げる。

「じゃあ、しっかり捕まっててね」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

日常的に罠にかかるうさぎが、とうとう逃げられない罠に絡め取られるお話

下菊みこと
恋愛
ヤンデレっていうほど病んでないけど、機を見て主人公を捕獲する彼。 そんな彼に見事に捕まる主人公。 そんなお話です。 ムーンライトノベルズ様でも投稿しています。

ヤンデレ義父に執着されている娘の話

アオ
恋愛
美少女に転生した主人公が義父に執着、溺愛されつつ執着させていることに気が付かない話。 色々拗らせてます。 前世の2人という話はメリバ。 バッドエンド苦手な方は閲覧注意です。

今日の授業は保健体育

にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり) 僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。 その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。 ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。

処理中です...