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ふたりになるということ 五十嵐沙月編 その5

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「貸せっ」
 そう言うとパンティーを奪い取り、まさに一息、クロッチに自分の舌を這わせた。
 沙月が言った梓馬の長所、最後まで足掻くということ。それ以外に梓馬に長所があるとすれば、覚悟を決めるまでのハードルが、人より異様に低いということだ。どこの誰かわからない相手を、殺そうと誓えるほどに。
「やめて変態っ」
「汚くなんてない。前も言ったろ、俺はお前を臭いと思わない。ずっと、いつからかわからないが、お前が俺をずっと見てたよりもその前から、俺はお前を見ていた」
 胸や腰を何度も見ていた。
「え……」
「お前みたいな奴は、周りにずっといなかった。俺にできないことをお前はやれる」
 図らずとも人は周囲の声に、自分の意見を合わせてしまう。生まれて数年で入る幼稚園、保育園は意図的に年齢が揃えられており、社会の予行演習でありながら、その性質は大きく異なる。同じ年齢という条件下では、多数決の結果がより強力に作用するからだ。
 意図がなくとも子供たちはコントロールされ、あるいは環境を利用する。偏見を積み重ねていくのに、誰かの声とその大きさを参考にするのは非常に効率的だからだ。
「お前は自分の好きなものを好きと言える。俺にはできない。誰かにそれを笑われたら、好きなものを嫌いになってしまうからな」
「違うよ、あたしは自分を好きだと言うことに意地になってたんだよ。本当は何度も自分をやめたいって思ってた。好きな物に囲まれれば幸せになれるなんて嘘だよ。誰かに馬鹿にされないかって、ずっと気になってる。でもそれでも好きって言わないと、もっとみじめになる。みんなと同じ格好したら、負けたことになる。だからあたしはそんな恰好いいものじゃないよ」
 沙月はまたしても、夜寝る前に苦しくなるようなことを言った。だがこれは紛れない本音、心の声を日本語に変換したものだ。だから気付けないこともある。不安の声が大きいあまり、好きな物を見たときの自分の声を忘れていた。
 周囲と感覚が違うと気付いたころの沙月は、引くに引けない状況に陥っていた。だから頑なに古着から離れなかった。しかし仮に周囲に合わせていたとしても、セレオリやファストファッションのアイテムを買っていたとしても、それでも沙月は必ず古着に帰ってくる。なぜならどんな偏見もなかったころ、感性だけで物事を判断していたころに、古着が好きだと自分で選んだからだ。
「普通の人間はその意地を持ち続けられないんだ。俺もそうだ、嫌われる恐さに負けてあっさり捨ててしまった。お前さっき、俺をすごいと言ったな。同じことを言ってやる。俺はずっとお前を恰好いいと思ってた。自分が大事なものを馬鹿にされて、素直に怒れるお前に憧れていたんだ」
 心に閉じ込めていた思いの告白、しかしその底に残った言葉だけは言えない。それは朱里だけに送る言葉だったからだ。
 梓馬は沙月に顔を寄せた。先ほどおりものと小便を舐めた口だということで、沙月は一瞬の躊躇いを見せた。そこに少しの寂しさを感じつつ、梓馬は布団の中に潜る。
 そこは深海だった、とても暗くとても深い、潮の匂いがする。その海の底で、梓馬は一つの貝を見つけた。いく種類もの臭いが混ざりあっている。舐めたいという欲求と同時に、喉の奥にあった臭気の残像が蘇ってくる。だがそれを振り切って舌を伸ばし、清濁併せ舐めた。
 もさっとした無数のなにかが、鼻の穴に入ってくる。沙月の陰毛だ。そこにはいくらかの潮の香りと、腐った乳製品の臭い、そして石鹸の匂いが混ざっていた。
 陰毛の手触りを確認したくて、触れてみる。ざりっとした音と、縮れた感触から導き出された梓馬は答えを見つけた。
 硬め濃いめ臭めだ――
 口内に唾液が溢れてくる。梓馬は一つの貝の奥に、舌を伸ばした。
 性器を舐められて、沙月は最初こそ声を出す。だがその後は恥ずかしいのか、必至に声を殺していた。
 梓馬は一つの貝の溝や、ひだの一つ一つを、舌でこそいでいく。もう臭いはない。味と刺激が鳴りを潜め、マイルドになってきている。ミネラルだ。
 女の海から生まれた梓馬は、そこに帰りたいと思った。
 そして布団から顔を出すと、沙月と目が合った。おもむろに頷く。梓馬がなにをしたがっているか悟っているようだった。
「ゴム……」
「ああ……」
 梓馬は先ほど照明のつまみを見ていたときに、不思議な箱も見つけていた。プラスチック製のそれは、一見すると石鹸箱のように見える。しかし中身が石鹸ではないという推測を立てていた。この箱はコンドームを入れるための、ただそれだけの物。
 コンドームの付け方には作法がある。梓馬は童貞だったが、小学校の性教育の時間に習得していたので問題はなかった。
 そして沙月に近づいて布団をどかせる。露わになった一つの貝、周囲にある黒々とした森。いそいそとポジションの確認を始める。梓馬はつまり、正常位をしようとしていた。
 セックスの距離感、間合いの測り方、こればかりは性教育でもカバーできない。個体差によってまちまちだからだ。ペニスの一本ずつがすでに、同じ人種でも長さが違う。
 薄暗いとはいえ、初めて生で見た女性器に目が釘付けになり、梓馬が最初に膝をセットした位置は遠すぎた。この距離では、ほとんどの日本人が射程外だ。
 梓馬は平均よりもわずかに長いほうだが、それでも拳一つ分ほど足りていない。
 業を煮やした梓馬は膝からではなく、ペニスを合わせてから膝の位置を逆算。沙月はひっくり返ったカエルのようなポーズになってしまっていたが、本人も初めてなのでこういうものかもしれないと我慢していた。
「もうちょい下……」
 沙月が膣口をナビゲートする。個人差はあるが、女性器は楕円形の中央よりも下に穴があることが多い。
「ここか……」
 完全な穴とはいえないが、穴ともいえなくはない部分に、梓馬はペニスの先端を当てる。そして一気に押し込もうとした。しかし、馬のように暴れた沙月に蹴とばされる。
「痛い、もっとゆっくり」
 ゆっくりがどんな感じかわからない梓馬は、今度は速度だけを落としてみた。少しだけ奥に進み始めると、沙月が苦しそうな声を出す。
「もしかして初めてなのか……?」
 沙月は目に涙をためて、「うん……」と頷いた。
「わかった。ゆっくりやる」
 梓馬はペニスをゆっくりと押し付けていく。沙月の肉がそれに抵抗し、押し返してきた。そのことで、本当にここはペニスを入れていい場所なのだろうか、と不安になる。これ以上の進行は、必ず破壊につながるという確信があった。
「もう全部入った?」
 沙月が天井を見ながら、苦し気に訊いてきた。
 梓馬は悪いニュースのように答える。
「まだ入っているとさえ言えない状態だ」
 二人ともこの時点で興奮というよりは、セックスをどうすれば成功させられるのかという思考になっていた。
「どうする、一回やめるか?」
 梓馬は沙月の様子から、もう事態が予測不可能に陥っていることを悟っており、対策を練るべきだと考えていた。自分には痛みがないという負い目もある。
「いや、このままでいいよ。痛いの同じだから、もう一気に挿れて」
 沙月は大股を開きながら、真面目な顔で言った。意外にもその光景を、梓馬は恰好いいと思った。なにせまだ指さえ入れてないのに、指以上に太く長い物を一気に挿入してしまえと言う。
「わかった」
 その声とほぼ同時、半ば騙し討ちのような感じで、梓馬は一気に腰だめのペニスを力強く押し込んだ。だが最後までは進めない。
 悲鳴ともいえない沙月の声は無視する。そしてペニスを追い出そうとしてくる穴の肉に抵抗していく。その光景は梓馬にとって信じられないものだった。
 自分以外の人間の穴に、生まれたときから持っていたペニスを挿入しようという異常性。授業や動画で知らずにいれば、こんな発想は絶対に生まれなかった。
 途中何度かつっかかったが、半分ほどにさしかかると、粘土を押し広げていくような感覚があった。そして押し返してくる肉の圧力とは別に、ぬるりとした液体の存在をわずかに感じる。体内独特の温まりを感じながら、一気に根本まで深く侵入した。
 沙月は声こそ出さなかったが、顔はこれ以上ないくらいに歪んでおり、ぶるぶると小刻みに震わせていた。首も筋が浮いており、水がたまりそうなほどの窪みができている。その様子に申し訳なさと、愛おしさを感じた梓馬は、挿入したまま沙月に口づけをした。
 潮味のこともあって舌は入れなかったが、しばらく唇を重ねていると沙月のほうから舌を入れてきた。梓馬はより深く舌を絡ませようと、少し態勢を変える。
「痛っ」
 不意を突かれた沙月は思わず口を閉じてしまい、舌を噛まれた梓馬はのけ反った。
「ごめん、大丈夫?」
 そう訊いてくる沙月の顔は、どちらが重症を負っているか再確認させた。
「俺は大丈夫だ。お前のほうこそ大丈夫か?」
「めちゃくちゃ痛い……。けど、動いてほしい……。ゆっくりだよ」
「わかった、ゆっくりだな」
 梓馬は結合部だけを見て答えていた。沙月と舌を絡ませている間も、ここの様子が気になって仕方なかったからだ。
 他人の体に俺のち〇こが埋まってる――
 一度入ってしまえば、あとは自由に動ける。梓馬はほんの数センチという距離を動かしてみた。勃起したペニスの芯の固まり具合はいつも通りだったが、表面に走る肉の摩擦は、ほんの一ピストンだけで射精感を促した。セックスが初めての梓馬でも、あと二往復もすればどうなるかわかるほどだ。
「動いていい、よ……」
 あまりよくなさそうな声だった。沙月は天井を見たままで、その様子は早く終わってほしいと思っているようにも見えた。
「動いたら出てしまう」
「気持ちいいの?」
 沙月のその質問に、梓馬は頷くことで返した。沙月が少し笑った。
 ゆっくりと動かす。できるだけ快感が発生しないように、穴の形状にそって真っすぐ動かす。しかし、どうにか三往復目にさしかかったとき、梓馬は先端にわけのわからないベクトルの集中を感じた。性の扉がその向こう側を見せようとしている。
 イクと言うべきか――
 ここで梓馬は過去に見た動画から、射精時の掛け声について迷った。参考動画内では「イク」という言葉を当たり前に言っていたが、それを自分がやるとなると凄まじい抵抗を感じる。しかしどの動画でも、例えそれが悪辣な内容のものでさえ、射精の掛け声はあった。これは、いただきますとごちそうさま、それに近いマナーだといえる。
 ならば恥ずかしいから言わないというのは、実に自分よがりな考え方だ。沙月は全裸で体に異物を挿入されてくれているというのに、ここで地蔵のように射精をするわけにはいかない。ただ一言、大げさではない小さな声で、素直なイクを言うべきだ。
 決意が固まると梓馬は少しペニスを引き、今度はより深くまで進んた。根本まで押し込むと、膣口がペニスの付け根の裏側に吸い付いて、重めの快感が発生する。
「うぉ」
 思わず声を漏らした梓馬は、ここで突然の猿化。
 沙月の体に自分の全体重を乗せて、後先を考えない高速ピストンをくり出す。当初の予感ではおよそ二往復で射精ということだった。しかし射精というのは別に、往復制限がついているわけではない。ペニスが痙攣状態に入ると確定した瞬間、物理法則の許す限りならばいくらでも往復することが可能だ。オナニーとは違う、爆ぜるような快感がペニスの先端を襲う。
 性の扉がいま、開かれた。
「…………ィク」
 梓馬は絶頂してから言っていた。
 ペニスの根本から太ももの付け根まで、しびれに似た快感は、数秒をかけて霧散していった。いまさら運動量を自覚した体が、呼吸を荒くする。射精本能から解放された梓馬は、モンスターエンジンを失い、徐々に人らしさを取り戻していった。
 使ったら片付ける。梓馬がペニスを引き抜こうとしたとき、沙月が手首を掴んだ。
「もう少しこのままがいい」
「大丈夫なのか?」
「うん……」
 沙月は頷くと、両手を広げた。
 梓馬はそれに包まれようと飛び込んだ。体の大きさの違いから、気付けば抱きしめる形になっている。
 自分の腕のなかに、裸の沙月が収まっている。肌が全体的に紅潮しており、頬と鼻と鎖骨のリンパ付近は、特に赤くなっている。
「気持ちよかった?」
 梓馬はここでも頷くことだけを返事にした。お前はどうだった、と訊きたい言葉は飲み込むしかなかった。
 これまで体つきはともかく、沙月にはどこかボーイッシュな印象を持っていた。それはファッションスタイルや髪型からわかる。しかしいま、この腕のなかに収まりきるそのサイズには、どこにも女性的な要素が溢れていた。
 初めて会ったときの攻撃的な言動、思想が溢れた洋服選び、思わぬ事態を引き起こす言動、肉々しい体、そのどれもが沙月を構成しながら、しかし芯の部分には女の子がいた。
「小さい体だ……」
 梓馬はそう言うと、乳首を口に含んだ。吸っても乳は出ない。しかしこの上ない安らぎが、乳頭孔から流れてくる。ちゅぽんと口を離すと、名残惜しさが口端に残った。
「この小さい体に、たくさんのものを持っているな」
「どういうこと」
 沙月はなにを言われているかわからなかった。もちろん他の誰にもわからない。
「さあ、自分でもわからない。でもいまここに、すべてがある気がするんだ。服とか車とか肩書とか、あとは金か。そういったものがここにはなくて、あるのはお前の小さい体一つだけだが、俺にはこれがすべてに感じる」
「それ、あたしもわかるかもしれないよ」
 沙月はそう言うと、梓馬の頭を引っ張り自分の胸に抱き寄せた。
 ダウナー系の幸福は、触れるだけで全てが足りる。自分を構成する最低限だけが、最大限だったとわかる完全な幸福だ。アッパー系のように、際限なく欲望に振り回されて破滅するということがない。セックスはその二つの性質を持った不思議な幸福だ。
「俺は沙月に、なにかすごく優しいことをしてもらった気がする」
「あたしはなにか暖かいものをもらった気がする」
 コンドームという壁が遮っていたとしても、別々の人間だった二人の心が混ざり合った。お互いがお互いを必要としているのではなく、たった一つの二人きりの世界が、ベッドの範囲内だけに構築されている。
 外の世界は観測外で、鳴り響く幹彦からの着信も、なにも言わない朱里の亡霊も、確率として漂ったまま確定していない。互いの性器を傷のように舐め合っては、一つになるだけだった。
 こうして二人は、ふたりになった。

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