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花屋のうさぎと銀狼の朝11
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花を店に置いてから、お茶を淹れて一息つく。
これからまた、リオネル様とお出かけなんだよな。パン屋に行って市場に行ってと、もうじゅうぶんお出かけしたような気持ちになっていたけれど。
『本番』が……まだ残っているのだ。
今日はどこに行くのだろう。僕に希望は特にないし、リオネル様の行きたい場所があるならそこに行きたいな。
「レイラ、どこに行きたい?」
「リオネル様は、どこに行きたいのですか?」
発した言葉は異口同音に重なり、僕たちは顔を見合わせた。リオネル様は「ふむ」と小さくつぶやくと、少し困ったような表情になった。
「行きたい場所、というのは難しいな」
「……難しい、ですか?」
「私はつまらない人間だ。今世間でなにが流行っているとか、どのような店が美味いとか。そんなことを一つも知らない。君を喜ばせられる場所どころか、自分が行きたいと思う場所もまったく思い浮かばないんだ」
リオネル様の言葉を聞いて、僕はどう返していいのか迷ってしまう。
言葉だけ聞くと、まるで自虐に思える。しかし彼は淡々としていて、ただ自分の中の『事実』を語っているご様子だった。
「昼食と夕食の店はニルスに適切な場所を聞いて予約を入れたので、問題ないとは思うのだが……」
「リオネル様……」
「がっかりしたか?」
リオネル様はそう言うと、少し悲しげに眉と狼耳を下げた。僕はふるふると首を横に振る。
彼の日々は『娯楽』が入り込む隙がないくらいに、重みのある責務でいっぱいだったのだろう。『がっかり』だなんて気持ちは湧かないし、『大変だったのだろうな』と心の底から思う。
「その、では今日は。それを見つけに行きませんか?」
「見つけに?」
「はい。リオネル様が興味を惹かれるものや、楽しいと思うものを」
ご自分の『楽しい』が見つかれば、つらいご公務の慰めにもなるだろう。今日一日で見つかるかは怪しいところだけれど。『見つける』という行為に意識が向けることから、なにかがはじまるかもしれないし……
「レイラ」
リオネル様は長椅子から立ち上がり、大きな歩幅でこちらにやって来る。そして僕を抱え上げてから、ぎゅっと強く抱きしめた。リオネル様の頭が僕の胸に擦り付けられ、ふっと大きく息を吐かれる。お耳がふわふわと当たって、少しくすぐったい。
「リオネル様?」
「……君に、幻滅されるかと思った」
小さくつぶやかれたその声は、リオネル様のものと思えないくらいに弱々しい。それを聞いて、僕は戸惑いを隠せなかった。
「他の人間がリオネル・ハルミニアという男の偶像と、実際の私の差異に失望しようとどうでもいいことだが。レイラには……本当の私を知られても、失望されたくないと思ってしまうんだ」
「リオネル様……」
リオネル様がどうして僕に『失望されたくない』とまでの信頼……あるいは親愛を寄せてくださるのか。それはわからないけれど。僕の心は『歓喜』で震えていた。
「リオネル様……僕は、幻滅なんてしません」
リオネル様を、強く抱きしめ返す。
――意外に不器用らしいこの人が愛おしいと、そんな気持ちが溢れそうになってしまったから。
「レイラ……!」
リオネル様は感極まったような声音で僕を呼ぶと、長椅子にぼふりと押し倒した。
僕は大いに焦ってしまう。だってこちらを見つめる綺麗な黄緑色の瞳が……なんだか妖しい色に濡れている。
「リ、リオネル様!お出かけしましょう!好きなものを探すんですよねっ! ねっ!」
「む……」
口づけしようと近づいてくる綺麗なお顔をぐいと押しのけながら言うと、リオネル様は不服そうな顔をする。
しかしなにかを思いついたかのように、ピンと大きなお耳を立てた。
「レイラが口づけをしてくれたら、出かけよう」
「えっ」
「私は本当はダメでワガママな狼なので、レイラが口づけをしてくれないと出かけられない」
「僕の口づけなんて必要ないでしょう……?」
「必要だ。本当の私を知っても、失望しないとレイラは言った」
『失望しない』と『要求を飲む』は、違うベクトルの話だと思う。それにどうして、僕なんかの口づけを……
こちらをじっと見つめるリオネル様の薄い表情に宿るのは、明らかな期待だ。
だめだ。リオネル様のワクワク顔が可愛すぎて、直視すると胸がぎゅっとなる。
「レイラ、早く」
「その。口づけ、しなかったら?」
「一日中、レイラに触れながら部屋で過ごすのも悪くないな。むっ……」
リオネル様の手が怪しい動きをはじめたので、僕は慌てて彼の唇を塞いでからすぐに離れた。すると彼は瞳を大きく瞠った後に嬉しそうに笑う。そんなリオネル様を見ていると、僕の唇にも笑みが浮かんだ。
「うむ、では行くか」
「は、はい」
満足げなご様子のリオネル様は、大きな尻尾をぶんぶんと振りながら立ち上がる。そして僕を立ち上がらせると、しっかりと手を握った。
これからまた、リオネル様とお出かけなんだよな。パン屋に行って市場に行ってと、もうじゅうぶんお出かけしたような気持ちになっていたけれど。
『本番』が……まだ残っているのだ。
今日はどこに行くのだろう。僕に希望は特にないし、リオネル様の行きたい場所があるならそこに行きたいな。
「レイラ、どこに行きたい?」
「リオネル様は、どこに行きたいのですか?」
発した言葉は異口同音に重なり、僕たちは顔を見合わせた。リオネル様は「ふむ」と小さくつぶやくと、少し困ったような表情になった。
「行きたい場所、というのは難しいな」
「……難しい、ですか?」
「私はつまらない人間だ。今世間でなにが流行っているとか、どのような店が美味いとか。そんなことを一つも知らない。君を喜ばせられる場所どころか、自分が行きたいと思う場所もまったく思い浮かばないんだ」
リオネル様の言葉を聞いて、僕はどう返していいのか迷ってしまう。
言葉だけ聞くと、まるで自虐に思える。しかし彼は淡々としていて、ただ自分の中の『事実』を語っているご様子だった。
「昼食と夕食の店はニルスに適切な場所を聞いて予約を入れたので、問題ないとは思うのだが……」
「リオネル様……」
「がっかりしたか?」
リオネル様はそう言うと、少し悲しげに眉と狼耳を下げた。僕はふるふると首を横に振る。
彼の日々は『娯楽』が入り込む隙がないくらいに、重みのある責務でいっぱいだったのだろう。『がっかり』だなんて気持ちは湧かないし、『大変だったのだろうな』と心の底から思う。
「その、では今日は。それを見つけに行きませんか?」
「見つけに?」
「はい。リオネル様が興味を惹かれるものや、楽しいと思うものを」
ご自分の『楽しい』が見つかれば、つらいご公務の慰めにもなるだろう。今日一日で見つかるかは怪しいところだけれど。『見つける』という行為に意識が向けることから、なにかがはじまるかもしれないし……
「レイラ」
リオネル様は長椅子から立ち上がり、大きな歩幅でこちらにやって来る。そして僕を抱え上げてから、ぎゅっと強く抱きしめた。リオネル様の頭が僕の胸に擦り付けられ、ふっと大きく息を吐かれる。お耳がふわふわと当たって、少しくすぐったい。
「リオネル様?」
「……君に、幻滅されるかと思った」
小さくつぶやかれたその声は、リオネル様のものと思えないくらいに弱々しい。それを聞いて、僕は戸惑いを隠せなかった。
「他の人間がリオネル・ハルミニアという男の偶像と、実際の私の差異に失望しようとどうでもいいことだが。レイラには……本当の私を知られても、失望されたくないと思ってしまうんだ」
「リオネル様……」
リオネル様がどうして僕に『失望されたくない』とまでの信頼……あるいは親愛を寄せてくださるのか。それはわからないけれど。僕の心は『歓喜』で震えていた。
「リオネル様……僕は、幻滅なんてしません」
リオネル様を、強く抱きしめ返す。
――意外に不器用らしいこの人が愛おしいと、そんな気持ちが溢れそうになってしまったから。
「レイラ……!」
リオネル様は感極まったような声音で僕を呼ぶと、長椅子にぼふりと押し倒した。
僕は大いに焦ってしまう。だってこちらを見つめる綺麗な黄緑色の瞳が……なんだか妖しい色に濡れている。
「リ、リオネル様!お出かけしましょう!好きなものを探すんですよねっ! ねっ!」
「む……」
口づけしようと近づいてくる綺麗なお顔をぐいと押しのけながら言うと、リオネル様は不服そうな顔をする。
しかしなにかを思いついたかのように、ピンと大きなお耳を立てた。
「レイラが口づけをしてくれたら、出かけよう」
「えっ」
「私は本当はダメでワガママな狼なので、レイラが口づけをしてくれないと出かけられない」
「僕の口づけなんて必要ないでしょう……?」
「必要だ。本当の私を知っても、失望しないとレイラは言った」
『失望しない』と『要求を飲む』は、違うベクトルの話だと思う。それにどうして、僕なんかの口づけを……
こちらをじっと見つめるリオネル様の薄い表情に宿るのは、明らかな期待だ。
だめだ。リオネル様のワクワク顔が可愛すぎて、直視すると胸がぎゅっとなる。
「レイラ、早く」
「その。口づけ、しなかったら?」
「一日中、レイラに触れながら部屋で過ごすのも悪くないな。むっ……」
リオネル様の手が怪しい動きをはじめたので、僕は慌てて彼の唇を塞いでからすぐに離れた。すると彼は瞳を大きく瞠った後に嬉しそうに笑う。そんなリオネル様を見ていると、僕の唇にも笑みが浮かんだ。
「うむ、では行くか」
「は、はい」
満足げなご様子のリオネル様は、大きな尻尾をぶんぶんと振りながら立ち上がる。そして僕を立ち上がらせると、しっかりと手を握った。
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