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インキュバスとバーベキュー3
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バーベキュー場の近くの駐車場に車を停めて、その側にある業務用スーパーにみんなで入る。それぞれ好きなものを選んでからひとまずは社長がまとめて会計をして、あとで割り勘にする予定だ。
エルゥの財布には、私がギフト券を買い取って作った現金が入っている。
……お出かけで、現金を持たないわけにもいかないもんね。
ぜんぶ私が出してもよかったのだけれど、エルゥがヒモみたいな妙な誤解が生まれそうだしなぁ。彼と私の見た目だと、説得力がありすぎる。
「エルゥさんは、なにが食べたいですかぁ?」
更紗ちゃんが腕を絡ませながら、甘ったるい声でエルゥに話しかけている。私の『彼氏』という設定という男に、本当によくやる。
そんな更紗ちゃんを見た江村さんは牙を剥きそうな表情をしており、双子を両腕に抱えた幸治さんも苦笑いをしている。
「あれ、いいの?」
江村さんが小声でそう訊いてくるけれど、私には答えようがない。良いも悪いも、エルゥは私のものではないのだ。
エルゥはさすがに女慣れしていて、更紗ちゃんの行為に一切戸惑う様子もない。二言三言会話をした後に、するりと自然に腕を解いて社長と会話をはじめた。
腕を解かれた更紗ちゃんがなぜかこちらを睨みつけてくるけれど……勘弁してくれないだろうか。
彼女の興味がエルゥに向くのは、想定外だったな。
――更紗ちゃんの行動は、ふつうに考えて非常識だ。
私が本当の彼女なら、たしなめたりする権利があるのだろうけど。
私は彼女じゃなくて、彼が世話をしているただの『猫』で、同居人未満の存在だ。果たしてたしなめる権利なんてあるのかな。
胸の奥がなんだかじくじくと痛い。私は息を吐いて、いつの間にか下に向いていた視線を上に上げた。
「……嶺井さん」
エルゥと更紗ちゃんを目で追っていた私に、井上君が話しかけてきた。彼から話しかけてくるなんて、めずらしい。彼はなんだか緊張した様子で、こくんと唾を飲み込んだ。
「どうしたの? 井上君」
「ネギ、食べられます? 俺は、その。焼いて食べるの、好き、なんですけど」
なぜか少しつっかえながら言う井上君の手には、立派な青ネギが握られている。
ネギは好きだ。シャキシャキとした歯ごたえと、高い香りがたまらない。日本酒とよく合うよね。
「私も、好き」
「……そっか」
井上君は少し頬を赤らめた後に、咳払いをするとネギを買い物カゴに入れた。
「嶺井さんは、なにか食べたいものは?」
「んー」
訊かれて、棚を見渡してみる。すると酒類の棚が目に入った。棚には飲んでみたかった、新商品のビールが並んでいる。私は、よく冷えたそれを手に取った。
これ、飲みたいなぁ。
だけどこのビールは他のものと比べて少し高めなので、割り勘の時に買うのは気が引ける。
……でも、飲んでみたいなぁ。
「……嶺井さんって、お酒が好きなんですか?」
「うん、好きだよ。家でも時々晩酌するの」
『時々』だなんて言ってしまったけれど、実は毎晩である。
さすがにそれは恥ずかしいので、私は少し濁してしまった。
「俺も……その。好きです、お酒」
井上君は早口で言ったあとに、私が見ていたビールの缶を数本カゴに放り込む。
「井上君、それちょっと高いよ? 今日は割り勘だし……」
「たかだか数十円ですよね。誰も気にしませんよ」
彼はそう言うと少しいたずらっぽく笑いながら「俺も飲みたいですし」と付け加えた。
会社にいる時にはあまり会話しない井上君とこんなにしゃべっているなんて、なんだか不思議な気分だ。勤務外のイベントって、案外大事なのかもしれないな。
「ね、井上君。敬語、やめていいんだよ? 同期なんだし」
前から思っていたことを、この機会に伝えてみる。
以前から井上君が敬語なのが気になっていたのだ。だけどそれに言及するような会話の機会が、会社での日々にはなかった。
「……えっと、その」
井上君は何度も目を瞬きさせる。
もしかして……迷惑だったかな。敬語の方が落ち着くタイプの人なのかもしれない。
「嫌だったら……」
「嫌じゃないです! いや、その……嫌じゃない」
白い手で口元を押さえる井上君の顔は、なぜかとても赤い。
「井上君、私にも敬語をやめていいんだよ!」
いつの間にか側に来ていた江村さんが、バンバンと井上君の背中を叩く。江村さんはなぜか楽しそうに、表情をゆるませている。井上君は江村さんに目を向けると……苦虫を噛み潰したような顔になった。
「いえ、江村さんは同期じゃないので」
彼は手のひらを江村さんに向け制止するような仕草をしながら、冷静な口調で言う。
「六つ年上なだけやん!」
「六つは……無理ですね」
「いや、ギリギリいけるやろ!?」
「無理です」
なおも食らいつく江村さんに、井上君はにべもない。その様子を見て私はつい、くすくすと笑ってしまった。
「琴子……」
聞き慣れた声がして、背中に温かなものが張り付く気配がした。綺麗な手が私の胸の上で交差され、ぎゅうと体を抱きしめる。
……エルゥが、抱きついているらしい。
ああ、江村さんの目がキラキラしてる。更紗ちゃんのことは考えないようにしよう。
「エルゥ、こんなところで――」
私は叱ろうと振り返ってから――彼の青白い顔にあっけに取られてしまった。
「エルゥ……どうしたの?」
「……ずっと人間の姿でいるの、ちょっと疲れるから。精気の補給をさせて欲しい」
エルゥが私にしか聞こえない程度の声音で、耳に囁く。耳にふわりと吐息がかかって、私はその熱さにびくりと身をすくめた。
これは……要はキスさせろってことだよな。
じっと見つめると、エルゥは綺麗な青の瞳を潤ませながらこちらを見つめ返す。
ここは業務用スーパーの中である。こんなところでキスなんて、どう考えてもお断りだ。こうやって抱きしめられてる間にも、好奇の視線がそこらかしこから刺さっている。
しかしエルゥが悪魔の姿に戻ったら……それはもっと困る。
私は大きく息を吐くと、覚悟を決めた。
「――屈んで」
小声で言うと、エルゥは素直にその場で少し屈む。私は背伸びをしてから、できるだけ周囲に見えないように紅く滑らかな唇にキスをした。
いつものくらりと理性を灼かれるような感覚が走る。私は唇を離してふっと息を吐き、息を切らせながらエルゥの胸に倒れ込んだ。
「……ありがとう、琴子。おかげで夜まで持ちそう」
「先に言ってくれれば、朝に済ませたのに」
「朝は忙しかったでしょ?」
エルゥはぽんぽん、と私の背中をあやすように叩く。その大きな手の感触は心地いい。
みんながどういう顔をしているのかは、恥ずかしくて確認できない。なぜこんな罰ゲームを……!
「疲れただろうし、僕の腕に掴まってて」
「……ん」
言われて、私はエルゥの腕にぎゅっと掴まった。
……傍から見たら、こんなのカップルにしか見えないな。
なんて、そんなことをぼんやりと考えながら。
エルゥの財布には、私がギフト券を買い取って作った現金が入っている。
……お出かけで、現金を持たないわけにもいかないもんね。
ぜんぶ私が出してもよかったのだけれど、エルゥがヒモみたいな妙な誤解が生まれそうだしなぁ。彼と私の見た目だと、説得力がありすぎる。
「エルゥさんは、なにが食べたいですかぁ?」
更紗ちゃんが腕を絡ませながら、甘ったるい声でエルゥに話しかけている。私の『彼氏』という設定という男に、本当によくやる。
そんな更紗ちゃんを見た江村さんは牙を剥きそうな表情をしており、双子を両腕に抱えた幸治さんも苦笑いをしている。
「あれ、いいの?」
江村さんが小声でそう訊いてくるけれど、私には答えようがない。良いも悪いも、エルゥは私のものではないのだ。
エルゥはさすがに女慣れしていて、更紗ちゃんの行為に一切戸惑う様子もない。二言三言会話をした後に、するりと自然に腕を解いて社長と会話をはじめた。
腕を解かれた更紗ちゃんがなぜかこちらを睨みつけてくるけれど……勘弁してくれないだろうか。
彼女の興味がエルゥに向くのは、想定外だったな。
――更紗ちゃんの行動は、ふつうに考えて非常識だ。
私が本当の彼女なら、たしなめたりする権利があるのだろうけど。
私は彼女じゃなくて、彼が世話をしているただの『猫』で、同居人未満の存在だ。果たしてたしなめる権利なんてあるのかな。
胸の奥がなんだかじくじくと痛い。私は息を吐いて、いつの間にか下に向いていた視線を上に上げた。
「……嶺井さん」
エルゥと更紗ちゃんを目で追っていた私に、井上君が話しかけてきた。彼から話しかけてくるなんて、めずらしい。彼はなんだか緊張した様子で、こくんと唾を飲み込んだ。
「どうしたの? 井上君」
「ネギ、食べられます? 俺は、その。焼いて食べるの、好き、なんですけど」
なぜか少しつっかえながら言う井上君の手には、立派な青ネギが握られている。
ネギは好きだ。シャキシャキとした歯ごたえと、高い香りがたまらない。日本酒とよく合うよね。
「私も、好き」
「……そっか」
井上君は少し頬を赤らめた後に、咳払いをするとネギを買い物カゴに入れた。
「嶺井さんは、なにか食べたいものは?」
「んー」
訊かれて、棚を見渡してみる。すると酒類の棚が目に入った。棚には飲んでみたかった、新商品のビールが並んでいる。私は、よく冷えたそれを手に取った。
これ、飲みたいなぁ。
だけどこのビールは他のものと比べて少し高めなので、割り勘の時に買うのは気が引ける。
……でも、飲んでみたいなぁ。
「……嶺井さんって、お酒が好きなんですか?」
「うん、好きだよ。家でも時々晩酌するの」
『時々』だなんて言ってしまったけれど、実は毎晩である。
さすがにそれは恥ずかしいので、私は少し濁してしまった。
「俺も……その。好きです、お酒」
井上君は早口で言ったあとに、私が見ていたビールの缶を数本カゴに放り込む。
「井上君、それちょっと高いよ? 今日は割り勘だし……」
「たかだか数十円ですよね。誰も気にしませんよ」
彼はそう言うと少しいたずらっぽく笑いながら「俺も飲みたいですし」と付け加えた。
会社にいる時にはあまり会話しない井上君とこんなにしゃべっているなんて、なんだか不思議な気分だ。勤務外のイベントって、案外大事なのかもしれないな。
「ね、井上君。敬語、やめていいんだよ? 同期なんだし」
前から思っていたことを、この機会に伝えてみる。
以前から井上君が敬語なのが気になっていたのだ。だけどそれに言及するような会話の機会が、会社での日々にはなかった。
「……えっと、その」
井上君は何度も目を瞬きさせる。
もしかして……迷惑だったかな。敬語の方が落ち着くタイプの人なのかもしれない。
「嫌だったら……」
「嫌じゃないです! いや、その……嫌じゃない」
白い手で口元を押さえる井上君の顔は、なぜかとても赤い。
「井上君、私にも敬語をやめていいんだよ!」
いつの間にか側に来ていた江村さんが、バンバンと井上君の背中を叩く。江村さんはなぜか楽しそうに、表情をゆるませている。井上君は江村さんに目を向けると……苦虫を噛み潰したような顔になった。
「いえ、江村さんは同期じゃないので」
彼は手のひらを江村さんに向け制止するような仕草をしながら、冷静な口調で言う。
「六つ年上なだけやん!」
「六つは……無理ですね」
「いや、ギリギリいけるやろ!?」
「無理です」
なおも食らいつく江村さんに、井上君はにべもない。その様子を見て私はつい、くすくすと笑ってしまった。
「琴子……」
聞き慣れた声がして、背中に温かなものが張り付く気配がした。綺麗な手が私の胸の上で交差され、ぎゅうと体を抱きしめる。
……エルゥが、抱きついているらしい。
ああ、江村さんの目がキラキラしてる。更紗ちゃんのことは考えないようにしよう。
「エルゥ、こんなところで――」
私は叱ろうと振り返ってから――彼の青白い顔にあっけに取られてしまった。
「エルゥ……どうしたの?」
「……ずっと人間の姿でいるの、ちょっと疲れるから。精気の補給をさせて欲しい」
エルゥが私にしか聞こえない程度の声音で、耳に囁く。耳にふわりと吐息がかかって、私はその熱さにびくりと身をすくめた。
これは……要はキスさせろってことだよな。
じっと見つめると、エルゥは綺麗な青の瞳を潤ませながらこちらを見つめ返す。
ここは業務用スーパーの中である。こんなところでキスなんて、どう考えてもお断りだ。こうやって抱きしめられてる間にも、好奇の視線がそこらかしこから刺さっている。
しかしエルゥが悪魔の姿に戻ったら……それはもっと困る。
私は大きく息を吐くと、覚悟を決めた。
「――屈んで」
小声で言うと、エルゥは素直にその場で少し屈む。私は背伸びをしてから、できるだけ周囲に見えないように紅く滑らかな唇にキスをした。
いつものくらりと理性を灼かれるような感覚が走る。私は唇を離してふっと息を吐き、息を切らせながらエルゥの胸に倒れ込んだ。
「……ありがとう、琴子。おかげで夜まで持ちそう」
「先に言ってくれれば、朝に済ませたのに」
「朝は忙しかったでしょ?」
エルゥはぽんぽん、と私の背中をあやすように叩く。その大きな手の感触は心地いい。
みんながどういう顔をしているのかは、恥ずかしくて確認できない。なぜこんな罰ゲームを……!
「疲れただろうし、僕の腕に掴まってて」
「……ん」
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