上 下
3 / 36

インキュバス風ドライカレーのピタパンサンド

しおりを挟む
「琴子、できたよー」

 声をかけられ、ゆさゆさと体を揺らされる。重い瞼を上げると、エルゥの絶世の美貌がこちらを覗き込んでいた。
 ……ぐぬ、やっぱり顔がいいな。
 部屋にはカレーのいい香りが濃く漂っている。その匂いに刺激されて、お腹がくるると音を立てた。

「いい匂いでしょ」

 エルゥは得意げに言うと、折りたたみ式の天板が赤い猫脚テーブルを広げる。そして可愛い小花柄のランチョンマットを敷いてから、白い中皿をその上に置いた。
 ……いつも思うけれど、エルゥは女子力が高い。
 白い皿に盛られているのはピタパンサンド二切れとサラダだ。白いピタパンの生地からは、しめじやナスが入った挽き肉のドライカレーが顔を覗かせている。
 ちなみにこのピタパンは、ニ日前にエルゥにせがまれて近所のパン屋で買ったものである。

「ふふ。本当は甘い味付けのお肉と野菜で、ピタパンサンドを作るつもりだったんだけど。カレーも美味しいよねぇ」
「うう、そっちも美味しそう」
「今度作るから。だからまたパンを買ってきてね」

 エルゥはくすりと笑うと、なにかを取りに台所に行く。そして今度はスープ皿を二つ手にして戻ってきた。

「それは?」
「お野菜たっぷりのラタトゥイユ風スープ。具材はトマトと人参、じゃがいもと玉ねぎ」

 湯気を立てるスープ皿には真っ赤なスープが注がれている。見るからに具だくさんのそれは、食欲をそそる濃いトマトの香りを立てていた。

「珈琲を淹れようと思ったけど、琴子はこっちが欲しいよね? 冷凍庫で少し冷やしておいたから」

 冷やしたグラスと、同じくキンキンに冷えたビールをエルゥが私に見せつける。彼は恐ろしいくらいに気が利く。

「エルゥ、食べよう!」
「我慢ができない子だね、琴子は」

 エルゥは苦笑しながらも、ビールをグラスにトクトクと注いでくれた。シュワッといい音を立てながら、黄金色の液体は白い泡を作る。それを見ていると自然に口中に唾が溜まり、私はゴクリをそれを飲み下した。

「じゃ、いただきます!」
「はい、どうぞ」

 がっつくように『いただきます』を言う私に、エルゥが自愛含みの笑みを向けた。
 ビールに口をつけたいのを我慢して、まずはピタパンサンドを一口頬張る。するとピリッとした風味が舌に伝わった。

「んっ!」

 スパイシーな香辛料の香り、旨味をこれでもかと伝えてくる挽き肉の味わい、それを彩るしめじとナスの食感。それは『うまい』という、ただ一つの大きな感情を胸に生む。
 ドライカレーのピタパンサンドを味わいながら、ビールを急いで口にする。
 するとビールの爽やかな苦味がカレーの旨味と出会い、パチパチと弾けながら喉を流れていく。

「うま……っ!」
「ちょっと辛めに作ったけど、お口に合ったみたいだね」
「最高! ビールにこの辛味が最高に合うっ!」
「ふふ、喜んでもらえてよかったなぁ」

 エルゥはおっとりと笑うと、自分もピタパンサンドを口にした。
 インキュバスの主食は『精気』だけれど、ふつうの食物からもある程度は栄養を摂取できるらしい。
 私は次に、ラタトゥイユ風スープを口にした。

「――っ!」

 トマトの爽やかで濃厚な風味。ちょうどよく煮込まれた野菜の食感。シンプルな……だけど絶妙にハーブで整えられたスープの味わい。

「……美味しい」
「よかったねぇ」

 ほぅ、と息を吐く私の口元をエルゥがハンカチで拭ってくれる。どうやらスープが垂れてたみたいだ。

「……本当に、ダメだな」
「なにが?」

 私のつぶやきを聞いたエルゥが首を傾げた。ゆるくウェーブがかかった金髪がふわりと揺れて、滑らかで白い頬にかかる。その様子はまるで一枚の絵画のようだ。

「エルゥがいるこの状況に、慣れつつあるのが」

 私はピタパンサンドにまたかぶりつく。
 本当に、悔しいくらいに美味しい。ビールが何杯でもいけそうだ。たぶん二杯目くらいでエルゥに止められるけど。

「慣れちゃまずいの?」

 自分用に淹れたアイス珈琲を口にしながら、エルゥがのんびりとした口調で言う。彼が茶色の液体が入ったグラスをテーブルに戻すと、中に入った氷がカラリと涼しげな音を立てた。

「多少食費は増えるかもしれないけれど。琴子は人間らしい食生活を手に入れられて幸せ、僕は健康になっていく子猫を観察できて幸せ。なんのやましいこともないWin-Winな関係でしょ?」
「やましくないかな? ……キスはするやんか。それに、あとから実は魂が必要でしたー! とか言うつもりやろ」
「そんなこと言わないってば。それは違う部署だし」

 ……魂を取る部署もあるのか。引っかかったら怖いから、あとで詳しく話を聞こう。

「キスもね。本格的なのはしてないでしょ?」

 そう言ってエルゥは紅い舌で自分の唇をちろりと舐める。
 その色香漂う様子に、ドキリと心臓が鳴った。
 エルゥのほわほわした雰囲気に飲まれて、時々忘れてしまいそうになるけれど。エルゥって女の子とえっちなことをして文字通りの食い物にする生き物なんだよな。
『僕とすると、気持ちいいよ?』と冗談混じりに言われたこともある。
 そんなセリフ、人間の男なら鼻で笑い飛ばすところけれど……エルゥは悪魔だ。
 それは本当に、気持ちがいいのだろう。

 ――意思の弱い人間なんて、あっという間に溺れて堕落してしまうくらいに。

「……舌を入れたら、噛み切る」
「うっわ、こわ。僕のなにが不満なのかなぁ。結構整った顔をしてると思うんだけど」

 拗ねたように言いながら、エルゥはスープをもぐもぐと食べる。その無害そうな様子を、私はこっそりと窺い見た。
 エルゥは私を『ガリガリの子猫』と思っているようだけれど。私は猫よりは多少……思考ができる人間なのだ。

 ……うっかり溺れてしまわないように。この悪魔とは一線を引いて過ごした方がいいだろう。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

好きになるには理由があります ~支社長室に神が舞い降りました~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 ある朝、クルーザーの中で目覚めた一宮深月(いちみや みつき)は、隣にイケメンだが、ちょっと苦手な支社長、飛鳥馬陽太(あすま ようた)が寝ていることに驚愕する。  大事な神事を控えていた巫女さん兼業OL 深月は思わず叫んでいた。 「神の怒りを買ってしまいます~っ」  みんなに深月の相手と認めてもらうため、神事で舞を舞うことになる陽太だったが――。  お神楽×オフィスラブ。

諦めて溺愛されてください~皇帝陛下の湯たんぽ係やってます~

七瀬京
キャラ文芸
庶民中の庶民、王宮の洗濯係のリリアは、ある日皇帝陛下の『湯たんぽ』係に任命される。 冷酷無比極まりないと評判の皇帝陛下と毎晩同衾するだけの簡単なお仕事だが、皇帝陛下は妙にリリアを気に入ってしまい……??

[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件

森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。 学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。 そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……

溺愛彼氏は消防士!?

すずなり。
恋愛
彼氏から突然言われた言葉。 「別れよう。」 その言葉はちゃんと受け取ったけど、飲み込むことができない私は友達を呼び出してやけ酒を飲んだ。 飲み過ぎた帰り、イケメン消防士さんに助けられて・・・新しい恋が始まっていく。 「男ならキスの先をは期待させないとな。」 「俺とこの先・・・してみない?」 「もっと・・・甘い声を聞かせて・・?」 私の身は持つの!? ※お話は全て想像の世界になります。現実世界と何ら関係はありません。 ※コメントや乾燥を受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

大正ロマン恋物語 ~将校様とサトリな私のお試し婚~

菱沼あゆ
キャラ文芸
華族の三条家の跡取り息子、三条行正と見合い結婚することになった咲子。 だが、軍人の行正は、整いすぎた美形な上に、あまりしゃべらない。 蝋人形みたいだ……と見合いの席で怯える咲子だったが。 実は、咲子には、人の心を読めるチカラがあって――。

処理中です...