上 下
58 / 71
番外編

月と獣の蜜月18

しおりを挟む
 いつも以上に甘いマクシミリアンに甘やかされながら帰途につき、邸の扉をくぐった瞬間。
 体に一気に疲れが押し寄せた。
 ……それもそうだ。寝込みそうになるくらい愛し合った後に、オペラに行ったのだもの。

「大丈夫ですか? ビアンカ」

 ふらつくわたくしの様子にいち早く気づいたマクシミリアンが、青い顔をして腰を抱き支えてくれる。そんな彼に微笑んでみせると、眉根を下げて申し訳なさそうな顔をされた。

「ちょっと疲れただけよ」
「ビアンカ!」

 マクシミリアンは悲壮な顔をすると、私を姫抱きにする。そして額同士をコツリと合わせて、小さくため息をついた。

「私のせいですね」
「……まぁ、そうなのだけれど」

 確実に、マクシミリアンのせいである。だからわたくしは彼の言葉を否定できなかった。

「……私の、せいですね」

 どす黒い靄を背負って落ち込むマクシミリアンを見て、わたくしは焦ってしまう。

「好きよ、旦那様。そんな風に落ち込まないで?」

 囁きながら軽い口づけを何度もすると、マクシミリアンの褐色の肌に淡い朱が走る。滑らかな感触の彼の頬を、何度も優しく撫でて仕上げのように頬ずりをすると、安堵するような吐息が漏れた。

「今日はお風呂に入って、ゆっくり寝ましょうね」

 わたくしの背中を子供にするようにトントンと叩くと、マクシミリアンは部屋へと向かう。こういう時は手を出す必要が一切ないと知っている出来たメイドたちは、頭を下げてただ静かにわたくしたちを見送った。

 色々なものを堪える表情のマクシミリアンに体を洗われ、薄い夜着を着せてもらう。寝台で抱きしめられてマクシミリアンの温かさを感じた瞬間、わたくしの意識はストンとスイッチを切るように一瞬で落ちた。

「おやすみなさい、私の大切なビアンカ」

 額に落ちる、すっかり馴染んでしまったマクシミリアンの唇の感触。
 意識が途切れる瞬間、それを感じたような気がしてわたくしは微笑んだ。

 目が覚めると、マクシミリアンがわたくしの髪を撫でていた。
 周囲はすっかり明るく、もしかしなくても朝を過ぎて昼になっているのかもしれない。

「……おはよう、マクシミリアン」
「おはようございます、ビアンカ」

 優しい、マクシミリアンの声。何度も触れるだけの口づけをされているうちに、ぼやけていた意識は次第にはっきりしていく。

「寝坊をしてしまったわ。ごめんなさい」
「気にしていません。食事を用意いたしますので、横になったままで待っていてください」

 マクシミリアンは優しく額に口づけをして、寝台を去っていく。
 いつもよりも一歩引いた彼の態度からは、昨日の出来事に関しての大きな反省が感じられるけれど。

 ……勝手かもしれないけれど、少し寂しいわね。

 わたくしは寝台にごろりと寝転びながら、そんなことを考えた。
 彼の体温は……すっかりわたくしの人生の一部になってしまった。
 マクシミリアンはいつでもわたくしを、求めて、求めて。どうしてそんなにも渇望しているのかと、心配になるくらいに求めてくる。
 それ自体は、結局嬉しいことなのだ。わたくしも彼が大好きなのだし。
 ……体力が尽きない程度ならもっと嬉しいのだけれど。

「お待たせしました、ビアンカ」

 マクシミリアンが朝食が載ったトレイを手にして戻ってくる。トレイの上ではクロワッサンとスープ、ポーチドエッグが湯気を立てていた。寝台から出ようとするとそっと止められ、口の中にちぎったクロワッサンを押し込まれた。

「ちゃんと長椅子に座るわ」
「疲れているのですから、このままで」

 結局はそのまま寝台の上でマクシミリアンに朝食を手ずから食べさせてもらい、流れるように浴室に連れていかれ。体を軽く湯で清められた後に、柔らかなタオルで丁寧に全身を拭われた。

「貴女の世話を焼いていると、幸せな気分になりますね」

 マクシミリアンはうっとりとした表情で普段遣いのドレスをわたくしに着せている。わたくしの世話を焼く時の彼は、本当に幸せそうだ。そんなマクシミリアンを見ていると『彼が楽しそうだし、いいか』なんて思ってしまうのだけれど。これに流されるとわたくしは、一人でなにもできなくなってしまうだろう。

 ……自分のことは、できるだけ自分で。

 幸せそうなマクシミリアンの顔を見つめながら、わたくしはこっそり心の中で誓った。

「ビアンカ。膝枕でお昼寝がしたいのでしたっけ? 薔薇の手入れを先にしますか?」

 昨日わたくしは言ったことを彼はちゃんと覚えているようで、そう提案をしてくる。

「今起きたばかりだし、お昼寝よりも薔薇の手入れがいいわ」
「おおせのままに、お嬢様」

 マクシミリアンはそう言うと、そっと手を差し出した。その手のひらにちょこんと指を乗せると、丁寧なエスコートで庭まで連れ出される。
 外は快晴で、太陽が眩しい。庭の緑が青空に映えて生き生きとしている。
 植物の世話はとても好きだ。最初は、わたくしが薔薇の世話をすることをマクシミリアンは嫌がっていた。だけどたくさん甘え、たくさんお願いをして、たくさん恥ずかしいこともして。無理やりのように許可をもぎ取ったのだ。
 そして今では子育て以外では唯一と言っていい、わたくしの仕事だ。
 マクシミリアンは本当に過保護だ、昔から。

 それこそ、わたくしが悪役令嬢だった頃から。

 思い返せばわかりやすいくらいに、彼はわたくしを危険から遠ざけ守っていた。あの頃はどうしてそれに気づかなかったのだろう。
 薔薇の棘で少しわたくしの手が傷ついたくらいで、自分が傷ついたかのような苦しそうな顔をするマクシミリアンなのに。

「棘で怪我をしないように気をつけてくださいね」
「大丈夫よ、マクシミリアン」
「虫がいるかもしれません。刺されないように……」
「少しくらい刺されても大丈夫よ」
「ああ、今日は日差しがきついですね。日傘を……」
「もう! 大丈夫よ、これくらい!」
「ビアンカ、水分補給を……」
「もう!!」

 ……大事にされているのはわかるのだけれど。
 旦那様は少し心配しすぎなのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

×一夜の過ち→◎毎晩大正解!

名乃坂
恋愛
一夜の過ちを犯した相手が不幸にもたまたまヤンデレストーカー男だったヒロインのお話です。

【R18】悪役令嬢は元お兄様に溺愛され甘い檻に閉じこめられる

夕日(夕日凪)
恋愛
※連載中の『悪役令嬢は南国で自給自足したい』のお兄様IFルートになります。 侯爵令嬢ビアンカ・シュラットは五歳の春。前世の記憶を思い出し、自分がとある乙女ゲームの悪役令嬢である事に気付いた。思い出したのは自分にべた甘な兄のお膝の上。ビアンカは躊躇なく兄に助けを求めた。そして月日は経ち。乙女ゲームは始まらず、兄に押し倒されているわけですが。実の兄じゃない?なんですかそれ!聞いてない!そんな義兄からの溺愛ストーリーです。 ※このお話単体で読めるようになっています。 ※ひたすら溺愛、基本的には甘口な内容です。

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

寵愛の檻

枳 雨那
恋愛
《R18作品のため、18歳未満の方の閲覧はご遠慮ください。》 ――監禁、ヤンデレ、性的支配……バッドエンドは回避できる?  胡蝶(こちょう)、朧(おぼろ)、千里(せんり)の3人は幼い頃から仲の良い3人組。胡蝶は昔から千里に想いを寄せ、大学生になった今、思い切って告白しようとしていた。  しかし、そのことを朧に相談した矢先、突然監禁され、性的支配までされてしまう。優しくシャイだった朧の豹変に、翻弄されながらも彼を理解しようとする胡蝶。だんだんほだされていくようになる。  一方、胡蝶と朧の様子がおかしいと気付いた千里は、胡蝶を救うために動き出す。 *表紙イラストはまっする(仮)様よりお借りしております。

年上彼氏に気持ちよくなってほしいって 伝えたら実は絶倫で連続イキで泣いてもやめてもらえない話

ぴんく
恋愛
いつもえっちの時はイきすぎてバテちゃうのが密かな悩み。年上彼氏に思い切って、気持ちよくなって欲しいと伝えたら、実は絶倫で 泣いてもやめてくれなくて、連続イキ、潮吹き、クリ責め、が止まらなかったお話です。 愛菜まな 初めての相手は悠貴くん。付き合って一年の間にたくさん気持ちいい事を教わり、敏感な身体になってしまった。いつもイきすぎてバテちゃうのが悩み。 悠貴ゆうき 愛菜の事がだいすきで、どろどろに甘やかしたいと思う反面、愛菜の恥ずかしい事とか、イきすぎて泣いちゃう姿を見たいと思っている。

お嬢様、お仕置の時間です。

moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。 両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。 私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。 私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。 両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。 新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。 私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。 海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。 しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。 海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。 しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。

【R18】幼馴染の男3人にノリで乳首当てゲームされて思わず感じてしまい、次々と告白されて予想外の展開に…【短縮版】

うすい
恋愛
【ストーリー】 幼馴染の男3人と久しぶりに飲みに集まったななか。自分だけ異性であることを意識しないくらい仲がよく、久しぶりに4人で集まれたことを嬉しく思っていた。 そんな中、幼馴染のうちの1人が乳首当てゲームにハマっていると言い出し、ななか以外の3人が実際にゲームをして盛り上がる。 3人のやり取りを微笑ましく眺めるななかだったが、自分も参加させられ、思わず感じてしまい―――。 さらにその後、幼馴染たちから次々と衝撃の事実を伝えられ、事態は思わぬ方向に発展していく。 【登場人物】 ・ななか 広告マーケターとして働く新社会人。純粋で素直だが流されやすい。大学時代に一度だけ彼氏がいたが、身体の相性が微妙で別れた。 ・かつや 不動産の営業マンとして働く新社会人。社交的な性格で男女問わず友達が多い。ななかと同じ大学出身。 ・よしひこ 飲食店経営者。クールで口数が少ない。頭も顔も要領もいいため学生時代はモテた。短期留学経験者。 ・しんじ 工場勤務の社会人。控えめな性格だがしっかり者。みんなよりも社会人歴が長い。最近同棲中の彼女と別れた。 【注意】 ※一度全作品を削除されてしまったため、本番シーンはカットしての投稿となります。 そのため読みにくい点や把握しにくい点が多いかと思いますがご了承ください。 フルバージョンはpixivやFantiaで配信させていただいております。 ※男数人で女を取り合うなど、くっさい乙女ゲーム感満載です。 ※フィクションとしてお楽しみいただきますようお願い申し上げます。

処理中です...