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番外編

月と獣の蜜月14

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「マクシミリアン! 奥方を見かけたからつい……その」

 ハムリー伯爵が目を白黒させながら、上ずった声を上げる。そんなに焦らなくてもとは思うのだけれど、マクシミリアン相手ですものね。不機嫌な時の彼の面倒さはよく知っているから、焦る気持ちはわかるわ。
 ベロニカ嬢はきょとんとした顔の後にマクシミリアンを見て、ぽっと頬を赤く染めた。こちらの気持ちもわかるわ。マクシミリアン相手ですものね。うちの旦那様は贔屓目なしに美形なのだ。

「偶然お会いしたから、ハムリー伯爵とベロニカ嬢にお話をしていただいていたのよ」

 マクシミリアンの元に歩み寄り腕にそっと手を置く。じっとその秀麗なお顔を見つめると、彼は口を少しへの字に曲げた。

「ビアンカ。ダスティンに、なにもされなかったですか?」

 そう言いながら旦那様はテーブルの上に軽食を並べていく。劇場の軽食はとても豪華で、見ているだけで華やいだ気持ちになる。ああ、ローストビーフにあれはオマール海老かしら……!
 彼はハムリー伯爵に測るような視線を投げた。旦那様は本当に過保護だ。わたくしが独身の素敵な男性になにかをされるなんてことは起きないわよ。人妻で二人の子持ちですもの。そんな心配をするには、とうが立ちすぎているわ。

「マクシミリアン、わたくしなにかをされるほどいいものじゃないわよ! 相変わらず過保護なんだから」

 おかしくなってコロコロと笑いながら彼に腕を絡ませると、とても不服そうなお顔をされてしまう。過大評価をされると恥ずかしいんだけどなぁ。

「改めて、同僚のマクシミリアン・セルバンデス子爵とその奥方だ。ベロニカ、ご挨拶をしなさい」

 ハムリー伯爵はこほんと小さく咳払いをすると妹君の背中をそっと押した。ベロニカ嬢はキラキラと瞳を輝かせながらわたくしとマクシミリアンの前に立ち、少し慣れない様子で可愛らしいカーテシーをした。

「ハムリー伯爵家の末娘、ベロニカ・ハムリーです! 今年十歳になります!」

 はきはきと自己紹介する様子が愛らしすぎて、わたくしは思わず頬を両手で押さえてしまう。子供は天使ね! ローラはやんちゃすぎて時々悪魔にも見えるけど!

「マクシミリアン・セルバンデスと申します。小さなレディ」

 マクシミリアンはベロニカ嬢の前に跪き、小さな手を片手で取ると優しく微笑みながらその甲に口づけた。

「ああ……!」

 ベロニカ嬢は小さく声を上げるとマクシミリアンを見つめたまま、真っ赤になって固まってしまう。十歳の少女に旦那様の色気は刺激的すぎると思うわ!

「ビアンカと申しますわ、ベロニカ嬢」

 そんなベロニカ嬢の肩にそっと手を置いてわたくしも微笑みながらご挨拶をした。すると彼女の顔はさらに真っ赤になる。そしてハムリー伯爵に慌てて駆け寄ると、その後ろに隠れてしまった。

「ちょ、ちょっとお兄様! こんな美形なご夫婦のお知り合いがいるなんて聞いてないんだけど!」
「……ベロニカに言う必要なんてないだろうが」
「なに言ってるのよ! 心構えが大事でしょう! バカ! お兄様のバカ!」
「兄にバカとはなんだ! このバカ妹!」

 ベロニカ嬢はハムリー伯爵の背後に隠れたまま言い争いを始めた。いいなぁ、ご兄妹仲がよくて。わたくしとお兄様も仲がいいけれど、わたくしが一方的に甘やかされるような関係なので、こんな微笑ましい兄妹ケンカをしたことはないのだ。前世でも一人っ子だったしなぁ。
 マクシミリアンにも兄弟がいるのだけれど、その仲がどうだという話をわたくしは詳しくは知らない。正確に言うと訊いたのだけど、とても悲しそうな顔をされてしまって……それ以上訊くことができなかった。マクシミリアンに家族の話を訊くといつもそうだ。
 わたくしも彼に前世の話をしていないし、夫婦でも踏み込んではいけない領域というのはきっとあるのだ。けれど……マクシミリアンがいつか、自然に話してもいいと思う時がきたら。それはとても嬉しいことだと思う。
 そんな気持ちを込めて彼の手を握ると、見ているこちらが思わずうっとりとするような笑みを浮かべられた。……だだし、目は笑っていない。ハムリー伯爵とお話したのを怒ってるわね、これは。

「ビアンカ、お腹が空いたでしょう? ダスティン、私とビアンカは今から軽食を取るので」
「ああ、そうか! 邪魔をしてすまなかったな」

 マクシミリアンの言葉にハムリー伯爵はハッとした顔をし、兄妹ケンカを止める。ああ、このままではお二人が立ち去ってしまうわ!

「ベロニカ嬢、今度我が家に遊びに来ませんこと? 年が近い娘がいるのでよければお友達になって欲しいのだけど……」

 慌ててそう声をかけると彼女はハムリー伯爵の背後からちょこりと顔を出した。

「い、いいんですか? 遊びに行っても……!」

 ベロニカ嬢はもじもじしつつもなんだか嬉しそうだ。その表情を見てわたくしはほっとした気持ちになる。

「ええ、いらして! いいでしょう? マクシミリアン」
「そうですね、ローラも喜ぶと思いますし。ぜひいらしてください」

 よそ行きの笑顔を浮かべるマクシミリアンを見て、ベロニカ嬢の頬はまたぽわりと赤く染まる。彼女はちょこちょことこちらに歩みよると、ぎゅっとわたくしの手を握りしめた。

「必ず行きます! 本当に誘ってくださいね!」
「帰ったら招待状を送るわね。食べられないものはあるかしら?」
「私、なんでも食べます! 絶対に!」

 ベロニカ嬢は愛らしい表情でにっこりと笑った。

「こら、ベロニカ! はしたない……!」

 名残惜しそうなベロニカ嬢を引きずるようにして、会釈をしながらハムリー伯爵は去って行く。そんな彼らに軽く手を振ってわたくしはまた長椅子に座った。

「ふふ。ローラと仲良くしてくれるといいなぁ」

 そう言いながら軽食に手を伸ばそうとすると、そっとマクシミリアンに止められる。そしてひょいと抱えられ横抱きで膝の上に乗せられた。

「マクシミリアン?」
「勝手にダスティンとお話なんかして、悪い子ですね」

 彼はそう言いながら腰に手を回しぎゅっと抱きしめてくる。そしてはむり、と頬を齧られた。も、もう! こんなところでなにをするの!

「だって貴方のご同僚よ!? 知らんぷりなんてできないでしょう!」
「……仕方ないのはわかっているのですけど」
「ローラのお友達もできそうだし、ね?」
「……そうですね」

 子供のように口を尖らせる彼がおかしくて思わず吹き出すと、じとりとした目で見つめられる。……旦那様は、可愛いなぁ。

「マクシミリアン。貴方にご飯を食べさせて欲しいわ」

 こてん、とマクシミリアンの胸に頭を預けながら甘えるように言うと、彼はまだ少しむくれながらも軽食のお皿を手に取った。
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