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獅子の麗人は可愛いものがお好き

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 ここは『獣人』と呼ばれる体に獣の特徴を持つ者たちが住まう国、エッケルト王国。
 王国は大陸の最南端に位置し、北には運河、南には大海原を擁する『水』の恵みとともにある国家だ。
 信仰する神は『水の女神クラーラ』。女神は一年に一度現世に顕現し、人々の日々の労をねぎらう。その日は『クラーラの祝祭』と呼ばれ、国中で祝砲が上げられる中、男女が昼夜問わずに踊る恋の祭りとなる。
 エッケルト王国の獣人たちは『のんびりとした田舎者』だと他国の者からは評されている。
 その評価も『平時に限れば』あながち間違ってはいない。しかし獣人は他の種族よりも屈強である。そして戦時になると、勇猛果敢な戦士に豹変するのだ。
『田舎者だ』と甘く見た外敵が侵入した際には、国境の守りを任されている四大侯爵家がそれを容赦なく排除する。

 その四大侯爵家の一つが、我が『ブリーゲル侯爵家』だ。

 ブリーゲル侯爵家は獅子の獣人の家系で、その血に一滴たりとも他の種族の血が混じっていないことを誇りとしている。
 私の金色の髪と瞳も、女であるのにも関わらず男の武人とも渡り合えるほどの堂々とした体躯も。その純血の賜物なのだ。

「お嬢様、エーファお嬢様」

 屋敷の廊下を歩いていると、愛らしい声と小さな足音が後ろから聞こえた。
 くるりと振り返ると、私の胸までしかない小さな体がぶつかってくる。そして衝撃に耐えられずに、尻もちをついた。
 ぶつかってきた人物……フットマンのアウレールは、大きな耳をぺたんと下げて床にへたり込んでいる。
 アウレールは鼠族の伯爵家の出自で、領地での仕事にあぶれて三年前に我が家にやって来た。
 ……兄弟姉妹が二十人もいれば、たしかに領地での仕事にはあぶれるだろうな。多胎妊娠が多い獣人の中でも、鼠族は飛び抜けて子沢山だ。アウレールも、自分が何男なのだかわからないらしい。

「大丈夫か、アウレール。お前はいつも焦りすぎなんだ。それに私は『お嬢様』ではない。侯爵になったのだから『ご主人様』か『エーファ様』と呼びなさい」

 アウレールは痛そうにお尻を擦りながら立ち上ろうとする。それに手を貸すと、少し照れた表情で彼は私の手を取った。
 立ち上がったはずみで灰色の髪がさらりと揺れ、大きな黒い瞳がこちらを見つめる。
 アウレールは今年で十八歳になるはずだが、見た目は十代前半の少年にしか見えない。

 ……そう。
 彼はどこからどう見ても幼い……とびきりの美少年なのである。

 鼠族や兎族は、年齢よりも幼く見える者が多い。アウレールも例に漏れずにそうだ。
 握ったままの彼の手は嫋やかで美しく、それが羨ましいとも思ってしまう。私の手は剣だこまみれでゴツゴツとし、男のものと比較しても遜色ないくらいに大きなものだから。
 獅子族として、そして武人としは誇れるこの体躯が、『女性』という観点で見た場合大きな違和感をもって周囲に映ることを私は知っている。
 少女の時はそれを恥じてばかりだったが……
『行き遅れ』と言われる二十を過ぎた頃には開き直りを覚え、半年前に父が亡くなり『女侯爵』となった今では気持ちに大きな重い蓋をすることにも慣れてしまった。
 ちなみに私は今年で二十八歳だ。若い頃はぽつぽつとあった縁談も、断ったり断られたりしているうちにすっかりご無沙汰である。
 世継ぎに関しては三十まで婿が見つからなければ、従兄に種だけもらうことになっている。互いに気が進まない話だが、こればかりは仕方ないな。

 ――その三十歳が着々と近づいているので、日々気が重いことこの上ない。

 小さく息を吐くと、男のように肩口までの長さにしている髪が揺れた。
 いつの頃からかは覚えていないが、私は常に男装をしている。ドレスは似合わないし、男装の方が動きを制限されない。
 ……男装姿が様になるのか『金色の獅子様』などと一部の女性から黄色い声を上げられるようになったのは、少々予想外だったな。

「失礼しました、エーファ様」

 アウレールは私の手を離してにこりと笑うと、ぺこんと小さく頭を下げた。すると短い被毛を纏った薄くて大きな耳が、ふわりふわりと優しく揺れる。

 可愛い……なんて可愛いんだ。

 ふつふつと湧き出るそんな思考を、胸の奥に押し込める。

 ダメだ! 気を引き締めねば。

 こほんと咳払いをしてから、用件を聞こうと下にあるアウレールの顔を見つめる。すると彼は大きな瞳をまん丸にしながら、きょとりと首を傾げた。

 ――だから、可愛いすぎるだろう!

 私は……アウレールの見目が好きだ。
 華奢な体躯、大きく愛らしい瞳、珊瑚のような色の唇、可憐なその顔立ち。
 ……私が少女の頃に憧れ、そして諦めたものをすべて兼ね備えている、その見目が大好きでたまらない。
 アウレールは性格もいい。人懐こく気遣いができる者が多い鼠族の男らしく、彼も優しくおおらかな性格なのだ。
 獅子族の男たちは高慢で居丈高で大雑把な輩が多く、私はそれが好きではない。
 ……アウレールのような、穏やかな男の方が好きだ。

「私に、用だったのだろう?」
「はい、王家から舞踏会のお誘いが届いておりまして。それで、その。今回はパートナーを連れての参加が必須だと……」

 そう言って彼は気遣うような上目遣いでこちらを見つめる。
 なんだ、その愛らしい顔は。この男は私に頭から食べられたいのか?
 ……それにしても面倒だな。
『行かぬ』とはねつけたいところだが、王家相手ではそうもいかない。
 今まで同行を頼んでいた父は亡くなったし、仲が良いとは言えない親戚連中に頼むのも嫌だ。パートナーはどうしたものか……

「参加する、と返事を返しておけ。パートナーに関しては、追々考え……いや」

 その時、天啓が降りてきた。
 アウレールを連れて行けばいいじゃないか。
 正装してさらに可愛らしくなった彼を隣に侍らせるのは、きっと楽しい。

「アウレール。お前が私のパートナーだ」

 そう言って笑ってみせると、アウレールの大きな瞳はさらに大きく見開かれた。

「お嬢様、その」
「お嬢様?」
「エーファ様。身分が違いますので……」

 アウレールはそう言って、手を開いたり閉じたりとオロオロとした仕草を見せる。

「お前は伯爵家の出ではないか。身分的には問題あるまい」
「うう……ですが」
「それとも、私のパートナーというのが嫌か?」

 その言葉を口にした瞬間。
 胸の奥が覚えのある痛みを訴えた。
 意中の男に舞踏会への同伴を断られたあの時の。見合いの後に、手酷い断りの手紙をもらったあの時の。私をひと目見て、顔を顰めた男を見たあの時の。ドレスが似合わない私を嗤う令息令嬢たちの声を聞いたあの時の。
 ……『女』を捨てる前の私が常に感じていた、軋むような胸の痛みだ。
 そうだ。アウレールだってこんな男のような女と連れ立って歩くのは嫌だろう。
 しかも私は彼より十も上の年増だ。
 彼に恥をかかせることになるのに、配慮が足りなすぎた。

 ……なんて馬鹿げたことを言ってしまったんだ。

 私は大きく息を吐いた。するとアウレールがびくりと身を震わせる。

「馬鹿なことを言ってすまない。他の者に頼もう」

 そう言って身を翻すと、縋るような視線を背中に感じる。
 ……愛らしい従僕にいらぬ気を使わせてしまったと、私は自己嫌悪混じりのため息をまた吐いた。
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