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閑話29・執事と令嬢のショコラの日(マクシミリアン視点)

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「マクシミリアン・セルバンデス、いい知らせと悪い知らせがある。どちらから聞きたい?」

 ジョアンナがお嬢様の寮の部屋を掃除している私になんだか腹が立つ口調で訊ねてきた。その脳天に拳でもお見舞いしてやろうかと思ったがジョアンナの顔が以外に真剣だったことと、『知らせ』とやらが気になったので私はそれを堪えた。
 私は絨毯の掃除に使っていたブラシをひとまず掃除用具入れにしまい、腕組みをしてジョアンナと向き合った。

「では、いい知らせから」
「……わかったわ」

 ジョアンナは芝居がかった仕草で大げさに前髪をかき上げる。なんだかいちいち腹が立つな。ジョアンナに腹が立つのはいつものことなのだが。

「いい知らせ……それは。お嬢様は、貴方を愛しているわ」
「そんなことはとっくに知っている。それがいい知らせか? とりあえず、一発殴るぞ」

 コイツに真面目に取り合おうとした私が悪かった。拳を固め向き合うとジョアンナは焦ったような顔をして後退りした。

「殴るの!? この暴力男! 殴らないで待ちなさい、悪い知らせを聞かなかったら後悔するわよ!! 本当に!!」
「言ってみろ。くだらないことだったら今度こそ遠慮なく殴るからな」

 私はこれでも忙しいのだ。お嬢様のお部屋の掃除が済んだらミルカ王女に頼まれているパラディスコ王国で近頃活発な反社会組織を『犬』で排除する『仕事』もせねばならない。便利屋扱いされているなとは思うが、これが条件で侯爵位を頂いているのだから贅沢は言えない。

「まったく、お嬢様はどうしてこれを好きなんだか……」
「早く」
「はいっ!!!」

 私が凄むとジョアンナはピンッと背筋を伸ばしよい返事をした。いつも返事だけはいいな。

「……貴方を愛しているお嬢様は、今年もショコラを作るらしいわ」
「くそっ……。今年もそんな時期か!」

 ジョアンナの言葉に私は舌打ちをした。
 お嬢様はなぜか毎年二の月の十四日にショコラを作る。しかしお嬢様は……その、料理があまりお上手ではない。普通の食事に関してはまだマシ……いや……味がしなかったりしょっぱすぎたりするだけで、きちんと食べられるのだが。
 ……菓子に関しては、壊滅的である。

「確かにそれは……悪い知らせだな」
「もう一つ悪い知らせがあるの。例年は板チョコレートを溶かして固めるだけだったから、決定的な悲劇を防げたわ。けれど今年のお嬢様は……カカオ豆を買ったの」
「豆から……だと……」

 ジョアンナの言葉に私は頭を殴られたようなショックを受けた。
 それは……下手をすれば死傷者が出るんじゃないだろうか。板チョコレートを溶かして固めるだけでもお嬢様は不定形の謎の生き物のようなショコラを生み出してしまうのだ。
 豆からだなんて……どんな悲劇が起こるかわからない。
 例年通りだとお嬢様はお世話になった人全員にショコラを配る。
 フィリップ王子への贈り物としてお嬢様が送ったショコラが暗殺者からものだと間違えられたり、ノエル様が二日間トイレから出られなくなったり、ジョアンナのその日の記憶が消し飛んだり……その、お嬢様のショコラが原因で毎年悲劇や騒動が起きるのだが。
 お嬢様は自分が料理が不得手だと自覚しているので『苦手だけど一生懸命作ったの。美味しくなかったら捨ててもいいわ』と少し寂しそうな顔をして差し出してくる。そんなものを誰も捨てられるはずもなく、毎年甚大な被害が出てしまうのだ。

「今年は、私一人でお嬢様のショコラを受け止める。愛しているから他の方には贈り物をして欲しくないと言えば、お嬢様は他の方までは送らないだろうしな……」
「マックス、正気なの……!?」

 ジョアンナから珍しく本気で心配する声が上がる。私も珍しく心底の慈愛がこもった眼差しでジョアンナを見つめた。
 ……ジョアンナとはお嬢様のショコラに関しては長年の戦友同士だ。心と心でなにかを理解した私たちは、どちらともなく互いに頷き合った。

「マックス……頼んだわ」

 ジョアンナから差し出された手を、私はしっかりと握った。
 被害を最小限で食い止めたい……その気持ちも勿論強いが。お嬢様から生み出されるものは全て私が受け止めたいという想いもある。愛をこの体で証明してやろうじゃないか。

「闇魔法の術者は毒への耐性も強いからな。他の方に渡るよりも被害は少なく済むかと」
「だから毎年マックスの被害は少なかったんですねぇ。私なんて記憶が飛んだり、熱が出たりしたのに……」
「……なぜかアルフォンス様はお嬢様のショコラを食べても毎年平気だったけどな」
「あの方はどこか人間離れしてるから……」

 お嬢様の兄であるアルフォンス様は彼女のショコラを食べてもなぜかいつも平気な顔をしている。しかも笑顔で『美味しいよ、ありがとうビアンカ』と微笑むのだ。
 ……だから毎年負けた気がしてしまうんだよな。

「とりあえず、ストラタス商会の総力を挙げて国一番の胃薬は確保しておくから」
「ああ、助かる。……では、お嬢様をお迎えに行ってくる」

 ジョアンナに軽く手を振り、お嬢様を教室まで迎えに向かう。
 教室に着くと彼女は顔を明るく輝かせこちらへと駆け寄ってきた。……いつ見てもお嬢様は可愛いな。

「お嬢様、放課後デートをしませんか?」
「したいわ、マクシミリアン!」

 手を差し出すと彼女は嬉しそうにそれを取ってくれる。小さな手をしっかりと握り、お嬢様のご学友たちに軽くご挨拶をしてから私は彼女と歩き出した。
 校門を抜け、街へと向かう。お嬢様がお好きなカフェに今日は行くとしようか。そこでショコラの話をしよう。

「マクシミリアン、デートだなんて嬉しい……。どうしたの? 私なにかいいことでもしたかしら」

 彼女が白い頬を赤く染めて嬉しそうに笑う。その愛らしさに堪えられずそっと頬に口づけると、お嬢様は驚いたように湖面の色の瞳を開いてこちらを見つめた。

「もう、往来なのに!」
「本当は唇にしたいのを我慢したのです。褒めてください、お嬢様」
「もう!」

 怒ったように言うお嬢様もとても愛らしいな。……この方が本当に好きだ。唇にもキスをしたい。

「お嬢様……」
「外ではダメよ、マクシミリアン」

 顔を近づけようとしたのだが、機先を制されてしまった。
 少し拗ねた顔でお嬢様を見ると楽しそうに笑われそっと腕を絡められる。

「好きよ、マクシミリアン。……寮のお部屋でなら、その……キ……キスしてもいいから」

 彼女は照れたように言いながら私の腕に頬をすり寄せた。可愛すぎやしませんか、お嬢様。

「では帰ったら沢山させてくださいね」

 そう言って笑ってみせるとお嬢様の顔は真っ赤になってしまった。
 早くお嬢様と結婚をしてパラディスコでのんびりと暮らしたい。のびのびと畑を耕す彼女を手伝いながら、海に行ったり、二人で街に出たり……そんな生活を想像すると頬がゆるんでしまう。

 目的のカフェに辿り着きお嬢様と席に着く。二人分の注文を済ませお嬢様と向かい合って座り……私は話を切り出した。

「お嬢様、今年のショコラの日のことですが」
「ふふ。マクシミリアン、今年は秘策があるの! わたくしのチョコ……毎年その、少し美味しくないじゃない」

 そう言いながらお嬢様は落ち込んだ表情をする。あれを『少し』と表現するお嬢様にも毒耐性があるのかもしれないな……。

「秘策、でございますか?」

 カカオ豆のことだなと思いつつも私は素知らぬフリをする。

「なにをするかは内緒よ? でも昨年よりもきっと美味しくなると思うわ!」

 お嬢様は目を輝かせながら胸の前で握り拳を作った。その様子はとてもお可愛らしい。……毎年二の月の十四日は『黒い悪魔の日』とシュラット侯爵家では言われていることは、お嬢様には一生内緒にしておこう。

「ユウ君も手伝ってくれるから、今年のチョコは絶対美味しいわ!」

 そう言ってお嬢様はにっこりと笑った。
 ――サイトーサン伯爵が手伝う……?
 私の心にめらりと嫉妬の炎が宿る。お嬢様の操縦が上手な彼が手伝うなら、今年は本当に美味しいものができるのだろう。しかし、あの方とお嬢様を二人きりで厨房に立たせるのは……!
 彼は私にとってはお嬢様のお心を奪いかねない危険人物だ。

「私も……お手伝いします」
「でもユウ君が……」
「お手伝いします!」
「秘策がバレ……」
「お手伝いします!!!」

 お嬢様は私の気迫に押し切られたように……呆然とした顔で頷いた。

 そしてショコラの日の前日。お嬢様と放課後なので誰も使っていない食堂の厨房へと行くと。

「やぁ! マクシミリアンさん、待ってたよ。じゃあ、これをすり潰すのをお願いね。焙煎と皮剥きはもうしてあるから」

 ――すり鉢いっぱいに入ったカカオ豆をサイトーサン伯爵に渡された。
 彼は私が来ることを予見していたらしい。してやられたなとじっと彼の方を見ると、綺麗な所作で微笑みながらウインクされた。

「……わかりました」

 ため息をついてすり鉢いっぱいのカカオ豆をすりこ木で潰しにかかる。

「わ……わたくしはなにをすれば!」
「ビーちゃんは、味見係だからもう少し待っててね~」
「そうですね、お嬢様は味見係です」

 手伝いをしたそうにうろうろとしているお嬢様に私とサイトーサン伯爵は早めの釘を刺す。お嬢様は納得いかない様子で頬を膨らませていたが……。
 今年のショコラの日は、平和に過ごせそうで私は内心ほっとしていた。サイトーサン伯爵様様である。
 厨房に漂う甘い匂いに釣られてノエル様とゾフィー様が来てしまい、味見と称してかなりの量を食べられてしまうトラブルもあったが本年度のショコラ作りは概ね平和に終わった。

 そしてショコラの日当日。

「……納得いかないわ」
「とても美味しいですよ、お嬢様」

 私は長椅子の上でお嬢様を抱きかかえ美味しいショコラと紅茶を嗜みながら午後を過ごしていた。今年はいいショコラの日だな。

「でもそれ、ユウ君とマクシミリアンが作っ……んっ!!」

 なにか言おうとするお嬢様の唇を私は急いで塞いだ。

「……今日はずっと甘い味のキスになりますね、お嬢様」
「も……もう!!」

 頬を膨らませるお嬢様の唇をもう一度塞ぐと、諦めたように彼女は体の力を抜いた。

 余談ではあるが。
 ――くれてやるのはもったいないと思ったが、ジョアンナにもちゃんとショコラは渡した。
 長年一緒に戦ってきた仲間だからな。
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