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二人の約束(ノエル視点)

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 胸に大きな衝撃が走り、ぐらりと視界が揺らぐ。手からは細剣が離れ遠くへと飛んでいった。そして……俺の体は地面に倒れ伏していた。
 喉元にひたりとアイン様の剣の切っ先が向けられる。

「そこまで!!」

 教師の声が響いて。俺は、自分の敗北を悟った。
 ああ……負けちゃったんだなぁ。大の字に転がったまま青い空を見ながらしみじみと思う。ゾフィーと……婚約したかったな。
 アイン様は剣を鞘に収めると俺の手を引いて立ち上がらせてくれた。

「ダウストリア、やはりお前は強いな。怪我を負っていなければ負けていたのは俺だった」

 彼は爽やかな笑顔を浮かべながら言う。心からの賛辞なのだろうとその曇りのない笑顔からは感じられた。

「アイン様、おめでとうございます。さすが騎士の拝命を受けているお方。怪我をしていなくてもきっと俺は負けていました」

 俺もお世辞じゃなくてそう思っている。彼は、とても強かった。
 右足に痛みが走り目を向けるとトラウザーズが真っ赤に染まっていて……ああ、傷が開いていたのかと今さら気づく。道理で試合中痛かったわけだよ。
 客席の方に目をやるとゾフィーが食い入るようにこちらを見ていた。
 泣き虫な彼女はきっとこの様子を見て泣いてしまっただろうな。
 泣かせたくなんてないのに。ごめんね、ゾフィー。勝利も捧げられなかったし、俺はダメな男だな。

「ダウストリア、急いで医務室へ行け」

 教師が心配そうに右足を見ながら俺に促す。俺はそれに頷いて会場の歓声から背を向けるようにして医務室へと向かった。
 医務室へ着くと間が悪かったのか勤務医の姿が無い。まぁ、包帯を巻きなおすくらいなら自分でできるんだけどね。ダウストリア家の訓練で生傷が絶えない生活だったから。
 ぺりぺりと血で貼り付いた包帯を剥がすとフィリップ様に塞いでもらった傷の表面はすっかり開いていて、血が脹脛をドロリと伝った。
 俺は椅子に座って消毒液を浸した布で丁寧に傷を拭うと、もう一度包帯を巻きなおす。

「……ああ、負けたんだな」

 包帯を巻き終わり深呼吸をした時、自然とそんな呟きが吐息と共に漏れた。
 ……悔しい。俺がもっと強かったら。怪我なんて言い訳だ。俺が弱かったんだ。
 頬がいつの間にか濡れていて。俺の目からは涙が溢れて止まらなくなっていた。
 その時パタパタという足音が聞こえ、少し乱暴に医務室の扉が開いた。

「ノエル様……!!」

 荒い息を吐きながら医務室に入ってきたのはゾフィーだった。
 ゾフィーは俺の顔を見て一瞬驚いた顔をする。そしてツカツカと俺に歩み寄ると……。
 ぎゅっと優しく、俺を抱きしめた。
 椅子に座ってるせいでゾフィーの柔らかな胸に俺の顔が埋もれてしまっているのだけど……いいのかな。いいことにしておこう。
 いい匂いがするなぁ。安心する、ゾフィーの匂いだ。

「ノエル様、無理はしないでって。約束しましたのにっ……」

 泣いている俺を抱きしめながら、ゾフィーも泣いている。

「傷が開いたことに気づいてなくてさ。……ほんとだよ?」

 俺がそう言うとゾフィーは身を離して怒ったような顔でこちらを見る。その透明感のある紫色の瞳からは涙が溢れっ放しだ。ゾフィーの涙は宝石みたいに綺麗だな、なんて俺は場違いなことを思ってしまった。

「ごめんね、ゾフィー。勝利を君に捧げられなくて」
「そんなこと、いいんです。ノエル様が、無事ならいいんですわ」

 そう言いながらゾフィーはまたぎゅうぎゅうと俺を抱きしめる。幸せだけど双丘に埋もれて窒息死しそうだ。

「でもやっぱり、悔しいや。俺、勝ちたかった……っ」

 涙が止まらない。情けない、ゾフィーの前なのに。
 勝ちたかった。
 ゾフィーに勝利を捧げたかった。ビアンカ嬢にあの頃の子供が一人前になったのだと、知って笑って欲しかった。フィリップ様の騎士に相応しいのだと証明したかった。俺自身のためにも勝ちたかった。笑顔で、あのアリーナを去りたかった。
 俺は彼女の小さな背中に手を回すと静かに泣いた。ゾフィーはそんな俺の頭を優しく、柔らかな手で撫で続けてくれた。

「……ノエル様、私。ノエル様と婚約したいです」

 俺が泣き止んだ頃にゾフィーが小さな声でそう呟いた。

「ゾフィー、気を遣ってくれているの?」

 可愛いゾフィーに変な気を回させてしまったなと、申し訳ない気持ちになってしまう。

「違いますわ! こんな無茶をする人、一番近くで見ていないと心配なのです!! だから私、婚約してくれないと許しませんのよ!」

 ゾフィーは俺の顔を柔らかな手で挟んで可愛い顔を真っ赤にしながら必死に言う。

「優勝は来年で構いませんから! 来年は優勝してくださるのでしょう?」
「……本当に、それでいいの?」

 首を傾げて見つめると何度も彼女は頷く。
 本当に? 俺はゾフィーと婚約してもいいの?

「嬉しいけど。俺、かっこ悪いなぁ……」

 ぎゅっとゾフィーを抱きしめてため息をつくと、彼女は俺の頭をまた撫でた。これ、癖になりそうだなぁ。

「ノエル様がかっこ悪かったことなんて、今まで一度もありません。今回もお怪我をしたのにご立派でしたわ。私の騎士様はこんなに素敵なんだって、誇らしかったです。私の中では断トツの優勝ですのよ」
「ふふ、ゾフィーの中では優勝なんだ」
「そうですわ、ノエル様が優勝ですの!」

 クスクスと俺が笑うと、ゾフィーも安心したように笑う。

「……ゾフィー、俺と婚約して? 来年は必ず勝利を捧げるから」
「もちろんですわ、ノエル様。一番近くで……貴方が無茶をしないように、見張らせてくださいませ」

 顔を見合わせて、二人で笑って。どちらともなく俺たちはキスをした。
 ゾフィー待っててね。来年は絶対に……君に勝利を捧げるから。
 大好きだよ、ゾフィー。
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