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我儘令嬢は推しに優しくしたい・前

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 ブラックアウトした意識は、案外早く戻ってきたらしい。

 気がつくと推し……いや、マクシミリアンがベッドに横たえたわたくしの顔の血を、柔らかい布でごしごしと拭き取っていた。
 高級でさらりとした布地の白い寝間着はすっかり血塗れだ。

「わたくし……どのくらい気絶していたの?」
「泉に落ちてから丸1日、先ほど倒れてからはすぐ意識を取り戻されました。旦那様にも早馬でお嬢様が目を覚まされた事をお伝えしないといけませんね」

 マクシミリアンはそう言うと廊下に控えていたメイドに早馬の事を頼み、わたくしのベッド側へと戻ってくる。

(すごい……推しだ……推しが目の前に居る……)

 前世の年齢18歳+6歳(あと1か月で7歳!)の合計年齢24歳が12歳にデレデレしていいものかと、そんな気持ちは胸の奥底に押し込める。尊いものは仕方ない。
 彼を見つめているとマクシミリアンに関する、霞がかっていた記憶がどんどん鮮明になっていく。
 まだ残りの攻略対象2人の事は思い出せないけど……。

 涼やかな切れ長の黒い瞳。
 肩口に届かない程度に切り揃えた艶のある黒髪。
 肌の色は褐色に近く顔の彫りは深い。
 幼さ故にゲームのスチルよりも丸みを帯びた頬。
 こちらを見る眼差しに思わず胸が高鳴る。

 ゲーム内での彼は『悪役令嬢に幼い頃から虐げられたトラウマで性格が歪んでしまった』無表情なクールキャラだ。
 悪役令嬢の隣に常に影のように寄り添いつつも、心の中はいつも煮えたぎり復讐の機会を待っている。
 ……そんな事を思い出して罪悪感で死にそうになった。

「申し訳ありません。私がもっと注意しているべきでした」

 マクシミリアンが辛そうに表情を歪めて謝った。
 目の前で主人が泉に落ちたのだ。こんな表情をさせる程、焦らせてしまったんだろう。
 今はまだ幼いせいかゲームよりも表情が豊かな彼だけど、あと数年もするとゲームのように表情筋が滅多な事では動かない青年になるんだろうか……そんな事をふと思った。

「どのようなお叱りでも受けますので」

 今なんでもするって……いや、そうじゃない。
 お叱りなんてしてはいけない。

 マクシミリアンが屋敷に来てからまだ半年しか経っていない。
 我儘放題してしまった半年分のハンデはあるけど今からでも誠心誠意真心を込めて接したら、まだ取り返しが付くだろう……そう信じたい。
 推しのトラウマになんてなってたまるか。

 わたくしはマクシミリアンルートでのビアンカの末路を思い出そうとした。

(マクシミリアンのルートでは……)

 ヒロインに自分の執事を取られそうになり怒り狂うビアンカ。
 その嫉妬はマクシミリアンの肉体を傷付け(上半身裸にして鞭打ちとかするんだよね……どんな令嬢なのよ。でも彼が裸で血を流すスチルはエロか……いや、なんでもないです)、更にヒロインへと怒りの矛先は向かう。
 金に物を言わせ学内の不良生徒にヒロインを襲わせようとするビアンカ。
 そこに颯爽と助けに来るマクシミリアンのスチルが本当に素敵で……ああ、脱線しちゃう。
 この事をヒロインとマクシミリアンが証拠と共に告発し、殺人未遂の罪でビアンカは国外追放……になるんだけど。

(確か……)

 嫌な汗がつうっと背筋を流れる。

(国外追放と見せかけて途中で馬車を降ろされて……。今までの恨みとばかりに彼にボコボコにされた上で娼館に送られる……んじゃなかったっけ……)

 このルートもわたくし一応生きてるって事でいいのよね……?
 悪役令嬢のその後の事は語られないが、娼館に入ってすぐ死んだりとかしてそうで怖い。
 積極的に避けたいルートだ。
 それに前世で18歳処女で人生を終えたわたくしには娼館送りはハードすぎる。
 貞操観念が厳しい今世でもエンディングまで確実に処女だろうし。
 推しにボコボコにされるのもご遠慮願いたい……考えるだけで悲しくなってしまう。

「うう……」

 涙目のわたくしを見て一瞬驚いた顔を見せたマクシミリアンが心配するように背中をさすってきた。
 推しの手のひらの感触に内心喜びで打ち震えてしまう。
 例え未来にわたくしをボコボコにするかもしれないその手でも嬉しいものは嬉しいのだ。
 だって前世では画面の中だったもの。
 触れる触れない以前の問題だった。

「マクシミリアンが泉から引き上げてくれたの?」
「はい」

 意識して、優しく、優しく、声音を紡ぐ。
 マクシミリアンと仲良くなって絶対、トラウマなんて作らせない。
 推しも幸せ! ボコボコ娼館ルートの回避にも繋がる!

 今日はその為の大事な第一歩よ。

「ありがとう、マクシミリアン」

 つり目の悪役顔が緩和するように、優しく見えるように、精一杯穏やかに微笑んでみせる。
 いつも渋面ばかりで使い慣れない表情筋を使うせいか少し顔が引き攣っている気がする……。
 ゲーム開始の頃には社交用の張り付いたようなアルカイックスマイルだし(立ち絵の種類が少ないだけかも)、自然に微笑む事にこの顔はあまり慣れていないのかもしれない。

 微笑まれたマクシミリアンは……真顔で固まった。

「お嬢様がお礼を……!? しかも笑顔で!!? 熱が出たのですか!?」

 彼らしくない荒げた声。
 マクシミリアンの美麗な顔がどんどん近づいて来る。
 これは……おデコとおデコをくっ付けて熱を測られるヤツ!?
 わー推しと大接近! 嬉しい! どうしよう!
 と思う間もなく焦ったマクシミリアンのおデコは私にヘッドバットの勢いでぶつかってきた。

「ふぎゃっ!!!」

 思わず変な声が出る。痛い。
 ときめく暇もない。
 そして何気に失礼な事を言われた気がする。

 今までのわたくしの行いが悪すぎたから仕方ないのだけど!
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