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1巻

1-2

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 なんだか、体がぞくぞくとする。私が人生で一度も感じたことがない感覚。なにこれ、怖い。嫌だ。
 唇が首筋に押し当てられた感触がしたと同時に、軽い音を立てて皮膚を吸われる。アイル様は繰り返し首筋の皮膚を吸いながら、大きく熱い手で服の上から胸を探った。

「なんでっ、なんで胸なんか」

 ろくに食べさせてもらっていない割に大きな胸が、ぐにぐにと揉みしだかれアイル様の男らしい手の中で形を変える。胸を揉まれながら首筋に軽く歯を立てられ……
 犬歯がぷつりと軽く肌に埋まる感覚に、私は激しく混乱した。

『獣人は人間を生きたまま食べるんだって噂もあるのよ』

 あの義姉の言葉は……もしや本当だったのだろうか。やっぱり獣人は怖い種族なんだ。

「アイル様、食べちゃや、ですっ。私、痛いのが得意ではっ。食べちゃ嫌ぁっ」

 ポロポロと、とめどなく涙がこぼれる。嫌だ、嫌だ。
 義母に義姉に、むちでぶたれ、頬を叩かれ、腹を蹴られ、毎日痛い目に遭わされて。
 あの家から逃げられたのかもしれない、と希望を抱いた瞬間に、今度は肉を裂かれ食べられてしまうのだ。こんなのひどい。私がなにをしたっていうの。

「ああ、すまない。君があまりに愛らしいものだから、つい歯止めが……」

 アイル様のなだめる言葉に、私は首を横に振った。

「可愛かったら、食べちゃうんですか⁉ それに私は可愛くないです! 毎日みにくいって言われてましたから知ってるんです! からかわないでください! それに私のお肉は美味おいしくないです。むしろ一日一食しかもらってなかったからガリガリで激マズです!」

 私は叫んで、子供のようにわんわん泣いた。すると焦った顔のアイル様に、お膝の上でお姫様抱っこをするような形に抱き直される。
 アイル様は私の涙を舌でどんどん舐めていった。うう、これも味見されてるの?

「獣人は人を食べないよ。怖がらせてすまない、ルミナ」

 アイル様は綺麗なお顔を心底済まなそうな表情にして、私の頭を胸に抱き込みなだめようとする。今までされたことがない優しさで頭をふわふわと撫でられ、胸の奥がぎゅっとなる。
 でも涙が止まらない。もう嫌だ。

「馬車から降ろしてください。私、もう怖いのも痛いのも嫌なんです」
「それだけはできない! やっと見つけた私のつがいなんだ。もう怖がらせないから、そんなことは言わないでくれないか」

 しゅん、とアイル様のけもののお耳が垂れる。ちょっと可愛い。

「あの……つがいって、なんですか?」

 私は、屋敷でもアイル様が口にしていた言葉の意味をたずねた。

「獣人はね、生涯でただ一人しか愛せないんだ。それをつがいと呼ぶんだよ。その相手は出会えば感覚でわかるようになっていて、君を見た瞬間……つがいは君なんだって私にはすぐわかったんだ」

 子供に言い聞かせるように、アイル様が噛み砕いて説明してくれる。

「アイル様にとっての、ただ一人の運命の相手ってことですか?」

 こくり、と赤い顔でアイル様は頷いた。彼の動きに合わせて、綺麗な銀色の髪が揺れて白い頬を流れていく。

「君はやっと見つけた、私の半身なんだ」

 そう言ってアイル様は優しく私の頬を撫でた。

「大事にするし、優しくする。毎日愛してると言うし、絶対幸せにする。なにからだって守ってみせるから、どこにも行かないで欲しい」

 アイル様がまた私を抱きしめる。それは、まるで溺れる人が一枚の板をつかむような必死さだ。
 どこにも行かないって言った方がいいのかしら。私、つがいで、お嫁さん……なのよね。だけど、アイル様は本当に守ってくれるの? 私は誰かに傷つけられるのは、もう嫌なのだ。

「私、お義母様かあさまにも、お義姉様ねえさまにも……アイル様にだって。もう、誰にだって傷つけられるのは嫌なんです」

 ここはもうあの屋敷ではないからと歯止めが利かなくなったのか、今まで口にしたことがなかった、義母や義姉への不満が一気に口からこぼれだす。
 アイル様は私の言葉を聞いて、そのオレンジ色の瞳をまんまるに開いた。
 そして私の肩をつかみ、揺さぶった。うああ、酔いそうですアイル様!

「君はあの家でどんな扱いを受けていたんだ。傷つけられて、ご飯も一日一食? それに君は可愛いよ⁉ 自分たちがみにくいからってなにを言ってるんだ! ルミナをあの家から引きがすのが先決だと思ったんだけど、あいつら……殺しておけばよかったな」
「こ、殺すのは犯罪だから、ダメです!」
「ああ、私のルミナはなんて優しいんだ! 早く三ヶ月閉じ込めて抱き潰したいな。まぁあいつらにはいつか報復を……」

 抱き潰す? 意味はよくわからないけれど、なにか恐ろしいことを言われている気がする。

「あの、食べないのだったら、さっき……私はなぜ舐められたのですか?」

 こてん、と首を傾げてたずねると、アイル様の目が再びまんまるになる。

「ルミナは、いくつだい?」
「先日十八になりました、アイル様」
「……子作りの方法は、知っているのかな?」
「男女がベッドに一緒に入ったら、できると」

 私も正式にお嫁さんになったら、アイル様と一緒のベッドで毎晩寝るのよね? そうしたらいつの間にか子供ができる……のか。
 なんだか照れてしまって私は思わず、えへへと笑った。一方のアイル様は、顔を両手で隠してなぜか苦悶しているようだった。

「私は……無知なつがいになんて無体を……」

 アイル様はぶつぶつとつぶやきながら、尻尾をばったんばったんさせている。分厚いお耳も、さっきよりもっとぺたんとなっていた。
 アイル様は犬の獣人さん、で合ってるのよね? ……あのもふもふした尻尾に、いつか触らせてくれないかしら。
 やがて彼はなにかを決めたらしく、決然とした瞳を私に向けた。

「えーっと。ルミナに、本当の子作りを、教えようと思います」
「本当の、子作り……ですか?」

 ベッドに二人で寝ていたら子ができるわけではなかったの?
 首を傾げて疑問符を浮かべる私に、アイル様は少し困った顔で笑う。皆は当然知っていることなの? 呆れられてしまったかしら。

「うん。少しずつ教えさせて。君がいいと言うまで最後まではしないから」
「最後……」

 最後ってなんだろう。ますます謎だ。
 教育の機会を与えられなかった私の知識は、穴だらけだ。
 だけど子作りの知識は、子供がいる年配のメイドから聞いたのだから、間違いないと思っていたのに。
 正確な内容ではなくにごして伝えられたんだとすると、それは苦痛や恐怖が伴う行為なのかもしれない。優しい女性だったから、きっと私を怖がらせたくなかったんだ。

「あの。子作りって、痛かったり怖かったりするんですか?」

 おずおずと私がくと、アイル様はさらに困った顔をして眉を下げた。

「そうだね、慣れないうちは痛かったり怖かったりするかもしれないね」

 やっぱりそうなんだ……

「痛いのは嫌い、です」

 思わず、そんな言葉が口から出てしまう。
 でもお嫁に行くのなら、やらなきゃいけないことなのよね?
 ……殴られたり、蹴られたりより痛くない行為だといいのだけれど……

「子作りは、痛くて怖いだけじゃないよ。気持ち良くする行為も含まれるんだ」
「気持ち良く、ですか?」
「そう。それだけじゃなくて、たくさん互いを触ることで気持ちを通じ合わせることもできるんだよ」

 いまいち想像がつかない。互いに触る? 私もアイル様を?
 つい、近くにあるアイル様の顔をじっと見つめてしまう。すると彼は頬を染めながら、私を見つめ返した。アイル様のオレンジ色の瞳がキラキラと輝いてる光景は、いつまでも見ていられるほど綺麗だ。

「ルミナさえ良ければ、今から私が君をたくさん触って気持ち良くさせてあげたいのだけど、いいかな? 痛いことはなにもしないから」

 アイル様が私の手を取って、その甲をそっと親指の腹で撫でる。

「私に触られるのは、嫌かな」

 触られている手の甲を、じっと見る。そして私は口を開いた。

「ちょっと、嫌です」

 私がそう言うとアイル様のお耳がしゅん、と下がる。その様子を見て私は慌てた。
 正直な気持ちだったのだけれど、言葉が足りなかった。

「私、傷だらけなので、触られるのが恥ずかしいんです」

 そう。今触られている手の甲も、さっき舐められた首筋も、私の体には薄いものから濃いものまで、さまざまな傷が残っている。
 手は、叩くと私が特に痛がるからことさらにむちで打たれた。だから手の甲や指にはよく見るとわかるくらいの細かい傷がたくさん残っている。
 義姉たちが女性で力が弱いから、これくらいの傷で済んだのだろう。
 不幸中の幸い、なんて言葉が頭をよぎる。

「……ルミナ。この傷は君が今まであの家で戦ってきたあかしだ」

 アイル様はそう言いながら私の手の甲に唇を落とし、次に傷をなぞるように舌を這わせた。
 彼の赤い舌が傷を舐めるさまは……目を逸らしたくなるようで、逸らせない。見ていると、なんだかいたたまれない気持ちになる。

「綺麗だよ、ルミナ。愛しいつがい。いっぱい私に触らせてくれないか」

 そのオレンジの瞳のあやしい輝きにあやつられるように……私は頷いていた。すると心底安心したように、アイル様が笑う。
 私よりも年上だろう彼のその笑顔はとても無防備で、可愛らしくて。胸の奥がきゅっと、締めつけられた。
 アイル様の顔が近づいてきた、と思ったら、その柔らかい唇で唇をふさがれていた。
 ああ、これが……口づけなんだ。そんな感慨にふける暇もなく、次々と口づけが降ってくる。
 最初はついばむように、軽く何回も。回数を重ねるにつれ唇をまれ、軽く吸われ、舐められて、だんだん息が上がってしまう。

「口を、少し開けて?」

 口づけしながらささやかれたアイル様の優しい声につられて口を開けると、にゅるりと生き物のようななにかが口中に入ってきた。

「――っふぅ!」

 それがアイル様の舌だと認識した瞬間、思わず手で彼の胸を押し返そうとした。けれど手で後頭部を押さえられて逃げ場がなく、顔の角度を変えてもっと深く口づけられる。
 歯列を丁寧に舐め上げられ、少しずつ侵入してくる舌に戸惑い、どうしていいのかわからない。
 ざらざらとした感触の彼の舌で私の舌がねぶられ、奥の奥まで口中を舐め回される。息が苦しくなって、私は必死に鼻で呼吸し空気を肺に入れた。

「ふっ、んっ。やぁ……っ」

 頭の奥がしびれるような感覚に、意識がぼうっとしてしまう。口からは自然に甘ったるい声が漏れ、それがなんだか気恥ずかしい。
 ――頭がふわふわする。これがアイル様が言う『気持ちいい』なの?
 どれくらい、唇や口内をもてあそばれていたんだろう。ちゅっという音を立ててアイル様が唇を離すと、銀糸が口と口の間を伝った。

「あいりゅ、さまぁ」

 口の中がしびれたみたいになってうまくしゃべれない。アイル様の胸にそのまま倒れ込んで、私は荒い息を吐いた。

「ああ、可愛い。私のルミナ」

 熱っぽく言われ、ちゅっと頭のてっぺんに口づけされた気配がする。

「もっともっと、気持ち良くなって」

 アイル様はささやくように言うと、互いの唾液で濡れた唇をぺろりと舐めた。
 ワンピースの前ボタンが外され、肌に空気が触れるひやっとした感触がした。そしてワンピースの前が開かれ、ずり下げられる。すると胸がぷるりと揺れながら飛び出して、アイル様の目の前にさらされてしまった。
 私は下穿したばきは身に着けているけれど、アンダードレスは人前にはどうせ出ないのだという理由で義母から与えられていなかった。なのでワンピースを脱ぐとその下はもう素肌で、胸がすぐに露出してしまうのだ。

「大きくて、綺麗な胸だね」

 うっとりと胸を見つめられながらアイル様に言われ、顔に血が上る。どうして私、胸を見られているの?

「恥ずかしいです、アイル様。見ないで……」

 胸を手で隠そうとしたけれど、アイル様の大きな手が私の手を包んで、優しく、でも確実な力で胸から引きがした。

「隠しちゃダメ。たくさん触って気持ち良くさせるって、私は言ったよね?」

 にっこりと優しい笑顔でアイル様は言う。
 胸を人前にさらすのですら恥ずかしいのに、これから触られてしまうんだ。
 アイル様の笑みは優しいけれど、なんだか目が怖い。目の奥にあやしい熱がこもっているというか。

「怖いです、アイル様……」
「ごめんね。未知のことをされるのは怖いよね。でも君を気持ち良くするために大事なことだから」

 心底申し訳なさそうに謝られたけど、そうじゃない、怖いのは貴方の目です。……と私は言えなかった。
 アイル様は私が知らないことをたくさん知っている。そのアイル様がこれが大事だと言うのなら、きっとそうなんだ。覚悟を決めて胸を隠すのを止めると、アイル様はとろけるような笑みを浮かべた。
 その笑顔を見てほっとしたのも束の間、アイル様の片手がすっと伸びて、私の胸をつかんだ。

「やっ⁉」

 先ほど服の上から触られたのとは違う、生々しい手の感触に、体がびくりと反応した。
 片手で体を支えられ、空いた片手でやわやわと胸を触られる。ゆっくりと優しく揉みしだかれ、軽く引っ張られる。
 その様子を見ていると、自分自身の胸のはずなのに、大きな手で見たことのないいびつな形に歪められて怖くなる。思わずアイル様の胸にすがりつくけれど、その手は止まらない。

「……君の胸は私の手では収まらないね」
「――っ! アイル様っ。そんなこと言わないで」

 アイル様の手と直接触れ合っている部分が熱くて、体の奥がムズムズする。
 胸を触られているだけなのに。どうして? これはなんなの?

「この体勢じゃ、触りづらいな」

 膝から下ろされて、離れていく体温を少し残念に思っているうちに、馬車の椅子に座らされた。アイル様は私の目の前に立ち、少し身を屈めて……

「っふぅ!」

 正面から、大きな両手で包み込むように胸に触れた。
 見つめられてる。アイル様に見られながら、胸に触られている。オレンジの瞳と目が合って優しく微笑まれるけれど、恥ずかしくてたまらないし、頭の奥がしびれるしで、笑顔を上手く返せない。

「ここも触るね」

 アイル様が私の胸のいただきを、きゅっと摘まんで優しく指先でこすった。

「きゃうっ‼」

 そのとたん、背筋に強いぞくぞくする感覚が走って、私は体を跳ねさせた。

「可愛い声だ」

 アイル様が興奮を含んだ熱い吐息を漏らし、つぶやいた。
 そしてピンクのいただきを摘まんだりねたりしながら、私の顔をのぞき込む。

「わたしっ、いま、体がへんでっ! ふわふわしてっ。みないでっ……あいるしゃまっ」
「ああルミナ、可愛い顔をして……胸をいじられただけで、そんなに感じているんだね」

 呂律ろれつが回らず、言葉がどんどん不明瞭になって、触られるたびに体がビクビク震える。
 アイル様は目を合わせたまま逸らしてくれない。その目を見ているとお腹のあたりが甘くうずいた。

「ルミナ、大丈夫。ふわふわするのは気持ちいいからなんだよ」

 あやすように言われ、ちゅうっとキスをされ、唇をやわやわとまれる。
 もっと欲しくなって、私も彼の唇をむとアイル様が優しく目で笑った。

「ルミナ。感じるって、気持ちいいって言って?」
「あいるさまっ、かんじますっ、きもちいですっ!」

 アイル様からねだられた言葉をオウム返しに口にすると、その言葉にあおられるように体がまた熱くなる。
 ギュッと強く胸のいただきを引っ張られた瞬間、目の前がチカチカして、私の意識はプツリと途絶えてしまった。


   ☆ ☆ ☆


 アイル様に『気持ちいいこと』をされて気絶してしまった私は、気がついたら彼に膝枕をされた状態で頭を撫でられていた。
 サラサラと髪をくように撫でるアイル様の手は気持ちいいけれど、自分のパサパサに荒れた髪のことを思うと恥ずかしくていたたまれない気持ちになる。
 それにアイル様に出会うまでこんなにいつくしむように優しく撫でられた記憶がない私は、なんだかひどく動揺して……馬鹿みたいにぽかんとした顔で、アイル様の端麗な美貌を見つめてしまった。
 オレンジの瞳や銀色の髪が、馬車の窓から差し込む陽光を反射してきらめいている。ふっと彼が微笑むと周囲の空気が華やいだような気がした。

「どうしたの?」

 形の良い唇から漏れる声まで綺麗だなんて。
 ――本当に、美しい人。
 どうしてこの人のつがいが私なのかな。私、みにくい上になんて一つもないのに。なんだか彼に詐欺を働いている気持ちになる。
 そんなことを考えながら、ぼんやりとアイル様のお顔に見入っていると――

「すまない。もしかして……嫌だったかな」

 アイル様は獣耳をシュンと下げて、困ったように言った。謝罪の言葉や、申し訳なさげな顔を向けられることに慣れていない私は戸惑って瞳を揺らしてしまう。
 嫌だったかって……さっきされた『気持ちいいこと』のことよね?
 されたことは恥ずかしかったけれど、アイル様は最初にしてもいいかとたずねて私の意志を尊重してくれたし、アイル様の手は優しくて怖くなかった。触られたところから広がっていくような、頭がふわふわする感覚も嫌じゃなかった。
 ――そう。嫌なんかじゃなかったのだ。
 私が思考にひたり沈黙していると、アイル様はその間を勘違いしたらしく、私を抱き起こしてぎゅうぎゅうと抱き締めてきた。

「ルミナ、君が嫌ならもうしないから。私を許してくれないか」

 抱く力を強めながら必死な声音でアイル様は懇願する。彼の高めの体温はとても気持ちいいのだけれど、こうも強く抱き締められると……! ただでさえ栄養失調気味でもろい私の体は砕けてしまいそうになる。
 ああ、腰が変な音を立ててる! お、折れるっ!

「アイル様、苦しいです! されたことは嫌じゃなかったなって考えてて、返事が遅れました!」

 私が必死にそう伝えると、アイル様は腕の力をゆるめて私の顔をのぞき込んだ。

「本当に嫌じゃなかった?」
「はい、すごく気持ち良かったですし」
「――っ! ルミナ!」

 尻尾をぶんぶんと振るアイル様の腕に、あっと思う間もなく私は再び抱き込まれる。
 アイル様は嬉しいと尻尾を振るのかしら? そういえばはじめて対面した時も、尻尾がすごい勢いで振られていた気がする。
 今度は力加減をちゃんとしてくれているようで痛くない。

(……人の体温って気持ちいいのね)

 そんなことをしみじみと考えていたら、ひたいに、頬に、唇の端に、どんどん口づけを浴びせられた。

「嬉しいな。ちゃんとルミナは気持ち良かったんだね。もっと気持ち良くさせてあげたいから、今からまたしようか」

 そう言ってアイル様はうっとりとした色香あふれる笑みを浮かべた。

「ちょ、ちょ! ちょっと待ってください!」

 むにっと手でアイル様の唇をさえぎってキスを止めようとすると、ぺろんと手を舐められた。
 ひぎゃっ! にゅるっとした!

「私、アイル様のことをなにも知らないんです! 獣人の国がどこにあるのかも、どんな文化の国なのかも。アイル様の口からちゃんと聞きたいんです。だからまた気持ちいいことをする前に、お話がしたいです!」
「お話?」

 ちょっと残念そうな顔をするアイル様に、力強く頷いてみせる。
 ここで粘らないと、アイル様に触られてくたくたになって気絶してを繰り返しているうちに、獣人の国に着いていた……なんてことになりかねない。
 先ほどの行為は嫌いじゃないけれど、嫁ぐ相手や国のことはもっと知っておきたいのだ。

「アイル様のこと、教えてください!」
「私のこと、知りたいって思ってくれるんだ。なにをきたい?」

 ふにゃっと、アイル様が嬉しそうに笑う。ああ、可愛い。この人は素敵なだけじゃなくて可愛くもあるのね。

「はい、まずは確認なのですけど。アイル様はお犬様の獣人さんですか?」

 私は確信を持ってこの言葉を口にした。屋敷の庭師が飼っていた犬も、こんなお耳をしていたもの!

「狼だよ! 狼族だよ!」

 しかしアイル様からはびっくりするほど間髪かんはつれずに、否定の返事が返ってきた。

「ルミナ、あのね。獣人は自分の種族……狼だとか、猫だとかのカテゴリーに誇りを持っているから、他の種族と間違えられるのは、その、ちょっと嫌なんだ」

 ちょっとどころじゃなく嫌なんだろうな、というのが伝わる苦い顔をしてアイル様が言う。人間にはわかりづらい感覚だけれど、そうなのね、気をつけよう。

「さっきルミナが『狼が好き』って言ってくれて嬉しかったんだけど、私が狼だと気づいていたわけじゃなかったんだね」

 そう言いながらアイル様は元気なく尻尾を揺らした。
 ……たしかにそう言った。もしかしなくても、私がそんなことを言ったから、アイル様は気分が高揚して、急にさっきみたいなことをしたのだろうか。
 なんだか気の毒なことをしてしまった気がする。でもお耳と尻尾だけで種族が判別できるほど、私、動物に詳しくないの!

「狼様ですね、わかりました」

 もう間違えないようにしようと心に誓いながら私が神妙に頷くと、アイル様も満足そうな顔で頷き返した。

「次はなにをきたいの?」
「じゃあ、アイル様のお年は……?」
「ルミナよりも七つ上の、二十五歳だよ」

 アイル様はおっとりとした笑みを浮かべながら答える。
 大体想像していた通りの年齢だ。これくらいのお年のことを、男盛りと言うのだっけ? メイド長がそんなことを言っていた気がする。

「獣人の寿命はおいくつくらいなんでしょう?」
「大体百五十年くらいかな。長生きな人だと二百年は生きるけれど」

 アイル様の返事を聞いて、私は目を丸くした。

「人間は七十年くらいしか生きられないから……半分以下ですね」
「大丈夫だよルミナ。つがい同士が結ばれると、寿命が長い種族の寿命が短い種族に分け与えられて、ちゃんと同じくらいの寿命になるからね」
「それってアイル様の寿命が短くなるんじゃないですか……」

 自分が短命なせいでアイル様の寿命が短くなるなんて。とても申し訳ない気持ちになる。

つがいと等しい時間を生きられるなんて、嬉しいことでしかないよ」

 アイル様はそう言って幸せそうに笑うのだけれど。……種族が違うからなのか、私が恋をしたことがないからなのか、自分の寿命を削ってまで誰かと同じ時を生きたいという感覚は、私にはまだわからない。
 それからもアイル様は私の質問に答えてくれた。
 獣人のつがいが平民だなんてこともよくあるから、公爵家と子爵家という身分の差は誰も気にしないということ。
 アイル様のお勤め先があるライラック王国の王都には様々な種族……それこそ獣人だけじゃなくて人間もいるということ。
 獣人は力は強いけれど、人間と違って魔法が使えないということ。
 私は魔法を勉強していないので、人間だけれど魔法がちゃんと使えるかわからないと言うと、アイル様は興味があるなら教師を雇ってあげるね、と言ってくれた。
 いろいろなことをいて、感心したり、聞き入ったり。


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