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御曹司は懊悩する(栗生視点)

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「仕事をきっちり終わらせて定時にびゅんっ! って帰るって、総務課の子が言ってたよ。急いで帰る理由でもあるのかね。ペットがいるとか。彼氏……はなさそうだし」
「ふーん、そうなんだ」
「……透君」
「なに?」
「透君が女の子にそんなふうに興味を持つの……はじめて見た」

 蓮司はそんなことを言うとへらりと笑う。その言葉に、僕は目を瞠った。

「歴代彼女に対して、優しい顔をしつつも興味は持たなかったでしょう?」
「……そうだった、かな」
「うん、そうだよ。だからいつも振られるんだ。女の子ってそういう機微に敏感だからね」

 けたけたと笑いながら言われて、僕は苦笑してしまう。
 蓮司の言う通り、今まで付き合った女性たちに心の底からの興味を抱いたことは一度もなかったかもしれない。
『仕事とどっちが大事』なんて訊かれれば即座に仕事と答えられたし、つまらないことで嫉妬をされ泣きつかれてもどうでもいいと思っていた。
 女の子は可愛いと思う。当然、性欲も抱ける。
 けれど『愛情』がそこにあるかと問われれば、首を傾げざるを得なかったのだ。

「相手が大野ちゃんなのが意外だけど」
「そういう興味を、彼女に持ったわけじゃないよ」

 にやけた笑いを浮かべる蓮司に、そっけなく言ってやる。

 ――そう、別に。彼女に興味なんて。ない、はずだ。

 *

『大野さん』と接触してから、数日が経った。
 用事があって総務課へ顔を出した僕は、『誰か』を探すみたいに周囲を見回してしまう。
 しかし、その『誰か』を見つける前に――

「栗生部長、なにか御用ですか? 総務にいらっしゃるなんてめずらしいですね」

 なんだか甘ったるい声をかけられた。声の主に目を向けると――いかにも『自分に自信があります』というオーラを放つ女子社員が、すぐ側に立っている。髪は綺麗にセットされ、オフィスカジュアルのコーディネートも流行りを押さえた完璧なものだ。
 たしか……橋本さんだったかな。
 蓮司が『好みだ』とかなんとか騒いでいたような気がする。たしかに、顔立ちは芸能人のように整ってるな。自信がありげなのも、納得できる外見だ。
 目が合うと、橋本さんは嬉しそうに笑う。僕も愛想笑いを返しながら、用件を口にした。

「会議の資料制作をお願いしたいんだけど、口頭で説明したいことがあったから顔を出したんだ」
「そうなんですね! 部長にお会いできるなんて、今日は運がいいなぁ」
「そんなことを思ってもらえるなんて、光栄だね」

 橋本さんと会話をしつつも、周囲にちらりと目を走らせる。
 すると――『大野さん』の姿が目に入った。
 なにかの作業が一段落ついたところらしく、彼女はうんと大きな伸びをしていた。伸びの後には大あくびをすると、眠たそうに目をごしごしと擦る。そして飴を口に放り込んで、珈琲を一口飲んでから、パソコンに向き合った。
 僕がフロアに来た瞬間。女子社員たちは一様に浮ついた雰囲気を醸し出した。……たぶん、自惚れではなくて。
 しかし大野さんは僕の存在になんて一切の注意を払わず、野良猫みたいに気ままな所作を見せている。
 彼女から目が離せず、そんな自分自身に僕は戸惑いを覚えた。

「……彼女に頼もうかな」
「え? わ、私がやりますけど!」

 橋本さんの声を無視して、大野さんの元へと向かう。
 気配に気づいた大野さんは、こちらを見ると怪訝な顔をした。

 ――ああ、やっと見てくれた。

 目が合った瞬間、そんな気持ちが胸に満ちる。
 僕は……本当にどうしてしまったのだろう。

「えっと、なにか御用でしょうか」

 向けられる声は、事務的で硬質なものだ。
 にこりと微笑みかけてみても笑みが返ってくることはなく、眉間にきゅっと皺を寄せられてしまった。……明らかに、迷惑がってるな。

 ――どうしたら、彼女は笑ってくれるのかな。

 愛想笑いを引き出すのは、簡単かもしれないけれど。
 ……そうじゃなくて、彼女の心からの笑顔が見てみたい。
 そんなことを考えながらじっと見ていると、大野さんは眉間にさらに深い皺を寄せた。
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