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第三話『カステラ』
若旦那たちのカステラ勝負・三
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「カステラですって? まぁ、羨ましい。お土産にちょこっとだけ、もらえたりはしないのかしらねぇ」
佐一の訪いの理由を聞いたりんが、まるで小娘のような声を上げて羨ましがる。
「わんさと焼くのだろう? 長崎屋さんはケチケチしたお人じゃあないんだ。土産くらいはあるだろう。なぁ?」
くつくつという小気味よい音と白い湯気を立てているあんこう鍋に箸を突っ込みながら、源三郎もりんに相槌を打った。今日は馴染みの魚屋があんこうを安く売ってくれたので、三好屋一家は冬の風物詩に舌鼓を打っているのだ。
寒さが忍び寄る季節の楽しみといえば、あんこう鍋だ。あんこうは骨以外に捨てるところがないと言われるくらいに余すことなく食べられ、どの部位も美味である。なんともありがたいお魚様だ。
「二人とも、期待はしないで待っててね」
おみつは食い意地の張った両親に苦笑しながら、味噌で煮込んだ白身にそっと箸を通した。美しい白身は音もなくふわりと崩れ、おみつもそれを見て頬をふわりとゆるませる。
(あんこうも美味しいけれど、お武家様の八卦見をした時にお礼で頂いた新巻鮭も美味しかったわねぇ。また頂けたりしないかしら。鮭のお鍋も食べたいわ)
なんだかんだと、おみつも両親に負けず食に貪欲である。三好屋はおみつたち家族も、果ては使用人たちまでも、例外なく食べることが大好きなのだ。
大きく開けた口に白身を放り込み、粗熱を取ろうとはふはふと口中を転がす。柔らかな身を噛みしめると、じゅわりとこくのあるだし汁が湧き出てきた。それを身と一緒にこくりと飲み込んでから、おみつはほうと息を吐いた。旨味の余韻が口中に残り、胃の腑には温かさが染み渡る。おみつはまた鍋に箸を伸ばし、今度は肝を口にした。
「……美味しい」
肝は淡雪のように口の中に蕩けて消えていく。その味を噛み締めているうちに、おみつの意識はふわりふわりと引っ張られるように遠ざかっていった。
「あれまぁ」
くらくらと左右に揺れるおみつを見て、りんが皿と箸を取り上げ、源三郎が慣れた所作で畳に寝かせる。食事の最中に急に卦が下りてくるのは、三好屋では日常のお出来事なのだ。
(先見の間に、あんこう鍋がなくなっていたらどうしよう)
薄れゆく意識の中でおみつが思ったのはそんな食い意地の張ったことだった。
先見で見えた光景は、分厚いカステラを嬉しそうに頬張るりんと源三郎の姿。二人はどうやら、カステラを無事にもらえるらしい。
目を覚ましてそれを伝えると、りんと源三郎は子供のように手を叩いて喜んだ。
☆
『カステラの宴』の当日。
おみつは女中二人と手代の裕次郎を連れて長崎屋の前に立っていた。
宴の日を祝うかのように空は晴天。初冬にしては暖かく、実によい日和である。
「楽しみですねぇ、お嬢さん」
およしははやる気持ちが滲み出る口調でそう言って、細い目をめいっぱい開いて輝かせた。その隣では頬を淡く染めながら、おたまもコクコクとうなずいている。今日の女中二人は先日贈ったおみつのお下がりの着物を着ており、いつもより華やかな雰囲気だ。はしゃいでいる二人を見ているとおみつもなんだか嬉しくなって、おっとりとした笑みを浮かべながらうなずいた。
おみつが奉公人に肩をそびやかしていないのもあり、傍から見ると三人は商家の三姉妹のように見えるのだろう。通りすがりの人々は、微笑ましいという視線をちらりちらりと投げていく。
「お嬢さん、あっしは三好屋に戻りますので。日が暮れる頃にお迎えに参りやす」
裕次郎はどっしりと重みのある声で言うと、続けてゆっくりと重々しい動作で頭を下げた。裕次郎の体にはそこかしこに鉛でも入っているようだと、おみつは密かに思っている。
「裕さん、わざわざありがとう」
「いえ、あっしの仕事なので。お気になさらず」
真面目くさった表情で受け答えをすると、裕次郎は乾いた風を背負いながら巨体を揺らして去って行く。さてと、おみつは長崎屋の店構えと向き合い……情けなく眉尻を下げた。
「……入りづらいですね、お嬢さん」
「そうね、おたま」
小さくつぶやかれたおたまの言葉に、おみつはつい同意をしてしまう。藍屋も立派なお店だが、長崎屋も負けず劣らずの佇まいだ。その威圧感におみつたちはつい緊張してしまう。
(裕さんに、誰か呼んできてもらえばよかったわねぇ)
そうは思うが、すでに後の祭りである。裕次郎の巨体は今や豆粒のように小さくなっていた。
「およし、誰かを呼んできてもらってもいいかしら」
「おたま。お嬢さんがそう言ってるわよ」
「え、ええっ。頼まれたのはおよしさんじゃ……」
縮み上がって中に入りたがらないおたまとおよしが肘で突きあっていると、救いの声が店の中からかけられた。
「やぁやぁ、よく来たね。おみっちゃん」
忙しく働いている奉公人たちの合間を縫うようにして、佐一がこちらへやって来たのだ。おみつはほっとしながら、佐一に頭を下げた。
「本日はお招きくださり……」
「おみっちゃん、楽にしておくれ。今日はそんなに畏まるような場じゃないからねぇ。工房は店から少し歩いたところにあるから、他の旦那衆が来るのを待ってから一緒に行こう」
佐一は生まれてこの方労働をしたことがないと言われても信じてしまうような、白く美しい手をさらりと振っておみつの堅苦しい挨拶を止めると、今日も上機嫌でにこにこと笑うのだった。
佐一の訪いの理由を聞いたりんが、まるで小娘のような声を上げて羨ましがる。
「わんさと焼くのだろう? 長崎屋さんはケチケチしたお人じゃあないんだ。土産くらいはあるだろう。なぁ?」
くつくつという小気味よい音と白い湯気を立てているあんこう鍋に箸を突っ込みながら、源三郎もりんに相槌を打った。今日は馴染みの魚屋があんこうを安く売ってくれたので、三好屋一家は冬の風物詩に舌鼓を打っているのだ。
寒さが忍び寄る季節の楽しみといえば、あんこう鍋だ。あんこうは骨以外に捨てるところがないと言われるくらいに余すことなく食べられ、どの部位も美味である。なんともありがたいお魚様だ。
「二人とも、期待はしないで待っててね」
おみつは食い意地の張った両親に苦笑しながら、味噌で煮込んだ白身にそっと箸を通した。美しい白身は音もなくふわりと崩れ、おみつもそれを見て頬をふわりとゆるませる。
(あんこうも美味しいけれど、お武家様の八卦見をした時にお礼で頂いた新巻鮭も美味しかったわねぇ。また頂けたりしないかしら。鮭のお鍋も食べたいわ)
なんだかんだと、おみつも両親に負けず食に貪欲である。三好屋はおみつたち家族も、果ては使用人たちまでも、例外なく食べることが大好きなのだ。
大きく開けた口に白身を放り込み、粗熱を取ろうとはふはふと口中を転がす。柔らかな身を噛みしめると、じゅわりとこくのあるだし汁が湧き出てきた。それを身と一緒にこくりと飲み込んでから、おみつはほうと息を吐いた。旨味の余韻が口中に残り、胃の腑には温かさが染み渡る。おみつはまた鍋に箸を伸ばし、今度は肝を口にした。
「……美味しい」
肝は淡雪のように口の中に蕩けて消えていく。その味を噛み締めているうちに、おみつの意識はふわりふわりと引っ張られるように遠ざかっていった。
「あれまぁ」
くらくらと左右に揺れるおみつを見て、りんが皿と箸を取り上げ、源三郎が慣れた所作で畳に寝かせる。食事の最中に急に卦が下りてくるのは、三好屋では日常のお出来事なのだ。
(先見の間に、あんこう鍋がなくなっていたらどうしよう)
薄れゆく意識の中でおみつが思ったのはそんな食い意地の張ったことだった。
先見で見えた光景は、分厚いカステラを嬉しそうに頬張るりんと源三郎の姿。二人はどうやら、カステラを無事にもらえるらしい。
目を覚ましてそれを伝えると、りんと源三郎は子供のように手を叩いて喜んだ。
☆
『カステラの宴』の当日。
おみつは女中二人と手代の裕次郎を連れて長崎屋の前に立っていた。
宴の日を祝うかのように空は晴天。初冬にしては暖かく、実によい日和である。
「楽しみですねぇ、お嬢さん」
およしははやる気持ちが滲み出る口調でそう言って、細い目をめいっぱい開いて輝かせた。その隣では頬を淡く染めながら、おたまもコクコクとうなずいている。今日の女中二人は先日贈ったおみつのお下がりの着物を着ており、いつもより華やかな雰囲気だ。はしゃいでいる二人を見ているとおみつもなんだか嬉しくなって、おっとりとした笑みを浮かべながらうなずいた。
おみつが奉公人に肩をそびやかしていないのもあり、傍から見ると三人は商家の三姉妹のように見えるのだろう。通りすがりの人々は、微笑ましいという視線をちらりちらりと投げていく。
「お嬢さん、あっしは三好屋に戻りますので。日が暮れる頃にお迎えに参りやす」
裕次郎はどっしりと重みのある声で言うと、続けてゆっくりと重々しい動作で頭を下げた。裕次郎の体にはそこかしこに鉛でも入っているようだと、おみつは密かに思っている。
「裕さん、わざわざありがとう」
「いえ、あっしの仕事なので。お気になさらず」
真面目くさった表情で受け答えをすると、裕次郎は乾いた風を背負いながら巨体を揺らして去って行く。さてと、おみつは長崎屋の店構えと向き合い……情けなく眉尻を下げた。
「……入りづらいですね、お嬢さん」
「そうね、おたま」
小さくつぶやかれたおたまの言葉に、おみつはつい同意をしてしまう。藍屋も立派なお店だが、長崎屋も負けず劣らずの佇まいだ。その威圧感におみつたちはつい緊張してしまう。
(裕さんに、誰か呼んできてもらえばよかったわねぇ)
そうは思うが、すでに後の祭りである。裕次郎の巨体は今や豆粒のように小さくなっていた。
「およし、誰かを呼んできてもらってもいいかしら」
「おたま。お嬢さんがそう言ってるわよ」
「え、ええっ。頼まれたのはおよしさんじゃ……」
縮み上がって中に入りたがらないおたまとおよしが肘で突きあっていると、救いの声が店の中からかけられた。
「やぁやぁ、よく来たね。おみっちゃん」
忙しく働いている奉公人たちの合間を縫うようにして、佐一がこちらへやって来たのだ。おみつはほっとしながら、佐一に頭を下げた。
「本日はお招きくださり……」
「おみっちゃん、楽にしておくれ。今日はそんなに畏まるような場じゃないからねぇ。工房は店から少し歩いたところにあるから、他の旦那衆が来るのを待ってから一緒に行こう」
佐一は生まれてこの方労働をしたことがないと言われても信じてしまうような、白く美しい手をさらりと振っておみつの堅苦しい挨拶を止めると、今日も上機嫌でにこにこと笑うのだった。
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