上 下
24 / 28
第三話『カステラ』

若旦那たちのカステラ勝負・三

しおりを挟む
「カステラですって? まぁ、羨ましい。お土産にちょこっとだけ、もらえたりはしないのかしらねぇ」

 佐一の訪いの理由を聞いたりんが、まるで小娘のような声を上げて羨ましがる。

「わんさと焼くのだろう? 長崎屋さんはケチケチしたお人じゃあないんだ。土産くらいはあるだろう。なぁ?」

 くつくつという小気味よい音と白い湯気を立てているあんこう鍋に箸を突っ込みながら、源三郎もりんに相槌を打った。今日は馴染みの魚屋があんこうを安く売ってくれたので、三好屋一家は冬の風物詩に舌鼓を打っているのだ。
 寒さが忍び寄る季節の楽しみといえば、あんこう鍋だ。あんこうは骨以外に捨てるところがないと言われるくらいに余すことなく食べられ、どの部位も美味である。なんともありがたいお魚様だ。

「二人とも、期待はしないで待っててね」

 おみつは食い意地の張った両親に苦笑しながら、味噌で煮込んだ白身にそっと箸を通した。美しい白身は音もなくふわりと崩れ、おみつもそれを見て頬をふわりとゆるませる。

(あんこうも美味しいけれど、お武家様の八卦見をした時にお礼で頂いた新巻鮭も美味しかったわねぇ。また頂けたりしないかしら。鮭のお鍋も食べたいわ)

 なんだかんだと、おみつも両親に負けず食に貪欲である。三好屋はおみつたち家族も、果ては使用人たちまでも、例外なく食べることが大好きなのだ。
 大きく開けた口に白身を放り込み、粗熱を取ろうとはふはふと口中を転がす。柔らかな身を噛みしめると、じゅわりとこくのあるだし汁が湧き出てきた。それを身と一緒にこくりと飲み込んでから、おみつはほうと息を吐いた。旨味の余韻が口中に残り、胃の腑には温かさが染み渡る。おみつはまた鍋に箸を伸ばし、今度は肝を口にした。

「……美味しい」

 肝は淡雪のように口の中に蕩けて消えていく。その味を噛み締めているうちに、おみつの意識はふわりふわりと引っ張られるように遠ざかっていった。

「あれまぁ」

 くらくらと左右に揺れるおみつを見て、りんが皿と箸を取り上げ、源三郎が慣れた所作で畳に寝かせる。食事の最中に急に卦が下りてくるのは、三好屋では日常のお出来事なのだ。

(先見の間に、あんこう鍋がなくなっていたらどうしよう)

 薄れゆく意識の中でおみつが思ったのはそんな食い意地の張ったことだった。
 先見で見えた光景は、分厚いカステラを嬉しそうに頬張るりんと源三郎の姿。二人はどうやら、カステラを無事にもらえるらしい。
 目を覚ましてそれを伝えると、りんと源三郎は子供のように手を叩いて喜んだ。

 ☆

『カステラの宴』の当日。
 おみつは女中二人と手代の裕次郎を連れて長崎屋の前に立っていた。
 宴の日を祝うかのように空は晴天。初冬にしては暖かく、実によい日和である。

「楽しみですねぇ、お嬢さん」

 およしははやる気持ちが滲み出る口調でそう言って、細い目をめいっぱい開いて輝かせた。その隣では頬を淡く染めながら、おたまもコクコクとうなずいている。今日の女中二人は先日贈ったおみつのお下がりの着物を着ており、いつもより華やかな雰囲気だ。はしゃいでいる二人を見ているとおみつもなんだか嬉しくなって、おっとりとした笑みを浮かべながらうなずいた。
 おみつが奉公人に肩をそびやかしていないのもあり、傍から見ると三人は商家の三姉妹のように見えるのだろう。通りすがりの人々は、微笑ましいという視線をちらりちらりと投げていく。

「お嬢さん、あっしは三好屋に戻りますので。日が暮れる頃にお迎えに参りやす」

 裕次郎はどっしりと重みのある声で言うと、続けてゆっくりと重々しい動作で頭を下げた。裕次郎の体にはそこかしこに鉛でも入っているようだと、おみつは密かに思っている。

「裕さん、わざわざありがとう」
「いえ、あっしの仕事なので。お気になさらず」

 真面目くさった表情で受け答えをすると、裕次郎は乾いた風を背負いながら巨体を揺らして去って行く。さてと、おみつは長崎屋の店構えと向き合い……情けなく眉尻を下げた。

「……入りづらいですね、お嬢さん」
「そうね、おたま」

 小さくつぶやかれたおたまの言葉に、おみつはつい同意をしてしまう。藍屋も立派なお店だが、長崎屋も負けず劣らずの佇まいだ。その威圧感におみつたちはつい緊張してしまう。

(裕さんに、誰か呼んできてもらえばよかったわねぇ)

 そうは思うが、すでに後の祭りである。裕次郎の巨体は今や豆粒のように小さくなっていた。

「およし、誰かを呼んできてもらってもいいかしら」
「おたま。お嬢さんがそう言ってるわよ」
「え、ええっ。頼まれたのはおよしさんじゃ……」

 縮み上がって中に入りたがらないおたまとおよしが肘で突きあっていると、救いの声が店の中からかけられた。

「やぁやぁ、よく来たね。おみっちゃん」

 忙しく働いている奉公人たちの合間を縫うようにして、佐一がこちらへやって来たのだ。おみつはほっとしながら、佐一に頭を下げた。

「本日はお招きくださり……」
「おみっちゃん、楽にしておくれ。今日はそんなに畏まるような場じゃないからねぇ。工房は店から少し歩いたところにあるから、他の旦那衆が来るのを待ってから一緒に行こう」

 佐一は生まれてこの方労働をしたことがないと言われても信じてしまうような、白く美しい手をさらりと振っておみつの堅苦しい挨拶を止めると、今日も上機嫌でにこにこと笑うのだった。
しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

一ト切り 奈落太夫と堅物与力

相沢泉見@8月時代小説刊行
歴史・時代
一ト切り【いっときり】……線香が燃え尽きるまでの、僅かなあいだ。 奈落大夫の異名を持つ花魁が華麗に謎を解く! 絵師崩れの若者・佐彦は、幕臣一の堅物・見習与力の青木市之進の下男を務めている。 ある日、頭の堅さが仇となって取り調べに行き詰まってしまった市之進は、筆頭与力の父親に「もっと頭を柔らかくしてこい」と言われ、佐彦とともにしぶしぶ吉原へ足を踏み入れた。 そこで出会ったのは、地獄のような恐ろしい柄の着物を纏った目を瞠るほどの美しい花魁・桐花。またの名を、かつての名花魁・地獄太夫にあやかって『奈落太夫』という。 御免色里に来ているにもかかわらず仏頂面を崩さない市之進に向かって、桐花は「困り事があるなら言ってみろ」と持ちかけてきて……。

御庭番のくノ一ちゃん ~華のお江戸で花より団子~

裏耕記
歴史・時代
御庭番衆には有能なくノ一がいた。 彼女は気ままに江戸を探索。 なぜか甘味巡りをすると事件に巡り合う? 将軍を狙った陰謀を防ぎ、夫婦喧嘩を仲裁する。 忍術の無駄遣いで興味を満たすうちに事件が解決してしまう。 いつの間にやら江戸の闇を暴く捕物帳?が開幕する。 ※※ 将軍となった徳川吉宗と共に江戸へと出てきた御庭番衆の宮地家。 その長女 日向は女の子ながらに忍びの技術を修めていた。 日向は家事をそっちのけで江戸の街を探索する日々。 面白そうなことを見つけると本来の目的であるお団子屋さん巡りすら忘れて事件に首を突っ込んでしまう。 天真爛漫な彼女が首を突っ込むことで、事件はより複雑に? 周囲が思わず手を貸してしまいたくなる愛嬌を武器に事件を解決? 次第に吉宗の失脚を狙う陰謀に巻き込まれていく日向。 くノ一ちゃんは、恩人の吉宗を守る事が出来るのでしょうか。 そんなお話です。 一つ目のエピソード「風邪と豆腐」は12話で完結します。27,000字くらいです。 エピソードが終わるとネタバレ含む登場人物紹介を挟む予定です。 ミステリー成分は薄めにしております。   作品は、第9回歴史・時代小説大賞の参加作です。 投票やお気に入り追加をして頂けますと幸いです。

南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳

勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません) 南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。 表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。 2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。

蒼穹(そら)に紅~天翔る無敵皇女の冒険~ 四の巻

初音幾生
歴史・時代
日本がイギリスの位置にある、そんな架空戦記的な小説です。 1940年10月、帝都空襲の報復に、連合艦隊はアイスランド攻略を目指す。 霧深き北海で戦艦や空母が激突する! 「寒いのは苦手だよ」 「小説家になろう」と同時公開。 第四巻全23話

忍者同心 服部文蔵

大澤伝兵衛
歴史・時代
 八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。  服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。  忍者同心の誕生である。  だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。  それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

剣客居酒屋 草間の陰

松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

鵺の哭く城

崎谷 和泉
歴史・時代
鵺に取り憑かれる竹田城主 赤松広秀は太刀 獅子王を継承し戦国の世に仁政を志していた。しかし時代は冷酷にその運命を翻弄していく。本作は竹田城下400年越しの悲願である赤松広秀公の名誉回復を目的に、その無二の友 儒学者 藤原惺窩の目を通して描く短編小説です。

処理中です...