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第三話『カステラ』
若旦那たちのカステラ勝負・二
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カステラ。
南蛮から数百年前に伝わったとされるそれは、庶民にとっては敷居の高い菓子であり、旅人や病人のための滋養食でもある。ふんだんに使われる卵、どっさりと入れられる上白糖。そんな贅沢な菓子を庶民が日常の中で口にする機会はそうそうない。
なにかの間違いがあって手に入った日には飛んで喜び、まずは仏壇にお供えである。分け前なんかねだられないように、近所連中には当然内緒だ。そして向こうがぼんやりと透けて見えるほどに薄く切ってから、少しずつちびちびと、ありがたがりながら口にする。それがカステラという菓子なのだ。
(それを女中に振る舞うくらいに焼いちまうなんて。さすがというかなんというか……)
おみつは茶を啜りながら、細い狐目を嬉しそうにさらに細める佐一を見つめた。おみつに会うために一両という金額を、なんのてらいもなく払ってしまうような御仁なのだ。それくらいできても、おかしくないのだろうけれど。
おみつもそこそこ裕福な身の上だとの自負はある。自身の『商売』の実入りもあるからなおさらだ。しかしこうしておみつの八卦見目当てで訪れる客を見ていると、大店の人々はやっぱり格が違うと思うのだ。
およしとおたまは、おみつの横でちょこんと正座をしている。愛らしい女中たちの同席を、『二人も来るのだから話を聞くといい』と佐一が望んだからだった。
「やっぱり女の子がいると華があるねぇ。ほら、うちには女中がいないからさ」
佐一にそう言われ、およしとおたまは照れた顔で笑った。呉服問屋に木綿問屋、いわゆる『太物屋』と言われるお店は大体にして男所帯だ。藍屋のように奥女中まで大人数雇っているお店の方が、異例中の異例なのである。
「それで、その催しにはどれくらいの人が集まるんです?」
「おみっちゃんたち以外で声をかけてるのは五人だよ。釜を置いてる工房自体は、そんなに広くはないからね。ああ、ここの上客の藍屋の一太さんにも声をかけたんだ」
一太と佐一は商売上の寄り合いでたびたび顔を合わせる。その寄り合いの時に誘ったのだと佐一は言った。一太に、佐一とは軽口を叩く程度の仲とは聞いているけれど、二人が揃ったところにおみつが居合わせたことは一度も無かった。
「ふふ、一太さんも来るんですねぇ」
おみつは思わず、嬉しそうに頬をゆるめる。知らない人がたくさんだったらどうしたものかと思っていたところに、知人がいると知って安堵したのだ。しかし佐一はそれを別の意味に取ったようで、にやりと口角を上げた。
「どこの娘さんも一太さんに夢中だねぇ。まぁ、あれだけいい男だからなぁ」
佐一は楽しそうに細い指で顎を擦る。おみつはそんな佐一の言葉に目を丸くした。
「いえいえ、そんな。夢中だなんて! そんな事実は一切ありゃしませんよ!」
ふっくらとした手をぱたぱたとさせて、おみつは慌てて否定した。一太は大事な商売相手である。おみつが一太に気があるなんて噂が立ってしまって、根も葉もないそれが元で妙ちくりんな空気になるのはごめんだ。
「ははっ、ずいぶんと否定するんだな。こりゃあむごたらしいこったね」
そう言って佐一は、なぜかとても愉快そうに笑った。なにが『むごたらしい』のかと、それがわからずおみつは首をかしげる。おみつの横ではおよしはうんうんと訳知り顔でなぜかうなずいており、おたまはおみつと同じくぽかんとしていた。
「まぁ、その話はいいさ。それで日取りなんだがね」
佐一は『カステラの宴』の日取りを告げてから、手土産を置いてから去って行った。浮かれた足取りの佐一を見送って、おみつは佐一が置いていった包みを解く。
「……まぁ! 可愛らしい」
そして華やいだ声をあげた。女中二人もそれを覗き込むと、小さく感嘆の声を漏らす。佐一の手土産は大きなびぃどろの瓶に詰め込まれた、金平糖だった。
「まぁまぁ! びぃどろ詰めにされた肌にいい水があるのは知っていたけれど。びぃどろ詰めになった金平糖なんてものは、はじめて見たわ」
戯作者であり薬屋でもある式亭三馬の店では、『江戸の水』というびぃどろ詰めになった肌に付けるための水が販売され、江戸娘たちに人気を博している。付けると白粉がよく伸びると、りんが時々買いに行くのでおみつはそれを知っていた。
「綺麗だねぇ」
おみつはほうっと息を漏らしながら、佐一の手土産に魅入ってしまった。透明な瓶に詰められた金平糖は、まるで星々を閉じ込めたかのようだ。お星様も口に入れたら甘いのかもしれないねぇ、なんて子供のようなことをおみつはついつい考えてしまう。
(もしかすると、びぃどろに金平糖を詰める案は佐一さんが考えたのかもしれないわねぇ。あの方は洒落者だから)
おみつはきらきらと光る金平糖をうっとり眺め続けた。そんなおみつの手元を、およしとおたまもじっと見つめている。物欲しげな二つの視線に気づいて、おみつはくすりと笑った。
「おたま、およし。手を出して」
小さな手が二つ、そっと差し出される。おみつはその手の上に、びぃどろの中の星々をころころと転がした。
おみつも星を口に入れると、それは柔らかな甘さを口内に広げた。
南蛮から数百年前に伝わったとされるそれは、庶民にとっては敷居の高い菓子であり、旅人や病人のための滋養食でもある。ふんだんに使われる卵、どっさりと入れられる上白糖。そんな贅沢な菓子を庶民が日常の中で口にする機会はそうそうない。
なにかの間違いがあって手に入った日には飛んで喜び、まずは仏壇にお供えである。分け前なんかねだられないように、近所連中には当然内緒だ。そして向こうがぼんやりと透けて見えるほどに薄く切ってから、少しずつちびちびと、ありがたがりながら口にする。それがカステラという菓子なのだ。
(それを女中に振る舞うくらいに焼いちまうなんて。さすがというかなんというか……)
おみつは茶を啜りながら、細い狐目を嬉しそうにさらに細める佐一を見つめた。おみつに会うために一両という金額を、なんのてらいもなく払ってしまうような御仁なのだ。それくらいできても、おかしくないのだろうけれど。
おみつもそこそこ裕福な身の上だとの自負はある。自身の『商売』の実入りもあるからなおさらだ。しかしこうしておみつの八卦見目当てで訪れる客を見ていると、大店の人々はやっぱり格が違うと思うのだ。
およしとおたまは、おみつの横でちょこんと正座をしている。愛らしい女中たちの同席を、『二人も来るのだから話を聞くといい』と佐一が望んだからだった。
「やっぱり女の子がいると華があるねぇ。ほら、うちには女中がいないからさ」
佐一にそう言われ、およしとおたまは照れた顔で笑った。呉服問屋に木綿問屋、いわゆる『太物屋』と言われるお店は大体にして男所帯だ。藍屋のように奥女中まで大人数雇っているお店の方が、異例中の異例なのである。
「それで、その催しにはどれくらいの人が集まるんです?」
「おみっちゃんたち以外で声をかけてるのは五人だよ。釜を置いてる工房自体は、そんなに広くはないからね。ああ、ここの上客の藍屋の一太さんにも声をかけたんだ」
一太と佐一は商売上の寄り合いでたびたび顔を合わせる。その寄り合いの時に誘ったのだと佐一は言った。一太に、佐一とは軽口を叩く程度の仲とは聞いているけれど、二人が揃ったところにおみつが居合わせたことは一度も無かった。
「ふふ、一太さんも来るんですねぇ」
おみつは思わず、嬉しそうに頬をゆるめる。知らない人がたくさんだったらどうしたものかと思っていたところに、知人がいると知って安堵したのだ。しかし佐一はそれを別の意味に取ったようで、にやりと口角を上げた。
「どこの娘さんも一太さんに夢中だねぇ。まぁ、あれだけいい男だからなぁ」
佐一は楽しそうに細い指で顎を擦る。おみつはそんな佐一の言葉に目を丸くした。
「いえいえ、そんな。夢中だなんて! そんな事実は一切ありゃしませんよ!」
ふっくらとした手をぱたぱたとさせて、おみつは慌てて否定した。一太は大事な商売相手である。おみつが一太に気があるなんて噂が立ってしまって、根も葉もないそれが元で妙ちくりんな空気になるのはごめんだ。
「ははっ、ずいぶんと否定するんだな。こりゃあむごたらしいこったね」
そう言って佐一は、なぜかとても愉快そうに笑った。なにが『むごたらしい』のかと、それがわからずおみつは首をかしげる。おみつの横ではおよしはうんうんと訳知り顔でなぜかうなずいており、おたまはおみつと同じくぽかんとしていた。
「まぁ、その話はいいさ。それで日取りなんだがね」
佐一は『カステラの宴』の日取りを告げてから、手土産を置いてから去って行った。浮かれた足取りの佐一を見送って、おみつは佐一が置いていった包みを解く。
「……まぁ! 可愛らしい」
そして華やいだ声をあげた。女中二人もそれを覗き込むと、小さく感嘆の声を漏らす。佐一の手土産は大きなびぃどろの瓶に詰め込まれた、金平糖だった。
「まぁまぁ! びぃどろ詰めにされた肌にいい水があるのは知っていたけれど。びぃどろ詰めになった金平糖なんてものは、はじめて見たわ」
戯作者であり薬屋でもある式亭三馬の店では、『江戸の水』というびぃどろ詰めになった肌に付けるための水が販売され、江戸娘たちに人気を博している。付けると白粉がよく伸びると、りんが時々買いに行くのでおみつはそれを知っていた。
「綺麗だねぇ」
おみつはほうっと息を漏らしながら、佐一の手土産に魅入ってしまった。透明な瓶に詰められた金平糖は、まるで星々を閉じ込めたかのようだ。お星様も口に入れたら甘いのかもしれないねぇ、なんて子供のようなことをおみつはついつい考えてしまう。
(もしかすると、びぃどろに金平糖を詰める案は佐一さんが考えたのかもしれないわねぇ。あの方は洒落者だから)
おみつはきらきらと光る金平糖をうっとり眺め続けた。そんなおみつの手元を、およしとおたまもじっと見つめている。物欲しげな二つの視線に気づいて、おみつはくすりと笑った。
「おたま、およし。手を出して」
小さな手が二つ、そっと差し出される。おみつはその手の上に、びぃどろの中の星々をころころと転がした。
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