17 / 28
第二話『焼き芋』
八卦見娘と幼馴染・九
しおりを挟む
そして翌日。
一太は大伝馬町や日本橋の紺屋に手代を訪わせていた。
「唄の師匠のおせんさんが亡くなった。おせんさんには紺屋に勤める恋人がいたそうだが、お弔いにきていない。おせんさんが亡くなったのを知らないのなら気の毒だから、藍屋の一太がその恋人を探してるって触れ回らせてるんだ」
いつもの三好屋の座敷で茶をのんびりと啜りながら、一太はおみつにそう話した。
「これで焦って紺屋の男が、米蔵親分でも掴める尻尾でも出してくれればいいんだけどねぇ。そしたら事件は解決、万々歳だ」
そう言って一太はおっとりと笑う。けれどおみつの胸中は不安でいっぱいだった。
たしかに男は焦るだろう。せっかく松五郎が番屋に入っているのに、繋がりを嗅ぎ回られ、掘り起こされて。自分が下手人だとばれたらと浮足立っているに違いない。そして一太の言うように、これで尻尾を出してくれるかもしれないけれど……
けれどこんなに大々的に一太の名前を出して探してしまっては。おみつが見た明日という日を無事に過ごせた後も、一太が危険なのではないだろうか。これは松五郎を助けたくて自分がはじめたことだ。なのにこれじゃあ、紺屋の男の『敵意』を被っているのは一太ばかりになってしまう。
「一太さん。これじゃ一太さんにばかり……」
「いいの、いいの。おみっちゃんはなにも気にしないで」
おみつの言葉を、一太は白く綺麗な手をひらりと振ってさえぎった。
「さ、おみっちゃん。土産を持ってきたから食べておくれよ」
「一太さん!」
話をあからさまにはぐらかされて、おみつは頬を膨らませる。しかし一太が上品な手付きで風呂敷を解くと、おみつの目は自然とその中身に釘づけになってしまった。
(紅梅焼だわ……)
小さな煎餅を目にしておみつはごくりと喉を鳴らした。紅梅焼は浅草梅林堂が元祖を謳う、生地に砂糖を混ぜて伸ばし、梅の形にして焼いた江戸で人気の菓子である。
「美味しいだろうねぇ、梅林堂の紅梅焼」
にこりと笑う一太の表情をじっと見ながら『こりゃあ話を戻してくれる気はないわねぇ』とおみつは内心ため息をついた。こういう時の一太は案外強情なのを、おみつはそれなりに長い付き合いの中で知っているのだ。
(先のことは追々考えるとして。危険だとわかりきっている明日は、とにかく藍屋にいてもらわないと)
おみつは、真剣な表情で一太を見つめた。
「お願いですから、明日は藍屋にいてくださいね」
「うん、うん。できるだけそうするね」
「本当ですよ? 心配なんですから」
「優しいねぇ、おみっちゃんは」
一太はにこにことしながら、おみつの言葉をはぐらかしていく。だめだ、これが暖簾に腕押しというやつだろうか。なんだかぐにゃぐにゃと正体の無い会話を一太と交わしながら、おみつは女中のおたまが運んできた新しい茶を啜った。
そして次の日の朝。
「ほら、やっぱり! 藍屋にいるつもりなんてなかったのよ!」
おみつは藍屋の軒先でつい悲鳴のような声を漏らしてしまった。
一太のことが心配だったおみつは、また手代の裕次郎を連れて藍屋を訪れた。すると一太は藍屋を少し前に出たと手代に告げられたのだ。目的地は家人に言わなかったらしい。
「一太さんの行き先の心当たりは?」
「へぇ、それがさっぱり」
おみつが捕まえた手代はそう言うと、申し訳なさそうに頬を指でかいた。
(一太さんは自分が囮になって、紺屋の男を捕まえるつもりなのかもしれない)
そう思い当たっておみつの顔は蒼白になった。きっとそうだから、昨日はあんなに会話をはぐらかされたのだ。そして一太がわざわざ自分の名前を出して、派手な聞き込みを手代にさせたのは……
「紺屋の男が、私に注意を向けるのを避けるため……?」
昨日おみつは一太とともに居て、男に関する聞き込みをしていた。それをたまたま知った紺屋の男がおみつに注意を向けても不思議ではない。おみつが見たのはあくまで一太が襲われる光景だけ。その時のおみつが『どうなって』いるかまではわからない。
「ああ、どうしよう」
おみつはまぁるい手を胸の前で組んで、その場を落ち着きなくうろうろとした。
「お嬢さん。若旦那がどうかしたんですかい?」
裕次郎はそんなおみつの肩にぽんと手を置き、大きな瞳をぎょろつかせる。一人でおせんの長屋に行くことは、止められてしまうだろう。藍屋の人間に一から話を通すのも時間がかかりすぎる。だったら裕次郎を説得して長屋に一緒に行くしかない。
「裕さん、私の話を聞いてくれる?」
おみつがそう訊ねると、なにを言われるのかと困惑したのか裕次郎は少し困った顔をした後に『へい』と短い返事をした。
「実は……」
おみつは早口で裕次郎に事情を話した。おみつの話に裕次郎は聞き入り、その表情はどんどん真剣なものになっていく。
「お嬢さんが危ないことをしていたことを、叱りたい気持ちもございやすが。今は急いで若旦那を追いましょう。今ならきっと間に合います」
裕次郎は少しだけちくりと言いつつも、おみつの意をすぐに汲んでくれた。のしのしと前を歩き出す裕次郎の大きな背中を見ながら、おみつはほっと安堵の息を漏らした。
一太は大伝馬町や日本橋の紺屋に手代を訪わせていた。
「唄の師匠のおせんさんが亡くなった。おせんさんには紺屋に勤める恋人がいたそうだが、お弔いにきていない。おせんさんが亡くなったのを知らないのなら気の毒だから、藍屋の一太がその恋人を探してるって触れ回らせてるんだ」
いつもの三好屋の座敷で茶をのんびりと啜りながら、一太はおみつにそう話した。
「これで焦って紺屋の男が、米蔵親分でも掴める尻尾でも出してくれればいいんだけどねぇ。そしたら事件は解決、万々歳だ」
そう言って一太はおっとりと笑う。けれどおみつの胸中は不安でいっぱいだった。
たしかに男は焦るだろう。せっかく松五郎が番屋に入っているのに、繋がりを嗅ぎ回られ、掘り起こされて。自分が下手人だとばれたらと浮足立っているに違いない。そして一太の言うように、これで尻尾を出してくれるかもしれないけれど……
けれどこんなに大々的に一太の名前を出して探してしまっては。おみつが見た明日という日を無事に過ごせた後も、一太が危険なのではないだろうか。これは松五郎を助けたくて自分がはじめたことだ。なのにこれじゃあ、紺屋の男の『敵意』を被っているのは一太ばかりになってしまう。
「一太さん。これじゃ一太さんにばかり……」
「いいの、いいの。おみっちゃんはなにも気にしないで」
おみつの言葉を、一太は白く綺麗な手をひらりと振ってさえぎった。
「さ、おみっちゃん。土産を持ってきたから食べておくれよ」
「一太さん!」
話をあからさまにはぐらかされて、おみつは頬を膨らませる。しかし一太が上品な手付きで風呂敷を解くと、おみつの目は自然とその中身に釘づけになってしまった。
(紅梅焼だわ……)
小さな煎餅を目にしておみつはごくりと喉を鳴らした。紅梅焼は浅草梅林堂が元祖を謳う、生地に砂糖を混ぜて伸ばし、梅の形にして焼いた江戸で人気の菓子である。
「美味しいだろうねぇ、梅林堂の紅梅焼」
にこりと笑う一太の表情をじっと見ながら『こりゃあ話を戻してくれる気はないわねぇ』とおみつは内心ため息をついた。こういう時の一太は案外強情なのを、おみつはそれなりに長い付き合いの中で知っているのだ。
(先のことは追々考えるとして。危険だとわかりきっている明日は、とにかく藍屋にいてもらわないと)
おみつは、真剣な表情で一太を見つめた。
「お願いですから、明日は藍屋にいてくださいね」
「うん、うん。できるだけそうするね」
「本当ですよ? 心配なんですから」
「優しいねぇ、おみっちゃんは」
一太はにこにことしながら、おみつの言葉をはぐらかしていく。だめだ、これが暖簾に腕押しというやつだろうか。なんだかぐにゃぐにゃと正体の無い会話を一太と交わしながら、おみつは女中のおたまが運んできた新しい茶を啜った。
そして次の日の朝。
「ほら、やっぱり! 藍屋にいるつもりなんてなかったのよ!」
おみつは藍屋の軒先でつい悲鳴のような声を漏らしてしまった。
一太のことが心配だったおみつは、また手代の裕次郎を連れて藍屋を訪れた。すると一太は藍屋を少し前に出たと手代に告げられたのだ。目的地は家人に言わなかったらしい。
「一太さんの行き先の心当たりは?」
「へぇ、それがさっぱり」
おみつが捕まえた手代はそう言うと、申し訳なさそうに頬を指でかいた。
(一太さんは自分が囮になって、紺屋の男を捕まえるつもりなのかもしれない)
そう思い当たっておみつの顔は蒼白になった。きっとそうだから、昨日はあんなに会話をはぐらかされたのだ。そして一太がわざわざ自分の名前を出して、派手な聞き込みを手代にさせたのは……
「紺屋の男が、私に注意を向けるのを避けるため……?」
昨日おみつは一太とともに居て、男に関する聞き込みをしていた。それをたまたま知った紺屋の男がおみつに注意を向けても不思議ではない。おみつが見たのはあくまで一太が襲われる光景だけ。その時のおみつが『どうなって』いるかまではわからない。
「ああ、どうしよう」
おみつはまぁるい手を胸の前で組んで、その場を落ち着きなくうろうろとした。
「お嬢さん。若旦那がどうかしたんですかい?」
裕次郎はそんなおみつの肩にぽんと手を置き、大きな瞳をぎょろつかせる。一人でおせんの長屋に行くことは、止められてしまうだろう。藍屋の人間に一から話を通すのも時間がかかりすぎる。だったら裕次郎を説得して長屋に一緒に行くしかない。
「裕さん、私の話を聞いてくれる?」
おみつがそう訊ねると、なにを言われるのかと困惑したのか裕次郎は少し困った顔をした後に『へい』と短い返事をした。
「実は……」
おみつは早口で裕次郎に事情を話した。おみつの話に裕次郎は聞き入り、その表情はどんどん真剣なものになっていく。
「お嬢さんが危ないことをしていたことを、叱りたい気持ちもございやすが。今は急いで若旦那を追いましょう。今ならきっと間に合います」
裕次郎は少しだけちくりと言いつつも、おみつの意をすぐに汲んでくれた。のしのしと前を歩き出す裕次郎の大きな背中を見ながら、おみつはほっと安堵の息を漏らした。
0
お気に入りに追加
487
あなたにおすすめの小説
一ト切り 奈落太夫と堅物与力
相沢泉見@8月時代小説刊行
歴史・時代
一ト切り【いっときり】……線香が燃え尽きるまでの、僅かなあいだ。
奈落大夫の異名を持つ花魁が華麗に謎を解く!
絵師崩れの若者・佐彦は、幕臣一の堅物・見習与力の青木市之進の下男を務めている。
ある日、頭の堅さが仇となって取り調べに行き詰まってしまった市之進は、筆頭与力の父親に「もっと頭を柔らかくしてこい」と言われ、佐彦とともにしぶしぶ吉原へ足を踏み入れた。
そこで出会ったのは、地獄のような恐ろしい柄の着物を纏った目を瞠るほどの美しい花魁・桐花。またの名を、かつての名花魁・地獄太夫にあやかって『奈落太夫』という。
御免色里に来ているにもかかわらず仏頂面を崩さない市之進に向かって、桐花は「困り事があるなら言ってみろ」と持ちかけてきて……。
御庭番のくノ一ちゃん ~華のお江戸で花より団子~
裏耕記
歴史・時代
御庭番衆には有能なくノ一がいた。
彼女は気ままに江戸を探索。
なぜか甘味巡りをすると事件に巡り合う?
将軍を狙った陰謀を防ぎ、夫婦喧嘩を仲裁する。
忍術の無駄遣いで興味を満たすうちに事件が解決してしまう。
いつの間にやら江戸の闇を暴く捕物帳?が開幕する。
※※
将軍となった徳川吉宗と共に江戸へと出てきた御庭番衆の宮地家。
その長女 日向は女の子ながらに忍びの技術を修めていた。
日向は家事をそっちのけで江戸の街を探索する日々。
面白そうなことを見つけると本来の目的であるお団子屋さん巡りすら忘れて事件に首を突っ込んでしまう。
天真爛漫な彼女が首を突っ込むことで、事件はより複雑に?
周囲が思わず手を貸してしまいたくなる愛嬌を武器に事件を解決?
次第に吉宗の失脚を狙う陰謀に巻き込まれていく日向。
くノ一ちゃんは、恩人の吉宗を守る事が出来るのでしょうか。
そんなお話です。
一つ目のエピソード「風邪と豆腐」は12話で完結します。27,000字くらいです。
エピソードが終わるとネタバレ含む登場人物紹介を挟む予定です。
ミステリー成分は薄めにしております。
作品は、第9回歴史・時代小説大賞の参加作です。
投票やお気に入り追加をして頂けますと幸いです。
南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳
勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません)
南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。
表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。
2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。
蒼穹(そら)に紅~天翔る無敵皇女の冒険~ 四の巻
初音幾生
歴史・時代
日本がイギリスの位置にある、そんな架空戦記的な小説です。
1940年10月、帝都空襲の報復に、連合艦隊はアイスランド攻略を目指す。
霧深き北海で戦艦や空母が激突する!
「寒いのは苦手だよ」
「小説家になろう」と同時公開。
第四巻全23話
忍者同心 服部文蔵
大澤伝兵衛
歴史・時代
八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。
服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。
忍者同心の誕生である。
だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。
それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
剣客居酒屋 草間の陰
松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
鵺の哭く城
崎谷 和泉
歴史・時代
鵺に取り憑かれる竹田城主 赤松広秀は太刀 獅子王を継承し戦国の世に仁政を志していた。しかし時代は冷酷にその運命を翻弄していく。本作は竹田城下400年越しの悲願である赤松広秀公の名誉回復を目的に、その無二の友 儒学者 藤原惺窩の目を通して描く短編小説です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる