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第二話『焼き芋』
八卦見娘と幼馴染・五
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「おみっちゃん、どうしたんだい? めずらしいねぇ、うちに来てくれるなんて」
一太は胸に手を当てて少し呼吸を整えてから、白い歯を見せてにこりと笑った。この様子だと一太はおみつの来訪を聞いて急いでやって来たらしい。おみつはなんだか申し訳ない気持ちになる。しかし申し訳ないとは思いつつも、一太と会えておみつの胸には安堵の気持ちが広がっていた。
「その、甘えすぎかとは思ったんですけど。一太さんに頼りたいことがあったので……」
「そうかい、そりゃあ嬉しいねぇ」
そう言う一太は言葉通りに心底嬉しそうだ。おみつはなにがそんなに嬉しいのかと思わず首を傾げてしまった。
「裕次郎さん、店も忙しいだろう? おみっちゃんは私が店まで送るから、帰ってもらって大丈夫だよ」
一太がおみつが連れていた手代の裕次郎にそう声をかける。裕次郎は三好屋に長く務めている、浅黒い肌に大きな体躯の手代だ。眉が濃く、目が大きく、顔の作りはすべてが大ぶりである。その顔は仁王様によく似ているとおみつは内心思っていた。大きくぎょろりとした目でひと睨みされると誰しも怯えてしまう。しかし彼が心配性で気の優しい男であることを、幼い頃から一緒にいるおみつはよく知っている。
「若旦那。これはあっしの仕事ですので」
裕次郎はそう言うと困ったように黒豆のように光る額を撫でた。
(さて、どうしたものかしら)
おみつはふくふくの頬にふくふくの手を当てて思案した。『本物の下手人がいるなら見つけて、松五郎の無実を証明したい』なんて相談の内容を知られてしまえば、真面目な性分の裕次郎はきっと両親に報告をする。そして犯人探しは頓挫し、松五郎は……助からない。
おみつが必死で頼めば裕次郎に口止めをするということもできるだろう。しかしそれをすると真面目で気の優しい裕次郎は、板挟みによる心労で胃の腑をやられてしまうに違いない。
(裕さんには帰ってもらおう)
おみつはそう結論を出して、裕次郎の仁王顔と向き合った。
「裕さん、お話がどれだけ長くなるかわからないから。先に帰ってもらってもいいかしら?」
そう声をかけると裕次郎は濃い眉毛を思い切り下げる。
「しかし、お嬢さん」
「大丈夫よ。一太さんは頼りになるもの」
おみつが粘り強く言うと裕次郎は困った顔をしながら、渋々といった様子で帰ることを承知してくれた。
「若旦那、お嬢さんを頼みます」
何度も何度もそう言って、裕次郎はぺこぺこと一太に頭を下げながら去って行った。
「相変わらず裕次郎さんは真面目だねぇ。大事なお嬢さんが心配な気持ちもわかるけれど」
一太は裕次郎の背中に苦笑を向けた後に、おみつに目をやり優しく笑う。
「じゃあ上がっておくれ。おみっちゃんの話とやらを聞こうじゃないか」
そう言って一太はおみつを藍屋の屋敷へと案内した。
(あんれまぁ。立派なお屋敷だこと)
いつか八卦見で見た長い廊下を歩きながら、おみつは内心感嘆の声を上げた。
藍屋は当然ながら三好屋と比較にならないくらいに大きい。太物屋は男所帯で奥女中は雇わないことが多いが、男衆だけでは細やかなところに目が届かないと藍屋では奥女中も雇っている。当然、男衆と女衆は同じ部屋で寝起きをさせるわけにはいかない。
――つまりは藍屋には屋敷に奥女中を雇い、その部屋を用意する余力があるのだ。
「本当に、立派」
少し開いた襖から見える座敷に目をやりながらおみつは思わず声を漏らした。
「亡くなった祖父が遣り手だったからねぇ」
それに対しておっとりと一太は相槌を打つ。聞こえていたかと恥ずかしくなり、おみつはぺろりと舌を出した。
一太は客間におみつを通すと丁稚に茶と茶菓子を言付けてからおみつと向かい合って座った。一太と相対する場がふだんの慣れた三好屋の客間ではないせいかおみつはなんだか少し落ち着かない気持ちになって、正座した足をもぞもぞとさせた。
「おみっちゃん。今日はどういう用件だい?」
丁稚の運んできたお茶をすすりながら一太は話を切り出した。渡りに船と落ち着かない気持ちを振り払い、おみつはその言葉に乗っかってしまう。
「実は、その……」
おみつが松五郎のことを話し出すと、聞き入る一太の表情が少しずつ固いものとなっていく。おみつが話し終わる頃には一太の表情は不味いものでも食べたかのような苦々しいものになっていた。
「私は、松さんが人を殺せるとは思えません」
「それは、私も同じ意見だ。松さんはああ見えて気が小さいからねぇ」
一太の松五郎に対する見解に、そんな場合ではないとわかっているのにおみつは吹き出してしまった。強面に見えて気が優しい。それが松五郎という男なのだ。
「その手の先が汚れていた男が下手人と思いたいね。青く手先が汚れていた、となると恐らく染料だろうけど。……手ぬぐい屋か、はたまた紺屋か。大伝馬町には溢れかえっているから、困ったものだね」
一太はそう言うと心底困ったという顔で綺麗な眉を下げた。おみつも同じように困ったという顔をする。
「まぁ、地道に聞き込んでみるしかないか。その唄の師匠の周辺で少し聞き込んで、その男のことを探ってみよう。いや……事件を調べた親分さんに話を訊きに行く方が先かねぇ」
「一太さん、そこまでしてもらうわけには」
一太の言葉におみつは慌てふためいた。忙しいだろう大店の若旦那にそこまでさせてしまうわけにはいかない。少し話を聞いてもらって、方針が固まれば幸いだとしかおみつは考えていなかったのだ。
「なぁに。ここまで聞いたら乗りかかった船だよ。おみっちゃん一人に聞き込みやらをさせるわけにはいかないだろう?」
そう言って一太は白い歯を煌めかせながら快活に笑った。
一太は胸に手を当てて少し呼吸を整えてから、白い歯を見せてにこりと笑った。この様子だと一太はおみつの来訪を聞いて急いでやって来たらしい。おみつはなんだか申し訳ない気持ちになる。しかし申し訳ないとは思いつつも、一太と会えておみつの胸には安堵の気持ちが広がっていた。
「その、甘えすぎかとは思ったんですけど。一太さんに頼りたいことがあったので……」
「そうかい、そりゃあ嬉しいねぇ」
そう言う一太は言葉通りに心底嬉しそうだ。おみつはなにがそんなに嬉しいのかと思わず首を傾げてしまった。
「裕次郎さん、店も忙しいだろう? おみっちゃんは私が店まで送るから、帰ってもらって大丈夫だよ」
一太がおみつが連れていた手代の裕次郎にそう声をかける。裕次郎は三好屋に長く務めている、浅黒い肌に大きな体躯の手代だ。眉が濃く、目が大きく、顔の作りはすべてが大ぶりである。その顔は仁王様によく似ているとおみつは内心思っていた。大きくぎょろりとした目でひと睨みされると誰しも怯えてしまう。しかし彼が心配性で気の優しい男であることを、幼い頃から一緒にいるおみつはよく知っている。
「若旦那。これはあっしの仕事ですので」
裕次郎はそう言うと困ったように黒豆のように光る額を撫でた。
(さて、どうしたものかしら)
おみつはふくふくの頬にふくふくの手を当てて思案した。『本物の下手人がいるなら見つけて、松五郎の無実を証明したい』なんて相談の内容を知られてしまえば、真面目な性分の裕次郎はきっと両親に報告をする。そして犯人探しは頓挫し、松五郎は……助からない。
おみつが必死で頼めば裕次郎に口止めをするということもできるだろう。しかしそれをすると真面目で気の優しい裕次郎は、板挟みによる心労で胃の腑をやられてしまうに違いない。
(裕さんには帰ってもらおう)
おみつはそう結論を出して、裕次郎の仁王顔と向き合った。
「裕さん、お話がどれだけ長くなるかわからないから。先に帰ってもらってもいいかしら?」
そう声をかけると裕次郎は濃い眉毛を思い切り下げる。
「しかし、お嬢さん」
「大丈夫よ。一太さんは頼りになるもの」
おみつが粘り強く言うと裕次郎は困った顔をしながら、渋々といった様子で帰ることを承知してくれた。
「若旦那、お嬢さんを頼みます」
何度も何度もそう言って、裕次郎はぺこぺこと一太に頭を下げながら去って行った。
「相変わらず裕次郎さんは真面目だねぇ。大事なお嬢さんが心配な気持ちもわかるけれど」
一太は裕次郎の背中に苦笑を向けた後に、おみつに目をやり優しく笑う。
「じゃあ上がっておくれ。おみっちゃんの話とやらを聞こうじゃないか」
そう言って一太はおみつを藍屋の屋敷へと案内した。
(あんれまぁ。立派なお屋敷だこと)
いつか八卦見で見た長い廊下を歩きながら、おみつは内心感嘆の声を上げた。
藍屋は当然ながら三好屋と比較にならないくらいに大きい。太物屋は男所帯で奥女中は雇わないことが多いが、男衆だけでは細やかなところに目が届かないと藍屋では奥女中も雇っている。当然、男衆と女衆は同じ部屋で寝起きをさせるわけにはいかない。
――つまりは藍屋には屋敷に奥女中を雇い、その部屋を用意する余力があるのだ。
「本当に、立派」
少し開いた襖から見える座敷に目をやりながらおみつは思わず声を漏らした。
「亡くなった祖父が遣り手だったからねぇ」
それに対しておっとりと一太は相槌を打つ。聞こえていたかと恥ずかしくなり、おみつはぺろりと舌を出した。
一太は客間におみつを通すと丁稚に茶と茶菓子を言付けてからおみつと向かい合って座った。一太と相対する場がふだんの慣れた三好屋の客間ではないせいかおみつはなんだか少し落ち着かない気持ちになって、正座した足をもぞもぞとさせた。
「おみっちゃん。今日はどういう用件だい?」
丁稚の運んできたお茶をすすりながら一太は話を切り出した。渡りに船と落ち着かない気持ちを振り払い、おみつはその言葉に乗っかってしまう。
「実は、その……」
おみつが松五郎のことを話し出すと、聞き入る一太の表情が少しずつ固いものとなっていく。おみつが話し終わる頃には一太の表情は不味いものでも食べたかのような苦々しいものになっていた。
「私は、松さんが人を殺せるとは思えません」
「それは、私も同じ意見だ。松さんはああ見えて気が小さいからねぇ」
一太の松五郎に対する見解に、そんな場合ではないとわかっているのにおみつは吹き出してしまった。強面に見えて気が優しい。それが松五郎という男なのだ。
「その手の先が汚れていた男が下手人と思いたいね。青く手先が汚れていた、となると恐らく染料だろうけど。……手ぬぐい屋か、はたまた紺屋か。大伝馬町には溢れかえっているから、困ったものだね」
一太はそう言うと心底困ったという顔で綺麗な眉を下げた。おみつも同じように困ったという顔をする。
「まぁ、地道に聞き込んでみるしかないか。その唄の師匠の周辺で少し聞き込んで、その男のことを探ってみよう。いや……事件を調べた親分さんに話を訊きに行く方が先かねぇ」
「一太さん、そこまでしてもらうわけには」
一太の言葉におみつは慌てふためいた。忙しいだろう大店の若旦那にそこまでさせてしまうわけにはいかない。少し話を聞いてもらって、方針が固まれば幸いだとしかおみつは考えていなかったのだ。
「なぁに。ここまで聞いたら乗りかかった船だよ。おみっちゃん一人に聞き込みやらをさせるわけにはいかないだろう?」
そう言って一太は白い歯を煌めかせながら快活に笑った。
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