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第二話『焼き芋』
八卦見娘と幼馴染・四
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松五郎が捕らえられたことをおみつに伝えたのは、なんと女中のおたまだった。
「お嬢さん、松五郎さんがさっき自身番に連れて行かれたって。会田屋の佐次さんに聞いたんです……」
会田屋へお使いに行っていた女中のおたまは帰ってくるなり、べそをかきながらおみつのところへやってきたのだ。そばかすが浮いた頬には涙の痕がくっきりと残っており、とても痛々しい。佐次というのは木綿問屋会田屋の奉公人である。二十五になる手代で田舎に妹がいるそうで、時々お使いに来るまだあどけないおたまをとても可愛がっている。
おみつはおたまの言葉を聞いて、大きな目をまんまるに開いた。
「あれまぁ。喧嘩でもしたの?」
おみつは繕い物をしていた手を止めておたまに訊ねる。松五郎は人はよいが短気で喧嘩っ早いところがある。だから自身番に連れて行かれるとしても、そのようなことだろうとおみつは思ったのだ。喧嘩くらいなら自身番で頭を冷やすように言われて、すぐに帰ってくるだろう。その時のおみつはそう考えていた。
「……人を、殺したって」
けれどおたまは唇を噛みしめ、前掛けを指先が白くなるくらいの力で握りながらそう言った。おたまの言葉を聞いておみつの頭は真っ白になる。松五郎は喧嘩っ早いが、人を殺せるような人間ではない。
「おたま、馬鹿なことをお言いでないよ」
驚きすぎて、うっかりおたまを責めるような口調になってしまう。するとおたまの目からぽろぽろと涙が零れた。おみつはしまった、と声を荒げてしまった自分を恥じる。おたまは田舎から出てきたばかりの子供なのだ。おみつは立ち上がりおたまのところへ行くと、着物の袖で涙を拭ってやった。
「ごめんね、おたま。びっくりして怖い口調になっちゃったねぇ」
優しい口調で言いながら頭を撫でると、おたまはしゃくりを上げながら首を横に振った。
「でもそれは、なにかの間違いじゃないかしら。松五郎さんはそんなことをする人じゃあないもの」
ふくふくとした手でおたまの手を優しく握りながらそう言うと、おたまはまたしゃくりを上げ……。
「……でも、松五郎さんがおせんさんって人を殺したって。佐治さんが」
ぽつりとそう言った。
――おせん。
その名前におみつの心臓はどきりと跳ねる。先日の先見で見た、唄の師匠の名前じゃないの。
「おたま、詳しく聞かせてもらってもいい?」
おみつの言葉に、おたまはこくりと頷いて会田屋で先ほど聞いたことを話し始めた。
おたまはりんからお使いを頼まれ、早朝から会田屋へと向かった。手に茶を抱え会田屋を訪れると、奉公人たちは店の準備でなかなか忙しそうである。どうしようかと思いながら店先をうろうろしていると、おたまに気づいた佐治が声をかけてきたのだ。
茶を渡し、少し世間話をしている時に佐治がふと口にした。『さっき早坂屋の松五郎が自身番に連れて行かれたってよ。どうやらおせんって女を殺したらしい。おせんが殺されたのは昨日みてぇだよ』と。
おみつの幼馴染でよく三好屋に来る、会話も交わしたことがある男が人殺しで自身番に連れて行かれた。おたまはそれが悲しいのか恐ろしいのかよくわからなくなり、涙を流しながら三好屋に戻り……。気持ちの逃げ場が欲しくなって、奉公人にも甘いおみつのところを訪れたのだ。
「あたしが聞いたのは、それだけなんです。お嬢さん」
おたまはそう言って、また泣きそうになりせぐり上げた。
「わかったわ、おたま。ありがとうね」
頭を撫でて安心させるように言うと、おたまはこくこくと何度も頷いた。知っている人が人を殺した、なんて話は十一のおたまにとって本当に恐ろしいものだったんだろう。そんな話を彼女にした佐治を恨みたい気持ちにおみつはなる。……けれど。
――おせんが殺されたのは昨日みてぇだ。
佐治のその言葉。昨日とはおみつが先見で見た、あの日である。
(先見では松さんの後に男が来ていたわ。……きっとそっちが下手人よ)
松五郎が踵を返して殺した可能性もあるけれど。おみつは松五郎を信じたかった。
おみつは自分の力が『先見』だけであり『過去見』はできないことに臍を噛む。『過去見』もできたら真実を見ることができたのに。この力は、そんな都合のよいものではない。
おたまを女中頭のところに連れて行き、事情を話して叱らないでと笑いながら引き渡した後。店の手代を一人借りておみつが向かったのは一太のいる藍屋だった。
誰かに、これからどう動くべきかの相談をしたかったのだ。そして最初に思い浮かんだのが一太の顔だった。源三郎やりんに相談すれば『危ないから関わるな』と困ったように言われてしまうだろう。松五郎には冷たいようだが、それが親心というものだ。
けれど一太ならおみつの話を聞いて、一緒にどうすればいいかを考えてくれるような気がしたのだ。
(……甘えすぎかしらね。いくら親切だからって商いのお客様だもの)
藍屋の三好屋とは比べ物にはならない大きな店構えを眺めながら、おみつは今さら嘆息する。藍屋の奉公人を捕まえて、一太を呼んでもらったけれど……。一太が捕まらないなら自身番に行き、先見で松五郎の後に来た男を見たことを力説するしかない。
(だけど占いで見たなんて言ったら、頭がおかしいと言われて追い返されてしまうかしら。困ったわ)
そんなことを考え、ため息をつきながらおみつは忙しそうな藍屋の奉公人たちを眺めていた。すると店の奥からばたばたと、珍しく慌てた様子の一太がこちらに向かってくるのが目に入った。
「お嬢さん、松五郎さんがさっき自身番に連れて行かれたって。会田屋の佐次さんに聞いたんです……」
会田屋へお使いに行っていた女中のおたまは帰ってくるなり、べそをかきながらおみつのところへやってきたのだ。そばかすが浮いた頬には涙の痕がくっきりと残っており、とても痛々しい。佐次というのは木綿問屋会田屋の奉公人である。二十五になる手代で田舎に妹がいるそうで、時々お使いに来るまだあどけないおたまをとても可愛がっている。
おみつはおたまの言葉を聞いて、大きな目をまんまるに開いた。
「あれまぁ。喧嘩でもしたの?」
おみつは繕い物をしていた手を止めておたまに訊ねる。松五郎は人はよいが短気で喧嘩っ早いところがある。だから自身番に連れて行かれるとしても、そのようなことだろうとおみつは思ったのだ。喧嘩くらいなら自身番で頭を冷やすように言われて、すぐに帰ってくるだろう。その時のおみつはそう考えていた。
「……人を、殺したって」
けれどおたまは唇を噛みしめ、前掛けを指先が白くなるくらいの力で握りながらそう言った。おたまの言葉を聞いておみつの頭は真っ白になる。松五郎は喧嘩っ早いが、人を殺せるような人間ではない。
「おたま、馬鹿なことをお言いでないよ」
驚きすぎて、うっかりおたまを責めるような口調になってしまう。するとおたまの目からぽろぽろと涙が零れた。おみつはしまった、と声を荒げてしまった自分を恥じる。おたまは田舎から出てきたばかりの子供なのだ。おみつは立ち上がりおたまのところへ行くと、着物の袖で涙を拭ってやった。
「ごめんね、おたま。びっくりして怖い口調になっちゃったねぇ」
優しい口調で言いながら頭を撫でると、おたまはしゃくりを上げながら首を横に振った。
「でもそれは、なにかの間違いじゃないかしら。松五郎さんはそんなことをする人じゃあないもの」
ふくふくとした手でおたまの手を優しく握りながらそう言うと、おたまはまたしゃくりを上げ……。
「……でも、松五郎さんがおせんさんって人を殺したって。佐治さんが」
ぽつりとそう言った。
――おせん。
その名前におみつの心臓はどきりと跳ねる。先日の先見で見た、唄の師匠の名前じゃないの。
「おたま、詳しく聞かせてもらってもいい?」
おみつの言葉に、おたまはこくりと頷いて会田屋で先ほど聞いたことを話し始めた。
おたまはりんからお使いを頼まれ、早朝から会田屋へと向かった。手に茶を抱え会田屋を訪れると、奉公人たちは店の準備でなかなか忙しそうである。どうしようかと思いながら店先をうろうろしていると、おたまに気づいた佐治が声をかけてきたのだ。
茶を渡し、少し世間話をしている時に佐治がふと口にした。『さっき早坂屋の松五郎が自身番に連れて行かれたってよ。どうやらおせんって女を殺したらしい。おせんが殺されたのは昨日みてぇだよ』と。
おみつの幼馴染でよく三好屋に来る、会話も交わしたことがある男が人殺しで自身番に連れて行かれた。おたまはそれが悲しいのか恐ろしいのかよくわからなくなり、涙を流しながら三好屋に戻り……。気持ちの逃げ場が欲しくなって、奉公人にも甘いおみつのところを訪れたのだ。
「あたしが聞いたのは、それだけなんです。お嬢さん」
おたまはそう言って、また泣きそうになりせぐり上げた。
「わかったわ、おたま。ありがとうね」
頭を撫でて安心させるように言うと、おたまはこくこくと何度も頷いた。知っている人が人を殺した、なんて話は十一のおたまにとって本当に恐ろしいものだったんだろう。そんな話を彼女にした佐治を恨みたい気持ちにおみつはなる。……けれど。
――おせんが殺されたのは昨日みてぇだ。
佐治のその言葉。昨日とはおみつが先見で見た、あの日である。
(先見では松さんの後に男が来ていたわ。……きっとそっちが下手人よ)
松五郎が踵を返して殺した可能性もあるけれど。おみつは松五郎を信じたかった。
おみつは自分の力が『先見』だけであり『過去見』はできないことに臍を噛む。『過去見』もできたら真実を見ることができたのに。この力は、そんな都合のよいものではない。
おたまを女中頭のところに連れて行き、事情を話して叱らないでと笑いながら引き渡した後。店の手代を一人借りておみつが向かったのは一太のいる藍屋だった。
誰かに、これからどう動くべきかの相談をしたかったのだ。そして最初に思い浮かんだのが一太の顔だった。源三郎やりんに相談すれば『危ないから関わるな』と困ったように言われてしまうだろう。松五郎には冷たいようだが、それが親心というものだ。
けれど一太ならおみつの話を聞いて、一緒にどうすればいいかを考えてくれるような気がしたのだ。
(……甘えすぎかしらね。いくら親切だからって商いのお客様だもの)
藍屋の三好屋とは比べ物にはならない大きな店構えを眺めながら、おみつは今さら嘆息する。藍屋の奉公人を捕まえて、一太を呼んでもらったけれど……。一太が捕まらないなら自身番に行き、先見で松五郎の後に来た男を見たことを力説するしかない。
(だけど占いで見たなんて言ったら、頭がおかしいと言われて追い返されてしまうかしら。困ったわ)
そんなことを考え、ため息をつきながらおみつは忙しそうな藍屋の奉公人たちを眺めていた。すると店の奥からばたばたと、珍しく慌てた様子の一太がこちらに向かってくるのが目に入った。
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