上 下
7 / 28
第一話『大福餅』

八卦見娘はふくふくである・七

しおりを挟む
 源三郎の了承を得て、おみつは一太を客間へと案内した。きしきしと音が鳴る廊下を踏みしめ歩きながら、おみつはふと先見で見た藍屋の長くて立派な廊下を思い出す。

(本当に大きなお屋敷だったねぇ、あの廊下は一体どこまで続いているのかしら)

 延々と廊下と襖が続いているようだと。そんなあり得ない錯覚を起こしてしまいそうになるくらい、本当に立派な廊下だった。立ち並ぶ襖を開けた先にはきっと、見たこともないような立派な座敷が広がっているのだろう。
 そんなことをぼんやりと考えているうちに、目的地である客間にはすぐに到着してしまった。三好屋の廊下は藍屋のように長くはないのだ。客間に一太を案内ししばらくすると、今日は葉茶屋の仕事で忙しい源三郎ではなく、女中のおたまが慣れない手つきで茶を運んできた。おたまは最近三好屋に奉公にきたばかりの、十一歳の若い女中だ。粗忽なところはあるものの、一生懸命に働き、気働きもいい娘である。彼女は一太を一目見るとぽっと頬を赤く染め、茶の礼を言われてはまた頬を染めと、表情をくるくると変えた後に、名残惜しそうに何度も一太の顔を盗み見ながら客間を後にした。そんなおたまの姿を見ながら、ああやっぱり一太さんは罪な人だわ、とおみつは内心一人ごちた。
 源三郎が忙しい上にりんも出かけており、今日の一太とおみつは二人きりである。そのことにおみつは僅かな緊張を覚えた。ちらりと伺うように一太を見ると、にこりと優しく微笑まれる。その笑顔を見ておみつはお尻がむず痒いような、落ち着かない気持ちになってしまった。

「さて、話をする前に。これを渡しておこうかね」

 一太はそう言うとおみつにそっと風呂敷包みを差し出した。それを見ておみつの瞳はまんまるくなる。

「……今日は商いじゃないんですよね」
「うん、これは藍屋を救ってくれたお礼だよ。おみっちゃんのお陰で大事にならずに済んだから、遠慮をせずに受け取って欲しいのだけれど」

 そう言って一太は美貌におっとりとした笑みを浮かべた。おみつは一太から差し出された風呂敷包をじっと見つめる。その中身は四角い箱のようなものらしい。おみつの中で導き出された結論は一つだけだった。

「……羊羹かしら」

 自然と漏れたおみつの呟きに一太が思わず吹き出した。そんな一太を見ておみつの顔は真っ赤になる。年頃の娘だというのに、おみつの想像はつい食べ物へと飛んでしまうのだ。

「食べられないから、がっかりするかもしれないね」

 一太はそう言うと美しく白い指で、するりと風呂敷を解いていく。ふぁさりと解かれた風呂敷から現れたのは竹皮に包まれた羊羹ではなく、羊羹のように縦に長い美しい白木の箱だった。それがなになのか見当がつかず、おみつは首を捻った。

「開けても、いいですか?」
「うん、開けて中身を見ておくれ。喜んでくれるといいんだけどね」

 一太に促されながらおそるおそる白木の箱を開けると、そこに入っていたのは紅い珊瑚玉がついた鼈甲の簪だった。

「まぁ……!」

 おみつは思わず感嘆の声を上げる。こんな美しい簪は、見たことがない。紅玉は艶めかしい艶を持ち、鼈甲はとろりと甘やかな色味を湛えている。手に取って翳してみると、紅玉はさらに美しく煌めいた。おみつはそれをキラキラと輝く瞳でしばらく眺めてから、ハッと我に返った。

「こ、こんな高価なものは……」
「もらえない、なんて言わないでおくれよ。蔵が焼けたらそれどころじゃない損が出たんだ。遠慮せずにもらってくれると、私は嬉しいんだけどね」

 一太はなんでもない、という風情で言うと涼やかな笑みを浮かべた。
 紅玉も、鼈甲も、非常に高価なものだ。二両、三両……? いや、もっと高価なのかもしれない。簪の値段を想像し、おみつの顔は青くなる。こんな高価なもの、落とすのが怖くて着けて歩けやしない。やはり大店の若旦那は生きている世界が違うのだ。こんな高価なものをぽんと小娘に寄越すなんて。

「とても似合うと思うから、気軽に使ってくれると嬉しいな。そしてね。そのまぁるい紅玉がおみっちゃんによく似ていると思ったから、それを選んだんだよ」

 一太に言われておみつは簪の先についた紅玉に目を向けた。それは丸く、愛らしく。ぴかぴかと美しく艶めいている。そんな素敵なものに似ていると言われ、おみつの胸には気恥ずかしさと、ほんのりとした温かな気持ちが湧きあがった。

「もらって、くれるね」
「……はい」

 念を押すように言われ、おみつは蚊の鳴くような声で返した。こんなもの、着けて歩けやしないけど。大事に大事に、宝物として取っておこう。

「さて、お礼を受け取ってもらったところで……」

 一太の言葉におみつは居住まいを正した。お花の件の顛末を……今から聞かねばならないのだ。

「面白い話じゃないからね。聞きたくないと思ったら聞かなくてもいいんだよ」
「いいえ、聞かせてください。見たものから、どのように変わったのか……やはり気になってしまうので」

 気遣うような一太の言葉に、おみつはきっぱりとそう返した。そんなおみつに一太は微笑みを見せ、あの満月の夜の顛末を話し始めた。
しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

一ト切り 奈落太夫と堅物与力

相沢泉見@8月時代小説刊行
歴史・時代
一ト切り【いっときり】……線香が燃え尽きるまでの、僅かなあいだ。 奈落大夫の異名を持つ花魁が華麗に謎を解く! 絵師崩れの若者・佐彦は、幕臣一の堅物・見習与力の青木市之進の下男を務めている。 ある日、頭の堅さが仇となって取り調べに行き詰まってしまった市之進は、筆頭与力の父親に「もっと頭を柔らかくしてこい」と言われ、佐彦とともにしぶしぶ吉原へ足を踏み入れた。 そこで出会ったのは、地獄のような恐ろしい柄の着物を纏った目を瞠るほどの美しい花魁・桐花。またの名を、かつての名花魁・地獄太夫にあやかって『奈落太夫』という。 御免色里に来ているにもかかわらず仏頂面を崩さない市之進に向かって、桐花は「困り事があるなら言ってみろ」と持ちかけてきて……。

御庭番のくノ一ちゃん ~華のお江戸で花より団子~

裏耕記
歴史・時代
御庭番衆には有能なくノ一がいた。 彼女は気ままに江戸を探索。 なぜか甘味巡りをすると事件に巡り合う? 将軍を狙った陰謀を防ぎ、夫婦喧嘩を仲裁する。 忍術の無駄遣いで興味を満たすうちに事件が解決してしまう。 いつの間にやら江戸の闇を暴く捕物帳?が開幕する。 ※※ 将軍となった徳川吉宗と共に江戸へと出てきた御庭番衆の宮地家。 その長女 日向は女の子ながらに忍びの技術を修めていた。 日向は家事をそっちのけで江戸の街を探索する日々。 面白そうなことを見つけると本来の目的であるお団子屋さん巡りすら忘れて事件に首を突っ込んでしまう。 天真爛漫な彼女が首を突っ込むことで、事件はより複雑に? 周囲が思わず手を貸してしまいたくなる愛嬌を武器に事件を解決? 次第に吉宗の失脚を狙う陰謀に巻き込まれていく日向。 くノ一ちゃんは、恩人の吉宗を守る事が出来るのでしょうか。 そんなお話です。 一つ目のエピソード「風邪と豆腐」は12話で完結します。27,000字くらいです。 エピソードが終わるとネタバレ含む登場人物紹介を挟む予定です。 ミステリー成分は薄めにしております。   作品は、第9回歴史・時代小説大賞の参加作です。 投票やお気に入り追加をして頂けますと幸いです。

南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳

勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません) 南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。 表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。 2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。

蒼穹(そら)に紅~天翔る無敵皇女の冒険~ 四の巻

初音幾生
歴史・時代
日本がイギリスの位置にある、そんな架空戦記的な小説です。 1940年10月、帝都空襲の報復に、連合艦隊はアイスランド攻略を目指す。 霧深き北海で戦艦や空母が激突する! 「寒いのは苦手だよ」 「小説家になろう」と同時公開。 第四巻全23話

忍者同心 服部文蔵

大澤伝兵衛
歴史・時代
 八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。  服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。  忍者同心の誕生である。  だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。  それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

鵺の哭く城

崎谷 和泉
歴史・時代
鵺に取り憑かれる竹田城主 赤松広秀は太刀 獅子王を継承し戦国の世に仁政を志していた。しかし時代は冷酷にその運命を翻弄していく。本作は竹田城下400年越しの悲願である赤松広秀公の名誉回復を目的に、その無二の友 儒学者 藤原惺窩の目を通して描く短編小説です。

インキュバスさんの8畳ワンルーム甘やかしごはん

夕日(夕日凪)
キャラ文芸
嶺井琴子、二十四歳は小さな印刷会社に勤める会社員である。 仕事疲れの日々を送っていたある日、琴子の夢の中に女性の『精気』を食べて生きる悪魔、 『インキュバス』を名乗る絶世の美貌の青年が現れた。 彼が琴子を見て口にした言葉は…… 「うわ。この子、精気も体力も枯れっ枯れだ」 その日からインキュバスのエルゥは、琴子の八畳ワンルームを訪れるようになった。 ただ美味しいご飯で、彼女を甘やかすためだけに。 世話焼きインキュバスとお疲れ女子のほのぼのだったり、時々シリアスだったりのラブコメディ。 ストックが尽きるまで1日1~2話更新です。10万文字前後で完結予定。

処理中です...