月の権利書

永井義孝

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終末送信局 宙へ

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 コノミだったら上手く結べていたのだろうか。
 私はもう三十分も鏡とにらめっこしていた。見えない場所をどうやって編み込めばいいのだ。頭の後ろを撮ってみるけどブレていてなにも分からない。ままならなすぎる。
 私は大きなため息を吐いて時計を見た。こうなると踏んで一時間もはやく起きたのに、結局もうギリギリの時間だ。
「おかあさーん! 髪結んでぇー!」
 部屋から駆け下りて、リビングでテレビの録画を消化している母に泣き付くと、母は面倒そうにドラマを止めた。
「あんた今日自分でやるって言って早起きしたんでしょうが」
「絶対無理だよぉ、私の手先ぐにゃんぐにゃんだもん」
「なに言ってんの?」
 呆れた顔で母が私の髪をほどく。
 朝食の洗い物を済ませた父がリビングに戻ってきた。
「セナはお笑い芸人になれそうだな」
「おとうさんの笑いのツボ浅すぎるんだよ」
 父はすぐ、才能を見いだそうとする。幼稚園児ならまだしも、私は来年から社会人になるというのに。
「今日はどこ行くんだ?」
「ずっと行きたかったパンケーキの店の予約、やっと取れたから行ってくる」
「美紀ちゃんと一緒なの?」
「美紀と、睦月と、慎太」
「ダブルデートか」
「そうなの~!」
 慎太と二人きりのときより、女の友達と一緒のときのほうがお洒落に気合いが入るというのが、不思議なものだ。
 母にセットしてもらって、家を飛び出す。二人とも、わざわざ玄関まで見送ってくれた。
 門から飛び出すと同時に、隣の家から慎太が顔を出す。数年前まではそこに私が住んでいたのに、慎太が引っ越してきて、改装もされてしまって、すっかり他人の家になってしまった。
「おはよ」
「おはよ。今日の髪、かわいいじゃん。自分でやったの?」
「ううん、おかあさんにしてもらった」
「セナには無理かぁ」
「うるさいな」
 住宅街を抜けて大通りに出る。ちょうど、前の時間のバスが遅れて着いたところだった。運が良い。
 しかし、駅に着くとスーツを着た中年男性が耳障りな大音量で演説していて、すぐにげんなりしてしまった。チラシを受け取らないように道の隅を、二人でこそこそと抜けていく。足下にすべり込んできたチラシを避けるのが間に合わず、踏んでしまった。
 政府の陰謀、でかでかと書かれた文字にうんざりする。踏んでしまったチラシに心の中で謝りながら、私たちは駅に駆け込んだ。

 *

 ほら、今日は運命の日だから。
 美紀の言葉に、私はなるほどと頷いた。
 数年前の今日は、隕石が落ちると言われていた日だった。
 人口の半分を宇宙に飛ばしておいて、結局隕石は落ちなかった。何カ国かが共同制作したロケットを飛ばし、軌道をズラすことに成功したのだ。
 しかし宇宙に行ってしまった人たちは、いまだ地球に帰ってきていない。送り出すために使われた宇宙船は一方通行用で、戻ってくるための宇宙船を新たに作るより、新しい居住区に永住することで人類の選択肢を増やすことが優先されたらしい。
 私は親友と両親を宙に取られた。美紀は両親と兄と妹を宙に取られた。睦月は父を宙に取られ、母はストレスに取られた。慎太はこのなかで唯一、運命の日以前と変わらない生活を送っている。
「もうみんな忘れちゃえばいいのにね」
 睦月が呟く。頼んだパンケーキが思っていたより多くて、フォークを止め休憩していたところだった。慎太だけが、黙々と食べ進めている。
 忘れちゃえばいい、の言葉に同意はできなかったが、わざわざ否定する気にもなれずに適当に「ねー」と返事した。美紀も慎太も黙っているから、各々思うところはあるのだろう。
 たまに、私の家だった場所から出てくる慎太に「コノミ」と呼びかけそうになることがある。コノミと慎太は似ても似つかないのだが、家から出て最初に会うのは、いつだってコノミだったからその癖がどうにも抜けない。
 乗り気にはなれない会話になってしまった。耐えかねた美紀がおもむろにSNSを見始めた。三人にも伝染して、睦月の長い爪がカツカツ画面に当たる音だけが聞こえる。
 おかあさんから連絡が来ていた。
『夕飯はどうする?』
『家で食べる予定』
『わかった、作っとくね』
『もし食べに行くことになったら早めに連絡する。もう作ってたら明日食べる』
 OK、とうさぎのスタンプが帰ってきた。
 夕飯の前に、目の前のパンケーキを片付けないといけない。私は天井に向かって大きく息を吐くと、意を決してフォークを握った。

 *

 慎太の着信音が鳴り止まなくて、今日は解散になった。私も美紀も睦月も、どうせこうなるだろうと読めていたから、申し訳なさそうな慎太に気にするなと声をかける。
 美紀と睦月とは駅で別れて、私と慎太は帰りの電車に乗った。
「納得してた?」
「してた」
 慎太の親御さんは、運命の日を経てかなり過保護になった。もともとは離婚目前だったらしいのだが、運命の日を境に絆を確かめ合い元サヤに戻った、というのが慎太の両親の言い分だ。慎太の親御さんとはあまり会話が成り立たない。そういう診断をくだされに行っていないだけ、と慎太は言う。
 慎太一家が私の家に住み移れたのだって、人口が減り、余った家の保存施策のおかげだ。築年数が経っていて耐久に問題がありそうな古い建物に住む住民を、綺麗な一軒家に住まわせた。私は父と母に嫌だと駄々を捏ねたが、所詮小娘でしかなくて、どうすることも出来なかった。家の所有者は宙にいる。
「はやく家を出たいよ」
「出ればいいのに」
「姫菜を置いていけないから」
 姫菜、とはまだ赤ちゃんの慎太の妹だ。家が広くなった記念に生まれた。
 あの人たちが宙に行けばよかったのに、と慎太はたまに呟く。私もそう思う。慎太の親御さんが宙に行って、私の本当のお父さんやお母さん、そしてコノミがここに残っていくれていたらよかったのに。
「セナの前で言うことじゃないね、ごめんね」
「ううん。おとうさんもおかあさんも優しいし、きっと宙で二人も元気だから」
 コノミの両親を、おとうさんとおかあさんと呼ぶほど、私のなかの本当の両親の存在が薄れていく気がしていた。
 最初は、家族と別れた辛さを塗り替えたくて、コノミの両親をそう呼んだのだ。コノミの両親は驚いた顔をしていたが、すぐに私の寂しさと甘えを受け入れてくれた。だけど、時間が経つと、どうにも我が儘なことに、今度はコノミの両親を父や母と呼びたくなくなってしまった。私の両親がすり替わってしまう危機感が夜を長くしたのだ。
 とはいえ今更、呼び方を戻すことは出来なかった。私は、私から、私の意思で、コノミの場所を奪ったのだ。途中でやめていいことだとは思えなかった。
「今日の晩ご飯、なに?」
 わざとらしく話を切り替える。慎太は「牛肉をレンジで温めたやつ」と答えた。
「美味しいの、それ……?」
「全然。でも母さんのマイブームがこれだから。勝手に調味料足したり俺が作るって言ったら発狂しちゃうから食べるしかないよ」
「姫菜ちゃんのご飯はどうしてるの?」
「姫菜の面倒はまともに見てるよ、不思議だよね」
「不思議だね、って言っていいのかわかんないけど」
 慎太は大きく伸びをする。地元駅に着くと、まだ演説が続いていた。

 *

 今日の出来事を両親とコノミ宛てのメールに綴る。
 映像通信はまだお偉方しかできないが、文書でのやりとりは許されていた。
 当然、私がコノミの両親を「おとうさん」「おかあさん」と呼んでいることは内緒にしている。
 最近の進路の話、それからパンケーキの話、慎太の話。本当は毎日送りたいけどやりとりに一ヶ月はかかるし、頻繁に送りすぎてめんどくさがられても悲しいから、二ヶ月に一回で我慢している。送信するが二ヶ月に一回なだけで、メール自体は毎日書き足していっているのだ。
 前回、両親とコノミから届いたメールを見返す。
 コノミも向こうで彼氏が出来たらしい。いまは美容師を目指しているようだ。たしかに手先が器用だったし、私服はいつもお洒落だった。そういえば、宇宙ではこちらと流行が違うのだろうか。画像は禁止されているから、最近の流行をどうにか文字で書き連ねて、そちらはどうかと聞いてみた。
 両親も変わらず過ごしているようだ。お父さんは同じ会社のメンバーでまた企業を立ち上げ、インフラ整備する事業に取り組んでいるらしい。我が父ながら誇らしい。お母さんは元保育士として、近所の子どもたちを自宅で面倒見ていると書いてあった。他人の子どもを預かるなんてきっと私には到底出来ない。彼方にいる二人を尊敬する。
 私はこの先なにになるのだろう。なにになれるのだろう。
 大学でもやりたいことは見つからずに、結局自分でも出来そうな仕事がある職場への就職が決まっていた。ひとまず、お父さんとお母さんが喜んでくれたしそれでいい。少しでもやりがいがあればいいなと思う。
 私はパソコンを閉じた。体を投げた先は、もともとコノミが使っていたベッドだ。父と母に捨てたくないとお願いされ、いまでも私が使っている。別にいい、と言っているのに母がベッドメイクしたがるのは、コノミをどこかに探しているからかもしれない。
 宙でもこんな風に、私たちを思い出してくれているのだろうか。
 地球より課題の多い宙では私たちのことなんてたまにしか思い出さないのかもしれない。だからメールにも寂しさは書けなかった。
 明日は朝からジョギングをしよう。良いことがあるかもしれない。そうしたら、またメールに書くことが増える。私たちを繋ぐものが、まだ途絶えない。

おわり
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