月の権利書

永井義孝

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恋愛小説家

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 失恋をした。実に、十数年ぶりの恋だった。

 僕と彼女は『無名とは言えない小説家』同士で、とある授賞式で知り合い意気投合して以来、月に一度の食事をする仲だ。
 愚痴や苦悩、話題の新作について、行き詰まったネタの行方について。さまざまな問題に、どうしたらいいんだろう? と頭を抱える僕とは反対に、彼女はいつも「まあ、もうどうするかは決めたんだけどね」と笑っていた。

 彼女は好きな服を着る。背が高くスレンダーな彼女は、どんな服でも似合った。流行りのガーリィなワンピースも着ていたし、ボーイッシュなシャツも着こなした。ゴスロリや着物を着てきたことだってある。変わった装いの前日は、いつも「着ていい?」とお伺いのメッセージが来るのが、なんとなく好きだった。

 僕の書く小説は、いつだって日常の域を出ない。誰かの隣に佇む小さな問題たちを、美しい言葉で着飾ってあげるような、そんな小説を書く。
 彼女は、ドラマチックで起承転結がはっきりとした小説を書く。クールな彼女本人からは想像がつかないような、テンポのいいギャグシーンが僕は好きだ。読者に「文章」で笑えと働きかけることの難しさを知っているから、羨ましくもある。

 彼女が好きだ。

 彼女の生活にきっと僕は必要ない。だから惹かれたし、こちらを見て欲しいと思った。

 駅での別れ際、小説家らしからぬ「好きです、付き合ってください」というありきたりな言葉は、初めて僕に彼女の困った顔を見せた。

「あなたは私の貴重な友人だから、あなたの人生を傷つけるような人を選ばないでほしいと思っている。あなたのためじゃなくて、私のために、一緒にいる人を間違わないでほしい」

 そんな、小説のキャラクターみたいなセリフを、彼女は呟いた。ゆっくりと、言葉を大事に選んで、僕に告げた。
 振られた。

 醜い僕は、卑怯な手を思いつく。振られたことを、小説に書いて発表したいと言った。彼女は迷う素振りもなく了承するから、僕はまた寂しい気持ちになる。
 狡い僕は、リアリティを持たせたいと作中の『彼女』の正体も公表したいと言った。彼女はクールな顔で「いいんじゃない?」と答える。

 こんな僕を振った彼女は、正しいことをしたと思う。

 僕の実録小説は、SNSに投稿するなり見たことのないスピードで拡散された。小説家同士のリアルな恋愛だったから、多くの人の興味と関心を誘ったのだろう。
 後悔したことといえば、僕が愛しいと思って書いた彼女の言動を、好ましくないと思った読者が少なからずいたことだ。インターネットの恐ろしさは知っていたはずなのに、彼女に、迷惑をかけた。
 僕が謝罪のメッセージを送ると、彼女から初めて見る喫茶店のURLが送られてきた。いつも行く場所より少しいいお値段で、僕は了承する返信を書きながら、ネットショッピングを中断した。

 それから数分後。彼女が、僕たちの恋愛小説を引用リツイートする。これまで、リツイートだけで感想などひと言も送ってこなかったのに。

『先生に幸せになってほしい反面、こんなに美しい文章を生み出されてしまうと、また悲恋を迎えてほしいと、良くない心が湧いてしまいます』

 当分、僕の恋が成就することはないと確信した。
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