月の権利書

永井義孝

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泡沫を泳ぐ熱帯魚

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※BL

2022/08 泡沫を泳ぐ熱帯魚
 佐一が生まれたときから空き地だったお隣の敷地にマンションが建った。佐一の住むマンションより三階高いマンションで、親が言うには日照権だのなんだの、一、いや、三悶着くらいあったらしい。佐一としても、やっと貰えた自分の部屋から見える景色が、見栄えのしないマンションになるのは少し不満だった。
 それも数ヶ月前の話。最近は、感謝すらしている。
 夕方、高校から帰ると真っ先に自室にこもる。テスト期間だから部活も無い。早く帰れた日は、部屋のカーテンを少しだけ開けて隣のマンションを覗くのだ。
 ちょうど同じ高さの階に住んでいるのは、たぶん二十代の若い男の人だ。テレビで見る俳優みたいに綺麗な体をしていて、煙草を蒸かせる横顔が『儚い』という言葉の意味を教えてくれた。
 初めて見たときは、パンツ一枚で窓際の縁に腰掛けて、ぼう、と空を見ていた。今にも落ちそうな危うい体制が佐一の視線を釘付けにさせたのだと思う。そのうち、体制を変えて煙草を吹かし始めた。煙たくなると思って顔をしかめそうになったけど、意外と煙は口からも漏れない物らしい。珈琲缶の縁を、煙草でトンと叩く所作がやけに綺麗だった。隣のマンションから見えないように、母さんがつけたレースのカーテンが邪魔で、少し開けてしまっていた。その隙間から、男の人も佐一を見ていて、薄く笑って暗い部屋に消えていった。
 男の人に夢中になったのは佐一の人生で初めてだ。寝ても覚めても彼の横顔が頭から離れていかない。誰にも言わないのを良いことに、佐一は彼を身も蓋もなく『エロいお兄さん』と呼んでいる。
 今日もエロいお兄さんは窓際で煙草を吸っていた。少し伸びた前髪の隙間から、優しそうな瞳が覗いている。 お兄さんは薄着を好んでいるのか、見るたびにタンクトップとパンツか、パンツ一枚で過ごしていた。今日は少し風が強いからか白いタンクトップを着ていた。それからよく見る紺色無地のトランクス。形の良い二の腕と、ふくれた胸筋は絵に描けそうなくらい目に焼き付いている。
 お兄さんは呆然とどこかを見ている。このあたりは住宅街で、少し離れたところに山があるくらい。視線の先を突き止められたことはない。
 小さくなった煙草が珈琲缶の中に落ちていく。口さみしいのか、お兄さんは指で唇を撫でた。
 その仕草に一気に腰が重くなる。
 佐一はベッドに戻ってスラックスを脱ぎ捨てた。膨れたパンツの中に手を突っ込む。お兄さんの唇の感触を想像しながら。お兄さんの声を想像しながら。
 ティッシュから漏れて手に付いた白濁を、頭の中のお兄さんと重ねる。また、腰が重くなった。

 テストの最終日は土砂降りで、おまけに佐一は家の鍵を忘れてきていた。
 共働きの両親は暗くなるまで帰ってこない。どうしたものかとマンションの前で立ち竦む。
「どうしたの」
 初めて聴く声は、よく知る人のものだった。
 買い物袋を片手にした、エロいお兄さんが佐一の横に居る。想像よりも低い声で、想像よりも背は高かった。
「君、隣のマンションに住んでるでしょ」
 佐一は驚いて声が出せない。だけどお兄さんは気にせず続ける。
「……うちに来る?」
 それは甘い誘いだった。佐一が立ち竦んでいる理由も聞かないで、お兄さんは言う。そのまま、返事を待たずにマンションに歩き出した。隣のマンションはオートロックだ。ここで追いかけられなければ、二度とチャンスは無い気がして、お兄さんの後を追う。
「あの、すみません」
「いいよ。ずっとあそこにいたら風邪引いちゃう」
 お兄さんは白いシャツにジーンズという、至ってシンプルな、言ってしまえばぱっとしないどころかダサい格好で、それなのに体躯が良いから綺麗に見えた。
 部屋は思っていた以上に簡素だった。日常を過ごすのに支障はなさそうな家具が揃っているのに、お兄さんのものは一つもなさそうな、そんな違和感を覚える。ただの綺麗好きと言えばそれまでかもしれない。しかしこの冷たい部屋も、お兄さんによく似合う。
 お兄さんは、買い物袋を大きな冷蔵庫にそのまま入れた。一瞬だけ見えた冷蔵庫の中は物がほとんど入っていなかったように思う。
 電気が付いているのにどこか暗い部屋で、お兄さんは佐一の手を握った。
「俺のこと、いつも見ていたでしょう?」
 お兄さんに誘われて、佐一の指は柔らかい胸に沈んでいく。
 なにが起きているのか分からなかった。気付けば、ソファの上でお兄さんに覆い被さっていた。
「意外と見えるんだよ、君の部屋。……変態」
 少しうわずった声と、熱い吐息。おそるおそる、胸を触れさせられた指を動かすとお兄さんはわざとらしく声を漏らした。佐一を脚の間に招いて、首の後ろに腕を回す。
「ご両親、いつ頃帰ってくるの?」
「……八時、くらい」
「いっぱいできるね」
 ドッと心臓が跳ね上がる。佐一はたまらなくなって、弧を描く唇にかみつく。キスの仕方が分からずにさまよう舌を、口内に招かれた。舌の裏がびりびりとしびれる。酸素が薄くなって、頭が呆けていく。自分の体を佐一に差し出して、お兄さんは喘いだ。好きなだけ触れさせて、好きなだけ佐一に触れる。湿った体と体はよく吸いつきあった。綺麗な首筋を滴る汗が甘く感じる。そのうちお兄さんは、佐一の上にゆっくり腰を落とした。

 自分の部屋に戻ってきた記憶が無い。
 部活に遅刻する、と叩き起こしに来た母が容赦なくカーテンを開ける。
「あら、」
 母の視線を辿る。窓の向こうには、妙に広くてなにもない部屋があった。
 泡沫のあの人は、佐一に夢を見せ続けることにしたのだろうか。思わず佐一は「よかった」と呟く。
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