10 / 18
約束
3
しおりを挟む
志崎くんの言葉を肯定するように風が吹いた。
ひと足先に枯れた葉が、ひらりとぼくたちの前に落ちる。志崎くんは枯れた葉を目で追いながら、淡々と話を続けた。相変わらず、ぼくに話しているようには思えない口ぶりで、でもぼくは、志崎くんの横顔をじっと見つめながら聞いていた。
「先生にも引っ越すの内緒なんだ。だから満島以外のクラスメイトもみんな知らない。金曜日に学校に行って、家に帰って、そうしたらもう、その夜には別の家に引っ越すんだ」
「先生、きっと心配するよ」
クラスメイトも、と付け足す。
志崎くんはようやくぼくを見て、笑った。声も出さないで、目が細まって、口の端だけはやんわりと持ち上がる、静かな静かな笑い方だ。だけどぼくは、それは本当の笑みじゃないのではないかと思った。なにかを我慢しているような風に見えた。
お母さんがお腹をおさえながら「大丈夫よ」とぼくの頭を撫でた日のことを思い出す。ぼくはもやもやとしたものを抱えながらも、大丈夫だと言うのなら大丈夫だと思うことにしたのだ。
そのときのお母さんと今の志崎くんはとても近い場所にいるような気がした。
ぼくはどうしたらいいの分からないけれど、どうにかしないといけない気がして志崎くんのほうへ手を伸ばす。
差し出した手を見た志崎くんは「なにこれ」と、今度は、たぶん本当に、笑った。
そしてぼくの指を握る。
「仕方ないよ、みんなに話すと怒られてしまうから」
志崎くんの家にいた、乱暴な女性を思い出した。きっと怒るとあのプリントを持っていた日の何倍も恐ろしいのだろう。
同時に、ぼくは高揚感を覚えていた。
まただ。また、ぼくの情けないところが顔を出し始める。
ぼくだけが知っている志崎くんの秘密。誰とでも笑いあえる志崎くんが、ぼくだけに教えてくれた寂しいお話。それはぼくが、志崎くんの中で何か特別なものに成り上がれているように思えた。
どうして、とは聞けなかった。
代わりに、ブランコから立ち上がり志崎くんの前に立つ。志崎くんはぼくを不思議そうな顔で見つめていた。
ぼくを特別にしてくれた志崎くんになにかしてあげたい。冷たい頬を両手で包むと、志崎くんの瞳が大きく開いた。
「金曜日の放課後、志崎くんと一緒に帰りたいんだ」
ブランコが揺れて膝と膝がぶつかり合う。
志崎くんが少しだけ脚を広げた。
「夜に引越しするんだよね。夕方まで遊ぼうよ、連れて行きたいところがあるんだ」
「満島がそんなこと言うなんて思わなかった。いいよ、連れて行って」
満島のお母さんに怒られたりはしないか、と聞かれ、ぼくは「大丈夫」と答えた。きっとさっきの志崎くんや、あのときのお母さんは、こんな心地で笑ったのだろう。
ぼくがブランコに戻ると、ぎぃ、と鉄の擦れる音が鳴った。
ぼくたちは夕方のチャイムが鳴るまで、誰も来ない三角公園で静かに冷たい風を感じていた。
ひと足先に枯れた葉が、ひらりとぼくたちの前に落ちる。志崎くんは枯れた葉を目で追いながら、淡々と話を続けた。相変わらず、ぼくに話しているようには思えない口ぶりで、でもぼくは、志崎くんの横顔をじっと見つめながら聞いていた。
「先生にも引っ越すの内緒なんだ。だから満島以外のクラスメイトもみんな知らない。金曜日に学校に行って、家に帰って、そうしたらもう、その夜には別の家に引っ越すんだ」
「先生、きっと心配するよ」
クラスメイトも、と付け足す。
志崎くんはようやくぼくを見て、笑った。声も出さないで、目が細まって、口の端だけはやんわりと持ち上がる、静かな静かな笑い方だ。だけどぼくは、それは本当の笑みじゃないのではないかと思った。なにかを我慢しているような風に見えた。
お母さんがお腹をおさえながら「大丈夫よ」とぼくの頭を撫でた日のことを思い出す。ぼくはもやもやとしたものを抱えながらも、大丈夫だと言うのなら大丈夫だと思うことにしたのだ。
そのときのお母さんと今の志崎くんはとても近い場所にいるような気がした。
ぼくはどうしたらいいの分からないけれど、どうにかしないといけない気がして志崎くんのほうへ手を伸ばす。
差し出した手を見た志崎くんは「なにこれ」と、今度は、たぶん本当に、笑った。
そしてぼくの指を握る。
「仕方ないよ、みんなに話すと怒られてしまうから」
志崎くんの家にいた、乱暴な女性を思い出した。きっと怒るとあのプリントを持っていた日の何倍も恐ろしいのだろう。
同時に、ぼくは高揚感を覚えていた。
まただ。また、ぼくの情けないところが顔を出し始める。
ぼくだけが知っている志崎くんの秘密。誰とでも笑いあえる志崎くんが、ぼくだけに教えてくれた寂しいお話。それはぼくが、志崎くんの中で何か特別なものに成り上がれているように思えた。
どうして、とは聞けなかった。
代わりに、ブランコから立ち上がり志崎くんの前に立つ。志崎くんはぼくを不思議そうな顔で見つめていた。
ぼくを特別にしてくれた志崎くんになにかしてあげたい。冷たい頬を両手で包むと、志崎くんの瞳が大きく開いた。
「金曜日の放課後、志崎くんと一緒に帰りたいんだ」
ブランコが揺れて膝と膝がぶつかり合う。
志崎くんが少しだけ脚を広げた。
「夜に引越しするんだよね。夕方まで遊ぼうよ、連れて行きたいところがあるんだ」
「満島がそんなこと言うなんて思わなかった。いいよ、連れて行って」
満島のお母さんに怒られたりはしないか、と聞かれ、ぼくは「大丈夫」と答えた。きっとさっきの志崎くんや、あのときのお母さんは、こんな心地で笑ったのだろう。
ぼくがブランコに戻ると、ぎぃ、と鉄の擦れる音が鳴った。
ぼくたちは夕方のチャイムが鳴るまで、誰も来ない三角公園で静かに冷たい風を感じていた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる