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35.Suzunami & Sazanami

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 妻の記憶を外部から得るため。妻と長年過ごし、血縁関係がある人間から取り出すことが鍵。それには自分の子供の記憶を用いるのが手っ取り早い。そんなことは僕にだって容易に予想出来ていたことだった。

 けれど、こうして子と親を目の前にすると、どうして利用しようなどと考えたのか、と思いざるを得なかった。

「パパ」

 ホログラムワールド、鈴波海人によって創られたデジタル世界の中心部、感情思念センター最上階。僕とミユ、そしてこの世界の創造者鈴波海人はそこにいた。

「いや…………まさかそんなはずは……」 

 彼、鈴波海人は僕の背後に視線を移すとさらに体を強ばらせた。

「もう……こんなことは止めよう?失ってしまったものは取り戻せない。いつまでも後ろを振り向いても終わったことは終わったんだよ」

 ミユはさらに、胸のあたりで祈るように両手を握りながら言った。

「ママはまだ生きてる、この胸の中で元気に暮らしてる、って言ってくれたのはパパだよね」

「あ、あ…………そんな……私はプロテクトをかけたつもりだ……少なくとも私や妻のことは思い出せないように制限をかけた」

 そう言うと彼は右手を上げ、モニターを映し出した。おそらく、ミユのデータを確認しようとしたんだろう。

 しかし、彼の眼前に佇む女性が回転する歯車を取り除くが如く、話を切り出した。

「わたしがやったの。アクセスを許してくれたマスノマデイックに話しかけてね。今さっき一発本番だったけれど、うまくいって良かった」

「どうして!?私たちのことを知らなければ、知ることの辛さを、痛みを、苦しみを味わわずに済むのに…………どうして……」 

 必死に主張しようとする彼を優しげな目で見つめ、語りかけた。いや、と言った方が正しいような気がする。

「あなたを止めるためよ」

「これ以上、わたしを追わないようにするため。わたしが居なくても生きていけるようにするため。そして何より、あなたに生きてほしいという願いがあるから」

「私に生きてほしい…………?」

「あなた。この世界で結果が得られなかったとしたらどうするつもりだったの?」

「それは…………」

「追ってくるつもりだったのでしょう?植物状態のわたしから生命維持装置を外して、あなたも自ら命を捨てる。そんなの簡単に想像できるもの」

 沈黙する彼は妻とミユを交互に見つめる。

「ああ……そのつもりだったよ。これでも無理だったら自分の力不足と愚かさに罪を着せて身を投げようと」

「だからよ。もしそんなことしたらわたしは許さない。その宣告のつもりで心優のホログラムに記憶を引き渡したの」

「許さない…………?」

 白色の肌をもつ女性は容姿とはそぐわない様子で声を荒らげた。

「当たり前よ!!あなたが居なくなったら誰があの子達を支えてあげるの?寂しい気持ちがあるのはあなただけじゃないのに、苦しいからもう嫌だって投げ出すなんて」

「そんなことしたらあの世でまた会ったとしても、ぜったいに許さないんだから」

 そんな姿に彼は呆気に取られていた。

「私は間違っていたんだな……この世界にしても、自分の在り方についても。君の意識を取り戻すことを名目にしてただ私は逃げたかったんだ。非情な現実を目の前にして嫌だ、怖いと、子供のように我儘を言いながら」

「すまなかった……全て私の過ちだ」

 膝から崩れるように床に倒れこむ彼、鈴波海人。僕と同姓同名の彼はやはり僕自身なのだろうか。

「少し…………僕から聞きたいことがあるんだけど」

「僕と君は同一人物なのか?」

 凍り付く空気。満たされる部屋。誰も彼も口を噤む光景に僕は禁句だと改めて思った。だけど、聞いてはならないことだとしても聞きたいと言わずに過ごすのはもう沢山だったのだ。

 そして僕の問いに渋々答えてくれたのは、やっぱりだった。

「そうだ」

「私とお前は同一体。記憶を覗いた際、薄々そうだろうとは思っていたが。今、再度疑問視されたというのならば、確証は得た」

 僕が二人、現実ではあり得ないことだ。この世界の理を破壊している。しかし、世界が二つであるというのなら話は別だ。

「その顔を見る限り、察しが良いな。そうだ、私が生きている世界軸とお前の軸は別物なんだ。要はパラレルワールドのように簡略化されたものでなく、エヴェレットの多世界解釈のように厳格に決められた分岐点もない曖昧な次元と思ってくれればいい」

「まさか…………そんなことが本当に?」

「ははっ。そうかお前たちの世界ではあまり科学は進歩していないんだな。どうりでホログラム関連の情報体に疎いわけだ」

 確かに彼の言う通りだ。僕が生きていた世界では人を、物を情報に置換させホログラムに変換させる技術などなかった。MBTだって脳内にアプローチしようと試みようとはすることは何度かあったけれど、確実に数値化された結果が得られたことはなかった。感覚共有、記憶共有の類もだ。


「つまりお前は私のホログラムワールドに忽然と乱入してきたわけだ。ん……いやまて、ならばその体の持ち主は本来は誰のものなんだ?」

 彼は空中に浮かせたモニターを触れる。タブレットを扱うように、指で左右にスライドさせると、突如指の動きが止まった。

「な……そんなことが」

 驚きに満ちた表情を彼は見せていたけれど、僕はそこまで驚きはしなかった。この世界で目覚めた場所と初めて出会った人物。それさえ思い出せれば大体僕の体の持ち主などとうに予想できる。

「君と大いに関係のある……鈴波漣レン君だよね?」 
その名前をどうして……そうじゃない、どこで聞いたんだ!?」

 海人は取り乱していた。僕にはこの世界のデータベースへのアクセス権限は持ち合わせてはいない。だからってこの体の持ち主とも直接的に関わりだってあるわけがない。

「本人から……かな?」

 僕は知らない。どうしてあの人の、ニクシミが口にした名前がこの体のものだと分かったのか。もしかしたら、当てずっぽうで答えたのかもしれないし、そうでないかもしれない。

 だけど、海人は僕の答えに納得したような、子供が親離れするのを見届けるような温かな声を洩らした。

「ああ……そうか……成長したんだな、レン」

「私の長男のデータベースを覗いたんだ。記憶と感情の数値を確認しようとね。そしたらなんだ、感情は綺麗さっぱり数値化され、記憶はオールゼロ。まっさらな白紙だ」 

「それはつまり?」

「ふふっ、反抗期らしい」

 彼は笑っていた。頬を緩ませていて、それでもどこか悲しげな目をしていて。たぶん、嬉しかったのは事実なんだろう。自分の子供が成長しているのを見れる喜びと子供たちに目を向けなかった自分の情けが入り混じっているんだ。

 だからミユに対して視線をすぐ逸らそうとするんだ。
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