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24.Don't stop and move:

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 ***B

 彼は、ニクシミというエモーショナーは立ち去った。

 僕の隣には誰もいない。代わりにベンチに染みついた木目だけが視線の先にあった。薔薇に包まれた休憩場。東西南北どこを向いても色とりどりの薔薇に、棘が無い又は葉が付いていない種と多種多様なものが植わっている。

『理解出来ない』

 彼は僕の話を聞いてそう言った。きっとそれは率直な意見だったんだと思う。それこそ嘘偽りのない、心から抱いていることだと。

 憎悪の必要性。

 逆恨み、嫉妬のような類を人間が持っていなければならない必然性。この世界には無くてはならない重要性。

『そういうものなのか?』

 知りたくて、でも知れなくて。自分が生まれた性によって、人が勝手に決めつけた命令によって束縛された彼のことが僕は本当にいたたまれなかった。

「感情の動向を探る………か」

 一人、僕は小言を言う。冷たくなった腰の感触を確かめながら、地面を俯く。両手の人差し指同士を合わせ、再び離す。

「だから感覚共有とか記憶共有があるのか。自分の考えていることが完璧に相手に伝えるようにするために」

 人間はちょっとしたことでいざこざを起こす。たった一涙ほどの勘違いだというのに、僕らはそれが唯一無二の起爆剤となって揉め事へと発展させてしまう。戦争、紛争だってそうだ。考え方の違いが、ボタンの掛け違いとなって大きな争いを生む。

 そのための予防策。けれど考え方が違いを正すことがはたして幸せにつながるだろうか。

「違う。それはきっと辻褄合わせに利用しただけだ」

 違う考え方をして何が悪いんだ。違うなら、それを相手に言えばいい話じゃないか。それをせずに自分の意見を、感情をぶつけるだけで済ませるから争いが生まれてしまうというのに。

 MBTを開発した人間はそれを理解しているというのだろうか。

 感情を一つに、パレットをカラフルにせず一色に染めてしまう行為の怖さを。

 突如、ベンチに座っている僕の左側、つまりは花畑の西側から声が聞こえてきた。

「こんなとこにいて何してんのよ。まさか疲れたから休憩、なんて言わないわよね?」

 この世界では僕の妹となっている、ミユという少女。

「そのまさかだよ。ミユの方こそどうしてここにいるの?」

 花で埋まっている小路を掻き分けて僕の方へ近づいてきた。道中、「痛い痛い」と薔薇の棘が手に刺さったのか悲鳴を挙げていたけれど、僕の隣に座った途端、ミユは何事もなかったかのように自然を装っていた。

「痛そうだったね」

「うっさい!!身長が低いからって背丈の低い花の棘がちょうどよく刺さったなんて言ったらぶっ倒すから」

「そんなこと一言も言ってないよ………何でもかんでも僕のせいにしないでくれないかな。いくら身長がコンプレックスだとしてもさ………」

 「何か言ったーー?」とミユは僕に脅迫してきた。相変わらず背丈に似合わない言動と行動の少女だ。まだ世界の広さをあまり知らない、僕が生きている頃の感覚で言えば小学4、5年生ほどの幼ない子供だというのに。彼女はランドセルよりももっと巨大なものを背負おうとしている。

「それで………レンさんはどこにいったの?」

「あの人とは……もう会えなくなっちゃった。ちょっとばかし長い旅に出るってさ」

 僕は嘘をついた。自分で言うのもなんだけれど僕自身嘘をつくのはあまりうまい方じゃない。出世するなら嘘なんて二の次だったからだ。

「……うそつき」

 だから簡単に見破られてしまった。この世界に空を滑空するサンタさんなんて存在しないという子供にとって無慈悲な現実を知らしめた感覚だった。たとえ嘘でもいい、どうしたって知るべき事実じゃないはずなのに。

「どうして私には本当のことを言ってくれなかったの?」

 僕は冷や汗が額から頬にかけて伝った。周りに植わっている薔薇の香りが嫌に鼻孔をくすぐる。それは怖いくらいに。

「どういうことミユ?」

「知らないふりをしないで!!レンさんのことからあんたのことまで全部聞いてた!!」

 ミユは僕に視線を合わせようとしない。北の方を、地平線の先にある花畑をじっと見つめている。その姿は普段よりも凛としていて、刺々しさが彼女から感じられた。

「レンさんはエモーショナーって人で、考えることが操られてて、あんたはこの世界の人間じゃないってことも」

「それは……」

「分かってた。何もかも。あんたが記憶をすっかり忘れちゃったころから薄々感じてた。もう兄としてのあんたはいないんじゃないかって」

「だからって同情しないで。可哀そうだなんて思わないで。別に何とも思ってないんだから」

 瞳は未だ花を映し続けている。強情だとか、意地っ張りだとか、僕はミユのことを小さな頑固な子供だなんて思えなかった。

 むしろ逆に変わらない眼差しを、涙を一筋も流さない姿の彼女のことを尊敬していた。

「君は………本当にすごいんだね、僕よりも強い。気持ちも、落ち込まないその意思も」

「だから、同情なんてするなって………」

「同情はしてないよ。僕にはする資格なんてないから。君の本当の親、肉親でも、友人でもなかったんだ。そんな無関係な人間が君のことを思うなんて失礼だ」

 ミユは視線を変えない。青空のもとに咲く、花々を見続けている。だけど、少しだけベンチの上に乗せた両手の握りこぶしに力が込められたように見えた。

「ふんっ。私のことはもういい。とにかくレンさんはどうするの?このまま見放すわけ?」

 僕は一度考える。彼は言ったはずだ。もう自分には時間がないと。

「いやそんなことしない。絶対に、何としてでも助ける」

「じゃあ、こんなところで時間を食ってて言いわけ?もうレンさんもこの花畑から遠くへ行っちゃうよ」

「いいよ」

「はあ?何言ってんの?レンさんがいなくなったらそれこそ取り返しのつかないことに………」

「あの場所に行く。あの人が縛られている原因。それを解き放つために」

 ミユが見つめている先。北のもっとむこう、高くそびえる円柱型の塔。僕は人差し指でその目的地を指さす。

 再度確認したミユはやがて、ようやく僕の方へ振り返った。

「なんだ、もう分かってんじゃない。私から一度喝を入れようと思ったのに、期待して損した」

 そして少女の表情は安堵と期待に包まれていて、笑っていた。決して少女らしいとは言えないあくどい笑みだったけれど、僕にはその方が安心した。たぶん、童心に帰ったとかそんな類なんだろう。自分たちだけで作った秘密基地に隠れて集合するのと似ている。

「なら、そうと決まれば結構結構。ほら、行くわよ」

 ミユはベンチから飛び降り、背伸びをする。時々、柵から身を乗り出している薔薇達に猛攻撃を喰らっている。

「そんな状態で乗り込めるのかなーー?」

「はああ?またあんた琴線に触れちゃいけないことを口にしたわね」

 僕も一歩踏み出す。目指すは北に位置する塔。

 エモーショナーにMBT、きっと僕らを待ち受けるのは気持ちのいいことじゃないと思うけれど。

 それでも僕は僕の信念のために、突き動かしていく。

***A


 これで俺ももう未練はない。本物の人間から教えられたんだ。感情というのがどんなものなのかを。

 消えることは確実だ。ドクターからの宣告から数時間は経過している。現在時刻はちょうど2時。短針が6を示す頃合いになれば俺の体の機能は何もかも失うこととなるだろう。

『気分はどうだい?ニクシミ君。せめてもの慈悲を味わえているかネ』

 花畑を出ようとした時、ドクターからMBTへの通信が行われた。

『ああ、まったくテメェが用意した供えものは反吐が出そうな味だぜ』

『ほほう、これはこれは威勢がいいねえ。何か調子が良くなるようなことでもあったのかい?』

『調子か……調子なんてこれっぽちもよくなってねえさ』

 左手の感触が無い。俺はこの出口に来るまでにどこかに落としてしまったのだろうか。

 だが、代わりとして右手には確かな痛みが残っている。棘がついている証だ。ただ一本だけ残された赤くて妖艶な薔薇。

『だが………気分はいい。空が一面真っ青になるほど清々しい』

 カナシイとか、ウレシイとか、一個一個の感情がどんなものかは理解出来ない。ただ理解しようとする試みは俺にも出来る。あいつはそう言った。

 別にホログラムでもいい、重要なのは嘘から何を見出すのか。そしてその見出したことに嘘をつかないことだと。

『テメェらがやっていることの善悪を、俺には正すことは出来ねえ。エモーショナーだからな、対等な立場じゃない』

『何が言いたい?』

 俺はふと口角が吊り上がってしまう。口端に皺が寄って腹の奥が少し痛む。

『ただ別の立場から言わせてもらうとな。テメェらのやっていることは』

『的外れにすぎんだよ』

 まただ。煮えかえるような熱さじゃないのに、痛みだけが電気を流されるように走る。そうか……これもまた別の感情というわけか。

 ドクターから返事が返ってこない。無言のままだ。普段のような笑い文句が奴の口から出てこない。

『気に障ったかドクター?まさかテメェが所持していた、利用していた試験体から言われるなんて思ってもみなかったもんな。ハハッ』

『じゃあな。言いたいことを言えてせいせいしたぜ』

 一方的に切ってしまった。何もドクターからの返事が聞きたくなかったわけじゃない。聞いたとしても俺には何ら関係がないと思ったからだ。折角、新しく生まれた感情が邪魔されて消えてはつまらないし。

「さて、もう自分の時間か。好きなこと、ってもパッと思い浮かばねえな」

 夕方になれば俺の命は尽きる。それまで自由の身だ。感情をコントロールされた身だが、何がしたいかはこの俺の脳で決めてやる。

 そうして、まるで透明な水に溶け込むような清々しい気持ちで俺は花畑を後にした。

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