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16.後始末
⓷ 届かぬ……
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鶴丸の予想通り、加山本蔵は自分の三男で、同じく代々中老職を勤める家柄の笠原家の養子となっていた笠原主税を留守居役に据えた。
ちなみに主税の養母は、笠原家に嫁した本蔵の妹である。一応は江戸育ちの主税だが、これまで大した役目も勤めてきておらず、鶴丸の登城の段取りもまともにできぬ体たらくを見せつけた。
その水目藩江戸藩邸の無能振りを、仁介は見事な庭を見渡す事の出来る保明の書斎で聞かされた。
あれほどの怪我をしながらも、一旦公務に戻ったからにはおくびにも出さず、保明は以前のように泰然と、いや能吏然として仁介の見事な笛の音を聞いている。
合間に打ち明ける言葉にも色艶はなく、まるで役人の伝達事項のように淡々と話すその怜悧な顔が仁介にはちょっと小憎らしく、保明が吹くときにはやたらと細かく指摘をしてしまうのであった。
そう、あくまで笛の稽古という体で、二人は譜面台を挟んで、手も届かぬ距離に向かい合って座していた。
「良いのか。あまり粗相をすると、またぞろ狙われるぞ」
意地悪そうに上目遣いで挑発する保明に、仁介は婉然と笑った。
「その為に、袖にされても袖にされても、懲りずにこうして笛指南に参っておるのです」
「袖になど、しておらぬ」
保明が膝を詰めようと腰を浮かしかけると、仁介は手でそれを制した。
自分達は最早、ただの奏楽の師弟に過ぎぬ事を、仁介は無言で保明に伝えたのであった。
「むしろ袖にされておるのは私の方じゃ……壱蔵め、今頃呑気にどの辺りを歩いておるか」
「義姉と夫婦水入らず、そうそう、以前から伊勢の五カ所浦に行きたがっておりましたから、或は舟旅で遠州灘あたりに差し掛かっておるのやも知れませぬ」
「五カ所浦、愛洲の里か」
仁介が笛を膝の上に置き、瞼を伏せた。
「はい。貴方との恋の苦しさに、私が泣いた里でございます」
「……仁介! 」
仁介は瞳を潤ませ、譜面台を蹴倒して駆け寄ってくる保明の唇を迎えた。
愛洲の愛 黎明編 <了>
ちなみに主税の養母は、笠原家に嫁した本蔵の妹である。一応は江戸育ちの主税だが、これまで大した役目も勤めてきておらず、鶴丸の登城の段取りもまともにできぬ体たらくを見せつけた。
その水目藩江戸藩邸の無能振りを、仁介は見事な庭を見渡す事の出来る保明の書斎で聞かされた。
あれほどの怪我をしながらも、一旦公務に戻ったからにはおくびにも出さず、保明は以前のように泰然と、いや能吏然として仁介の見事な笛の音を聞いている。
合間に打ち明ける言葉にも色艶はなく、まるで役人の伝達事項のように淡々と話すその怜悧な顔が仁介にはちょっと小憎らしく、保明が吹くときにはやたらと細かく指摘をしてしまうのであった。
そう、あくまで笛の稽古という体で、二人は譜面台を挟んで、手も届かぬ距離に向かい合って座していた。
「良いのか。あまり粗相をすると、またぞろ狙われるぞ」
意地悪そうに上目遣いで挑発する保明に、仁介は婉然と笑った。
「その為に、袖にされても袖にされても、懲りずにこうして笛指南に参っておるのです」
「袖になど、しておらぬ」
保明が膝を詰めようと腰を浮かしかけると、仁介は手でそれを制した。
自分達は最早、ただの奏楽の師弟に過ぎぬ事を、仁介は無言で保明に伝えたのであった。
「むしろ袖にされておるのは私の方じゃ……壱蔵め、今頃呑気にどの辺りを歩いておるか」
「義姉と夫婦水入らず、そうそう、以前から伊勢の五カ所浦に行きたがっておりましたから、或は舟旅で遠州灘あたりに差し掛かっておるのやも知れませぬ」
「五カ所浦、愛洲の里か」
仁介が笛を膝の上に置き、瞼を伏せた。
「はい。貴方との恋の苦しさに、私が泣いた里でございます」
「……仁介! 」
仁介は瞳を潤ませ、譜面台を蹴倒して駆け寄ってくる保明の唇を迎えた。
愛洲の愛 黎明編 <了>
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