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8. 死闘への道行
➅ 筒井筒
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粗末な屋根があるだけの戸外の湯船に、鶴丸と志免は並んで浸かっていた。湯で暖まっている体に、川からの涼風が心地よい。
「生き返るなぁ」
しみじみと、鶴丸が呟いた。その横顔は、望月の里を出た頃よりも随分と逞しく見えた。
「江戸に着いたら、鶴丸とこんな風に並んで風呂に入るなんて、出来ないんだろうね」
「おまえにあんな酷い事をした俺と、こんな風に一緒に居て、怖くはないか」
「怖くないよ……何でかな。こうして鶴丸を側に感じていられると、安心する」
志免が、水の中で鶴丸の腕に両腕を絡ませて体を寄せた。
「し、志免っ」
うっとりと志免が目を閉じた途端、鶴丸が水音を立てて志免に向き直り、華奢な両肩に指を食い込ませて息を吸い込んだ。
「志免、俺……俺、もっと強くなりたい」
突然吐き出された切実な叫びに、志免は驚いたまま瞬きを繰り返した。
「仁兄や燦兄と共に旅をして、如何に自分が自分すら守れぬ役立たずかを知った。役立たずでは、おまえを守れない」
里に居た頃には見た事の無い、澄み切って真直ぐな鶴丸の瞳に、志免は逃れようも無く射すくめられていた。
「おまえを守りたい」
「鶴丸は、守ってくれているよ」
志免が手を差し伸べた。子供の様な小さな手で、鶴丸の頬を優しく撫でたのだった。
「私の為に、鶴丸は敵を斬った。本当は汚してはならない手なのに……鶴丸が守ってくれなかったら、私はとっくに死んでた」
冷めた湯を撒き散らせて、鶴丸は志免を強く抱きしめた。
鶴丸と志免が長過ぎる湯浴みから戻った時、仁介は一人、囲炉裡の側で茶碗酒を煽っていた。鶴丸は、土間から上がるなり仁介の手から茶碗を取り上げた。
「仁兄、こんな時にすまねぇが、稽古をつけてくれないか」
仁介は、乱暴に酒を煽る鶴丸の横顔をしばらく見据えていた。
「良いだろう。その突っ張り棒を持て」
肴の支度をしていた善蔵が、心配そうに鶴丸に突っ張り棒を手渡した。
「待って仁ちゃん、私も」
「おまえは明日の支度をしておけ」
善蔵に志免を出すなと目で言いつけ、仁介は無腰のまま河原に出た。
先に河原に立っていた鶴丸は、石場を避けて湿り気のある土手に上がった。江戸の様な往来とて無い土手には、冬間近というのに雑草が生い茂っている。その腰の辺りまでに伸びている草を刈るようにして、鶴丸は棒の上げ下ろしを繰り返し、体を慣らした。
「いいぞ、参れ」
仁介は空手のまま、まるで月でも眺める風流人のような自然体で立っていた。隙だらけかと思いきや、打ち込もうにも剣気のようなものが張り巡らされていて容易に手が出せぬ。
「どうした、早くしろ」
じりじりと、鶴丸が慎重に間合いを詰めて行った。初めは生意気にも左脇構えで脇を締め、腰をよく落として足場を確保していた。
実戦の中で少しは待つ事を学んだか、と仁介が感心した瞬間、鶴丸が刀を水平に寝かせるようにして一閃した。走り込みの一閃を仁介は袖をそよがせるようにして躱し、右横に駆け抜けた鶴丸の右肩を手刀で打とうとした。
「させるか」
だが、鶴丸は身軽に身を屈めたまま軸足で反転し、伸び上がり様右逆袈裟に斬り上げてきた。だが仁介はトンボを切って後方に退き様、振り上げた足で鶴丸の手首を蹴り、その手から刀を弾き飛ばした。
月に刃を煌めかせる刀の如く、夜空に舞い上がった棒は、直立した仁介の右手にすっぽりと収まった。
「くそう、仁兄は化け物だよ」
「こら、美しきお兄さまに向かって失敬な」
鶴丸は悔し気に、その場に座り込んだ。
「まだ型もできていないのに、無茶な仕掛けをするからだ。江戸に付いたら、兄上の元で死ぬ程修行しろ。兄上の剣こそ、まぎれもなき愛洲正統の剣だ。私や燦坊の様な、忍術との混ぜ物ではない」
「だが、仁兄は強い……俺、強くなりたい」
項垂れる鶴丸に歩み寄り、仁介が棒の先でその頭を小突いた。
「そんなに志免が愛しいかえ」
意表を突かれた鶴丸が、驚いた顔で見上げた。額の汗が、月に照らされて光っている。
「私に何が起ころうと、お前は志免の手を引いて前だけを見て進め。ま、本当はこの台詞、志免に言うべきなんだけどね……」
冗談めいて肩を竦める仁介の前に、鶴丸が立ち上がった。いつの間にか、仁介と変わらぬ程までに、鶴丸の背は伸びていた。
「志免の手は、絶対離さねぇ」
真直ぐに仁介の目を見据え、鶴丸は約束した。その真摯な目に、仁介が頷き返した。
「男の顔になってきたな」
突っ張り棒を鶴丸に預け、仁介は先に宿へと戻って行った。
「生き返るなぁ」
しみじみと、鶴丸が呟いた。その横顔は、望月の里を出た頃よりも随分と逞しく見えた。
「江戸に着いたら、鶴丸とこんな風に並んで風呂に入るなんて、出来ないんだろうね」
「おまえにあんな酷い事をした俺と、こんな風に一緒に居て、怖くはないか」
「怖くないよ……何でかな。こうして鶴丸を側に感じていられると、安心する」
志免が、水の中で鶴丸の腕に両腕を絡ませて体を寄せた。
「し、志免っ」
うっとりと志免が目を閉じた途端、鶴丸が水音を立てて志免に向き直り、華奢な両肩に指を食い込ませて息を吸い込んだ。
「志免、俺……俺、もっと強くなりたい」
突然吐き出された切実な叫びに、志免は驚いたまま瞬きを繰り返した。
「仁兄や燦兄と共に旅をして、如何に自分が自分すら守れぬ役立たずかを知った。役立たずでは、おまえを守れない」
里に居た頃には見た事の無い、澄み切って真直ぐな鶴丸の瞳に、志免は逃れようも無く射すくめられていた。
「おまえを守りたい」
「鶴丸は、守ってくれているよ」
志免が手を差し伸べた。子供の様な小さな手で、鶴丸の頬を優しく撫でたのだった。
「私の為に、鶴丸は敵を斬った。本当は汚してはならない手なのに……鶴丸が守ってくれなかったら、私はとっくに死んでた」
冷めた湯を撒き散らせて、鶴丸は志免を強く抱きしめた。
鶴丸と志免が長過ぎる湯浴みから戻った時、仁介は一人、囲炉裡の側で茶碗酒を煽っていた。鶴丸は、土間から上がるなり仁介の手から茶碗を取り上げた。
「仁兄、こんな時にすまねぇが、稽古をつけてくれないか」
仁介は、乱暴に酒を煽る鶴丸の横顔をしばらく見据えていた。
「良いだろう。その突っ張り棒を持て」
肴の支度をしていた善蔵が、心配そうに鶴丸に突っ張り棒を手渡した。
「待って仁ちゃん、私も」
「おまえは明日の支度をしておけ」
善蔵に志免を出すなと目で言いつけ、仁介は無腰のまま河原に出た。
先に河原に立っていた鶴丸は、石場を避けて湿り気のある土手に上がった。江戸の様な往来とて無い土手には、冬間近というのに雑草が生い茂っている。その腰の辺りまでに伸びている草を刈るようにして、鶴丸は棒の上げ下ろしを繰り返し、体を慣らした。
「いいぞ、参れ」
仁介は空手のまま、まるで月でも眺める風流人のような自然体で立っていた。隙だらけかと思いきや、打ち込もうにも剣気のようなものが張り巡らされていて容易に手が出せぬ。
「どうした、早くしろ」
じりじりと、鶴丸が慎重に間合いを詰めて行った。初めは生意気にも左脇構えで脇を締め、腰をよく落として足場を確保していた。
実戦の中で少しは待つ事を学んだか、と仁介が感心した瞬間、鶴丸が刀を水平に寝かせるようにして一閃した。走り込みの一閃を仁介は袖をそよがせるようにして躱し、右横に駆け抜けた鶴丸の右肩を手刀で打とうとした。
「させるか」
だが、鶴丸は身軽に身を屈めたまま軸足で反転し、伸び上がり様右逆袈裟に斬り上げてきた。だが仁介はトンボを切って後方に退き様、振り上げた足で鶴丸の手首を蹴り、その手から刀を弾き飛ばした。
月に刃を煌めかせる刀の如く、夜空に舞い上がった棒は、直立した仁介の右手にすっぽりと収まった。
「くそう、仁兄は化け物だよ」
「こら、美しきお兄さまに向かって失敬な」
鶴丸は悔し気に、その場に座り込んだ。
「まだ型もできていないのに、無茶な仕掛けをするからだ。江戸に付いたら、兄上の元で死ぬ程修行しろ。兄上の剣こそ、まぎれもなき愛洲正統の剣だ。私や燦坊の様な、忍術との混ぜ物ではない」
「だが、仁兄は強い……俺、強くなりたい」
項垂れる鶴丸に歩み寄り、仁介が棒の先でその頭を小突いた。
「そんなに志免が愛しいかえ」
意表を突かれた鶴丸が、驚いた顔で見上げた。額の汗が、月に照らされて光っている。
「私に何が起ころうと、お前は志免の手を引いて前だけを見て進め。ま、本当はこの台詞、志免に言うべきなんだけどね……」
冗談めいて肩を竦める仁介の前に、鶴丸が立ち上がった。いつの間にか、仁介と変わらぬ程までに、鶴丸の背は伸びていた。
「志免の手は、絶対離さねぇ」
真直ぐに仁介の目を見据え、鶴丸は約束した。その真摯な目に、仁介が頷き返した。
「男の顔になってきたな」
突っ張り棒を鶴丸に預け、仁介は先に宿へと戻って行った。
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