愛洲の愛

滝沼昇

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8. 死闘への道行

➄ 善蔵じい

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その頃仁介らは、関所を避けて芦ノ湖あしのこを北へ回り、強羅ごうらから明神ヶ岳みょうじんがたけの麓を抜けるべく馬を駆っていた。仁介が忍道の至る所に隠しておいた金を惜しみなく使い、馬で行ける所は馬に乗り換え、ひたすらに江戸を目指した。
 御伽衆おとぎしゅうによる襲撃がぴたりと止んだ事がむしろ気味の悪い程であるが、三人は何とか、夜半になって川崎の宿場に辿り着く事が出来た。仁介は、望月忍ゆかりの老人が営む宿場外れの宿に二人を案内した。この辺りは最早、江戸望月衆の守備体制の内である。
善蔵ぜんぞうじい、また世話になるよ」
 腰の曲がった小柄な老人は、無愛想ながらも頷き、夜半にも関わらず湯を立ててくれた。
「こいつはしみる」
 未熟な二人を守って敵陣の中を疾走し続けて来た仁介は、垢を落としてさっぱりとした姿で囲炉裡端いろりばたに座り、善蔵が用意してくれたにごり酒を口に含んだ。
 望月衆は、薬の行商を生業なりわいとする表の顔もあり、街道筋には大抵、仲間の為の宿が点在していた。宿の主もまた出自は望月忍であり、情報伝達の役目も担っている。江戸育ちの仁介にとって、この川崎外れの善蔵宿は、東海道の急峻きゅうしゅんな忍道を駆け抜けた後の極楽であり、江戸望月衆による警護の下、何の憂い無く羽を伸ばせる宿なのであった。
「善じい、燦蔵から繋ぎはないか」
「いや、若頭からは何も」
 善蔵はぶっきらぼうに応えると、仁介の好きな菜漬けを出した。その手は骨太で、囲炉裡の火に照らされて黒々と輝いている。
「あれが、志免様かね」
 志免と鶴丸は、一緒に風呂を使いに湯殿へ行ったまま、まだ戻って来ない。善蔵は、二人に食べさせる為の握り飯を囲炉裡端でこしらえながら、仁介にぽつりと言った。
「可愛いでしょ」
「甘ちゃんだなぁ、ありゃ」
「何しろ兄上が,志免に滅法甘いんだもん」
 握り飯を作り終えた善蔵に、仁介が徳利を向けた。指に付いた米粒を口で舐め、善蔵は端の欠けた茶碗で酌を受けた。
「すまねぇ」
「あの二人を、何としても兄上の元に届けなくてはならん。じい、手を借りるよ」
「元より」
 一瞬、皺の合間から鋭い眼光を飛ばし、善蔵は望月忍の片鱗へんりんを仁介に示したのであった。
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