愛洲の愛

滝沼昇

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11.風魔絶唱

➂ 血闘、紅丸

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「何事だ! 」
 派手に吹き飛んだ水門の向こうから、二艘の猪木舟ちょきぶねに分乗した忍装束の一団が現れた。
 朝焼けを背負い、舳先へさきに片足を乗せて既に抜刀している黒革の陣羽織に裁付たっつけばかまの武士は、仁介の兄・壱蔵であった。
「兄上っ」
 すがる様な仁介の呼びかけに、壱蔵は短く頷いた。そして、舟が止まる前にひらりと仁介の前に立ち塞がるようにして飛び降りた。

「柳沢様の手下と成り済ます一方で、柳沢様と御子柴主膳みこしばしゅぜんとを土産に尾張公に尻尾を振るとは、畜生にもとる浅ましさよ。かつての誇り高き風魔忍の名が泣いておるわ」
「ほざけ、所詮は飛んで火に入る夏の虫よ」
 壱蔵が引き連れてきた望月衆が、一斉に舟から散って尾張柳生の一団に斬り込んで行った。
 壱蔵は仁介を庇い、大槍をしごく紅丸の穂先に立っていた。両足を軽く開き、刀を握る右手をだらりと下げて切っ先を地面に向けたその姿は、構えの無い所を構えとする、愛洲陰流の教えに則った自然体である。

「兄上」
 舟に飛び乗った仁介の声を背中に聞きながら、壱蔵は静かに目を閉じ、視覚を断った。
 ぶんぶんと、紅丸が隙を見出しかねて苛立っているかのように槍を振り回す音が聞こえる。
 規則正しい回転音の狭間に一瞬の静寂を感じ取った瞬間、壱蔵は逆袈裟に擦り上げ、体の右に流れてきた槍めがけて右足を引き様に右袈裟に振り下ろした。
 壱蔵の愛刀・千子正重は、見事に大槍のけら首を千段巻きから斜めに切り落としていた。
 だが間髪を置かずに紅丸は切り落とされた切り口を壱蔵へと突き出した。壱蔵は地面を転がって間合いを外し、堀端から広い足場を確保できる蔵の横手の溜まりへと移動した。
「柳沢殿を殺して、幕府に仇なすつもりか」
「風魔再興が叶ったとしても、結局は権力の道具として捨て扶持を宛てがわれるが関の山。なれば、柳沢に成り済まして将軍家いや世の中を動かす方が面白いと思うたまでの事よ」
 紅丸が槍を捨て、腰の刀を抜いた。体躯に相当する、二尺八寸はあろうかという大刀であった。
「紅丸、貴様を斬らぬでは、風魔の者共とて浮かばれなかろうな。正に本物の外道よ」
 二人が間合いを計って睨み合う間に、互いの手下達の戦いにも決着がつきかけていた。

 実戦を積んだ望月忍の火薬玉や、屋根に潜ませてあった別働隊による射かけに翻弄され、尾張方は瞬く間に手傷を負って倒れていった。

 だが、壱蔵は戦意を失った者の命は取るなと予め厳命していたのであった。
「尾張柳生の草ともあろう者らが、退くな」
 壱蔵と対峙しつつ紅丸が叫ぶが、もとより紅丸の配下でも指揮下でもない者達である、命に従うだけの義理は無いとばかりに、這々ほうほうの体で蔵屋敷の奥へと下がって行った。
 望月忍らは深追いをせず、かねてより壱蔵に指示されていた通り、先に脱出した仁介と保明を守るべく、水路に沿って蔵屋敷から出て行った。

 壱蔵は静かに、紅丸の構えと向き合っていた。

 大柄な紅丸が大上段に振りかぶると、その姿はまさに大熊であった。

 まるで天をくかのように、紅丸は歩幅を広げて重心を落とし、切っ先を上へ上へと伸び上げた。
 それは既に、忍の剣ではない。比叡山で山籠りをする修験者から授かりし秘剣である。

 風魔の血種を絶やさぬためとは言え、あたら美貌に生まれついたが故に、比叡山の高僧らから日毎夜毎の屈辱を受けていた少年期の紅丸は、その修験者に師事して密かに修行を重ねたのであった。
 その後、風魔の里で積んだ忍の修行など児戯に等しいとさえ思う程の、壮絶な修行であった。

「その剣で、十年前、比叡山の高僧共を皆殺しにしたか。その折に行方知れずとなった稚児ちごというのが、貴様であろう」
 答える代わりに、紅丸が左足を前へ擦り出し、ゆっくりと体重を後ろ足となる右足に移した。通常であれば、相手の斬撃に遅れをとりかねない体勢であるが、紅丸は己の振り下ろしの一撃が壱蔵の斬撃を凌駕する事を確信していた。

 壱蔵は相変わらず、刀を持つ右手をだらりと下げたままである。だが、腰は低く沈み、小丸く反り返った正重の帽子が土に触れていた。
 
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