愛洲の愛

滝沼昇

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9.葵の御紋

➀ 父と子

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 鶴丸が無事に江戸に入り、甲賀町の望月屋敷に保護された事を知らせる使者の口上に、御子柴は目を剥いた。

「馬鹿な……」
 今朝、御伽衆の四人目である辰姫が鶴丸を守る愛洲燦蔵を討取ったと、紅丸から報告を受けていたばかりであった。俄には信じ難く、或いは壱蔵辺りが望月衆を動かして影武者でも仕立てたかと訝るのも当然であった。

 御子柴は腰を浮かしかけた。柳沢邸にいる紅丸に真偽を問いただそうと思いついたからだ。

 今、柳沢邸にいるのは、柳沢保明に化けた紅丸である。今更ながらに底知れぬ能力に驚かされるが、紅丸は保明然として登城し、滞り無く公務をこなしているというのだ。その裁決の仕方一つとっても、今までの保明と違う所は無く、誰一人、中身が摺り替わっている事に気付く由も無い。

 それ故、今だ一小国の江戸留守居役に過ぎぬ身分の御子柴が柳沢邸に駆け込めば、無用の疑惑の種を振りまく事になる。

 ここは、愛洲の座興に乗るが肝要と、御子柴は腰を落ち着け、瞑目したのであった。


 到着の知らせを受けた翌日、夜も明け切らぬうちに目を覚ました千代丸は、待ちきれぬ様子で何度となく壱蔵を枕元に呼び寄せた。
「まだ参らぬか」
「何分、長旅ゆえ、身を清めてお仕度を整えるに時がかかります。今暫くのご辛抱を」
「千代も顔を濯ぎたい」
「先程濯ぎました」
「髭を当たる」
「髭などございますまい」
「着物を替える」
「替えました」
「壱蔵っ」
 思わず跳ね起きた途端、千代丸が咳き込んだ。
 昨日までの千代丸は、まともな応答も出来ぬ程に弱っていた。だが今は、重篤な自分の病状を忘れる程、鶴丸との体面を待ち望んでいる。それも、自分の死後を委ねる為にである。
 真情を知る壱蔵には、このはしゃぎ様を見る事すら忍び難い事であった。
「さぁ、あまり御気を昂られますと、肝心な御対面の時にお疲れが出ましょう」
 骨の硬さが解る程に痩せた両肩を抱きながら、壱蔵が優しく千代丸を横たえた。
「不甲斐無い」
 目に涙を溜め、千代丸が口惜し気に呟いた。
「生まれて初めて見える弟の前で、このような醜態を晒さねばならぬとは」
「若君」
「だから、父上にも厭われたのだ」
「恐れながら殿は、若の御英邁振りを御存知ないのでございましょう。かくいう壱蔵も、息子と娘がどのような子であるのか、知る由もございませなんだ」
「子が、嫌いか」
「そうではありませぬ。いや、子を思わぬ親はないと存じまする。殿とて、御本心では若を慈しんでおられるに違いございませぬ」
 じっと天井を見上げたまま、千代丸は押し黙っていた。
 過去にほんの僅かな時を過ごした父との思い出は、あまりに苦々しいものばかりであったのだろう。
「子に会うたら、何がしたい」
 唐突に尋ねられ、壱蔵は頭を掻いた。
「はぁ……子供達を片膝ずつ乗せて、妻の酌で酒が飲めるのであれば、他には何も」
 いつも愚直な程に結ばれている一文字の口元が、優しく緩んだ。
 目尻を下げて子に思いを馳せる壱蔵の姿は、とても息子に剣の修業を課す様な厳しい父には見えない。
「どうやら、大甘の父上様のようじゃ」 
 
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