49 / 78
9.葵の御紋
➀ 父と子
しおりを挟む鶴丸が無事に江戸に入り、甲賀町の望月屋敷に保護された事を知らせる使者の口上に、御子柴は目を剥いた。
「馬鹿な……」
今朝、御伽衆の四人目である辰姫が鶴丸を守る愛洲燦蔵を討取ったと、紅丸から報告を受けていたばかりであった。俄には信じ難く、或いは壱蔵辺りが望月衆を動かして影武者でも仕立てたかと訝るのも当然であった。
御子柴は腰を浮かしかけた。柳沢邸にいる紅丸に真偽を問いただそうと思いついたからだ。
今、柳沢邸にいるのは、柳沢保明に化けた紅丸である。今更ながらに底知れぬ能力に驚かされるが、紅丸は保明然として登城し、滞り無く公務をこなしているというのだ。その裁決の仕方一つとっても、今までの保明と違う所は無く、誰一人、中身が摺り替わっている事に気付く由も無い。
それ故、今だ一小国の江戸留守居役に過ぎぬ身分の御子柴が柳沢邸に駆け込めば、無用の疑惑の種を振りまく事になる。
ここは、愛洲の座興に乗るが肝要と、御子柴は腰を落ち着け、瞑目したのであった。
到着の知らせを受けた翌日、夜も明け切らぬうちに目を覚ました千代丸は、待ちきれぬ様子で何度となく壱蔵を枕元に呼び寄せた。
「まだ参らぬか」
「何分、長旅ゆえ、身を清めてお仕度を整えるに時がかかります。今暫くのご辛抱を」
「千代も顔を濯ぎたい」
「先程濯ぎました」
「髭を当たる」
「髭などございますまい」
「着物を替える」
「替えました」
「壱蔵っ」
思わず跳ね起きた途端、千代丸が咳き込んだ。
昨日までの千代丸は、まともな応答も出来ぬ程に弱っていた。だが今は、重篤な自分の病状を忘れる程、鶴丸との体面を待ち望んでいる。それも、自分の死後を委ねる為にである。
真情を知る壱蔵には、このはしゃぎ様を見る事すら忍び難い事であった。
「さぁ、あまり御気を昂られますと、肝心な御対面の時にお疲れが出ましょう」
骨の硬さが解る程に痩せた両肩を抱きながら、壱蔵が優しく千代丸を横たえた。
「不甲斐無い」
目に涙を溜め、千代丸が口惜し気に呟いた。
「生まれて初めて見える弟の前で、このような醜態を晒さねばならぬとは」
「若君」
「だから、父上にも厭われたのだ」
「恐れながら殿は、若の御英邁振りを御存知ないのでございましょう。かくいう壱蔵も、息子と娘がどのような子であるのか、知る由もございませなんだ」
「子が、嫌いか」
「そうではありませぬ。いや、子を思わぬ親はないと存じまする。殿とて、御本心では若を慈しんでおられるに違いございませぬ」
じっと天井を見上げたまま、千代丸は押し黙っていた。
過去にほんの僅かな時を過ごした父との思い出は、あまりに苦々しいものばかりであったのだろう。
「子に会うたら、何がしたい」
唐突に尋ねられ、壱蔵は頭を掻いた。
「はぁ……子供達を片膝ずつ乗せて、妻の酌で酒が飲めるのであれば、他には何も」
いつも愚直な程に結ばれている一文字の口元が、優しく緩んだ。
目尻を下げて子に思いを馳せる壱蔵の姿は、とても息子に剣の修業を課す様な厳しい父には見えない。
「どうやら、大甘の父上様のようじゃ」
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?
寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。
ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。
ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。
その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。
そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。
それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。
女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。
BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。
このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう!
男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!?
溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
執着攻めと平凡受けの短編集
松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。
疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。
基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)
陸のくじら侍 -元禄の竜-
陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた……
兄弟カフェ 〜僕達の関係は誰にも邪魔できない〜
紅夜チャンプル
BL
ある街にイケメン兄弟が経営するお洒落なカフェ「セプタンブル」がある。真面目で優しい兄の碧人(あおと)、明るく爽やかな弟の健人(けんと)。2人は今日も多くの女性客に素敵なひとときを提供する。
ただし‥‥家に帰った2人の本当の姿はお互いを愛し、甘い時間を過ごす兄弟であった。お店では「兄貴」「健人」と呼び合うのに対し、家では「あお兄」「ケン」と呼んでぎゅっと抱き合って眠りにつく。
そんな2人の前に現れたのは、大学生の幸成(ゆきなり)。純粋そうな彼との出会いにより兄弟の関係は‥‥?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる