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8. 死闘への道行
➃ 仇討ち一家
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燦蔵は、志免と鶴丸を従え、途中で馬を拾い、街道筋を疾走していた。
あまり追跡の連中を離しすぎない程度に加減をしつつ、箱根に差し掛かろうとしていた。
だが、箱根宿に入ってしまうと、大名が多く利用するだけに警護も厳しく、関所の役人の数も多い為、下手に斬り合えば薮を突いて蛇を出しかねない。
湖畔に至った所で馬を捨て、三人は徒歩で箱根の宿に入った。箱根を越えるには日が傾きすぎている。本陣には、丁度参勤交代途路の大名の名が仰々しく掲げられてあった。
「もし」
と、その本陣の前を行き過ぎようとした時、燦蔵は蹲る女に呼び止められた。
これがくの一であったり、敵の変装であったりなどというのは日常茶飯事だ。
燦蔵は巧妙に間合いを取ったまま、女の呼びかけに応じた。
「鼻緒が切れて難儀しております」
「ならば、拙者の草蛙をお使いなされ」
燦蔵は背中の風呂敷包みから真新しい草蛙を取り出し、女の足下に放った。
「急ぐ旅ゆえ、御免」
非礼を詫びて燦蔵が立ち去ろうとした時、女が立ち上がり様、懐から短刀を抜いて斬り掛かって来た。
おいでなすったとばかりに、燦蔵が余裕の間合いで初太刀を素手で撥ね除け、女の手首を掴んだ。
その握力は抗えるものではなく、短刀が女の手から落ちた。
「理由も正体も、尋ねる間すら惜しいんだ。悪いが、このまま転がして行くぜ」
いつもの口調で燦蔵は言い放つなり、女の鳩尾に拳を当てた。
くたりと折れた女の体を往来の端に転がしたまま、燦蔵は立ち去った。
関所の備えを探るべく、三人はひとまず旅籠に落ち着いた。旅籠に入る前に、三人は古着屋で調達した着物に着替え、武家の夫婦と妻の兄という出で立ちになっていた。馬子にも衣装の若侍ぶりの鶴丸と、その若妻ぶりも初々しい志免。燦蔵は剣客然として志免演じる若妻の兄を装っていた。
「御免下さいまし」
漸く部屋に落ち着いて一息ついた三人の元に、宿屋の主が宿帳を手に恐る恐る顔を出した。身元を疑っているであろう事は、その様子からも一目瞭然である。燦蔵は、鶴丸に目配せをし、予め用意しておいた偽の仇討ち赦免状を主にそっと見せた。
「こ、これは……」
「然様。宿帳に書き記した通り、拙者は濃州苗木藩遠山家家中・持田燦左衛門、これなる義弟・合田亀丸の父上が卑怯な闇討ちに会うての。亀丸はこれなる拙者の妹・志津の連れ合い故、介添人として同行致しておる次第」
「し、して、仇は」
「駿府で一度取り逃がした。江戸に向かっているとの話を聞き、急ぎ箱根を越えようと思うたが、何分、女連れ故な」
「然様でございましたか」
主人は、広げた赦免状を丁寧に畳み直し、手を振るわせながら鶴丸扮する合田亀丸に返却した。
「ここのところ、関所の取り締まりが厳しゅうございます。抜き打ちの宿改と言う事もございましょうが、これだけの確とした書状をお持ちなれば障りは無いと存じまする」
「造作をかけるの」
燦蔵は、下がろうとした主人の袂に一朱銀を二枚放り込んだ。
足弱な女連れ故、関所に何か動きがあれば知らせて欲しいと、因果を含めたのであった。
「今の主人……」
志免が、訝る様な目を燦蔵に向けた。
「この宿中が敵だと思っておく事だ。暫くは大人しく、敵の目を引きつける事に徹しろ」
志免と鶴丸は、神妙に頭を下げた。
その素振りは、兄の指示に従う弟のものとは明らかに異質である。
実は、この二人は志免と鶴丸を装う影武者であった。体型や顔立ちの良く似た下忍を二人に仕立てて更に変装させれば、余程実物を見慣れた者以外、看破できる者はまずいないであろう。
燦蔵と二人の下忍の役割は、この間に仁介と本物の志免と鶴丸を、無事に箱根の向こうへと抜けさせる事にある。
仁介には、仁介しか使わぬ忍道がある。
彼は独自に拓いたその経路で、上方と江戸とを自在に往復していたのである。
その経路の中には、敵の目くらましとなる変装用の小物や、火器、水路には船、万が一尾行された時に躱す為の罠など、燦蔵も把握しきれておらぬ程の仕度が周到に整えられてあった。そもそも、そうして江戸望月家と甲賀望月家を迅速に繋ぐ事が、仁介の生来の役目と言ってもいいだろう。
だが、仁介には容易い道でも、志免と鶴丸には過酷な筈である。
敵の追手に追いつかれた時、果たして三人のみで斬り抜ける事ができるであろうか。
「仁……」
通りに面した障子窓を開け、燦蔵は桟に寄りかかる様にして外に向かって呟いた。
通りを行く男女全てが、敵の刺客に見えてならぬ。本陣に泊まる大名とて、知れた者ではない。或いは、この池の畔が己の墓場となるかも知れぬ。
あまり追跡の連中を離しすぎない程度に加減をしつつ、箱根に差し掛かろうとしていた。
だが、箱根宿に入ってしまうと、大名が多く利用するだけに警護も厳しく、関所の役人の数も多い為、下手に斬り合えば薮を突いて蛇を出しかねない。
湖畔に至った所で馬を捨て、三人は徒歩で箱根の宿に入った。箱根を越えるには日が傾きすぎている。本陣には、丁度参勤交代途路の大名の名が仰々しく掲げられてあった。
「もし」
と、その本陣の前を行き過ぎようとした時、燦蔵は蹲る女に呼び止められた。
これがくの一であったり、敵の変装であったりなどというのは日常茶飯事だ。
燦蔵は巧妙に間合いを取ったまま、女の呼びかけに応じた。
「鼻緒が切れて難儀しております」
「ならば、拙者の草蛙をお使いなされ」
燦蔵は背中の風呂敷包みから真新しい草蛙を取り出し、女の足下に放った。
「急ぐ旅ゆえ、御免」
非礼を詫びて燦蔵が立ち去ろうとした時、女が立ち上がり様、懐から短刀を抜いて斬り掛かって来た。
おいでなすったとばかりに、燦蔵が余裕の間合いで初太刀を素手で撥ね除け、女の手首を掴んだ。
その握力は抗えるものではなく、短刀が女の手から落ちた。
「理由も正体も、尋ねる間すら惜しいんだ。悪いが、このまま転がして行くぜ」
いつもの口調で燦蔵は言い放つなり、女の鳩尾に拳を当てた。
くたりと折れた女の体を往来の端に転がしたまま、燦蔵は立ち去った。
関所の備えを探るべく、三人はひとまず旅籠に落ち着いた。旅籠に入る前に、三人は古着屋で調達した着物に着替え、武家の夫婦と妻の兄という出で立ちになっていた。馬子にも衣装の若侍ぶりの鶴丸と、その若妻ぶりも初々しい志免。燦蔵は剣客然として志免演じる若妻の兄を装っていた。
「御免下さいまし」
漸く部屋に落ち着いて一息ついた三人の元に、宿屋の主が宿帳を手に恐る恐る顔を出した。身元を疑っているであろう事は、その様子からも一目瞭然である。燦蔵は、鶴丸に目配せをし、予め用意しておいた偽の仇討ち赦免状を主にそっと見せた。
「こ、これは……」
「然様。宿帳に書き記した通り、拙者は濃州苗木藩遠山家家中・持田燦左衛門、これなる義弟・合田亀丸の父上が卑怯な闇討ちに会うての。亀丸はこれなる拙者の妹・志津の連れ合い故、介添人として同行致しておる次第」
「し、して、仇は」
「駿府で一度取り逃がした。江戸に向かっているとの話を聞き、急ぎ箱根を越えようと思うたが、何分、女連れ故な」
「然様でございましたか」
主人は、広げた赦免状を丁寧に畳み直し、手を振るわせながら鶴丸扮する合田亀丸に返却した。
「ここのところ、関所の取り締まりが厳しゅうございます。抜き打ちの宿改と言う事もございましょうが、これだけの確とした書状をお持ちなれば障りは無いと存じまする」
「造作をかけるの」
燦蔵は、下がろうとした主人の袂に一朱銀を二枚放り込んだ。
足弱な女連れ故、関所に何か動きがあれば知らせて欲しいと、因果を含めたのであった。
「今の主人……」
志免が、訝る様な目を燦蔵に向けた。
「この宿中が敵だと思っておく事だ。暫くは大人しく、敵の目を引きつける事に徹しろ」
志免と鶴丸は、神妙に頭を下げた。
その素振りは、兄の指示に従う弟のものとは明らかに異質である。
実は、この二人は志免と鶴丸を装う影武者であった。体型や顔立ちの良く似た下忍を二人に仕立てて更に変装させれば、余程実物を見慣れた者以外、看破できる者はまずいないであろう。
燦蔵と二人の下忍の役割は、この間に仁介と本物の志免と鶴丸を、無事に箱根の向こうへと抜けさせる事にある。
仁介には、仁介しか使わぬ忍道がある。
彼は独自に拓いたその経路で、上方と江戸とを自在に往復していたのである。
その経路の中には、敵の目くらましとなる変装用の小物や、火器、水路には船、万が一尾行された時に躱す為の罠など、燦蔵も把握しきれておらぬ程の仕度が周到に整えられてあった。そもそも、そうして江戸望月家と甲賀望月家を迅速に繋ぐ事が、仁介の生来の役目と言ってもいいだろう。
だが、仁介には容易い道でも、志免と鶴丸には過酷な筈である。
敵の追手に追いつかれた時、果たして三人のみで斬り抜ける事ができるであろうか。
「仁……」
通りに面した障子窓を開け、燦蔵は桟に寄りかかる様にして外に向かって呟いた。
通りを行く男女全てが、敵の刺客に見えてならぬ。本陣に泊まる大名とて、知れた者ではない。或いは、この池の畔が己の墓場となるかも知れぬ。
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