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8. 死闘への道行
➀ 年子の兄弟
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仁介らが壱蔵の伝言を聞いたのは、駿府の城下・府中宿に於ての事であった。
江戸初期には実質的な政治の中心地であったこの駿府城下は、これまでの城下や宿場を凌ぐ賑わいであった。
「駿府に比べると、やはり尾張は田舎だったな。やっきになって宗家に張り合おうとしている家中の凌ぎぶりが、体裁ままならぬ城下に現れていた」
呑気に茶屋で一服しながら、仁介が町並みを眺めつつ独白した。
志免と鶴丸は腹ごしらえに、燦蔵は早馬の替えを探しに、それぞれ散っていたのであった。
急がねばならぬのは百も承知である。
その一方で、仁介としては今少しゆるりと旅をして、鶴丸の変化を見届けたい考えもあった。
御伽衆との戦い以後、鶴丸の内面には明らかに某かの変化が起こっていた。
それは志免にも言える事であり、志免は志免で、すっかり意気消沈したまま相変わらず鶴丸のお荷物に甘んじる体たらくである。
だが、これまでの鶴丸なら、志免を面倒に思って打ち捨てるか、志免の悩みに思い至る事無く更に傷つける様な事をしでかすか、どちらにしても志免を泣かせる事しかしなかった筈である。それが今や、片時も離れる事無く志免を庇い、時には自ら背負い、手を引き、何やかやと世話を焼くのである。
そしてまた、二人の幼い程の遣り取りが、仁介には愛らしくてならなかった。
「あいつ、惚れたな」
仁介らしい発想を口にして、思い出すように湯呑みに向かって微笑むと、辺りの男達が一斉に仁介を見つめて溜息を漏らしたのであった。
「仁」
男達に見つめられる中で微笑んでいる兄の姿に呆れるように、燦蔵が向かいの辻角に立って口をへの字に曲げていた。
「燦坊、ここに座って団子でもお食べ」
「呑気にしている場合か」
そう怒りつつも、結局は素直に仁介の横に座って団子を頬張る燦蔵であった。
何とも幸せそうな顔で団子を頬張るその顔は、とても所帯持ちの、しかも甲賀望月衆を仕切る男には見えない。
「あん、ほら、口の周りに餅つけちゃって」
女房のように、仁介は手拭の先を舌で濡らし、燦蔵の口の周りを拭ってやった。
「よ、よせよ」
「いいじゃないか。こんな風に燦坊と二人で旅が出来るなんて久しぶりなんだし」
「だからって……人が見てる」
「兄が可愛い弟の面倒見て何が悪い」
「だから、仁は兄にしちゃ……」
婀娜過ぎるのだ、という言葉を呑込み、燦蔵は下手な咳払いをして仁介の手を払った。
「何をいちゃいちゃしてやがんだよ」
尚も燦蔵に構おうと挑む仁介の背中から、そんなぞんざいな言葉が聞こえた。
「遅いぞ、鶴丸」
振り向いた仁介の前には、しっかり手をつないでいる鶴丸と志免が立っていた。
志免は相変わらず、鶴丸の背中に隠れるようにして立っている。
熱田での戦いの折、志免を鶴丸に仕立て、鶴丸を志免ということにして敵を欺いたが、どうも、これが癖になってしまっているようであった。すり替えが無用となった今でも、鶴丸の背後で、志免は益々堂に入った気弱な若様ぶりを見せていた。知らぬ者が見れば、若様は鶴丸でなく志免の方だと間違いなく思い込む事だろう。
「志免、もう芝居は終った。前に出なさい」
嗜める仁介に、志免がおずおずと鶴丸の前に進み出た。
正直、これが自分達三兄弟と同じ血を持つ弟なのかと疑いたい程に、鈍に過ぎる振る舞いであった。
「いつまでも甘えるな。これよりは早馬を乗り継いでの強行軍だ。御伽衆の拠点でもある小田原越えも控えている。足手まといは置いてゆくぞ」
「やい仁兄、そんな言い方しなくたって、こいつはちゃぁんと解ってんだよ」
「黙れ。志免に言っている」
「ぶ、無礼だぞ、お、俺は若……」
「江戸に着いて、無事届けが済んだら、喜んで三つ指ついて傅いてやる。燦蔵、発とう」
「え、でも、団子がまだ……」
「呑気にしている場合か」
「それ、さっき俺が言ったけど」
「発つったら発つんだ、燦坊の馬鹿っ」
突然金切り声をあげて燦蔵を怒鳴りつけると、仁介は投げるように小銭を幾つか置き、さっさと立ち上がって歩き出して行った。
「燦兄よぅ、何だい、ありゃ」
「まぁ、そのう、有り体に申せば」
「月のものか」
所帯慣れした中年男の様な台詞を吐いた鶴丸を、燦蔵と志免が同時にギョッとした顔で見据えた。
「つ、鶴丸、それ、仁ちゃんに言ったら洒落にならないからね」
「けっ、まさか本当にあるわけじゃあるまいし……あるの? 」
「あいつ、ガキの頃から女に化ける仕事も多かったから、その名残で今でも月に一度は情緒不安定になりやがるんだ。昔、ちょうどそんな時の仁を襲った浪人の群れがあってな」
「まさか」
「三十人余の敵が、首以外にまともに繋がってる骨が無い程に、素手で叩きのめされた」
「さ、燦兄……」
「何しろ、始まっちゃうと、あの壱ちゃんもお手上げなくらいだから……ね、燦ちゃん」
青白い顔で固まる三人の向こう、口をへの字に曲げた仁介が、苛立つように顎をしゃくって早くしろと急かしていた。
「し、志免、お前先に行けよ」
「燦ちゃんこそ」
「じゃ、鶴丸、いや、若君」
「ずるいぞ、こんな時ばっかり」
結局、三人が横一列に並んで、仁介の待つ往来へと歩き出したのであった。
江戸初期には実質的な政治の中心地であったこの駿府城下は、これまでの城下や宿場を凌ぐ賑わいであった。
「駿府に比べると、やはり尾張は田舎だったな。やっきになって宗家に張り合おうとしている家中の凌ぎぶりが、体裁ままならぬ城下に現れていた」
呑気に茶屋で一服しながら、仁介が町並みを眺めつつ独白した。
志免と鶴丸は腹ごしらえに、燦蔵は早馬の替えを探しに、それぞれ散っていたのであった。
急がねばならぬのは百も承知である。
その一方で、仁介としては今少しゆるりと旅をして、鶴丸の変化を見届けたい考えもあった。
御伽衆との戦い以後、鶴丸の内面には明らかに某かの変化が起こっていた。
それは志免にも言える事であり、志免は志免で、すっかり意気消沈したまま相変わらず鶴丸のお荷物に甘んじる体たらくである。
だが、これまでの鶴丸なら、志免を面倒に思って打ち捨てるか、志免の悩みに思い至る事無く更に傷つける様な事をしでかすか、どちらにしても志免を泣かせる事しかしなかった筈である。それが今や、片時も離れる事無く志免を庇い、時には自ら背負い、手を引き、何やかやと世話を焼くのである。
そしてまた、二人の幼い程の遣り取りが、仁介には愛らしくてならなかった。
「あいつ、惚れたな」
仁介らしい発想を口にして、思い出すように湯呑みに向かって微笑むと、辺りの男達が一斉に仁介を見つめて溜息を漏らしたのであった。
「仁」
男達に見つめられる中で微笑んでいる兄の姿に呆れるように、燦蔵が向かいの辻角に立って口をへの字に曲げていた。
「燦坊、ここに座って団子でもお食べ」
「呑気にしている場合か」
そう怒りつつも、結局は素直に仁介の横に座って団子を頬張る燦蔵であった。
何とも幸せそうな顔で団子を頬張るその顔は、とても所帯持ちの、しかも甲賀望月衆を仕切る男には見えない。
「あん、ほら、口の周りに餅つけちゃって」
女房のように、仁介は手拭の先を舌で濡らし、燦蔵の口の周りを拭ってやった。
「よ、よせよ」
「いいじゃないか。こんな風に燦坊と二人で旅が出来るなんて久しぶりなんだし」
「だからって……人が見てる」
「兄が可愛い弟の面倒見て何が悪い」
「だから、仁は兄にしちゃ……」
婀娜過ぎるのだ、という言葉を呑込み、燦蔵は下手な咳払いをして仁介の手を払った。
「何をいちゃいちゃしてやがんだよ」
尚も燦蔵に構おうと挑む仁介の背中から、そんなぞんざいな言葉が聞こえた。
「遅いぞ、鶴丸」
振り向いた仁介の前には、しっかり手をつないでいる鶴丸と志免が立っていた。
志免は相変わらず、鶴丸の背中に隠れるようにして立っている。
熱田での戦いの折、志免を鶴丸に仕立て、鶴丸を志免ということにして敵を欺いたが、どうも、これが癖になってしまっているようであった。すり替えが無用となった今でも、鶴丸の背後で、志免は益々堂に入った気弱な若様ぶりを見せていた。知らぬ者が見れば、若様は鶴丸でなく志免の方だと間違いなく思い込む事だろう。
「志免、もう芝居は終った。前に出なさい」
嗜める仁介に、志免がおずおずと鶴丸の前に進み出た。
正直、これが自分達三兄弟と同じ血を持つ弟なのかと疑いたい程に、鈍に過ぎる振る舞いであった。
「いつまでも甘えるな。これよりは早馬を乗り継いでの強行軍だ。御伽衆の拠点でもある小田原越えも控えている。足手まといは置いてゆくぞ」
「やい仁兄、そんな言い方しなくたって、こいつはちゃぁんと解ってんだよ」
「黙れ。志免に言っている」
「ぶ、無礼だぞ、お、俺は若……」
「江戸に着いて、無事届けが済んだら、喜んで三つ指ついて傅いてやる。燦蔵、発とう」
「え、でも、団子がまだ……」
「呑気にしている場合か」
「それ、さっき俺が言ったけど」
「発つったら発つんだ、燦坊の馬鹿っ」
突然金切り声をあげて燦蔵を怒鳴りつけると、仁介は投げるように小銭を幾つか置き、さっさと立ち上がって歩き出して行った。
「燦兄よぅ、何だい、ありゃ」
「まぁ、そのう、有り体に申せば」
「月のものか」
所帯慣れした中年男の様な台詞を吐いた鶴丸を、燦蔵と志免が同時にギョッとした顔で見据えた。
「つ、鶴丸、それ、仁ちゃんに言ったら洒落にならないからね」
「けっ、まさか本当にあるわけじゃあるまいし……あるの? 」
「あいつ、ガキの頃から女に化ける仕事も多かったから、その名残で今でも月に一度は情緒不安定になりやがるんだ。昔、ちょうどそんな時の仁を襲った浪人の群れがあってな」
「まさか」
「三十人余の敵が、首以外にまともに繋がってる骨が無い程に、素手で叩きのめされた」
「さ、燦兄……」
「何しろ、始まっちゃうと、あの壱ちゃんもお手上げなくらいだから……ね、燦ちゃん」
青白い顔で固まる三人の向こう、口をへの字に曲げた仁介が、苛立つように顎をしゃくって早くしろと急かしていた。
「し、志免、お前先に行けよ」
「燦ちゃんこそ」
「じゃ、鶴丸、いや、若君」
「ずるいぞ、こんな時ばっかり」
結局、三人が横一列に並んで、仁介の待つ往来へと歩き出したのであった。
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