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6. お役者吉次と音羽
➀ 五ヶ所浦の恋風
しおりを挟む仁介は一人、伊勢の五カ所湾に面した五カ所の里にいた。というより彷徨っていた。
かつて、愛洲家の所領であった里であり、五カ所城と呼ばれて親しまれていた居城があったこの里は、思いの外、小さな漁村であった。
水揚げされる魚は種類が豊富で、この村に飢えの影はないが、信長による伊勢攻略の足掛りとして踏みにじられた過去の傷跡は、まだ其処かしこに残っていた。
海を見下ろす事の出来る小高い丘に、愛洲の城があった。城と言っても、江戸や大坂にあるような天守閣付きの堅固な城等ではなく、それこそ江戸の多少稼ぎの良い豪商にも十分建てられそうな、館と呼ぶが相応しい所帯の遺構であった。
さんざんに攻め落とされた館の跡には、縄張の足跡が感じられるのみで、鬱蒼と草木が埋め尽くすばかりであった。
ただ、程近い場所にある愛洲家代々の墓所には、土地の者による手入れが行き届き、柏の葉が供えられていたのであった。
石段で十段も上れば着いてしまうような小山の頂きに、累代の小さな墓石が並んでいた。
「どこからおいでなされた」
神妙に墓石に手を合わせている仁介の背に、皺がれた声が掛かった。
振り向くと、小さな老婆が微笑んでいた。その丸まった肩の向こうには、五カ所湾が水面に日を浴びて輝いている。
改めて美しい所だと、仁介は感慨深く海を見つめながら立ち上がった。
「大層熱心に拝まれておったの」
「おばば殿、この里には長いのか」
海を見つめたまま問う仁介に、老婆はゆっくりと頷いた。
「長いも何も、ばばはこの里しか知らぬでな。ばばのじじ様は愛洲の御館様に仕えておっての。信長に攻められた時、御館様の御供をして、あの愛洲のお城で死んだのじゃ」
城跡の丘は、この墓所からも拝む事が出来た。二つの大小の郭からなり、空から見たら丁度瓢箪の様な形の縄張が施された丘だ。
と、老婆は突然、仁介の前に膝をついて頭を下げた。
「ようおいでなされたの、愛洲の若様」
「おばば殿」
「お腰の物に刻まれた割菱の御紋は愛洲様のお印。何より、その品格、美貌。愛洲のお血筋様に会える日が来ようとは、長生きはするものじゃ。これも御館様のお導き。とは申せ、気が、少々乱れておられるようじゃ」
仁介は苦笑し、手を上げよと老婆の肩をそっと抱くようにして促した。
「おお、女共が放ってはおくまいに」
孫を見るように目を細め、老婆は笑った。
「それほどにあたら美しい命を、何故散らそう等と思うたのじゃ」
「散らすとは……いや、私は」
「お隠しあるな。先程までの若様は、死に場所を求めて彷徨い歩いておられたわ」
思わず仁介は、己の頬に手を当てて自分の顔つきを確かめてしまった。
或いは老婆の言う通りかもしれないと、仁介は体中から力の抜けていく思いがした。
すぐにでも燦蔵と合流し、一刻も早く鶴丸を江戸に届けなくてはならないと言うのに、仁介はどうしても燦蔵の顔を見る事が出来ず、馬を飛ばしてここまで来てしまった。
兄の繋ぎからも逃れたかった。
志免はともかく、壱蔵と燦蔵に、どの面を下げて会えば良いのか、解らなくなっていた。
「私は、大好きな兄を裏切った。大切な弟を、裏切った」
「然様か」
夢中で、全てを捨てても良いとさえ思いながら、仁介は保明と契ったのだ。
互いに、これまで求めたくても求める事の出来なかった口惜しさをぶつけ、狂おしい程の痴態で睦み合ったのだ。
こうして海を見つめていても、水面にはあのとき仁介を激しく貫いた保明の逞しい体がありありと映し出される。
囁きも、愛撫も、全てがまだ、仁介の肌に燻っている。
いっそ、本当に保明の寝首を掻いてしまえば良かったのだ。保明の残滓ざんしを体内に抱いて余韻に浸り、いつまでも唇を重ね合わせていた己のだらしなさが悔やまれる。
あの時、非情に徹して首を落としてしまえば良かったのだ。そうすれば、綱吉からも永遠に保明を奪い取り、自分だけの男にできたのだ。
「ばば殿、叱って下され。愛洲のご先祖に代わり、私を詰なじって下され」
仁介は、その場に崩れた。
土に手を付き、その甲に涙を落とす仁介の背中を、老婆が優しく撫でたのであった。
「愛洲の愛とは、仁の心。愛にお苦しみあるな。きっと御館様が守って下さる」
「ばば殿」
「行かれよ、愛洲の若様」
土を掴み、仁介は声を上げた。肌に燻る保明の記憶を海に脱ぎ捨てるかのように、体中を震わせて咆哮を上げたのであった。
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