愛洲の愛

滝沼昇

文字の大きさ
上 下
30 / 78
6. お役者吉次と音羽

➀ 五ヶ所浦の恋風

しおりを挟む
 
 仁介は一人、伊勢の五カ所湾に面した五カ所の里にいた。というより彷徨っていた。
 
 かつて、愛洲家の所領であった里であり、五カ所城と呼ばれて親しまれていた居城があったこの里は、思いの外、小さな漁村であった。
 水揚げされる魚は種類が豊富で、この村に飢えの影はないが、信長による伊勢攻略の足掛りとして踏みにじられた過去の傷跡は、まだ其処かしこに残っていた。

 海を見下ろす事の出来る小高い丘に、愛洲の城があった。城と言っても、江戸や大坂にあるような天守閣付きの堅固な城等ではなく、それこそ江戸の多少稼ぎの良い豪商にも十分建てられそうな、館と呼ぶが相応しい所帯の遺構であった。
 さんざんに攻め落とされた館の跡には、縄張の足跡が感じられるのみで、鬱蒼と草木が埋め尽くすばかりであった。
 ただ、程近い場所にある愛洲家代々の墓所には、土地の者による手入れが行き届き、柏の葉が供えられていたのであった。

 石段で十段も上れば着いてしまうような小山の頂きに、累代の小さな墓石が並んでいた。
「どこからおいでなされた」
 神妙に墓石に手を合わせている仁介の背に、皺がれた声が掛かった。
 振り向くと、小さな老婆が微笑んでいた。その丸まった肩の向こうには、五カ所湾が水面に日を浴びて輝いている。
 改めて美しい所だと、仁介は感慨深く海を見つめながら立ち上がった。
「大層熱心に拝まれておったの」
「おばば殿、この里には長いのか」
 海を見つめたまま問う仁介に、老婆はゆっくりと頷いた。
「長いも何も、ばばはこの里しか知らぬでな。ばばのじじ様は愛洲の御館様に仕えておっての。信長に攻められた時、御館様の御供をして、あの愛洲のお城で死んだのじゃ」
 城跡の丘は、この墓所からも拝む事が出来た。二つの大小の郭からなり、空から見たら丁度瓢箪の様な形の縄張が施された丘だ。
 と、老婆は突然、仁介の前に膝をついて頭を下げた。
「ようおいでなされたの、愛洲の若様」
「おばば殿」
「お腰の物に刻まれた割菱わりびしの御紋は愛洲様のお印。何より、その品格、美貌。愛洲のお血筋様に会える日が来ようとは、長生きはするものじゃ。これも御館様のお導き。とは申せ、気が、少々乱れておられるようじゃ」
 仁介は苦笑し、手を上げよと老婆の肩をそっと抱くようにして促した。
「おお、女共が放ってはおくまいに」
 孫を見るように目を細め、老婆は笑った。
「それほどにあたら美しい命を、何故散らそう等と思うたのじゃ」
「散らすとは……いや、私は」
「お隠しあるな。先程までの若様は、死に場所を求めて彷徨い歩いておられたわ」
 思わず仁介は、己の頬に手を当てて自分の顔つきを確かめてしまった。

 或いは老婆の言う通りかもしれないと、仁介は体中から力の抜けていく思いがした。

 すぐにでも燦蔵と合流し、一刻も早く鶴丸を江戸に届けなくてはならないと言うのに、仁介はどうしても燦蔵の顔を見る事が出来ず、馬を飛ばしてここまで来てしまった。
 兄の繋ぎからも逃れたかった。
 志免はともかく、壱蔵と燦蔵に、どの面を下げて会えば良いのか、解らなくなっていた。

「私は、大好きな兄を裏切った。大切な弟を、裏切った」
「然様か」
 夢中で、全てを捨てても良いとさえ思いながら、仁介は保明と契ったのだ。
 互いに、これまで求めたくても求める事の出来なかった口惜しさをぶつけ、狂おしい程の痴態で睦み合ったのだ。
 こうして海を見つめていても、水面にはあのとき仁介を激しく貫いた保明の逞しい体がありありと映し出される。
 囁きも、愛撫も、全てがまだ、仁介の肌に燻っている。
 いっそ、本当に保明の寝首を掻いてしまえば良かったのだ。保明の残滓ざんしを体内に抱いて余韻に浸り、いつまでも唇を重ね合わせていた己のだらしなさが悔やまれる。
 あの時、非情に徹して首を落としてしまえば良かったのだ。そうすれば、綱吉からも永遠に保明を奪い取り、自分だけの男にできたのだ。

「ばば殿、叱って下され。愛洲のご先祖に代わり、私を詰なじって下され」
 仁介は、その場に崩れた。
 土に手を付き、その甲に涙を落とす仁介の背中を、老婆が優しく撫でたのであった。
「愛洲の愛とは、仁の心。愛にお苦しみあるな。きっと御館様が守って下さる」
「ばば殿」
「行かれよ、愛洲の若様」
 土を掴み、仁介は声を上げた。肌に燻る保明の記憶を海に脱ぎ捨てるかのように、体中を震わせて咆哮を上げたのであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

真面目系委員長の同室は王道転校生⁉~王道受けの横で適度に巻き込まれて行きます~

シキ
BL
全寮制学園モノBL。 倉科誠は真面目で平凡な目立たない学級委員長だった。そう、だった。季節外れの王道転入生が来るまでは……。 倉科の通う私立藤咲学園は山奥に位置する全寮制男子高校だ。外界と隔絶されたそこでは美形生徒が信奉され、親衛隊が作られ、生徒会には俺様会長やクール系副会長が在籍する王道学園と呼ぶに相応しいであろう場所。そんな学園に一人の転入生がやってくる。破天荒な美少年の彼を中心に巻き起こる騒動に同室・同クラスな委員長も巻き込まれていき……? 真面目で平凡()な学級委員長が王道転入生くんに巻き込まれ何だかんだ総受けする青春系ラブストーリー。 一部固定CP(副会長×王道転入生)もいつつ、基本は主人公総受けです。 こちらは個人サイトで数年前に連載していて、途中だったお話です。 今度こそ完走させてあげたいと思いたってこちらで加筆修正して再連載させていただいています。 当時の企画で書いた番外編なども掲載させていただきますが、生暖かく見守ってください。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…

まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。 5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。 相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。 一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。 唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。 それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。 そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。 そこへ社会人となっていた澄と再会する。 果たして5年越しの恋は、動き出すのか? 表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

弟が生まれて両親に売られたけど、売られた先で溺愛されました

にがり
BL
貴族の家に生まれたが、弟が生まれたことによって両親に売られた少年が、自分を溺愛している人と出会う話です

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

家族になろうか

わこ
BL
金持ち若社長に可愛がられる少年の話。 かつて自サイトに載せていたお話です。 表紙画像はぱくたそ様(www.pakutaso.com)よりお借りしています。

あなたの隣で初めての恋を知る

ななもりあや
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

処理中です...