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4.篝火夢幻
➅ 篝火
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化粧を落とし、湯浴みを済ませ、仁介は先程まで舞っていた能舞台の正中に座していた。
頬にかかる後れ毛から水滴が滴り落ち、浴衣の胸元を濡らしている。ぞんざいに項で纏めた髪からも、雫が滴っていた。
篝火はもう消えかかっている。だが、仁介は目を閉じたままじっと、座していた。
まだ、保明の見事な鼓の音が彼の体を包んだままになっていた。
兄と、兄が命を懸けて守ろうとしている若君に加勢すべく飛び込みながら、あの時、あの舞いの最中、仁介は確かに保明に抱かれていたのだ。
鼓と舞いとが闇の中で絡み合い、融合し、一つの作品となって水面を染めていたのだ。
あの瞬間の舞いの一つ一つを思い起こす度、仁介の五体は疼く。
「仁介」
その背中に、愛しい声が掛かった。いや、今は愛しい兄の命を握る、敵の声である。
「美世之介が、白足袋に細工がしてあったと騒いでいたそうだ」
保明が、仁介の冷えきった肩に女物の打ち掛けを被せた。すると、夜気の冷たさに青ざめていた仁介の唇に、朱が差したのだった。
「おまえがやったのだな」
美世之介とは、今日舞う筈であった美童である。仁介から見たら、着飾って舞い踊るしか能の無い美童故に、足をくじくように白足袋に細工をするのにも何の躊躇もいらなかった。保明の声にも、今更咎め立てをする様な険しさ等皆無である。
「久しぶりに、夢幻の世界に身を委ねた」
保明は脇差を床に放り、仁介の背中を抱き締めるように跪き、頬を擦り寄せて来た。
「兄を狙ったその手で、抱くおつもりか」
じっと宙を見据えたまま、仁介は喘ぐように囁いた。
「何の事だ」
「兄は、決して死にませぬ」
「仁介」
「曼珠沙華の舞はせめてもの、兄に倒されるであろう者達への手向けにございます」
「勝ち気な事よ」
保明が唇を寄せた。が、仁介はそれを躱し、保明の腕の中から擦り抜けて立ち上がった。
「あなたの首を掻き切ってしまいたい」
仁介の頬を、涙が伝った。月の光に反射し、その双眸は尚も熱く濡れ光っている。
「お前を思うさま抱いた後の寝首であれば、好きに致すが良い」
保明も立ち上がった。仁介より長身の保明に抱き締められると、仁介の唇は必然的に保明の首筋を撫でる事となる。
「私は三万石では終わらぬ。私のご奉公は始まったばかりだ。私と共に、歩まぬか」
「御免被ります。所詮あなたは、綱吉公への忠義に囚われの身ではありませぬか」
答えぬ保明の首筋に、仁介はそっと噛み付いた。
「憎らしい」
「私もだ。この世で唯一、私の思いのままにならぬおまえが、憎らしい」
仁介の耳朶に、保明が歯を立てた。あっと小声で呻いて顔を上げた仁介の唇を、保明は待ち兼ねたように吸い上げた。喉を鳴らし、仁介が保明の愛撫に応え、舌を絡めた。やがて思い直したように仁介が逃げようと身を引きかけたが、保明が濡れ髪の中に手を差し込んでその小振りの頭を押さえ、離れる事を許さなかった。
いつもの保明なら、仁介の抗いにそれ以上の踏み込みを見せる事は無い。だが、この時ばかりは、仁介の抗いを意に介さず、天岩戸を開けるようにして仁介の体の芯へと挑みかかるのであった。
二人はそのまま舞台の上に崩れ落ちた。着崩れた浴衣の奥に、保明が手を差し入れ、下帯すら付けていない仁介の体の奥深くに触れた。冷えきっていた体に、熱が走った。
「嫌です、嫌だ」
「ならぬ。今日と言う今日は逃さぬ。これまで涼しい顔を見せては来たが、一度として、お前を抱かずに帰した事を後悔しなかった日は無い」
「見え透いた嘘を」
「本当だ。ずっと、こうしたかった」
「もうすぐ私の口を塞ぐからですか。殺すおつもりでしょう、全てを知る私を」
二人の体の横に投げ出されたままの保明の脇差を見つめ、仁介が切な気に問うた。
「お前自身が言った事だ」
「私が? 」
「この私がただの男であれば、と。おまえこそ、水目藩とは無縁の、ただの笛奏者であれば、これほど苦しまずには済んだものを」
仁介の両肩を押さえつけ、保明はその白く滑らかな胸板に食らいついた。
「苦しんで、下さったのですか」
小さく喘ぎ、仁介が目を潤ませて微笑んだ。
「嬉しい……」
嗚咽で震える唇の愛おしさに、保明が顔を近づけた時、不意に虫の音が止んだ。
頬にかかる後れ毛から水滴が滴り落ち、浴衣の胸元を濡らしている。ぞんざいに項で纏めた髪からも、雫が滴っていた。
篝火はもう消えかかっている。だが、仁介は目を閉じたままじっと、座していた。
まだ、保明の見事な鼓の音が彼の体を包んだままになっていた。
兄と、兄が命を懸けて守ろうとしている若君に加勢すべく飛び込みながら、あの時、あの舞いの最中、仁介は確かに保明に抱かれていたのだ。
鼓と舞いとが闇の中で絡み合い、融合し、一つの作品となって水面を染めていたのだ。
あの瞬間の舞いの一つ一つを思い起こす度、仁介の五体は疼く。
「仁介」
その背中に、愛しい声が掛かった。いや、今は愛しい兄の命を握る、敵の声である。
「美世之介が、白足袋に細工がしてあったと騒いでいたそうだ」
保明が、仁介の冷えきった肩に女物の打ち掛けを被せた。すると、夜気の冷たさに青ざめていた仁介の唇に、朱が差したのだった。
「おまえがやったのだな」
美世之介とは、今日舞う筈であった美童である。仁介から見たら、着飾って舞い踊るしか能の無い美童故に、足をくじくように白足袋に細工をするのにも何の躊躇もいらなかった。保明の声にも、今更咎め立てをする様な険しさ等皆無である。
「久しぶりに、夢幻の世界に身を委ねた」
保明は脇差を床に放り、仁介の背中を抱き締めるように跪き、頬を擦り寄せて来た。
「兄を狙ったその手で、抱くおつもりか」
じっと宙を見据えたまま、仁介は喘ぐように囁いた。
「何の事だ」
「兄は、決して死にませぬ」
「仁介」
「曼珠沙華の舞はせめてもの、兄に倒されるであろう者達への手向けにございます」
「勝ち気な事よ」
保明が唇を寄せた。が、仁介はそれを躱し、保明の腕の中から擦り抜けて立ち上がった。
「あなたの首を掻き切ってしまいたい」
仁介の頬を、涙が伝った。月の光に反射し、その双眸は尚も熱く濡れ光っている。
「お前を思うさま抱いた後の寝首であれば、好きに致すが良い」
保明も立ち上がった。仁介より長身の保明に抱き締められると、仁介の唇は必然的に保明の首筋を撫でる事となる。
「私は三万石では終わらぬ。私のご奉公は始まったばかりだ。私と共に、歩まぬか」
「御免被ります。所詮あなたは、綱吉公への忠義に囚われの身ではありませぬか」
答えぬ保明の首筋に、仁介はそっと噛み付いた。
「憎らしい」
「私もだ。この世で唯一、私の思いのままにならぬおまえが、憎らしい」
仁介の耳朶に、保明が歯を立てた。あっと小声で呻いて顔を上げた仁介の唇を、保明は待ち兼ねたように吸い上げた。喉を鳴らし、仁介が保明の愛撫に応え、舌を絡めた。やがて思い直したように仁介が逃げようと身を引きかけたが、保明が濡れ髪の中に手を差し込んでその小振りの頭を押さえ、離れる事を許さなかった。
いつもの保明なら、仁介の抗いにそれ以上の踏み込みを見せる事は無い。だが、この時ばかりは、仁介の抗いを意に介さず、天岩戸を開けるようにして仁介の体の芯へと挑みかかるのであった。
二人はそのまま舞台の上に崩れ落ちた。着崩れた浴衣の奥に、保明が手を差し入れ、下帯すら付けていない仁介の体の奥深くに触れた。冷えきっていた体に、熱が走った。
「嫌です、嫌だ」
「ならぬ。今日と言う今日は逃さぬ。これまで涼しい顔を見せては来たが、一度として、お前を抱かずに帰した事を後悔しなかった日は無い」
「見え透いた嘘を」
「本当だ。ずっと、こうしたかった」
「もうすぐ私の口を塞ぐからですか。殺すおつもりでしょう、全てを知る私を」
二人の体の横に投げ出されたままの保明の脇差を見つめ、仁介が切な気に問うた。
「お前自身が言った事だ」
「私が? 」
「この私がただの男であれば、と。おまえこそ、水目藩とは無縁の、ただの笛奏者であれば、これほど苦しまずには済んだものを」
仁介の両肩を押さえつけ、保明はその白く滑らかな胸板に食らいついた。
「苦しんで、下さったのですか」
小さく喘ぎ、仁介が目を潤ませて微笑んだ。
「嬉しい……」
嗚咽で震える唇の愛おしさに、保明が顔を近づけた時、不意に虫の音が止んだ。
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