17 / 78
4.篝火夢幻
➁ 母の顔
しおりを挟むこれを機に柳沢と懇意になっておく事は藩の為になると、御子柴は千代丸の柳沢邸行きを快諾した。
お蘭に至っては、すぐさま出入りの呉服商を呼び寄せて着物を誂えさせると言い、上機嫌であった。
御子柴の思惑は、小夜姫の婿取りに傾いていた。本来は脆弱な千代丸を担いで藩政を牛耳る事が最大の目的であった筈が、千代丸の精神が到底傀儡にはなり得ぬ清廉なものであったのが誤算となった。最大の弱点であった千代丸の体も、今は思いの外落ち着いている。このまま千代丸が健康な若者として藩主の座を無事に継いだなら、世の穢れを知らずに育ったが故に悪を許さず、抜本塞源とばかりに御子柴を退けようとするだろう。
「ヤブ医師が薬と称すただの葛湯を飲んで、黙ってあの世へ行けば済んだものを」
反物をあれこれと広げて吟味していたお蘭は、背中越しに聞こえて来た御子柴の呟きを聞き逃さなかった。
「主膳! 」
思わず声を荒げた後、お蘭は辺りを憚るように部屋の外を見回し、控えていた腰元らを全て下がらせた。
「あの千代丸が、漸く健康を取り戻してくれたのじゃ、神仏が願いを聞き入れて下されたのじゃ」
堂々と密通を重ねて来た淫蕩な三十路女が、ここぞとばかりに母の顔をして見せるのが、御子柴には滑稽であった。
「あの千代丸は、存外危険だぞ」
「危険とは」
「母の不義を許すと思うか。この私の謀を黙って見過ごすと思うか。今少し暗愚であったならば、健康を取り戻したとて慌てる事は無いのだが……あれでは英邁に過ぎる」
「もしや、其方……」
「元々いつ死んでも可笑しゅうない子供であったのだ。いや、或いは、これは神仏が千代丸に与えた一刻の幸せやも知れぬぞ。明日にはまたぞろ、青い顔をして床に付く事になるやも知れぬ。いや、そもそも無事に戻って参るかどうか……」
「言うな、言うな! 」
お蘭は、手にしていた反物を御子柴に投げつけた。
「どのみち鶴丸は間に合わぬであろう。小夜姫じゃ。小夜姫が我らの打ち出の小槌じゃ」
「不憫じゃ、千代丸が、余りに」
「今更母の顔をして泣いても始まらぬ。殿に一向に愛されぬ千代丸を、おまえとて早くから見限っておったであろうに。故に、小夜姫を殿のお子として産み落とし、己の安泰を謀ったのではあるまいか」
「そ、それは……」
「おまえと私は同じ穴の狢。最早引き返す事はならぬ。それとも、品川の宿外れで男の袖を引いてその日暮らしをしていた少女の頃に戻りたいのか」
「嫌じゃ! あんな暮らしは二度と、思い出したくもない」
「私とて、小藩の江戸留守居で一生を終えるつもり等無い。良いかお蘭、お前を拾い、遠縁の娘として殿のお目に止まるべく一切を仕込んだはこの私ぞ。大名の御方様、ご生母様とまで上り詰めたこの生活を失いたくなくば、言う通りに致せ」
艶やかな反物が、畳の上に蜘蛛の糸の如き絵を描いて散乱している。重なり合った絹地の上に突っ伏し、お蘭は呻き声を上げた。
「せいぜい、良い衣装を誂えて差し上げよ」
体を折り曲げたままのお蘭の背中に、御子柴は冷ややかに言い放った。
その目に、長年お蘭と交わっていた情は欠片もない。
まるで手駒の使用期限を算段する様な、洞窟の如き暗い双眸であった。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
新しい道を歩み始めた貴方へ
mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。
そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。
その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。
あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。
あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
アダルトショップでオナホになった俺
ミヒロ
BL
初めて同士の長年の交際をしていた彼氏と喧嘩別れした弘樹。
覚えてしまった快楽に負け、彼女へのプレゼントというていで、と自分を慰める為にアダルトショップに行ったものの。
バイブやローションの品定めしていた弘樹自身が客や後には店員にオナホになる話し。
※表紙イラスト as-AIart- 様(素敵なイラストありがとうございます!)
少年ペット契約
眠りん
BL
※少年売買契約のスピンオフ作品です。
↑上記作品を知らなくても読めます。
小山内文和は貧乏な家庭に育ち、教育上よろしくない環境にいながらも、幸せな生活を送っていた。
趣味は布団でゴロゴロする事。
ある日学校から帰ってくると、部屋はもぬけの殻、両親はいなくなっており、借金取りにやってきたヤクザの組員に人身売買で売られる事になってしまった。
文和を購入したのは堂島雪夜。四十二歳の優しい雰囲気のおじさんだ。
文和は雪夜の養子となり、学校に通ったり、本当の子供のように愛された。
文和同様人身売買で買われて、堂島の元で育ったアラサー家政婦の金井栞も、サバサバした性格だが、文和に親切だ。
三年程を堂島の家で、呑気に雪夜や栞とゴロゴロした生活を送っていたのだが、ある日雪夜が人身売買の罪で逮捕されてしまった。
文和はゴロゴロ生活を守る為、雪夜が出所するまでの間、ペットにしてくれる人を探す事にした。
※前作と違い、エロは最初の頃少しだけで、あとはほぼないです。
※前作がシリアスで暗かったので、今回は明るめでやってます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる