愛洲の愛

滝沼昇

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3.15の出発

➆ 愛洲の愛

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 町外れの間道にある地蔵堂で、鶴丸は綾乃特製の握り飯を全部平らげた。
 夢中で頬張るだけ頬張ると、志免の手から水筒を取り上げた。
 が、腹が落ち着いたところで漸く、志免が自分の分まで鶴丸に食べさせてくれた事に思い至り、バツが悪そうに志免に背を向け、体を丸めたのであった。
「おまえ、俺の事、嫌いなんだろ」
 普段の強気等まるで失せた弱々しい声で、鶴丸が問うた。
「里の皆もそうだ。お袋が淫売だから、俺の父がどこの馬の骨かと噂して、性悪なのも、女好きなのも、母親の汚い血のせいだと」
 珍しく自分の心情を言葉にして吐露する鶴丸の髪を、志免は黙って結い直し始めた。
「おまえが羨ましかった。爺様や兄貴達に大切にされて、へなちょこでもダメ忍でも、おまえは皆に愛されて……俺なんか、忍の修業でどんなに頑張ったって、所詮父の知れぬ下忍だ。農民やって、時たま忍働きして、そん時ゃ上忍様の為に命を犠牲にするだけだ」
 鶴丸の髪はまだ乾き切ってはいなかった。
「少し、解いたままにしておこう」
 志免は元結いを懐に仕舞い、鶴丸の髪に丹念に櫛を通した。
「俺の事、嫌いなんだろ」
 髪から手を離して遠ざかった志免に、鶴丸は振り向いて問いを重ねた。二人はそれぞれ御堂の左右の板壁に、寄りかかるようにして座っていた。
 二人の間には、雨漏りの為に顔が濡れたままになっている木彫りの地蔵があった。
 その御顔が余りに穏やかで、意思の疎通を拒む頑な志免の心を解すようであった。
「お地蔵様だ」
 地蔵の穏やかな顔を見つめながら、志免はそう呟いて微笑んだ。
「お地蔵様は、こうして来る日も来る日も、通り行く人に微笑んでらっしゃる。お供え物なんかしなくったって、手を合わせる事すらしなくったって、怒りもせずに笑ってらっしゃる」
「こんな木彫りの地蔵が怒ったりするもんか。笑うしか顔の形が無ぇんだから」 
 目に見えて手に触れるものしか信じぬ鶴丸らしい言葉だと、志免は半ば哀れむように天を仰いで溜め息をついた。
「さっき鶴丸は、私が皆に愛されていると言ったけど、それは違うよ。私が、兄上達をとても尊敬して、慕っているんだ。御爺様の事も、姉上達の事も大好き。いつか皆の御役に立ちたいと、私はいつでも思っている」
「志免」
「誰も何もしてくれないと、子供の頃の私も思った。兄上達は忙しくて、私はいつでも独りぼっちだったから。でも、違った。私が兄上達を愛す事を知らなかったからなんだ」
「愛す、愛洲の愛、か」
「愛洲の民は、五ヵ所浦と言う小さな漁村で土地の恵みを分け合って暮らしていたんだ。愛洲の先祖は新羅三郎信光しんらさぶろうのぶみつ、だったかな」
「何だ、よく解ってないんじゃん」
「仕方ないじゃない、こんな難しい事、壱ちゃんにでも聞かなきゃ解らないもん」
「だったら無理して話さなきゃいいじゃん」
 鶴丸が小さく笑った。頬を膨らませた志免も、つられて笑った。
 志免の笑いにつられて、鶴丸はもっと顔を綻ばせて腹から笑った。
「俺にも、先祖って奴があるんだよな」
「そうだよ。鶴丸の曾爺ひいじい様は加山良明かやまよしあきら様と言って、関ヶ原の戦いに於いて神君家康公のお命を御救いした豪傑だ。その恩に感じ入った家康公が、加山家の永代譜代格えいたいふだいかくの処遇を御約束下されたのだって」
「へえん」
「そのうち殿や千代丸様が、もっと詳しくおまえに話して下さるよ」
「そうかな……話してくれるかな」
「おまえから教えを乞えば良い」
「うん。ってゆーか、おまえおまえってなぁ、一応俺は……いや」
「鶴丸」
 言葉を打ち切った鶴丸の顔を伺うように、志免が首を傾げた。
「悪かった。俺、おまえに酷いことした」
「鶴丸」
「羨ましかったんだ。おまえが」
「だからって……でも、いいよ、もう」
「許してくれるのか」
「許せる事じゃない。でも、こうしておまえと話す事は、嫌ではなくなると思う」
「どっちか解らねーよ」
 駄々をこねるように身悶えする鶴丸に、志免は思わせぶりに笑うだけであった。
「明日からは配分を考えて泊まり無しで走るんだ。今日だけは、ゆっくり寝ると良いよ」
 すると、大柄な獣の如き鶴丸の体が、板壁の前で小さく丸まり、瞬く間に寝息を洩らし始めたのであった。

 改めて、鶴丸は荒々しく振る舞う事で孤独と屈辱から己の心を守って来たのだと、志免は思い至った。優しい心に接する事も、いや、優しい心が周りにあるというのに、それを優しさや愛だと気付く事の無かった鶴丸の育ちが、志免には哀れにも思えた。

「壱ちゃん、仁ちゃん、燦ちゃん……」
 遠く離れていても、常に自分に優しさを寄せてくれる兄達の名を、志免は慕情を込めて呟いたのだった。


  

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