愛洲の愛

滝沼昇

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2.若君

➃ 兄弟

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 表向きは御子柴の命に従い、壱蔵は度々大身の旗本や譜代格の大名家の屋敷を訪れるようになっていた。
 要は、その屋敷に住まっている部屋住の息子の目利き役である。

 千代丸に対する過保護なまでの治療体制が不意に緩やかになった時、壱蔵は御子柴が千代丸を見限った事を悟った。すぐに壱蔵は国許の主君の身辺を固めるべく、望月衆に下知を送った。
 また、密かに仁介を呼び戻し、柳沢保明を通じて、鶴丸が加山家跡継ぎとして将軍家との目通りが叶うよう、段取りへの準備を始めていた。
 千代丸が見限られた事で、御子柴に新たな手札が握られた事を壱蔵は確信していたのだった。
「小夜姫」
 その名を兄の口から聞いた仁介は、成る程と頷いた。
 仁介は、保明への打診が余り芳しくなかった事を報告する為に、神田明神門前の茶店に壱蔵を呼び出していたのであった。

「今しがたも、御公儀大目付・朝比奈あさひな様のお屋敷に行って参った所だ。あの家には当年15におなりの御三男がおられる。まぁ、正直申して、ウチの志免と比べても頭の出来が良いとは思えなんだ」
 存外親バカの素質を持つ壱蔵の言葉に、仁介が思わず吹き出した。
 今日の彼は、あまり人目を引かぬように町人風に髪を結い、絣の着流しに襷をかけている。見た目は料亭の板前なのだが、その美貌だけはやはり、通り行く人達を振り向かせずにはおれなかった。
「御子柴も、実は相当焦っておるのでしょう。藩権を掌握するには、阿呆の婿殿が一番。ああ、見え透いていて張り合いがない」
「これ」
「小夜姫は、中々可愛らしい姫ですよ。実母も実父もろくでなしですが、人間、育ちで如何様にも変わるものなのでしょう。殿に十分に愛されて、御優しい御気性であられる」
「お前も知っておったか」
「つい先日、国許でこの目に致しました」
 仁介はその細面に似合わず遠脚に長けている。水目との往復なら、望月衆の脚自慢も歯が立たないほどの早足であり、また彼独自の忍道を開拓している。しかしそれは、江戸での暮らしのほんの合間にでも兄弟に会いたいという、切ない程の情がなせる技であった。
「相変わらず韋駄天な。しかし、実の娘でないと知れたら、殿は如何なさるであろうか」
「実の息子の千代丸君にはかような仕打ち。解りは致しませぬ。いえ、或いは既にお気づきやも知れませぬな。どことのう、姫の面差しが御子柴に似ておる故」
 これ、と壱蔵は低い声で叱った。
「仮にも江戸留守居役殿を呼び捨てになど」
「構いますまい。私は宮仕えの身ではござりませぬ。こう考えますと、若君も姫も、子として純粋に愛されているのかどうか」
「千代丸君が、おいたわしい……」
「新たに担がれる姫とて、身の出自を知らぬだけに不憫。鶴丸など、まさに道具扱い」
「言うな、仁介」
 壱蔵は、手にしていた湯飲み茶碗を置き、目の前を行き交う人の流れを見つめた。
 と、小さな男の子が駆けてくるなり壱蔵の足下で蹴つまずいて転んだ。咄嗟に助け起こそうと立ち上がった壱蔵だが、人混みの奥から必死でこちらに駆けてくる年嵩の子供を見て、ふと差し出すべき手を止めた。
「だから兄ちゃんの手を離すなと言ったろ」
 どうやら、転んだ子供の兄のようだ。それまでグッと、水っ鼻で汚れた顔を歪ませたまま泣くのを堪えていた弟は、駆けつけて来た兄の背におぶられて安堵したのか、その肩にしがみついて泣き出したのだった。
「私も燦蔵も、泣くような可愛気のある子ではありませなんだが、二人して爺様に修業の居残りを命じられると、兄上がああして、よく迎えに来て下さいました」
「そうだったかな」
「少しの間、私達の大事な兄上を千代丸君にお貸しして差し上げましょう」
 泣き喚く弟を優しく宥めながら負ぶっていく兄の後ろ姿を見つめながら、仁介が微笑んだ。
 そんな横顔は、美しいというより愛らしい。壱蔵が知る数少ない仁介の素顔である。
「とは申せ、兄上のお嫁になるという子供の頃の夢、諦めてはおりませんので」
 立ち上がった仁介は壱蔵を振り向いてそう言うなり、人混みの中に消えて行った。
「馬鹿め」
 千代丸君を哀れに思う自分の心を見透かした仁介の労りの言葉が、壱蔵の心を束の間暖めたのだった。そして、兄弟を見守って来た自分の在り方が間違ってはいなかったのだと、己自身に課してきた幾重もの枷の一端が、ほんの少し取り外されたような気がした。
「花ぁ、花ぁ」
 目の前を、花売りの幼女が通り過ぎようとしていた。10歳になるかならぬ位であろうその小さな体で、幼女は野草と見分けのつかぬような野の花を詰めた籠を背負っていた。
「もらおう」
 いかつい表情をした壱蔵に呼び止められ、立ち止まった幼女は一瞬身を竦ませた。が、壱蔵が微笑んで手招きをすると、子犬のように身を翻して駆け寄って来たのだった。甲賀に残してきた娘よりは幾つか年上だろうかと思いを巡らせる壱蔵の手に、幼女は撫子と野草を混ぜた一束を手渡した。荒れたその小さき手に、壱蔵は余分に銭を握らせて見送った。
「お武家様、おつりがございませぬ」
「良いのだ、よく働いておるご褒美だからの。飴でもあがなうが良い」
「ありがとう」
 娘は持っている花よりも明るい笑顔を見せ、嬉しそうに走っていった。

 その花を両親の位牌に手向け、今宵は存分に語り合いたいと、壱蔵は茶店を後にした。
 
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