7 / 78
2.若君
➃ 兄弟
しおりを挟む表向きは御子柴の命に従い、壱蔵は度々大身の旗本や譜代格の大名家の屋敷を訪れるようになっていた。
要は、その屋敷に住まっている部屋住の息子の目利き役である。
千代丸に対する過保護なまでの治療体制が不意に緩やかになった時、壱蔵は御子柴が千代丸を見限った事を悟った。すぐに壱蔵は国許の主君の身辺を固めるべく、望月衆に下知を送った。
また、密かに仁介を呼び戻し、柳沢保明を通じて、鶴丸が加山家跡継ぎとして将軍家との目通りが叶うよう、段取りへの準備を始めていた。
千代丸が見限られた事で、御子柴に新たな手札が握られた事を壱蔵は確信していたのだった。
「小夜姫」
その名を兄の口から聞いた仁介は、成る程と頷いた。
仁介は、保明への打診が余り芳しくなかった事を報告する為に、神田明神門前の茶店に壱蔵を呼び出していたのであった。
「今しがたも、御公儀大目付・朝比奈様のお屋敷に行って参った所だ。あの家には当年15におなりの御三男がおられる。まぁ、正直申して、ウチの志免と比べても頭の出来が良いとは思えなんだ」
存外親バカの素質を持つ壱蔵の言葉に、仁介が思わず吹き出した。
今日の彼は、あまり人目を引かぬように町人風に髪を結い、絣の着流しに襷をかけている。見た目は料亭の板前なのだが、その美貌だけはやはり、通り行く人達を振り向かせずにはおれなかった。
「御子柴も、実は相当焦っておるのでしょう。藩権を掌握するには、阿呆の婿殿が一番。ああ、見え透いていて張り合いがない」
「これ」
「小夜姫は、中々可愛らしい姫ですよ。実母も実父もろくでなしですが、人間、育ちで如何様にも変わるものなのでしょう。殿に十分に愛されて、御優しい御気性であられる」
「お前も知っておったか」
「つい先日、国許でこの目に致しました」
仁介はその細面に似合わず遠脚に長けている。水目との往復なら、望月衆の脚自慢も歯が立たないほどの早足であり、また彼独自の忍道を開拓している。しかしそれは、江戸での暮らしのほんの合間にでも兄弟に会いたいという、切ない程の情がなせる技であった。
「相変わらず韋駄天な。しかし、実の娘でないと知れたら、殿は如何なさるであろうか」
「実の息子の千代丸君にはかような仕打ち。解りは致しませぬ。いえ、或いは既にお気づきやも知れませぬな。どことのう、姫の面差しが御子柴に似ておる故」
これ、と壱蔵は低い声で叱った。
「仮にも江戸留守居役殿を呼び捨てになど」
「構いますまい。私は宮仕えの身ではござりませぬ。こう考えますと、若君も姫も、子として純粋に愛されているのかどうか」
「千代丸君が、おいたわしい……」
「新たに担がれる姫とて、身の出自を知らぬだけに不憫。鶴丸など、まさに道具扱い」
「言うな、仁介」
壱蔵は、手にしていた湯飲み茶碗を置き、目の前を行き交う人の流れを見つめた。
と、小さな男の子が駆けてくるなり壱蔵の足下で蹴つまずいて転んだ。咄嗟に助け起こそうと立ち上がった壱蔵だが、人混みの奥から必死でこちらに駆けてくる年嵩の子供を見て、ふと差し出すべき手を止めた。
「だから兄ちゃんの手を離すなと言ったろ」
どうやら、転んだ子供の兄のようだ。それまでグッと、水っ鼻で汚れた顔を歪ませたまま泣くのを堪えていた弟は、駆けつけて来た兄の背におぶられて安堵したのか、その肩にしがみついて泣き出したのだった。
「私も燦蔵も、泣くような可愛気のある子ではありませなんだが、二人して爺様に修業の居残りを命じられると、兄上がああして、よく迎えに来て下さいました」
「そうだったかな」
「少しの間、私達の大事な兄上を千代丸君にお貸しして差し上げましょう」
泣き喚く弟を優しく宥めながら負ぶっていく兄の後ろ姿を見つめながら、仁介が微笑んだ。
そんな横顔は、美しいというより愛らしい。壱蔵が知る数少ない仁介の素顔である。
「とは申せ、兄上のお嫁になるという子供の頃の夢、諦めてはおりませんので」
立ち上がった仁介は壱蔵を振り向いてそう言うなり、人混みの中に消えて行った。
「馬鹿め」
千代丸君を哀れに思う自分の心を見透かした仁介の労りの言葉が、壱蔵の心を束の間暖めたのだった。そして、兄弟を見守って来た自分の在り方が間違ってはいなかったのだと、己自身に課してきた幾重もの枷の一端が、ほんの少し取り外されたような気がした。
「花ぁ、花ぁ」
目の前を、花売りの幼女が通り過ぎようとしていた。10歳になるかならぬ位であろうその小さな体で、幼女は野草と見分けのつかぬような野の花を詰めた籠を背負っていた。
「もらおう」
いかつい表情をした壱蔵に呼び止められ、立ち止まった幼女は一瞬身を竦ませた。が、壱蔵が微笑んで手招きをすると、子犬のように身を翻して駆け寄って来たのだった。甲賀に残してきた娘よりは幾つか年上だろうかと思いを巡らせる壱蔵の手に、幼女は撫子と野草を混ぜた一束を手渡した。荒れたその小さき手に、壱蔵は余分に銭を握らせて見送った。
「お武家様、おつりがございませぬ」
「良いのだ、よく働いておるご褒美だからの。飴でも贖うが良い」
「ありがとう」
娘は持っている花よりも明るい笑顔を見せ、嬉しそうに走っていった。
その花を両親の位牌に手向け、今宵は存分に語り合いたいと、壱蔵は茶店を後にした。
1
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜
・不定期
主人公のライバルポジにいるようなので、主人公のカッコ可愛さを特等席で愛でたいと思います。
小鷹けい
BL
以前、なろうサイトさまに途中まであげて、結局書きかけのまま放置していたものになります(アカウントごと削除済み)タイトルさえもうろ覚え。
そのうち続きを書くぞ、の意気込みついでに数話分投稿させていただきます。
先輩×後輩
攻略キャラ×当て馬キャラ
総受けではありません。
嫌われ→からの溺愛。こちらも面倒くさい拗らせ攻めです。
ある日、目が覚めたら大好きだったBLゲームの当て馬キャラになっていた。死んだ覚えはないが、そのキャラクターとして生きてきた期間の記憶もある。
だけど、ここでひとつ問題が……。『おれ』の推し、『僕』が今まで嫌がらせし続けてきた、このゲームの主人公キャラなんだよね……。
え、イジめなきゃダメなの??死ぬほど嫌なんだけど。絶対嫌でしょ……。
でも、主人公が攻略キャラとBLしてるところはなんとしても見たい!!ひっそりと。なんなら近くで見たい!!
……って、なったライバルポジとして生きることになった『おれ(僕)』が、主人公と仲良くしつつ、攻略キャラを巻き込んでひっそり推し活する……みたいな話です。
本来なら当て馬キャラとして冷たくあしらわれ、手酷くフラれるはずの『ハルカ先輩』から、バグなのかなんなのか徐々に距離を詰めてこられて戸惑いまくる当て馬の話。
こちらは、ゆるゆる不定期更新になります。
真面目系委員長の同室は王道転校生⁉~王道受けの横で適度に巻き込まれて行きます~
シキ
BL
全寮制学園モノBL。
倉科誠は真面目で平凡な目立たない学級委員長だった。そう、だった。季節外れの王道転入生が来るまでは……。
倉科の通う私立藤咲学園は山奥に位置する全寮制男子高校だ。外界と隔絶されたそこでは美形生徒が信奉され、親衛隊が作られ、生徒会には俺様会長やクール系副会長が在籍する王道学園と呼ぶに相応しいであろう場所。そんな学園に一人の転入生がやってくる。破天荒な美少年の彼を中心に巻き起こる騒動に同室・同クラスな委員長も巻き込まれていき……?
真面目で平凡()な学級委員長が王道転入生くんに巻き込まれ何だかんだ総受けする青春系ラブストーリー。
一部固定CP(副会長×王道転入生)もいつつ、基本は主人公総受けです。
こちらは個人サイトで数年前に連載していて、途中だったお話です。
今度こそ完走させてあげたいと思いたってこちらで加筆修正して再連載させていただいています。
当時の企画で書いた番外編なども掲載させていただきますが、生暖かく見守ってください。
男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
推しの完璧超人お兄様になっちゃった
紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。
そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。
ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。
そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる