上 下
7 / 13

帰還

しおりを挟む

「ただいま…」

「おかえり」

あれから、どうしても離れられない俺たちは、母さんに全て話した。

「そう…あなたが幸せなら、それで良いわ」

母さんは寂しそうに、でもそれ以上何も言わず、俺たちを見送ってくれた。
必要最低限の物だけ持って、ヴァンと、この洋館へと帰って来た。

あのコンビニは、申し訳ないけど辞めた。

「あ、そう。いいよ。お疲れさん」

特に止められることも無く、その場で終わり。
その位に俺はあまり役には立って無かったってことだ。
俺もいつか、働いて誰かの役に立ってみたい。


やっと帰って来た山の上の洋館は、何も変わっていなかった。

「ここには、ほんの少ししか居なかったのに。やっぱり、安心するな…」

リビングの椅子にどっこいしょ、と座る。
ヴァンが、香りの良いお茶を淹れてくれた。
丸っこくて可愛らしいマグカップ。

「柿の葉茶を作っておいたんだ。どうかな」

ふわっと優しく香るお茶に癒やされて、ほう、と一息つく。
一口飲む。
美味い。

「すごいな、ヴァンは…お茶も作れるんだ…知らなかった」

俺の知らないヴァンが、まだまだ沢山いるんだろう、と手の中のマグカップを覗く。

「長年、山の中で暮らしてるからね。自然と色んな物を自分で作るようになったんだ」

キッチンから甘い香りも漂い始める。
まさか、お菓子まで作ってる?

「今、簡単なシフォンケーキを焼いてるから、もう少し待ってて。あ、お茶請けに、蜜柑ピールはどうかな。うちの庭で育ててるんだ。庭と言っても、山だけどね」

テーブルクロスには、あのハンカチと同じような刺繍が施されていた。
ポケットから、あの日、部屋の隅に放り投げたハンカチを取り出す。

「…これ、刺繍…もしかして、ヴァンが?」

「ああ…その、ヒロの帰りを待っている間、何もしないと落ち着かないかったから。このテーブルクロスとお揃いで…私ともお揃いなんだ」

ヴァンの胸ポケットから、俺と同じハンカチが覗いていた。
ヴァンは、少し照れたように頬を染める。
そんな顔されたら、俺も照れる。

「ハンカチ、ありがとう…御礼も言わなくて、ごめん」

カタ、とヴァンも向かいの席に座る。
こうして離れて椅子に座るのは、最初にこの洋館を訪れた日以来だ。
なんとなく、ソワソワと落ち着かない。
抱き締めて欲しい。

「そんなこと…私が勝手にヒロに押し付けるように渡したのだから、ヒロは気にしないでくれ。受け取ってくれて、持っていてくれただけで嬉しかった」

なんていうか、付き合いたてのカップルのように、お互いモジモジして俯いて手元の物を弄る。

ピーッピーッピーッ

「はっ!シフォンケーキが焼けた!」

パタパタとオーブンへと走るヴァン。
その後ろ姿に、愛しさが募る。

「よしっ!焼けてる」

キッチンから、ヴァンの嬉しそうな独り言が聞こえる。
こうして暮らして来たんだな、とヴァンのこれまでに想いを馳せる。
こうして、たった一人で山の中で俺を待っていてくれたんだ。

しばらくすると、シフォンケーキに生クリームを添えて洒落たカフェみたいな一皿が運ばれて来た。

「シフォンケーキは、好きかな。口に合うと良いんだけど」

少し自信無さげに俺の前に置かれた焼き立てシフォンケーキは、フカフカだ。

「美味そう!食べていい?」

「もちろん!」

ふわぁあっ!と大きく笑うヴァン。
こんな顔は初めて見た。
俺も、つられて笑う。
フォークでシフォンケーキを口に運ぶ。
甘くて、ふわふわで、信じられないくらいに美味い。

「ーーーっ!!うまっ!!!」

「ーーーっ!!!ほんと?良かった!まだ沢山あるから、どんどん食べて!」

ヴァンが嬉しそうに笑って、真っ赤になった顔をパタパタと仰いでいる。
ああ、俺はあの肌の滑らかさを知ってる。
ごくん、と飲み込んで柿の葉茶を飲む。

「それでさ、ヴァンは、ずっと俺を探してくれてたの?」

まだ、ちゃんと話して無かった、二人が離れていた間の話題へと移る。

「…私は、しばらくは、ここで待っていたんだ。でも…待っていても、ヒロは帰って来なかった。だから、山を降りて、あちこち探した」

ぽつぽつと話し出したヴァンの声に耳を傾ける。

「ヒロを見つけるまで、私は死人のようだった。公園でこっそり寝泊まりすることもあった。だが、ようやくヒロを見つけられて、私は、私は…」

ポロポロと、その紅い瞳から涙が溢れる。

「会いたかった。ヒロに触れたかった。だが、ヒロが私を拒絶していることも分かっていた。インターネットでも調べて、私がヒロに最低の行いをしていたことも分かっていた」

グスッと鼻水を啜って寂しそうに笑うヴァンの目元が赤い。
今すぐ抱き締めて慰めたい。
涙を吸ってキスしたい。

「だから、だから…初めから、やり直させてもらえないかと、ヒロと話せる機会を伺っていた」

「それで、あの店に?」

申し訳無さそうに、ヴァンが頷く。

「こっそり、後をつけていたんだ…あの店に入るのが見えて、もう居ても立ってもいられなくて」

「そっか…」

ヴァンを責める気持ちなんて、米粒程も無かった。

「むしろ…来てくれて良かった」

ポツリと呟くと、ヴァンの瞳が光る。

「えっ、本当に?」

「うん…俺、その…ヴァンがいないと、身体もおかしくて、頭もおかしくなってたから、あのお店に行ったのも、ほんと限界で…でも、やっぱり俺、ヴァンじゃないと…」

ヴァンから、何の返事も無い。
顔が見れない。
めちゃくちゃ恥ずかしい。
とにかく夢中でパクパクシフォンケーキを口に運ぶ。
喉に詰まりそうになって、お茶もゴクゴク飲む。

やっぱり何も言わない。
テーブルの端の刺繍を手でなぞる。
物凄い細かい刺繍が施されてる。
鳥、花、葉っぱ、俺…

鳥、花、葉っぱ、俺…?

ん…?

俺?

「これ…俺じゃないよな?」

思わず聞いて、パッとヴァンの方に視線を向ける。
ヴァンは、机に突っ伏していた。
肩を震わせて。

「…ヴァン?大丈夫?」

コクコクと頷くけど、顔を上げてくれない。
俺、何か変なこと言ったかな、と不安になる。

「ごめん、何か、変なこと言った?刺繍のこと?なんかさ、この顔が俺に似てるなぁ、なんて…違うよな」

「ヒロだよ」

机に突っ伏したままのヴァンから、やっと声が聞こえた。

「あ、そうなの?や、やっぱり?上手いよなー、これ。糸でこんなに綺麗に作れるなんて…」

「ヒロに渡したハンカチには、私の顔を入れた」

低く、くぐもった声が返って来るが、本人は顔を挙げない。

「へ、へぇー、気付かなかったなぁー」

ぎこちなく返しながら、コソッと貰ったハンカチをテーブルの下で調べる。
…あった。
部屋の隅に放り投げて、あんまりちゃんと見てなかったから、全然気付かなかった。
かなりな精度の似顔絵が刺繍されてる。
物凄い俺を見てる感じのヴァンの刺繍に、ちょっと引くが、今はそういうことを言える雰囲気ではない。

「わぁー、ほんとだぁー。ヴァンがいるー。あー、嬉しいなぁー」

とんでもなく棒読みになった。
でも、なんとか褒めないといけない気がした。

「あれー?よく見たら、こっちに俺もいるんだー。ほら、ヴァンが二人と、俺も二人…」

ふと、ある事に気付く。
折り目通りにハンカチを畳むと、全部のヴァンと俺の顔が合わさる。
キスしてるみたいに。

「あーーー……その、なんだ。ヴァンって、料理も上手いよなー」

話題を変えることにした。
変な扉は開けないに限る。

「そのハンカチの意味、分かった?」

あ、変えられないわ。

「うん?意味っていうと、この…俺達の」

急に、バッとヴァンが顔を挙げて、嬉々として喋り出した。

「そう!!それは、私たちが、何があっても決して離れずに二人だけを見つめ合って、永遠に愛しあうって意味なんだ!!分かってくれてたんだね?!ヒロ!!やっぱり、私達は心が通じ合っていたんだ!!」

興奮気味にしゃべり倒すヴァンに、俺は返事する間もなく、ウンウン頷く。

「はぁ…それに、さっきの私がいないと頭も身体もおかしくなるって、私と全く同じだよ!私もヒロがいないと、何も考えられなかったし、生きていると思えない程に虚しく寂しかったんだ!私の中が空っぽになってしまった…」

切実に訴え掛けるヴァンの話に、ずっと、こけしレベルに頭を上下する。
多分、普通の人間なら、明日辺りには頚椎捻挫だろう。
首にカラー巻いて笑いを取るタイプ。
つーか、俺の場合、ケツが疼いて頭がおかしくなったんだけど。
そんなこと、言えないわな。

「…あ、ああ。俺達、同じだったんだな」

ニコッと笑って、なんとなく話を合わせる。
今更、違うなんて言えないし。
この話の流れで、ケツが疼いてとか下世話過ぎて言えない。

「私達は、やはり運命の番だった」

完全に酔ってる。
運命というロマンチックな響きに、酔いに酔ってる。

「あー、運命?番?んー、まあ、そういう感じ?なのかもなぁー」

よく分からん。
運命も、番も、なんのこっちゃ。

「ところでさ、その、何で俺のこと婚約者?とか嫁とかって言ってたわけ?俺、男だけど」

「…?ヒロは、私の婚約者だよ。そして、愛を確かめ合って、嫁となった。そのやり方は良くなかったと反省してるから、もう一度やり直させて欲しい。男?というのは、何か問題があるんだろうか?ヒロ以外に私の嫁は存在しないが」

話が通じて無い気がする。
頭の中も表も、ハテナがいっぱい。

「だから!何で俺がヴァンの婚約者だったの?」

ポカンとするヴァン。
少しイライラする俺。

「…初めに、全て話したじゃないか。ここへヒロが来た日に」

「へ?マジ?」

どうやら、俺が聞いて無かったみたい。

「頷きながら聞いてくれていたから、もしかして覚えていたのかと嬉しくなったんだ…違ったみたいだね」

また、あのヴァンの寂し気な顔。
その顔は見たくない。

「ごめん!でもさ、もう一度、最初から、やり直すんだろ?その説明から、やり直させてくれないかな?俺、忘れっぽいからさ!頼むよ!」

冗談ぽく、明るくヴァンを拝む。
ふふ、と少しだけヴァンが微笑む。
綺麗だ。

「ヒロの頼みなら、あと一万回でも全て教えたいよ。何度でも話すから心配しないで、幾らでも忘れていいよ。その度に思い出させる楽しみが出来る」

そう深い微笑みで答えられたら…
ほれてまうやろーーーー!!!

「あ、うん…よろしく…」

俺は、また真っ赤に染まって、柿の葉茶が空っぽになったマグカップを傾ける。

「私と、前世の貴方が出会ったのは…」

俺は涙した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

変なαとΩに両脇を包囲されたβが、色々奪われながら頑張る話

ベポ田
BL
ヒトの性別が、雄と雌、さらにα、β、Ωの三種類のバース性に分類される世界。総人口の僅か5%しか存在しないαとΩは、フェロモンの分泌器官・受容体の発達度合いで、さらにI型、II型、Ⅲ型に分類される。 βである主人公・九条博人の通う私立帝高校高校は、αやΩ、さらにI型、II型が多く所属する伝統ある名門校だった。 そんな魔境のなかで、変なI型αとII型Ωに理不尽に執着されては、色々な物を奪われ、手に入れながら頑張る不憫なβの話。 イベントにて頒布予定の合同誌サンプルです。 3部構成のうち、1部まで公開予定です。 イラストは、漫画・イラスト担当のいぽいぽさんが描いたものです。 最新はTwitterに掲載しています。

美形な幼馴染のヤンデレ過ぎる執着愛

月夜の晩に
BL
愛が過ぎてヤンデレになった攻めくんの話。 ※ホラーです

大親友に監禁される話

だいたい石田
BL
孝之が大親友の正人の家にお泊りにいくことになった。 目覚めるとそこは大型犬用の檻だった。 R描写はありません。 トイレでないところで小用をするシーンがあります。 ※この作品はピクシブにて別名義にて投稿した小説を手直ししたものです。

ヤンデレ蠱毒

まいど
BL
王道学園の生徒会が全員ヤンデレ。四面楚歌ならぬ四面ヤンデレの今頼れるのは幼馴染しかいない!幼馴染は普通に見えるが…………?

美形でヤンデレなケモミミ男に求婚されて困ってる話

月夜の晩に
BL
ペットショップで買ったキツネが大人になったら美形ヤンデレケモミミ男になってしまい・・?

こいつの思いは重すぎる!!

ちろこ
BL
俺が少し誰かと話すだけであいつはキレる…。 いつか監禁されそうで本当に怖いからやめてほしい。

【R18】【Bl】王子様白雪姫を回収してください!白雪姫の"小人"の俺は執着王子から逃げたい 姫と王子の恋を応援します

ペーパーナイフ
BL
主人公キイロは森に住む小人である。ある日ここが絵本の白雪姫の世界だと気づいた。 原作とは違い、7色の小人の家に突如やってきた白雪姫はとても傲慢でワガママだった。 はやく王子様この姫を回収しにきてくれ!そう思っていたところ王子が森に迷い込んできて… あれ?この王子どっかで見覚えが…。 これは『【R18】王子様白雪姫を回収してください!白雪姫の"小人"の私は執着王子から逃げたい 姫と王子の恋を応援します』をBlにリメイクしたものです。 内容はそんなに変わりません。 【注意】 ガッツリエロです 睡姦、無理やり表現あり 本番ありR18 王子以外との本番あり 外でしたり、侮辱、自慰何でもありな人向け リバはなし 主人公ずっと受け メリバかもしれないです

平凡な研究員の俺がイケメン所長に監禁されるまで

山田ハメ太郎
BL
仕事が遅くていつも所長に怒られてばかりの俺。 そんな俺が所長に監禁されるまでの話。 ※研究職については無知です。寛容な心でお読みください。

処理中です...