不本意恋愛

にじいろ♪

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急変

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「早乙女ちゃんと夜勤かぁ~っ、ツイてないな、いやツイてるか?」

ベテラン先輩の小山さんが笑っている。
私は申し訳無くて、てへ、と笑って誤魔化す。

「今日は大丈夫です!師長さんからも十分気をつけてって言われましたんで、そりゃもう目を皿にして見回りますから!」

ワハハ、と笑い合って業務をこなす。

「いいの、いいの。ただのネタなんだから。早乙女ちゃんと組むの楽しくて皆、好きなのよ」

喋りながらも手は動かす。
流石はベテラン看護師小山さん。
まあ、私も既にベテランの域なんだけど。

「ありがとうございます!!先生からも、ここは、そういう病院だからってフォローされちゃいましたー」

「そうそう、ここは毎日のように見送る場所なのよ。だから、気にしないで気楽にね。はい、チャッチャッと仕事しちゃおう!!」

「はーい!!頑張りまーす!」

明るく笑顔で、今日も頑張るぞ、と気合を入れる。
夜勤は小山さんと私の二人きり。
それぞれの業務をこなしながら、必要な時は協力し合う。
休憩時間は一人が業務を一手に引き受けてる間にもう一人が取る。そうやってギリギリで回していくのだ。

薄暗い廊下をライト片手に歩いて見回る。
今日こそは、誰一人急変しないで過ごしたい。

「うん……よし、大丈夫」

眠る患者さんたちを確認して歩く。
ふと、ベッドから落ちそうな状態になっている人を見つける。

「んもう、取手さん。どんだけ寝相悪いのよ」

この取手さんは、もう84歳だが、お元気だ。
いや病気なんだから厳密には元気では無いが、アッチが元気。
私の胸やお尻が大好きと言って憚らないし、よく点滴などの処置中に触ってくる。
時には、元気になってるアレまで見せてくる。

『いやー、愛ちゃんに看取って貰えるなら、本望だなぁ。今からでも籍入れれば俺の財産全部やれるのになぁ』

そんな冗談を言って触って来る。
こんなだから、奥さんに逃げられるんだわ、と鼻白む。
彼は実際に相当の資産家らしい。
だが、お金を稼ぐことに夢中になり過ぎて、彼の家族は彼を見放した。
既に離婚した妻や子供との縁は切られ、お金は腐る程あるけど天涯孤独。
死亡したら献体の予定だ。骨さえ家族は引き取らない。

「まったく、ヨイショ、と」

彼の身体を起こさないように気を付けながら、ベッドへと戻す。
と、ガッシリ腕を掴まれた。

「なんだ、その気になったのか」

目を開けて、ニヤリと笑う取手さんに、してやられたと思った。
急いで腕を引き抜いたものの、そこは患者さん。

「アイタタ、愛ちゃん、痛いんだ。助けてくれ」

お腹を抑えて苦しみ出す彼を無下には出来ない。
これも、よく彼がする遊びだろうけど。
実際は痛く無いけれど、猥褻部を見せる為に痛がってズボンを看護師に降ろさせる。
そして元気になったアレを見せて喜ぶのだ。

「また、そんなこと言って。イタズラばっかり、ダメですよ?」

「違うんだ、ほんとに痛いんだよ」

チラ、と脳裏に彼の病状が過る。
うん…あり得なくは無いか?万一のことを考えれば断ることも出来ない。

「じゃあ、少し診ますから。どこの辺りですか?」

お腹をそっと触ると、その手を掴んで、取手さんのモノを掴まされた。硬い感触に寒気がする。

「ココ。愛ちゃんに触って欲しくて痛いんだ。ね?元気でしょ?」

「止めてくださいっ!いつもいつも!」

手を振り払うと、今度は私の股を前から、ガシっと掴んで来た。
慌ててその手から逃げ、後退って、私は涙を拭う。

「いつも、ほんとに良い身体を見せびらかされて、限界なんだよ」

ハァハァ、とズボンから出したモノを擦って見せつけられる。
嫌な匂いが鼻をつく。

「もう!止めて下さい!ちゃんと寝て下さいっ!」

私は部屋から逃げるようにナースステーションへ戻った。
私の異変に気付いた小山さんが、どうしたのかと尋ねて来る。

「いえっ、あの…取手さんが起きていて…痛いって言うから、下腹部を確認しようとしたら…」

「あー、あの爺さんてば、完全に早乙女ちゃんのこと狙ってるもんね。死ぬまでにヤりたいって他の患者さんに言ってるらしいよ」

ガックリと項垂れて息を整える。

「いるのよねー。看護師が性欲処理もしてくれるって信じてるバカって。頭のおかしいAVのせいよね、これ。いい加減、医療職も患者を訴えるべきだわ」

小山さんに慰められ、ぐずんと鼻を啜る。
と、ナースコールが鳴る。

「取手さんだわ。私、行って来るから早乙女ちゃんは待機してて」

小山さんが、笑顔で私の肩をポンと叩いてナースステーションを出て行った。
私は項垂れながらも、なんとか業務を進めていく。やることは常に自分盛りだくさんなのだから、手を休める暇なんて無いのだ。

私のピッチが鳴った。ふぅ、と溜息をついてから、はぁい、と取る。

「早乙女ちゃん!取手さんが倒れてる!ドクターコール!」

「えっ!!!」

私は大慌てで院長へ連絡、取手さんの部屋へ急いだ。

「院長に連絡しました!すぐに来るそうです」

二人がかりで取手さんをベッドの上に乗せる。
心臓を抑えて苦しそうだ。
良かった、まだ息はある。

「はい、診ますからね」

気付けば隣に院長先生が立っていた。

「ぎっ」

叫びそうになって慌てて口を抑える。
小山さんに脇腹を小突かれた。

「うん、うん…心筋梗塞起こしかけてるね。急いで桧山病院に連絡して」

チラ、と院長先生が窓の方を見る。

「いるね」

何のことか分からないまま、私は先生の指示に従って処置やら測定やら、次々と業務をこなす。

結局取手さんは、救急搬送されることとなった。
運良く一命は取り留めたのだ。

「あービビった」

小山さんが、やたらに疲れた顔で呟く。

「すみませんでした、取手さんの部屋に行って貰ったばっかりに」

小山さんは、少し興奮したように手をブンブン振る。

「違うのよ、早乙女ちゃん!あのね…部屋に行って倒れてる取手さんに駆け寄ったら、窓の方を指して……『いる』って言ったのよ」

「いる?!なにが?」

「何にもいなかったわよ?!だって、ここ3階だもん!」

二人で手を取り合ってブルブル震える。
歯がカチカチ言って止まらない。
そういえば、先生も……

「やだ、止めてくださいよ、冗談は」

「冗談なんかじゃないんだって!この病院、何か憑いてるんじゃない?もしかして」

「どうしました?」

隣に院長先生が立っていて、今度こそ私は叫んだ。

「ぎゃっ!」

「ははは。まあまあ、患者さんたちには、私から看護師の仕事について、きちんとお伝えしましょう。君たちが働きにくいと困るのは患者さん自身ですからね。何かあれば私に言って下さい。毅然と対処すべきこともありますから」

ははは、と笑いながら院長先生が去って行った。
私と小山さんは、一度も離れることなく夜勤を終えた。トイレも一人で行けなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「っはぁ~っ、疲れた~っ」

夜勤明けだから、まだ午前9時過ぎ。
明るい日差しが眩しいけど、ありがたい。

「お疲れ様、愛。大丈夫?はい、ミルクティー。お風呂沸かしてるから、これ飲んで待ってて」

家に帰れば、優しい旦那様。あぁ、私ってば幸せ。

「夜勤でさ、幽霊騒ぎがあって。いや、患者さんは一命取り留めたから良かったんだけど……」

「死ななかったのが残念だね」

優しい口調のまま、何か言われたけれど、疲れた頭は追いつかず聞き取れ無かった。

「ん?なんて?」

「なんでもないよ。それで?何があったの?」

疲れた頭で、気の所為だわ、と話を進める。

「ーー、でね、小山さんが行ったら…」

「うんうん、小山さんね。良い人だよね」

「そうなの、優しくて良い先輩なの。それで、小山さんが倒れてる取手さんに窓の……」

「ほんと死ねば良かったのにね、あの爺さん」

今度は、はっきり聞こえた。

「え?涼?」

「愛のことを下卑た目で見て、触って、挙げ句に汚いモノまで触らせて。絶対許せないよ。次に戻って来たら確実に死ぬ方法を探さないと」

「なに、言ってるの?え?私、そんなこと言って無い…よね?」

確かに私は取手さんに酷いセクハラを受けた。
けれど、涼が心配するのが分かってるから、そのことは一切伏せて話したはず。

「愛のことは、全部知ってるから。だから、僕に全部任せて?君を苦しめるものは全て僕が消すから」

ポカーンとして、今度は彼の肩を掴む。

「何かしたの?え、取手さんに、何かしたの?」

あり得ない。そんなこと不可能だ。分かってる、けど。

「何もしてないよ?出来るはず無いでしょ」

彼が、クスリと笑ってカップに口をつける。
私も釣られてミルクティーを飲む……いや、飲もうとして手を止めた。

「前に、私のこと抑えた幽霊みたいなのいなかった?」

「あはは、幽霊?なにそれ、面白いね。僕も幽霊見てみたいな。それより、ミルクティー冷めちゃうよ?」

私は、ぎゅっとカップを握り締めた。
今は、いつもよりも頭がすっきりしている。
今日、出勤前に急いでいて彼の用意した紅茶を飲まなかった。

そんなはずはない。
彼が、そんなことをする必要なんて無い。

「ねえ、このミルクティー、涼が飲んでみてくれる?」

私の言葉に、彼が一瞬止まる。

「え」

「私の好きな味を涼にも好きになって欲しくて」

「じゃあ、自分の分を別に作るよ」

「ううん、これを飲んで」

ズイッと彼に私の掴んでいるカップを押しやる。彼が、少し笑った。

「……わかった、飲むよ。愛の頼みは断れないから」

観念したように彼は私の手から取ったカップの中身を一気に飲み干した。

「美味しい?」

「んー、少し甘いね」

彼の様子は変わらない。やっぱり、思い過ごしだったのか。

「私、これ大好きなの。いつも用意してくれてありがとう」

「愛が好きだから、いつも用意してるんだ。愛の香りと混ざると、すごく良い香りになるんだよ」

彼は笑顔だ。
私も一緒に笑う。

「えー、私の匂いって!変なこと言うのね、涼ってば」

あはは、と笑い合っていたのに、少しずつ涼の表情が抜け落ちていく。

「涼?ねぇ、涼?」

「うん、涼だよ」

ぼーっとした表情でオウム返しのように答える。

「どうしたの?具合い悪い?」

「具合い悪く無い」

それしか言わない。
笑わない。

「どうして、ぼんやりしてるの?」

「薬を飲んだから」

「薬?何の薬?」

「頭をぼんやりさせる薬。精神科病院で貰ってる」

「……は?」

私は雷に撃たれたようなショックに飲み込まれそうになった。

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