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汚部屋
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吸い込まれた先は、物、物、プラスチック、紙、諸々…
私の部屋は普通のアパートの一室。
玄関から入って右側にトイレと風呂、その先には台所のあるリビングと寝室。
ここら辺は地方でど田舎だから、都会よりも遥かに安く借りられて最高だ。
だがしかし、だがしかし…
「はぁ、よいせっと」
私は夜勤明けの身体で、床が見えない程に積まれた物の上に乗り上げて、物、プラスチック、紙…云々の上を歩く。
プラスチックのコンビニ弁当の空き容器も、あちらこちらに散乱している。
大丈夫、まだカビてない。
もう少しイケる。
いや、そろそろヤバいか?
一応、私の寝床としているリビングに敷かれた薄い布団へ辿り着く。
布団の下も周りも数多のゴミで埋め尽くされてる。
端には服も混ざっている。
「さて、いただきまーす」
コンビニで帰りがけに買ったおむすびとサラダを食べる。
布団の上で食べるな?
いや、他に座る場所無いんで。
足の踏み場も無いけどね。
「一眠りしたら、少し片付けるかぁ…」
ふぁ、と食べ終えたゴミを近くに放り投げて、万年床の布団へゴロンと横たわる。
清潔と不潔には厳しい看護師の仕事なのに、我が家はこの有り様。
仕事で忙しいを言い訳に、うず高く積み上げられたゴミ達。
「うん…また、あとで」
愛用のスウェットに着替えて、着ていた服は、端へポイッと投げる。
横に丸めてあった毛布を引っ張って被り、すやすやと眠りにつく私は、多分、安らかな顔だろう。
『ピンポーン♪』
明るいチャイム音でぼんやりと目覚める。
まだ寝てから2時間程しか経っていない。
疲れた身体をノロノロと引き上げて、ふらつく足元に力が入らないまま、どうにか玄関へと向かう。
「…はーい…」
こんな時間に、宅配便?
昼間だから、普通の時間だけど、私は夜勤明けだ。
「こんにちは、隣に越して来た篠山です」
「………しの、やまさん??」
薄く開けた扉の向こうに、光が満ちていた。
昼だから明るいのは当たり前。
「え…??」
そこには、イケメン俳優もびっくりな超絶イケメンが爽やかに笑って立っていた。
「これ、お口に合うか分かりませんが」
スッとスマートに差し出されたのは、有名な東京銘菓。
これ、大好きなヤツ…
「あ、ありがとう、ございます…これ、好きです」
「ほんとですか?!良かった!まだ沢山あるので、今度また持って来ます」
めちゃくちゃ笑顔がカッコイイ。
二重で切れ長の瞳は少し茶色が入ってて。
サラリと流れるツーブロックの髪も少し茶色がかっている。
スッと通った鼻筋、厚めの唇。
男らしい輪郭に、見上げる程に長身で、細く見えるのに筋肉質なのが服の上からも分かる。
やば、とんっでもなくタイプのドストライクど真ん中……
「は、はい…よろしくお願いします」
鼻血、出てないよね?
不安になって思わず鼻を覆う。
「こちらこそ、この辺りのこと全然知らないんで、色々と教えて下さいね。よろしくお願いします」
軽く頭を下げてから、私に小さく手を振って、爽やかに隣の玄関へ戻って行く篠山さんを、ぽーっと見送って私も自分の部屋に戻る。
ふと足元のサンダルが目に入る。
あれ?私、こんな格好で……
下を見れば、ダルダルのスウェットにサンダル。
貰った東京銘菓は台所らしき場所へ置いて、慌てて汚い洗面台に向かい鏡を見れば、そこには実年齢よりも若干老けて見える顔色の悪いおばさんがいた。
髪はボサボサ、肌は荒れ荒れ、涎の跡が口の横に付いている。
「……さいっあく…」
こんなだから、未だにお付き合いも、ましてや男性経験ゼロなのだ。
最高の出会いの場面で、この醜態。
「あ…部屋、見られた…?」
いつもは、ほんの薄くしか開かない玄関の扉を、あまりの顔面レベルの高さに全開にしてしまった。
「おわった……」
何も始まる前に、全て終わった。
汚すぎる洗面台で、項垂れる。
この五年は確実に一度も掃除していないソコは、もはや魔窟。
真っ黒な渦が巻いている。
「こんなの…こんな……いや、部屋とか…全部、自業自得か」
こんな女、私でも嫌だわ。
のそのそとゴミの上を這い戻って、毛布に頭から包まる。
滲む涙は気の所為だ。
きっと明日には、全部諦めが付く。
今までも、そうだったんだから。
これからも、私は一人で生きて行くんだから。
「いいなぁ、山田さん……」
荼毘に付した初プロポーズのおじいちゃんの顔が目に浮かぶ。
彼には常に奥さんがいた。一人じゃなかった。
二度目の眠りは、なんだか胸の奥が重くて苦しくて、何度も寝返りを打った。
「夜ご飯、これでいいや」
夕方に目覚めて、買い溜めしてあった菓子パンを手繰り寄せる。
毛布に包まったまま、もぐもぐと咀嚼する。
大好きなマヨコーンのパンは、いつでも美味しいはずなのに、全然味がしない。
「…ふぇ……」
泣けて来た。
愛する妻がいて、子供にも囲まれて幸せそうな顔で旅立った山田さん。
私なんて、一人きりだ。
両親は、三年前に他界した。
不慮の事故で二人を見送り、本当に一人になった。
私なんて…
『ピンポーン♪』
「はえっ?!」
慌ててマヨコーンパンを放り投げて玄関へ向かう。
足元のゴミが邪魔して、うまく進めない。
今度は一度、扉の外を覗く。
彼だ!
とりあえず、顔を手の甲でゴシゴシ拭って、ソッと扉を薄く開ける。
「…はっ、はいっ」
「何度もすみません。これ、家に沢山あって…他に知り合いもいないので、食べて貰えると嬉しいなって…あ、迷惑でしたか?」
きらきらした輝く笑顔は、やっぱり眩しい。
時間が何時だろうと眩しいのは眩しいのだ。
彼の周りでは常に朝陽が昇っている。
「いえっ!こちらこそ、ありがたいですっ!これ大好きなんで、いくらでも食べたいです!」
「ふはっ、喜んでもらえて良かったです」
吹き出した笑顔、かわいい~っ!
かわいいのに、とんでもなくカッコイイ~っ!
私の顔、絶対真っ赤だ。
「じゃあ、また届けますね。会える口実になるので」
「はいぃ……」
放心状態で篠山さんを見送る。
すぐ隣の玄関の扉を開けながら、彼がまた小さく手を振ってくれた。
「じゃ、また」
「はいぃ……」
私も小さく手を振っていた。
反対の手には本日二度目の東京銘菓。
恐れ多くて握りしめられない。
そっと宝石のように持ち、慎重に丁重に運ばせて頂く。
ふらつく足で玄関に入って顔を覆う。
『会える口実になるので』
何度も頭の中、耳の奥で繰り返す彼の言葉。
聞き間違いじゃないよね?
東京銘菓を持ったまま、本日二度目の洗面台に向かう。
鏡の中は、少し眠って元気になったけど、やっぱり疲れた顔のおばさん。
「……そんな訳無いか。こんな女、あんなイケメンと釣り合う訳無いし」
元々普通な見た目さえも劣化しておばさん化、部屋はゴミ屋敷。
ダルダルスウェットにサンダル。
無理無理無理無理。
「…あれか…リップサービスってやつか」
彼は私よりも随分若いようだった。
30歳くらいだろうか。
「今時の若者は、日本人じゃなくてイタリア人か…世の中、国際化だのう」
はぁ、と本日何度目かのため息をついて、おじいちゃん口調で冗談にしようとする。
この胸のトキメキを茶化さないと明日からどうやって生きれば良いか分からない。
ふと、洗面台の黒い渦が目に入る。
「……ちょろっと掃除でもするか」
きっと彼と何かなんて始まらない。
そんなこと分かってる。
でも、でも、でも。
これ以上、自分を蔑んだり、否定したりするのは苦しい。
ひとまず、洗面台の黒い渦と向き合うことにした。
沢山のゴミや物の中から、適当にスポンジっぽい物を見つけ、洗剤も発掘。
ゴシゴシゴシゴシ、とひたすらに擦る。
「ふぅ、全然落ちない…けど、頑張れ、私」
自分を応援しながら、ふと想像する。
彼と何も起こらなくても、毎朝、出勤する彼と顔を合わせるかもしれない。
時には、作り過ぎたお惣菜を、お裾分け、なんて。
ぐふふ、と笑いが込み上げる。
そもそも、長い間、自炊さえしていないけれど、そんな未来が自分にあるかもしれないことが、嬉しい。
「ふんふん、ふんふふーん♪」
こびり付いた汚れを取る行為が、爽やかな彼に近付ける気がして、私は一心不乱に洗面台を磨いていた。
気付けば夜中の12時。
洗面台は、見違えるように綺麗になった。
黒い渦は消えて、真っ白な輝きは、まるで彼のよう♡
「やば…うるさかったかな?」
隣の篠山さんの部屋は私の洗面台の反対側だけど、煩くして嫌われたくない。
きっと最底辺だろう私の評価を、これ以上、下げたく無い。
私は、大きな音を出さないよう注意して布団へ向かう。
べこ、がしゃ、ぐしゃ…
私の足元は全てゴミがうず高く積まれている為に、少し進むごとに音が鳴る。
こんな夜中には、結構な騒音だ。
「こんなの…彼に聞かれたら…」
篠山さんに、夜のトイレ時間まで知られてしまう!
そんなの、耐えられない!!
あの爽やかな笑顔が歪むところなんて見たくない!
近くに、いつ買ったか分からないゴミ袋が埋もれていた。
そろ、と引き抜く。
近くのゴミが雪崩を起こした。
ガラガラガラガラ……
こんな夜中に、何やってんだ、私。
ぐっと唇を噛んで、手当り次第にゴミ袋に周りの物を放り込む。
分別しないといけないから、途中からは3枚のゴミ袋に入れ始めた。
あっという間に満ぱいになるゴミ袋。
「なるべく静かに、静かに…」
嵩張る紙やペットボトル、何の景品か分からない人形?
私は、一体、何をこんなに集めていたのか。
玄関にゴミ袋を積むごとに、頭の中の霧が晴れて行くように、すっきりとしていく。
「…よく、こんな所に寝ていられたな、私」
自分が寝ていた万年床の薄い布団を捲ると、裏は黒カビで真っ黒だった。
「いやいや死ぬって、こんなの」
発掘した紐で、ぐるぐると縛って玄関へ。
毛布も、良く見ればカビが生えていた。
あらゆる物が不衛生で、そりゃ身体も不調にもなるわ、と納得する。
「床が見えて来たかな」
朝の6時。
あれから6時間も掃除していたらしい。
不思議と疲れない。
「あ、今日ゴミの日じゃん」
更に、幾つかゴミ袋を増やし玄関へ集めていく。
8時になったのを見計らって、パンパンのゴミ袋を両手に持ち、外へ踏み出す。
晴れた青空が眩しい。
うん、何だか胸がすっきりして、足も軽い。
よし、ゴミ捨て場まで…
「おはようございます」
ぎぎ、と固くなったロボット的な動きで、そちらを見る。
「朝、早いんですね」
「は、はい…」
篠山さんは、玄関を開けて、こちらを見ていた。
「あ、もしかしてゴミ捨てですか?僕もゴミ捨て場所を知りたいんで、付いて行っていいですか?」
「はえ?はぁ、ど、ど、どうぞ!」
真っ赤になってる顔を隠す腕が欲しい。
両手がゴミ袋で塞がっていて隠せない。
「ついでだから、持ちますね」
ヒョイ、と2つのゴミ袋を彼が私の手から奪い取る。
「え?あの、え?」
挙動不審な私に笑顔を向けて、彼は歩き出す。
高鳴る胸を抑えて、私は彼の後を追いかけた。
「ここですか、ゴミ捨て場。なるほど、勉強になりました」
私のゴミを置いて、彼が振り返る。
「は、はい…」
私は、自分が埃まみれなのが気になって仕方ない。
彼は早朝にも関わらず、ラフだけど雑誌のモデルみたいにセンスの良い格好をしている。
隣なんて歩いちゃいけない……
「他にもゴミ、あります?僕、朝はトレーニングしてるんで、ぜひ運ばせて下さい」
ぐっと顔を近付けて話されると、自分の臭いが気になって一歩後退る。
「ひえ?は、はい」
「じゃあ、行きましょうか」
軽やかに進む彼の長い脚を後ろから見つめて私も歩く。
こんなにゴミ捨てって、トキメくんだ。
胸が高鳴るどころから、ぶっ壊れたように激しく鳴って煩い。
血圧上昇してるんだろな…
「うん、これくらい余裕です」
「え、でも、あの」
彼は私の満杯ゴミ袋を、お洒落なバッグか何かのように一度に3つも4つも抱えてゴミ捨て場と私の部屋を往復した。
彼が持つと、ゴミ袋さえ流行のアイテムに見えるからイケメンって凄い。
「ついでだから、中の掃除も手伝います」
「え?いや、さすがにそれは」
断ろうとした頃には、もう彼は中に入っていた。
早い。俊敏。イケメンって、動きも早いんだ。
そりゃあ、私には捕まえられないはずだわ。
「今日は、お仕事休みですか?」
「は、はい…今日は一日休みです…」
なぜか、超絶イケメンが私のゴミ達をゴミ袋に入れながら話している。
なんだろ、これ……
頭が状況に全く付いていかない。
「なら、このまま不燃ごみとかは、ゴミ集積所まで運びましょう」
「え?いや、私、車とか」
「僕、車あるんで」
彼の長身とイケメンさと俊敏さで、あっという間に部屋は片付いた。
凄い、イケメンって片付けにも役立つんだ。
そして片付いた部屋を見て感動する。
こんなに私の部屋ってば、広かったんだ……
床は見えて、多少の汚れはあっても、元の部屋が完全に復元された。
「じゃ、車に運びますから」
「あ、え、いいんですか?ほんとに」
にこっと白い歯で彼が笑う。
「トレーニングですから、気にしないで下さい」
「はぁ…ありがとうございます」
何のトレーニング?とも聞けず、私は彼の後をゴミ袋を持って歩く。
くるっと振り返ると、彼が私のゴミ袋を取り上げる。
「そのまま、付いて来て下さい」
「でも、私も持ちます!」
手を伸ばすと、彼がゴミ袋を高く掲げて、全く手が届かない。
「いいんです、愛さんは歩く係です」
「は、はい…」
彼の笑顔に、その優しさに、胸が張り裂けそう。
ヤバい、完全に惚れてしまった。
私の部屋は普通のアパートの一室。
玄関から入って右側にトイレと風呂、その先には台所のあるリビングと寝室。
ここら辺は地方でど田舎だから、都会よりも遥かに安く借りられて最高だ。
だがしかし、だがしかし…
「はぁ、よいせっと」
私は夜勤明けの身体で、床が見えない程に積まれた物の上に乗り上げて、物、プラスチック、紙…云々の上を歩く。
プラスチックのコンビニ弁当の空き容器も、あちらこちらに散乱している。
大丈夫、まだカビてない。
もう少しイケる。
いや、そろそろヤバいか?
一応、私の寝床としているリビングに敷かれた薄い布団へ辿り着く。
布団の下も周りも数多のゴミで埋め尽くされてる。
端には服も混ざっている。
「さて、いただきまーす」
コンビニで帰りがけに買ったおむすびとサラダを食べる。
布団の上で食べるな?
いや、他に座る場所無いんで。
足の踏み場も無いけどね。
「一眠りしたら、少し片付けるかぁ…」
ふぁ、と食べ終えたゴミを近くに放り投げて、万年床の布団へゴロンと横たわる。
清潔と不潔には厳しい看護師の仕事なのに、我が家はこの有り様。
仕事で忙しいを言い訳に、うず高く積み上げられたゴミ達。
「うん…また、あとで」
愛用のスウェットに着替えて、着ていた服は、端へポイッと投げる。
横に丸めてあった毛布を引っ張って被り、すやすやと眠りにつく私は、多分、安らかな顔だろう。
『ピンポーン♪』
明るいチャイム音でぼんやりと目覚める。
まだ寝てから2時間程しか経っていない。
疲れた身体をノロノロと引き上げて、ふらつく足元に力が入らないまま、どうにか玄関へと向かう。
「…はーい…」
こんな時間に、宅配便?
昼間だから、普通の時間だけど、私は夜勤明けだ。
「こんにちは、隣に越して来た篠山です」
「………しの、やまさん??」
薄く開けた扉の向こうに、光が満ちていた。
昼だから明るいのは当たり前。
「え…??」
そこには、イケメン俳優もびっくりな超絶イケメンが爽やかに笑って立っていた。
「これ、お口に合うか分かりませんが」
スッとスマートに差し出されたのは、有名な東京銘菓。
これ、大好きなヤツ…
「あ、ありがとう、ございます…これ、好きです」
「ほんとですか?!良かった!まだ沢山あるので、今度また持って来ます」
めちゃくちゃ笑顔がカッコイイ。
二重で切れ長の瞳は少し茶色が入ってて。
サラリと流れるツーブロックの髪も少し茶色がかっている。
スッと通った鼻筋、厚めの唇。
男らしい輪郭に、見上げる程に長身で、細く見えるのに筋肉質なのが服の上からも分かる。
やば、とんっでもなくタイプのドストライクど真ん中……
「は、はい…よろしくお願いします」
鼻血、出てないよね?
不安になって思わず鼻を覆う。
「こちらこそ、この辺りのこと全然知らないんで、色々と教えて下さいね。よろしくお願いします」
軽く頭を下げてから、私に小さく手を振って、爽やかに隣の玄関へ戻って行く篠山さんを、ぽーっと見送って私も自分の部屋に戻る。
ふと足元のサンダルが目に入る。
あれ?私、こんな格好で……
下を見れば、ダルダルのスウェットにサンダル。
貰った東京銘菓は台所らしき場所へ置いて、慌てて汚い洗面台に向かい鏡を見れば、そこには実年齢よりも若干老けて見える顔色の悪いおばさんがいた。
髪はボサボサ、肌は荒れ荒れ、涎の跡が口の横に付いている。
「……さいっあく…」
こんなだから、未だにお付き合いも、ましてや男性経験ゼロなのだ。
最高の出会いの場面で、この醜態。
「あ…部屋、見られた…?」
いつもは、ほんの薄くしか開かない玄関の扉を、あまりの顔面レベルの高さに全開にしてしまった。
「おわった……」
何も始まる前に、全て終わった。
汚すぎる洗面台で、項垂れる。
この五年は確実に一度も掃除していないソコは、もはや魔窟。
真っ黒な渦が巻いている。
「こんなの…こんな……いや、部屋とか…全部、自業自得か」
こんな女、私でも嫌だわ。
のそのそとゴミの上を這い戻って、毛布に頭から包まる。
滲む涙は気の所為だ。
きっと明日には、全部諦めが付く。
今までも、そうだったんだから。
これからも、私は一人で生きて行くんだから。
「いいなぁ、山田さん……」
荼毘に付した初プロポーズのおじいちゃんの顔が目に浮かぶ。
彼には常に奥さんがいた。一人じゃなかった。
二度目の眠りは、なんだか胸の奥が重くて苦しくて、何度も寝返りを打った。
「夜ご飯、これでいいや」
夕方に目覚めて、買い溜めしてあった菓子パンを手繰り寄せる。
毛布に包まったまま、もぐもぐと咀嚼する。
大好きなマヨコーンのパンは、いつでも美味しいはずなのに、全然味がしない。
「…ふぇ……」
泣けて来た。
愛する妻がいて、子供にも囲まれて幸せそうな顔で旅立った山田さん。
私なんて、一人きりだ。
両親は、三年前に他界した。
不慮の事故で二人を見送り、本当に一人になった。
私なんて…
『ピンポーン♪』
「はえっ?!」
慌ててマヨコーンパンを放り投げて玄関へ向かう。
足元のゴミが邪魔して、うまく進めない。
今度は一度、扉の外を覗く。
彼だ!
とりあえず、顔を手の甲でゴシゴシ拭って、ソッと扉を薄く開ける。
「…はっ、はいっ」
「何度もすみません。これ、家に沢山あって…他に知り合いもいないので、食べて貰えると嬉しいなって…あ、迷惑でしたか?」
きらきらした輝く笑顔は、やっぱり眩しい。
時間が何時だろうと眩しいのは眩しいのだ。
彼の周りでは常に朝陽が昇っている。
「いえっ!こちらこそ、ありがたいですっ!これ大好きなんで、いくらでも食べたいです!」
「ふはっ、喜んでもらえて良かったです」
吹き出した笑顔、かわいい~っ!
かわいいのに、とんでもなくカッコイイ~っ!
私の顔、絶対真っ赤だ。
「じゃあ、また届けますね。会える口実になるので」
「はいぃ……」
放心状態で篠山さんを見送る。
すぐ隣の玄関の扉を開けながら、彼がまた小さく手を振ってくれた。
「じゃ、また」
「はいぃ……」
私も小さく手を振っていた。
反対の手には本日二度目の東京銘菓。
恐れ多くて握りしめられない。
そっと宝石のように持ち、慎重に丁重に運ばせて頂く。
ふらつく足で玄関に入って顔を覆う。
『会える口実になるので』
何度も頭の中、耳の奥で繰り返す彼の言葉。
聞き間違いじゃないよね?
東京銘菓を持ったまま、本日二度目の洗面台に向かう。
鏡の中は、少し眠って元気になったけど、やっぱり疲れた顔のおばさん。
「……そんな訳無いか。こんな女、あんなイケメンと釣り合う訳無いし」
元々普通な見た目さえも劣化しておばさん化、部屋はゴミ屋敷。
ダルダルスウェットにサンダル。
無理無理無理無理。
「…あれか…リップサービスってやつか」
彼は私よりも随分若いようだった。
30歳くらいだろうか。
「今時の若者は、日本人じゃなくてイタリア人か…世の中、国際化だのう」
はぁ、と本日何度目かのため息をついて、おじいちゃん口調で冗談にしようとする。
この胸のトキメキを茶化さないと明日からどうやって生きれば良いか分からない。
ふと、洗面台の黒い渦が目に入る。
「……ちょろっと掃除でもするか」
きっと彼と何かなんて始まらない。
そんなこと分かってる。
でも、でも、でも。
これ以上、自分を蔑んだり、否定したりするのは苦しい。
ひとまず、洗面台の黒い渦と向き合うことにした。
沢山のゴミや物の中から、適当にスポンジっぽい物を見つけ、洗剤も発掘。
ゴシゴシゴシゴシ、とひたすらに擦る。
「ふぅ、全然落ちない…けど、頑張れ、私」
自分を応援しながら、ふと想像する。
彼と何も起こらなくても、毎朝、出勤する彼と顔を合わせるかもしれない。
時には、作り過ぎたお惣菜を、お裾分け、なんて。
ぐふふ、と笑いが込み上げる。
そもそも、長い間、自炊さえしていないけれど、そんな未来が自分にあるかもしれないことが、嬉しい。
「ふんふん、ふんふふーん♪」
こびり付いた汚れを取る行為が、爽やかな彼に近付ける気がして、私は一心不乱に洗面台を磨いていた。
気付けば夜中の12時。
洗面台は、見違えるように綺麗になった。
黒い渦は消えて、真っ白な輝きは、まるで彼のよう♡
「やば…うるさかったかな?」
隣の篠山さんの部屋は私の洗面台の反対側だけど、煩くして嫌われたくない。
きっと最底辺だろう私の評価を、これ以上、下げたく無い。
私は、大きな音を出さないよう注意して布団へ向かう。
べこ、がしゃ、ぐしゃ…
私の足元は全てゴミがうず高く積まれている為に、少し進むごとに音が鳴る。
こんな夜中には、結構な騒音だ。
「こんなの…彼に聞かれたら…」
篠山さんに、夜のトイレ時間まで知られてしまう!
そんなの、耐えられない!!
あの爽やかな笑顔が歪むところなんて見たくない!
近くに、いつ買ったか分からないゴミ袋が埋もれていた。
そろ、と引き抜く。
近くのゴミが雪崩を起こした。
ガラガラガラガラ……
こんな夜中に、何やってんだ、私。
ぐっと唇を噛んで、手当り次第にゴミ袋に周りの物を放り込む。
分別しないといけないから、途中からは3枚のゴミ袋に入れ始めた。
あっという間に満ぱいになるゴミ袋。
「なるべく静かに、静かに…」
嵩張る紙やペットボトル、何の景品か分からない人形?
私は、一体、何をこんなに集めていたのか。
玄関にゴミ袋を積むごとに、頭の中の霧が晴れて行くように、すっきりとしていく。
「…よく、こんな所に寝ていられたな、私」
自分が寝ていた万年床の薄い布団を捲ると、裏は黒カビで真っ黒だった。
「いやいや死ぬって、こんなの」
発掘した紐で、ぐるぐると縛って玄関へ。
毛布も、良く見ればカビが生えていた。
あらゆる物が不衛生で、そりゃ身体も不調にもなるわ、と納得する。
「床が見えて来たかな」
朝の6時。
あれから6時間も掃除していたらしい。
不思議と疲れない。
「あ、今日ゴミの日じゃん」
更に、幾つかゴミ袋を増やし玄関へ集めていく。
8時になったのを見計らって、パンパンのゴミ袋を両手に持ち、外へ踏み出す。
晴れた青空が眩しい。
うん、何だか胸がすっきりして、足も軽い。
よし、ゴミ捨て場まで…
「おはようございます」
ぎぎ、と固くなったロボット的な動きで、そちらを見る。
「朝、早いんですね」
「は、はい…」
篠山さんは、玄関を開けて、こちらを見ていた。
「あ、もしかしてゴミ捨てですか?僕もゴミ捨て場所を知りたいんで、付いて行っていいですか?」
「はえ?はぁ、ど、ど、どうぞ!」
真っ赤になってる顔を隠す腕が欲しい。
両手がゴミ袋で塞がっていて隠せない。
「ついでだから、持ちますね」
ヒョイ、と2つのゴミ袋を彼が私の手から奪い取る。
「え?あの、え?」
挙動不審な私に笑顔を向けて、彼は歩き出す。
高鳴る胸を抑えて、私は彼の後を追いかけた。
「ここですか、ゴミ捨て場。なるほど、勉強になりました」
私のゴミを置いて、彼が振り返る。
「は、はい…」
私は、自分が埃まみれなのが気になって仕方ない。
彼は早朝にも関わらず、ラフだけど雑誌のモデルみたいにセンスの良い格好をしている。
隣なんて歩いちゃいけない……
「他にもゴミ、あります?僕、朝はトレーニングしてるんで、ぜひ運ばせて下さい」
ぐっと顔を近付けて話されると、自分の臭いが気になって一歩後退る。
「ひえ?は、はい」
「じゃあ、行きましょうか」
軽やかに進む彼の長い脚を後ろから見つめて私も歩く。
こんなにゴミ捨てって、トキメくんだ。
胸が高鳴るどころから、ぶっ壊れたように激しく鳴って煩い。
血圧上昇してるんだろな…
「うん、これくらい余裕です」
「え、でも、あの」
彼は私の満杯ゴミ袋を、お洒落なバッグか何かのように一度に3つも4つも抱えてゴミ捨て場と私の部屋を往復した。
彼が持つと、ゴミ袋さえ流行のアイテムに見えるからイケメンって凄い。
「ついでだから、中の掃除も手伝います」
「え?いや、さすがにそれは」
断ろうとした頃には、もう彼は中に入っていた。
早い。俊敏。イケメンって、動きも早いんだ。
そりゃあ、私には捕まえられないはずだわ。
「今日は、お仕事休みですか?」
「は、はい…今日は一日休みです…」
なぜか、超絶イケメンが私のゴミ達をゴミ袋に入れながら話している。
なんだろ、これ……
頭が状況に全く付いていかない。
「なら、このまま不燃ごみとかは、ゴミ集積所まで運びましょう」
「え?いや、私、車とか」
「僕、車あるんで」
彼の長身とイケメンさと俊敏さで、あっという間に部屋は片付いた。
凄い、イケメンって片付けにも役立つんだ。
そして片付いた部屋を見て感動する。
こんなに私の部屋ってば、広かったんだ……
床は見えて、多少の汚れはあっても、元の部屋が完全に復元された。
「じゃ、車に運びますから」
「あ、え、いいんですか?ほんとに」
にこっと白い歯で彼が笑う。
「トレーニングですから、気にしないで下さい」
「はぁ…ありがとうございます」
何のトレーニング?とも聞けず、私は彼の後をゴミ袋を持って歩く。
くるっと振り返ると、彼が私のゴミ袋を取り上げる。
「そのまま、付いて来て下さい」
「でも、私も持ちます!」
手を伸ばすと、彼がゴミ袋を高く掲げて、全く手が届かない。
「いいんです、愛さんは歩く係です」
「は、はい…」
彼の笑顔に、その優しさに、胸が張り裂けそう。
ヤバい、完全に惚れてしまった。
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