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一章

現実

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「ほら、見えてきたぞ。王都だ」
「…………」

 馬車に揺られすぎて身体が痛い。
 そもそも、窓の外に気を配る余裕がない。
 少女は恨めしげにリカルドを見た。
 少年は、肩をすくめて笑うだけだった。

「見といた方がいいぞ。馬鹿みたいにでかいからな。心の準備が必要だ」
「………………」

 そうまで言われると興味がわき、少女はそろそろと馬車の窓から顔を出した。

「…………………………………………大きい…………」

 丘となった地形を利用して作られた都だ。国の発展とともに裾野が広がり、城壁もその度に増やされていった。

「今から入るのが、一番外側だな」
「……」

 門番と御者がやり取りをしている。
 見かけは質素な馬車に、門番は気安げに声を掛けて来た。しかし御者が手渡した「手形」を見せると、途端に態度を改める。

「……」

 見えなくなるまで、敬礼を崩さなかった彼らを、少女は窓の奥に隠れながら見つめていた。

「ここは一番外側の街、町民街が広がっている場所だ」
「……なによ」
「これから住むところなんだし、知りてェだろ?」

 一瞬、きょとんとした顔をしたリカルドは、すぐに笑みを浮かべた。窓枠に肩肘を掛けながら、窓の外を指差す。

「で、今見えてる二つ目の門。あれが貴族街への入り口だ」

 町民街は、とても賑わっているようで、あちらこちらから活気のある音が伝わってくる。その全てを拒絶するように、少女は縮こまった。

 やがて馬車は、二つ目の門をくぐり、貴族街へと入る。貴族街は、町民街とは反対に静かだった。少女は、ぼんやりと自らの指先を見つめ続けた。

「最後の門が見えたぞ。こっから先は、貴族のなかでも限られた家しか住むことが出来ない場所だ」
「……」
「町民街のやつらは、上級貴族街って呼んでいるな」

 昨日までは奴隷と呼ばれ、次の日には上級貴族?一体どんな皮肉なのだろうか。少女は鬱屈とした思いを抱えたまま、窓の外を睨みつける。

 一つひとつの屋敷がかなり大きい。
 しかし、それよりも一際大きく、目立っているのが王城である。白い城壁に、金色の装飾が施されている。貴族の屋敷は、王城を取り巻くように整然と並んでいた。

 馬車は止まることなく進んでいき、ついに王城の目と鼻の先までやってきた。

「…………ねえ、どこまでいくの」

 少女はついに、堪えきれなくなって口火を切った。

「ああ、もう着いたよ」

 公爵の言葉に、少女は本当に、何かの間違いなのではないかと、何度も繰り返した言葉を心の中で呟いた。

 リンドハーゲン公爵家の屋敷は、王城に一番近い場所に陣取っていた。一体何部屋あるのか分からない、王城とどこか似通った作りの屋敷が、美しい庭園の中に佇んでいる。

 とんでもないところに来てしまった。
 遠目からでも、たくさんの使用人たちが、屋敷の前で待ち構えているのが分かる。あの衆目に晒されるなんて、まるで見せ物じゃないか、と少女は憤慨する。

(……いいわよ、見たいなら、見ればいいわ)

 好奇の視線や、品定めされることには慣れている。好きなだけ、うさわ話でもすれば良い。私はそんなことでは傷つかない、と、意気込んだ少女であったが、それは全くの杞憂となった。公爵家の使用人たちは、感情というものを感じさせなかった。精密な機械のように、少女に必要なものを与えては去っていったのだ。

 贅沢に湯を張った風呂、良い匂いのする香油。
 用意された着替えは、リカルドに渡されたワンピースよりも、上質な布地の濃いブルー。
 シルクの靴下。
 柔らかな皮の黒い靴。
 顎の下までの髪は、簡単に切り揃えられ、香油を塗り込められた。そうすると、確かに銀色に見えなくもない。

 鏡の中の自分が、どんどん見慣れない姿に変わっていくのを、少女はじっと眺めていた。

 一通りの磨きが終わると、少女は「自分の」部屋に案内された。柔らかな色合いで統一された部屋だ。華美な装飾はないが、一つひとつの家具や調度品に手が混んでいる。誰がこの部屋を整えさせたのかを何となく察して、少女は思い切りベッドに飛び込んだ。

「……ふわふわ……」

 それがあんまりにも寝心地が良かったので、履いたばかりの靴を脱ぎ捨てて、少女はシーツの中に潜り込んだ。

 本当に、不思議だ。
 人生に、こんなことがあって良いのだろうか。

 それは、奇妙な罪悪感。
 少女に、その自覚はない。

(けれど、これで……死ぬことはない)

 あの街にいた時は、いつもどこかで覚悟していた。
 
 ダリルに使い潰されて、
 客の不機嫌を買って、
 街を出た先で、めに合わされて、

 そうやって、奴隷たちは死んでいった。
 もちろん、現実と折り合いをつけて、生きていく奴隷たちの方が圧倒的に多かったのだが、少女には死んでいった彼らの方を、鮮明に覚えていた。

 どこかで、自分もそうなるのだと思い込んでいるふしがあった。

 勿論、死にたいわけではない。
 少女はむしろ、あの街の誰よりも「生」に執着をしていた。だけど、死んだように生きるなら、「生き抜いた」ほうがだ、とも考えていた。

 なのに、

(……私だけ……)

 そう思いかけて、少女は首を振った。

(生きろというなら、生きてやろう。奴隷の私が、公爵家の娘になる。きっと、とっても滑稽な一生ものがたりになるわ)

 少女は薄く笑った。
 それは、昏く、哀しい笑みだった。




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